第29話

 しかし、俺の身体は限界に達しつつあった。

 ミシミシと、左半身から嫌な音が響く。それに気を取られ、俺は僅かながら脱力した。と同時に、大きな隙が生まれてしまった。


 ビシッ、と左半身が掲げた腕ごと硬直し、その直後に俺は弾き飛ばされた。左の肺や肋骨がやられたのか、激痛とも鈍痛ともつかない衝撃が全身を蝕む。


「ぐはあっ!」


 佇立していた岩壁に叩きつけられ、俺はようやく止まった。

 まともに呼吸ができない。全身あざだらけで、唇の端から出血。

 なにより左半身の感覚がない。これでは最早、戦いようがない。


「チ……畜生……」


 自分の尻尾を食い止められるとは思わなかったのだろう、黒龍はぐるりと身を翻し、俺に向かって牙をむいた。

 その速度たるや、凄まじいものがあった。にもかかわらず、俺には黒龍の頭部の動きがゆっくりとしているように見える。


「サン、エミ、ベル、皆、すまねえな……」


 俺は、自分が噛み砕かれるのを覚悟して目を閉じた。せっかく異世界まで来たのに、自分が死んじまったらしょうがないじゃねえか。

 でも、この世界が少なからずマシになるなら、それはそれで意義のある生き方だったのかも。


 俺ががっくりとこうべを垂れた、次の瞬間だった。

 ゴウッ、と何かが眼前を通過した。


「うわっ!」


 俺は慌てて右腕で頭部を庇う。そうして目を開くと、黒龍は顔を上げ、翼を荒々しくばたつかせていた。その上空にいたのは――。


「フェニー……?」


 間違いない、フェニーだ。黒龍が纏っていた黒い塵を羽ばたきで吹き飛ばしながら、フェニーが黒龍の頭部を攻撃している。

 長いくちばしと小回りの利く身体を活かし、フェニーは一撃離脱戦法で執拗に攻撃を繰り返す。


「胴体よ! 今のうちに鱗の少ない腹部を攻撃して!」


 エミの号令に呼応するように、機甲化種族が一気に攻勢に出た。俺の頭上を舞台に、凄まじい勢いの弾幕が展開された。じゃらじゃらと薬莢が降り注ぐ。


(テレポート。トウヤ、そのままでいて)

「今の声、ベルだな?」

(そう。今からあなたを助けにいく)

「俺のことはいい、他の負傷者を……」

(大丈夫。一番大怪我をしているのは、あなただから)


 俺はまともに動く右半身に腕を当て、そっと撫で下ろした。

 そうか。皆無事だったのか。


 すると間もなく、天使の輪っかのようなものと一緒にベルが現れた。俺の手を取り、すぐさま瞬間移動。移動先はクレーターの淵の部分だ。

 移動直後に、俺が元いたところに黒龍の頭部が倒れ込んできた。一瞬でも移動が遅れていたら、俺は間違いなく右半身もぺしゃんこになっていたはずだ。


 ほっとしたのも束の間、俺はもう一つの非常事態に気づいた。

 機甲化・魔術師それぞれの種族の発する弾丸、ロケット砲、魔術光線諸々。それらの勢いが大幅に削がれていたのだ。


 ざっと見渡したところ、理由は二つ。

 一つは、負傷者が出ていることだ。そりゃあ人数が減れば、攻撃の勢いだって弱くなる。

 もう一つは、弾切れや魔力切れが生じていたこと。せっかく黒龍を追い詰めたのに、これでは攻撃のしようがない。

 武闘家の連中はまだ動ける様子だが、戦闘開始時よりも、その動きは明らかに精彩を欠いている。体力を消耗してしまったのだろう。


 こうなったら、頼みの綱はフェニーの存在だ。今も果敢に、黒龍の頭部や腹部、羽の根元などを攻撃している。

 しかし、俊敏性を有するがゆえに、どうしても一撃ずつは軽いものになってしまう。


 すると、黒龍がぐっと顎を引いた。その目は片方潰されていたが、もう片方は健在だ。ぎょろり、と眼球が動き、フェニーを捉える。

 そして、まるですっぽんのように勢いよく首を突き出した。


 キィン、と甲高い音が響き渡る。それがフェニーの断末魔であることを悟るのに、それほど時間はかからなかった。何故なら、フェニーは噛みつかれた瞬間に爆散してしまったからだ。


