第31話 何故セットを三つ頼んだ


 担任と話をして、少しだけ気楽になったその日の放課後。

 春人は冬馬と和樹に誘われて、モッスンバーガーに来ていた。

 そして、今。二つのテーブルの上に置かれた注文品を見て、和樹が頬杖を突いて心の底からの溜息を吐いている。一度背後にちらりと視線を流してから、再度春人に戻した。



「……春人。俺が言いたいことは分かるな」

「……」

「お前な。……どうして一人でモッスンセットを三つも頼んだ。俺や冬馬が頼んだのを見ていなかったのか?」

「……。ごめん」



 和樹の呆れたお叱りに、春人も項垂うなだれるしかない。

 モッスンセットとは、オニオンリングとポテトとナゲットが各十個ずつ入ったそれなりにボリュームのある代物だ。一つ一つは美味だが、決して一人で三セット頼む品ではない。

 思わず注文してしまったのは、偶然と懐古かいこによるものだ。



 ――草壁さんも、三つ頼んでいたな。



 あの時は一つは春人のだったが、二つは草壁があっという間にぺろりと平らげた。

 しくも、本日の店員はあの日と同じ人物だった。向こうも春人を覚えていたらしく、するっと口から出てしまった数を笑顔で「三つですね」と何ら疑問もなく対応してくれたのが運のツキ。

 晴れて、こうして二つのテーブルの上には、バーガー以外に凶悪なセットが五つという地獄の食卓が展開された。


「ごめん。食べきれなかったら、ちゃんと持って帰るから」

「はあ。……お前は最近、少しぼーっとしすぎだな」

「そうだねー。いくら、草壁さんとの思い出の品だからって」

「……はっ⁉」

「ハル、わかりやすすぎー。……まあ、草壁さんがすっごいうるさ……丁寧にメッセンジャーで逐一ちくいち報告してきたから、知ってるんだけどー」

「はっ⁉」


 今度こそ頓狂とんきょうな声を上げると、冬馬と和樹は涼しい顔でセットを食べ始めた。プライベートが筒抜けな事実に、恐怖しかない。


「……待ってくれ。二人が草壁さんの連絡先知ってるのは分かってたけど。え?」

「そういえば、ハルから連絡先交換してくれって言ったんだってねー。もうその夜の興奮と雄叫びと狂喜乱舞がメッセージからすっごい飛び出てたー。ゴーたんがつないでくれた縁! とか何とか。すっごかったよー」

「……頼むから、いい加減に俺の勉強時間を妨害しないでくれ」

「またまたー。和樹だって気にしてるくせにー。……半分以上スルーしてるみたいだけど」

「そうだな。進展は気になっていたからな」


 もぐもぐとポテトを食べ進めていく和樹の言葉に、春人はぎくりとナゲットをつかんでいた指を止める。



「……。……じゃあ、俺が草壁さんと何があったとかも」

「いや。聞いてはいないぞ」

「え?」

「草壁さんは、春人が本当に知られたくないことは言いふらしたりはしないぞ」

「ねー。草壁さんからのメッセージってさー、ハルがいかにカッコ良いかとか、ハルにこんなこと言われた、された、うれしー! って感じが全てだもんねー」



 マイペースにオニオンリングを食する冬馬の言葉に、また春人の心がきつくしぼられる。

 胸が痛くて堪らない。彼女がいない時まで、彼女らしい優しさを感じられるこの瞬間が、苦しくて泣きたくて仕方がなかった。


 あんなに、春人に恋人が出来たらあっさり諦めようとしたくせに。


 彼女が春人を好きでも何でもなかった――とは、流石に思ってはいない。冷静さを取り戻せば、登下校のことを断った時に彼女は確かに傷付いていたし、悲しんでくれていたのは分かっている。

 それでも、食い下がってくれなかったことにどうしようもなく腹が立った。

 勝手に勘違いされたが、春人の切り出し方も悪かった。おまけに春人の身勝手な願望が入り混じった八つ当たりだ。春人は告白の返事さえしていなかったのだから、引き止めてくれなくたって仕方がない。

 それでも悲しくて、未だに心がぐちゃぐちゃになる。


「……ハルー。何があったか、聞いてもいい?」

「……」

「いい加減にケリを付けろ。クラスの空気が悪い。付き合うにしても別れるにしても、進まなきゃ何も始まらないぞ」


 息が詰まると突き放す様な話し方だが、和樹の声には気遣う色が見え隠れしている。冬馬はそれを隠さないし、随分ずいぶんと二人にも心配をかけたと反省した。


「……ごめん。……、……俺、……悲しくなったんだ」

「うん」

「雰囲気悪くなる前日に、俺が放課後に告白を受けたの、二人も知ってるだろ。……あの後の帰り道で、……俺、草壁さんのこと本気でちゃんと考えたくて。でも、彼女といるといっつも振り回されて、……このままずるずると曖昧あいまいな関係を続けそうだったから、……しばらく登下校をやめたいって言ったんだ」

