引きニート最硬防御戦記

岩井喬

第1話【プロローグ】

【プロローグ】


 目の前に、真っ白な光がある。暗闇に煌々と灯る光。

 でもそれは神秘的でも何でもなくて、四角に切り取られたただの電子機器の画面だ。俺、倉野内闘也のスマホ。


 まったく、最近はロクでもないニュースばかりがTwitterで流れてくる。政治家の不正、国際紛争、そして人命を軽視したかのような殺人、傷害、暴力沙汰。もう舌打ちをする余力もない。


 今俺がいるのはアパートの自室。ただし寒いので、窓から遠いエアコンの真下で毛布を被っている。

 分厚いカーテンを透かして僅かに日の光が入ってくるが、それが縁取るのは部屋の無惨な様子。パソコンデスク上に積み重なった漫画本やら、中身が溢れかけたゴミ箱やら。


 一番分かりやすいのは、部屋中に点在する空き缶や空き瓶だろう。去年の年末に二十歳になってからというもの、以前から挑戦したかった酒というものに、俺は見事に溺れていた。


 二十代で酒に溺れるってマズいんじゃないか。そう思ったものの、俺の口から言葉が出てくることはない。唇がかさついているのがやや気になるが、顎はぽかんと開かれたままだ。


 トイレに数回立った以外は、俺は昨日の未明から丸一日、この姿勢を貫いている。指先と瞼以外は動かさずに。


 室内に変化があったのは、俺が目の乾燥を覚えて瞬きを繰り返した時だ。漫画本に追いやられたデスク上のパソコンが、ぴこん、と音を立てた。

 きっと大学のゼミ選択の催促だろう。面倒な話だ。ここ半年は、まともに講義に出られていないというのに。


 私立高校からこの都会の大学に進学させてもらうにあたり、それなりの教育費はかかったはずだ。それを今、俺は踏みにじっている。

 だがそんな自覚こそあれ、罪悪感は皆無。理由は単純で、俺は所詮捨て子のようなものだと思っているからだ。


 ――愛がなくとも、金だけ渡せば子は育つとでも言うのか。

 そんな皮肉を、俺の養父である伯父はよく口にしていた。どうしてあいつ(俺の親父のことだ)は、自分の子供をこうも簡単に手放せるのかと嘆いていた。


 ごもっともだと思いながらも、そう思ってしまう俺自身のことが、俺はどうにも好きになれずにいた。自分を肯定できた試しなど無きに等しい。

 強いて言えば、大学まで学歴を進めてきたことかもしれない。だが、それだって半年はサボっているのだ。とても他人様に認めてもらえる実績だとは言えまい。


 音のない溜息をつく。

 昔のことはいい。ぶっちゃけ、今のことだってどうでもいい。ただ一つ問題があるとすれば、今の荒みきった世の中に対し、何の対抗策も打てずにいるということだ。

 新資源を発見することもでいなければ、独裁者を暗殺することもできない。戦場で武器を無効化することも、仲裁に入ることも、喧嘩両成敗することも、絶対できやしない。


 まったく、人間一人のなんと無力なことか。

 

 ふと尿意をもよおした俺は、毛布を押し退け、のっそりと立ち上がった。スマホをベッドの上に放り投げる。

 と、その時だった。酔いのためか、重心を移動したためか、はたまた久々に腰を上げたためか。俺は大きくバランスを崩し、思いっきり片足を前へと踏み出した。


 奇妙な音が喉から発せられる。敢えて表現すれば、うおっ、とか、うわっ、とかいう感じだと思う。


 続けざまに、地面が回るような感覚が俺を襲った。横倒しになっていた酒瓶を踏みつけてしまったのだ。

 が、この際何を踏みつけたのかは問題ではない。俺が後方に思いっきりぶっ倒れたということが致命的だった。


 体感時間が長くなり、俺はゆっくりと倒れ行く我が身を思った。このままでは大怪我を負うだろうか? それ以前に打ちどころが悪ければ、このまま絶命するかもしれない。

 

 しかし、俺の身に起こったことはそのどちらでもなかった。

 背中から床面をすり抜けるようにして、どこかへと落下していったのだ。


 重力以外の何物をも感じない、しかし明確な落下感。どこか、例えば地球の中心にでも吸い込まれるようにして、俺の身体はどんどん降下していく。

 俺の喉が再び機能したのは、俺がここで絶叫したからだ。


「うわああああああ‼」


 真っ暗な空間を、俺は真っ逆さまに落ちていく。かなりの速度で落下しているはずだが、何故か自分の絶叫は反響して聞こえた。ぐわんぐわんと、頭蓋の中を跳ね回る。

 

