第15話 新しいステージへの一歩を踏み出すのさ


 春人が草壁とモッスンバーガーへ行ってから、一週間が経過した。


 相も変わらず草壁はあいさつ代わりに告白してくるが、春人はだんだんと笑いながら受け流せる様になってきた。疲れることも多々あるが、肩の荷が一つ下りたというのが大きいかもしれない。



 草壁への告白の受け流しの中に、ゴーたんを理由にすることも増えた。



 初めて耳にした時、傍にいた冬馬や和樹が驚いた様に目を丸くしていたが、変わらない春人達のやり取りに少しだけ嬉しそうにしていたのが印象的だった。二人には、その点でもかなり心配をかけていたのだと、この時初めて知った。

 今、春人の鞄の持ち手では、ゴーたんのキーホルダーが可愛らしく揺れている。モッスンバーガーでもらった帰り道に、草壁が「お揃いにしようではないか!」と提案してきて半ば強引に付けられたのだ。

 最初の頃は少し恥ずかしかったが、今ではすっかり慣れてしまった。意外にクラスメート達も気にしないらしく、「かわいいー」と言いながら、女子などはそのままモッスンバーガーへ行って同じものをもらってきたくらいだ。



 ――俺が思ってるよりも、男子が持ってても気にしないもんなんだな。



 中学の時の出来事が、予想以上に傷になっていることを春人は再認識した。

 そして、その思い込みを溶かしてくれたのが、何とも不可思議の塊である彼女だということも。



「やあ、須藤君! 好きだよ! そんな我々は、そろそろ次の段階へ進むべきだと思うのだよ!」



 そう。

 唐突によく分からないことを言い始めた彼女の影響だということが、何とも業腹ではあるが、春人は一応感謝している。おかげで、前よりも心は軽くなった。


「……草壁さん。今度は急に何を言い出したんだ?」

「ほら、見たまえ! 我々の鞄には、お揃いのゴーたんキーホルダーがあるだろう?」

「そうだな。今や、他のクラスメート達の鞄にもちらほら見えるけど」

「この! 記念すべき二人の初モッスンバーガーを食べに行った日にもらったゴーたんキーホルダーは、この世に二つしかないからね! 唯一無二のお揃いだよね! 私は、数多のゴーたんキーホルダーの中に紛れてしまったとしても私達だけのゴーたんを探し当ててみせるよ!」

「へえ。本当?」

「当たり前だとも! 何故なら、私のゴーたんにはこの尻尾のあたりに可愛く可憐かれんなちょっとした傷がついていて、君のゴーたんにはこの可愛らしい小さな右手にちょんっと、ほんのコンマ単位で黒いほくろがあるのさ!」

「……。……へえ」

「そして、そのゴーたんキーホルダーを付けて須藤君が歩いているのを見るたびに、私の胸は深く、熱く、はちきれんばかりに高鳴るのさ……。ああ、今日も須藤君ウィズゴーたんは、尊すぎるほどにカッコ可愛いと」


 一度、彼女は目医者と脳外科に行った方が良いのではないだろうか。


 それよりも、春人達のキーホルダーの違いをコンマ単位で見分けられることに驚きである。どんな執念だと、感心するべきかドン引きするべきか激しく悩んだ。


「……すごーい。草壁さんは、ハルのストーカーだねー。ゴーたんのストーカーでもある?」

「なんと! 須藤君の親友にストーカー認定されるとは……私もようやく須藤君の有名人になったかい」

「そして、超絶なまでにポジティブだな。春人だけでなく、俺にまでそのポジティブが飛び火するのだけは遠慮したいのだが」

「もう手遅れだよ、親友殿! 何故なら、須藤君の親友は、私の親友でもあるのさ!」

「……。ほう」

「それが、須藤君を常日頃から観察して大好きだと自負する私のポリシーだからね! さあ、観念して私と一緒にポジティブストーカーになろうではないか!」


 色々ズレている。


 冬馬や和樹まで巻き込むあたり、草壁は最強だ。あの誰にでも塩対応な和樹でさえ引きずられるのか、疲れた様に溜息を吐いている。


「話が進まん。……草壁さんは、春人とどんな段階へ進もうと考えているのだ」

「おう! そうだったね! 須藤君、好きだよ! 結婚しよう!」

「いつも通りにしか見えないんだけど」

「ま、それはさておき」

「……草壁さん。本当に俺のこと好きか?」

「もちろんさ! 今は、みんなが楽園の快楽へと溺れる大好きな昼休みだろう? つまり! 一緒にお弁当を食べようではないか!」


 言いながら、どん! と草壁が春人の前の席の机にどでかい弁当箱を置いた。前の人はいつも迷惑をこうむっているな――と思うよりも先に、その弁当箱の大きさに春人は硬直した。親友二人も目と口が半開きになっている。

 草壁の弁当箱は、立派な風呂敷に包まれていた。別に、風呂敷は構わない。その家の家風があるからだ。

 問題は、その大きさである。



 お重と同じ大きさだ。



 しかも、察するに二段はある。お重と言えば、大体運動会やピクニックなどで家族みんなで昼食を食べる時に使うものだ。

 それを、草壁は一人で持ってきた。二段とはいえ、相当の量が入るはずだ。


「……。草壁さん。それ、一人で食べるんだよね?」

「当たり前だよ! 何を当たり前のことを言っているんだい? 須藤君、疲れているね! そんな君に、私の本日の弁当を披露しようではないか!」


 しゅるっと鮮やかに風呂敷を広げ、草壁は流れる様な手付きでふたを開ける。



 その中身は、大量の肉だった。



 見事なまでの肉の海だ。大雑把に切られた豚肉らしきものが、綺麗に端から端まで重箱の中身を満たしている。

 そして。



 二段目も、肉だった。



 どこまでも広がる肉の海は、いっそ爽快だ。二段目の隅に申し訳程度にめられた卵焼きときんぴらごぼうが、可愛らしく見える。



「これが、草壁家直伝! 豚肉弁当さ!」



 ――そのまんまなネーミングだな。



 自信満々に胸を張って腕を広げる草壁に、春人は生温かな微笑しか浮かべられなかった。冬馬あたりは「おいしそう……」と反応していたが、和樹はスルーすることにしたらしい。彼は面倒くさいことには関わりたがらないのだ。