「ほう」

「でも、ちょっと唐突とうとつ過ぎたんだよな。告白された後でタイミングも悪かった。……傷付けた。でも」



 その後、すぐに祝福すると、無理矢理気持ちを切り替えられた。



 吐き出す様な春人の言葉に、二人は神妙に押し黙る。

 無闇に口を挟まないのは、彼らが話を聞く気があるからだ。その事実にまた泣きたくなる。



「俺、それがすごく嫌だった。あれだけ好きだ好きだ言ってくれていたのに……本当は俺のこと好きでもなんでもなかったんじゃないかって。何で諦めないって言ってくれないんだって、何で嫌だってしがみ付いてくれないのかって、すっごく悲しくなって……八つ当たり、して」

「八つ当たり、ねえ……」

「だって、そうだろ? 恋人でも何でもないんだぞ。俺の方から好きだって伝えたこともなかったし、……俺自身、それまで気持ちもよく分かってなかったし」

「そっかなー。僕だったら、結構ショック受けるかも、それ」

「……え?」



 冬馬の意外な感想に、春人は目を丸くする。和樹は何も言わなかったが、否定もしない。


「だってさ。毎日毎日あんなに好きだの結婚しようだの言われてさ。一生懸命アピールしてくれてさ。そしたら、やっぱり嬉しいよ、僕ならね」

「……、そ、そうか」

「それなのに、僕に告白してくる人が現れたら、あっさり諦めて祝福するよ、お幸せに! なーんて言われたら、……ああ。今まで言ってくれたことって、どこまで本当だったのかな。むしろ、そもそも嘘だったのかなって。ちょっと疑っちゃうかもね」


 いつもはそこまで辛辣しんらつなことは言わない冬馬が、口調は柔らかいままきついことを言う。

 だが、まさしく春人が感じていた感情だったので、他の人でもそう思うのかと少しだけ救われた。


「まあ、……未だに彼女については俺も読めんが。彼女の言い方も悪かったかもしれないな。そこに俺達がいたわけではないから、正確な判断は難しいが」

「和樹まで……」

「だが、はっきりしていることはある。お前はそこまで感情的になるほど、草壁さんのことを気になっているんだな」


 和樹に改めて突き付けられ、春人は自嘲する。

 いつからだろう。最初からだろうか。春人はいつの間にか彼女をこんなにも気にかける様になっていた。


 それは、恋なのか。


 問われたらもう、答えは出ている。

 誰かが彼女に好きだと告げることに良い気はせず、彼女の隣にいるのが自分ではないと想像するだけでもやもやし、冬馬や和樹が彼女の連絡先を先に知っていて面白くなかった。

 それはもう、春人の心が狭いからだ。



 彼女を――こんなにも思っている自分がいるからだ。



「……そう、だな」


 和樹の確認に、春人はとうとう認めた。


「そうなんだ」

「……」

「だからこそ、……恐くて。彼女の好きっていう言葉を信じる自信が、無くなったのかも」

「え? ……どうしてー?」

「最初の頃に言われたんだ。俺を好きになった理由もキッカケも顔だって」

「――……」


〝最初に気になったのは顔でね! 心を惹かれていくキッカケも顔! 好きになった理由も顔だし、君のどこが好きなのかと聞かれても顔だね!〟


 耳にした途端、何だか悲しくなった。よく覚えている。


「ほら。俺に今まで告白してきた人もさ、見てくれとか剣道のこととか、そういう理由ばかりだっただろ? いや、半分以上は俺の責任なんだけどさ。それで付き合ってたんだから」

「……、……そうだな」

「でも、……だからこそ、かな。そういうのも全部思い出して、ぐちゃぐちゃになって、……よけいに悲しくなったのかも」

「…………………………」


 春人が目を伏せて白状すると、何故か和樹は顔を覆って項垂うなだれていた。冬馬も心なしか呆れた様な目になって、視線を外している。

 何か呆れられる様なことを言っただろうかと、心配になっていると。



「……。……あいつ、……本人への言葉が足りなすぎる……」

「は?」



 絞り出す様な和樹の苦悶の声に、春人は首を傾げる。冬馬も、はあっと珍しく大きな溜息を吐いていた。


「ほんとにねー。……僕達だけに言っても、意味なくなーい……?」

「……ここまでのアホだとは思わなかったぞ……」

「え? あの、二人とも。何の話だ?」

「あーと。ハル。……うん。えっと」

「……その前に」


 冬馬が何かを言いかけたのを制し、和樹はくるんと後ろを振り向く。



「そこの、推定草壁さんの家族。いい加減に、こそこそ聞き耳を立ててないでこっちへ来たらどうだ」

「……え?」

「途中からつけてきた。どうせ、春人に用事なんだろう?」



 和樹の鋭い叱責――に聞こえそうなうながしに、春人は目を白黒させたが。

 かたん、と申し訳なさそうな音を立てて和樹の背後から立ち上がった姿に、あ、と目をみはった。



「――秋君」



 春人が名を呼ぶと、秋が気まずそうな無表情でぺこりと頭を下げた。


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