 しかし、落下速度はそのままに、俺の周囲は一変した。

 暗闇だった周囲の様相が、真っ白で煌びやかなそれへと切り替わったのだ。俺の声帯が擦り切れるような感覚と共に、叫び声すら出なくなる。


 わけが分からないと思う反面、これでは助けを呼べないじゃないかと慌てる自分もいる。それもまた、わけの分からなさに拍車をかけている。


(まあまあ落ち着きなよ)


 ん? 何だ、今の声は? いや、何も聞こえるはずがない。落下に伴うびゅうびゅうという音で、耳はイカれているはずだ。


(だから落ち着きなってば。ちゃんと説明するからさ)


 誰だ? 誰の声だ? 若い男性のものだとは思うのだが、やや高めの中性的な声なので判然としない。


(僕かい? うーん、そうだなあ。強いて言えば神様、かな?)


 は、はあ? 何を言いやがってるんだ、こいつは?

 だが、この声の主が神様であることを否定する根拠は俺にはない。もちろん、肯定もできないが。


 半信半疑でいると、声は続いた。


(まあ、神様なんて偉そうなのは僕の柄じゃないんだけどさ。ちょうどよかったんだよ、倉野内闘也くん。君はこの世界――君がいた世界からすれば異世界、ということになるのかな? まあいいいや。とにかく、この世界に必要な人材なんだ。やっと都合のいい人間を発掘できた)


 酷い言い様だな。都合のいい、とはどういうことだ? しかも発掘って。手配するのに随分と手間がかかったようじゃないか。


(そうとも! いやはや苦労したよ。でも大物が釣れた。君の防御力は、この世界の誰よりも高い。文字通り最硬だ)


 ん? まさか俺の考えが読まれているのか?


(まあね。これでも全能者やってるんで)


 自称・神様は話を続ける。


(僕が君に見出したのはね、闘也くん。君の他人に対する不信感と引っ込み思案なところなんだ。ここ数ヶ月、まともに誰かと会話した経験はあるかい?)


 ……ないな。


(だろう? それは君自身が、心に壁を造って他者を受け付けようとしないからだ。多少寂しかろうと、他者の存在をはねつけ続けるその心意義、僕は高く評価するよ。何故かって? それはね、その心理的傾向こそ、こちらの世界に蔓延る大いなる不幸に対する切り札になるからだ)


 切り札、だって?


(ああ。君にとっても悪くない相談だと思うよ? 闘也くん。だって、もし君が自室で後ろ向きに転倒していたら、壁に後頭部を直撃させて、その衝撃で頭蓋骨やら頚椎やら、とにかく大事な頭部の骨に大打撃を被っていただろうからね)


 確かに。いや、自分でもそうなるんじゃないかと思ってはいたが、いざ他人に指摘されるとぞっとする。大怪我をするのも死んでしまうのも、どちらも怖い。


(そこで提案だ。君の生命を保証する代わりに、こちらの世界で暮らしてくれないか?)

「は、はあっ!?」


 やっと声が出た。だが、神様の提案はあまりにも突然だ。俺が現世、というか元いた世界に残してきた諸々の事柄はどうなる? 第一、帰れるのか?


(帰りたい要素があるのかい? 会いたい人でもいるのかい? そうは思えないな。失礼ながら、君の心を覗かせてもらっているけれど、実際のところ元いた世界には何の未練もないはずだ)


 い、いや、話があまりにも突然すぎたから……。


(その点は謝る。ごめん! でもお願いするよ、闘也くん。こちらの世界に来てくれること、そして戦ってくれることをね。じゃ、早速だけど頑張って!)


 早速って何だ? 何が起こるっていうんだ?

 俺は頭の中を言葉で埋め尽くし、神様とコミュニケーションを取ろうとしたが、それよりも早く真っ白い光が晴れて、自分がいかに高高度から落下しているかを思い知らされた。


 緑色の地面が見える。視覚情報だけでは、それが近づいているのか遠ざかっているのか、よく分からない。

 だが、全身にかかる力は間違いなく重力だ。このままでは、俺はあの地面に叩きつけられてぺしゃんこだ。かといって空を飛べるわけでもない。


 俺は再び絶叫しながら、両手で頭部を抱き込むようにして丸くなり、衝撃に備えた。

 そして――。

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