「フェニーっ!」


 俺は思わず立ち上がろうとして、しかし左半身が半ば麻痺しているので失敗。動かないでとベルに告げられ、呆然と鮮やかな爆炎を見上げた。


 フェニー不在、体力も魔力も武器・弾薬も底を尽いた。これは士気にも大きく影響し、こんな思いが皆から感じられた。


『今の自分たちに、この怪物は倒せない』

『これからも暗黒種族の襲撃に怯えながら暮らすのか』


 俺はぎゅっと唇を噛み締めた。理由は、左半身の痛みから、というだけではない。

 ただひたすらに悔しかった。この世界に来る前の俺には、何の力も与えられていなかった。しかし、神様の加護を得て、俺は今この島を平和な土地にしようと奮闘してきた――はずだった。


「……それがこのザマかよ」


 虚無感に囚われすぎて、俺は眼前に黒龍の顔があることにすら気づかなかった。気づいたとしても、ぼんやり立ち尽くしていただけだろう。

 そして、黒龍の餌食になっていたはずだ。――その背後から、武闘家種族の本隊が攻め入ってこなければ。


 巧みに調整された弓矢が、一斉にこちら側に飛んでくる。一本として、俺たちを傷つけたものはない。その代わりに、高硬度を誇る矢じりのついた弓矢が一気に黒龍に突き刺さった。


 何事かと振り返る黒龍。そのもう片方の目に、見事に弓矢が突き刺さった。

 ゴアアアアアアアッ! と悲鳴を上げると同時に、のたうち回る黒龍。

 それに向かって、先ほどの十人よりも遥かに大勢の武闘家たちが、ちょうど弱った黒龍に斬りかかり、蹴りかかり、殴りかかる。


 仕留めるなら、今だ。だが、決定的打撃を与えるにはどうしたよいだろうか?

 そんな時に思い出されたのは、かつてシャングルで土亀と対峙した時のこと。

 あいつの外部装甲は硬質だったが、口内や内臓はそうでもなかった。とすれば――。


 俺は矢継ぎ早に指示を出した。


「エミ! 手榴弾をありったけ寄越せ!」

「は、はい?」

「ベルは一瞬でいい、弱った黒龍の動きを止めてくれ!」

「分かった」

「サン、思いっきり俺を真上にぶん投げてくれ!」

「な、何言ってんだ、トウヤ?」


 一部疑問符を挟みながらも、三人共指示に従ってくれた。

 エミから手榴弾四つを受け取り、右腕に通す。と同時に、ベルの魔法陣から雷撃のようなものが迸り、黒龍を麻痺させた。

 あとは――。


「行くぞトウヤ、思いっきり投げ上げてやるからな!」

「遠慮なく頼む!」

「よっしゃ!」


 サンが俺の両足を掴み、思いっきりぶん投げた。ちょうど口を開いた黒龍の頭上を通過するように。


 俺がやったこと。それは、数珠繋ぎになった手榴弾を、黒龍の口の中に放り入れることだけだ。ピンは既に抜いてあり、俺は秒数を数えながら降下軌道に入った。

 上手く着地できるか……? 俺はごくりと唾を飲みながら、迫りくる地面を見つめていた。右半身を下にしなければ、俺の左半身は間違いなく失われる。

 何も接触するものがない中で、俺は神様の加護を信じ、思いっきり身体を捻じった。


「頼むぜ、神様……!」


 すると思いの外呆気なく、俺の身体は九十度旋回し、右肩から地面に落着。綺麗な受け身を取った。それでも、着地の衝撃は俺の全身を地面にめり込ませるのに十分な威力だった。


「ぐは……」

「大丈夫でらっしゃるか、トウヤ殿!」

「あ、ちょ、長老……」

「すぐに手当て致しますからな!」


 しかし、長老の申し出は俺の耳には入っていなかった。カウントダウンに意識を集中していたのだ。


 三、二、一、零.


 直後、ズドバッ、と何かが弾け飛ぶような轟音と共に、甲高い悲鳴が上がった。黒龍の悲鳴だ。黒龍の喉元で真っ黒な液体――あれがあいつの出血なのだろう――と共に、鱗や肉片が飛散する。


「今じゃ! 突撃ーーーーー!」

「うおああああああ!」


 俺と長老を巧みに避けて、三十人ほどの筋骨隆々とした男たちが、苦しむ黒龍に殺到する。

 これじゃあリンチだな。


「ちょ、長老……」

「おっと、お喋りは後じゃ。今はゆっくり休むんじゃ。すぐに優秀な治癒魔術師がやって来るでな」


 では、遠慮なく。そう自分が呟くのを聞きながら、俺は自分の意識を手離した。

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