第2話

 今日のアイススケートリンクの空気はよく循環していた。それは今日が年に一度のコーチが出る大会が開催されているからであり、その姿を一目見ようと昔からなのファンが足蹴もなく見に来てくれているからだ。


 功樹こうきは大会の裏方を手伝いながら観客席をぐるりと見渡す。コーチはまだ20代前半。でもファンの人たちはそれに比べて一回りか二回り年上に見える。功樹からすれば母親とたいして歳の変わらないようにも思える。


 これだけの人たちが今もまだ、コーチの姿を見に来ているのだ。それは純粋にすごいことだと思える。


「ほら。第二グループの結果出たから張ってきてくれ」


 グループごとに練習からの本番を繰り返すフィギュアスケートの大会ではこうやって途中経過を張り出しに行ったりする。予算の少ない小さな大会だとその場ですぐに点数を表示することもできなかったりするからこうやって張り出すことで初めて自分の得点を知ったりもするなんてこともある。


 リンクサイドの扉を開けると暖房の聞いた温かい空気が待っている。会議室やら準備室を通り過ぎてスケートリンクのロビーへ向かう。辿り着いたそこには今日のスケジュールだったり滑走順だったりが掲示されているホワイトボードがあって。そこに今日の結果を張ろうとする。ふと、見知った名前がズラッと並んでいるのに目が移った。


 大会自体は盛り上がっているけれど。この大会の先にさらに大きな大会が待っているわけでもない、お祭りみたいな大会。大きな舞台を目指している功樹にはまだ縁がないこの大会もいつの日にかは出ることがあるのだろうか。


 そうしていると自動ドアがあいて、冬だというのに大量の汗をかきながらロビーに入ってきたコーチとばったりと出くわした。


「おっ。天才もちゃんと雑用できるんだ。真面目だねぇ」


 外で体を温めてきたのだろうけれど、それにしては汗だくだ。風邪をひきかねない。それに……。


「大したジャンプ飛ぶわけでもないのにそんなに汗かく必要あります?」


 まるで挑発したみたいな言い方になったのは、今日の演目がとあるゲームをモチーフにしたものだからだ。どこから調達してきたのか、なにかの戦艦の艦長みたいなコスプレ姿を自慢げに披露してきたりもした。スケートはこのゲームの動きを再現するのにぴったしなんだよなんて、子どもみたいに喜んでもいた。


 なんのジャンプ飛ぶんですか。そう聞いた4回転半とまではいかずとも3回転半くらいは飛んでくれるだろうと期待してのことだ。でも。


『うーん。6種類全部飛ぶぞ。まあ、シングルだが』


 シングルってことは1回転ってことで。そんなコスプレに熱心になるくらいならもっとやるべきことがあるだろうと。言いたい気持ちを堪えていた。それがつい3日前のことだ。その気持ちがちょっとだけ漏れて挑発してるみたいになってしまった。


「あのなぁ。お前もこの前ケガしたばかりだろうが。この事前準備がどれだけ大切か身に染みて分かっただろう?」


 流石はコーチと言うべきなのか。ぐうの音もでない真面目な返しに大人しくなることしかできない。妙に粋がってしまったことに恥ずかしさすらこみ上げてくる。


「結果見ますか」


 だから。誤魔化すように手に持っていた紙を差し出そうとする。でも、コーチはそれを気にする様子もない。


「結果って。そんなのいらないよ。そういうんじゃないし。おっ。っていうか前のグループもう終わったってこと。準備しなきゃじゃん。じゃな。天才。頑張れよ」


 そうさわやかに笑って小走りで行ってしまった。


 なんだよそれ。真面目にやって。カッコつけてのフィギュアスケートだろう。それにジャンプやスピンやステップが評価されて初めて結果がついてくるのだ。それなのに、結果もみないし、ジャンプもチャレンジしない。そんなことになんの意味があるっていうんだ。


 そんな怒り似た行き場を失った感情が持っていた紙にしわを作っていた。


「あ。それ見てもいいかな」


 先ほど演技を終えた選手にそう聞かれて初めて功樹はそれに気が付いたのだ。

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