「草壁さん。……それ、一人で食べるんだよね?」

「うん、そうだよ! いつもは三重なんだけど、今日は肉弁だからね。肉の下のご飯の量が充分だから、二重なのさ」


 ――いつもは三重なんだ。


 あまりの胃袋の大きさに一瞬遠い目になったが、考えてみればモッスンバーガーでの食べる量は半端なかった。あれを思えば、これくらい軽いのだろう。

 だが、よくよく見ると、その肉の海はとても美味しそうなつやが乗っていた。まんべんなく振りかけられた黒いものは胡椒こしょうか。漂ってくる匂いも香ばしく、食欲を誘う。

 あまりに美味しそうだと見つめていると、空腹が物欲しげに訴えた。かあっと、春人は顔が赤くなるのが自分で分かる。


「ふっふっふ。どうだい? 須藤君。興味があるかい?」

「……、ああ。確かに。量やその豪快さはともかく、美味うまそうだ」

「じゃあ、一口あげるよ!」

「え。良いのか?」

「その代わり、須藤君のおかずも何かおくれよ」

「あー、……分かった。良いよ。今日はハンバーグだけど」

「おお! ハンバーグ! これは私のドストライクなメニューが来たではないか……。控えめに言っても最の高だよ。君は私のハートを鷲掴わしづかみにするのが常に上手いね!」

「……そうか」


 ふぁさっと、きらめきながら前髪をき上げて愉悦ゆえつに浸る彼女に、春人はさっさと弁当箱を開けた。

 一段目には真っ白なご飯。二段目にはハンバーグが二つとコーンシチューにほうれん草の胡麻ごまえが添えられていた。今日はハンバーグを母が、シチューを父が作ってくれたので、かなりぎっちぎちである。


「おお。須藤君のお弁当には、シチューまであるのだねえ」

「ああ。シチューは父さんの」

「なぬっ! お父様までお料理をするのかい! 凄いねえ。食べてみたい」

「……。良いけど」



〝須藤くんって、将来マザコンにファザコンとか、大変そーう〟



「――っ」



 一瞬、昔投げられた言葉が脳裡をよぎる。

 思わず顔が歪んでしまったが、ふるっと軽く首を振った。何だか最近、よく昔のことを思い出すなと頭が痛い。


「須藤君?」

「……、ああ。……。ふたに置けば良いか?」

「もちろん! じゃあ、はい、須藤君にはこれ!」


 割とがっぽりと肉とご飯を春人の蓋に乗せられた。彼女の一口とは、どれだけ大きいのだろうか。

 春人も彼女の蓋にハンバーグとシチューを乗せる。

 そして、「いただきます」と互いに両手を合わせ、食事に向かい合った。

 豚肉弁当の正体は、名前の通り豚肉と白米だが、その二つの間に海苔のりがぎっしり乗せられている。初めて見るその料理に、春人は期待と好奇心をいっぱいにして口に放り込んだ。

 そして一口、ゆっくりと噛み締め。



「――。美味いっ」



 目を大きく見開いて、春人はもぐもぐと噛み締める。

 噛み締めるごとに、肉に染み込んだ甘辛いタレがじわりじわりと広がっていった。白米とタレでしんなりした海苔がほのかな香ばしさで米と肉の旨味を包み込み、ぴりりっといた黒胡椒がまた良いアクセントになっている。全てが絶妙なハーモニーとなって、春人の舌を大いに楽しませた。

 あまりの美味しさに、春人の手が止まらない。見た目の豪快さと違って、味の配合は繊細で、極上の出来栄えとなっていた。


「草壁さん。これ、美味い。すっごい美味いよっ」

「そうだろうそうだろう? ふっふっふ。良かった良かった。これは、料理があまり得意じゃない母親の、数少ない得意料理なんだ!」

「へえ。そうなんだ。しっかし、……本当に美味いなあ」

「そうかい? それは良かった。……では、私も失礼して」


 草壁が、春人が分けたハンバーグをとても嬉しそうに頬張った。結構大きく放り込んだなと感心したが、彼女らしいと微笑ましくなる。

 だが。



〝好きなものとかも、全然つまんないんだけど。特に家族の話とかなんか、つまんなーい〟



 ――ああ、また。



 ゴーたんの時と同じ。昔無情に投げられた言葉が、春人の胸をえぐっていく。

 草壁は、彼女達ではないのに。好きなものについて胸を張れと言ってくれたのに。

 それなのに、春人はまた、怯えてうつむいてしまう。

 もしかしたら。

 今度こそ、草壁も――。



「――うんっ⁉ これは、……美味しいね!」

「――」



 すぐそばから上がった歓声に、春人は思わず顔を上げる。

 そこでは、もぐもぐと夢中になってハンバーグを食べる草壁の姿があった。バーガーの時と同じく、実に美味しそうに、幸せそうな顔で頬張っている。ハムスターみたいだ。


「このハンバーグ、すっごいあっさりしているけど、肉汁はしっかりあるし、食べ応えがあるよ。何だか、とってもほのかな甘みもあって、……弾力が凄いなあ」

「……っ。ああ、……そうなんだ。うちのハンバーグ、多分、他の家よりも玉ねぎを細かく刻んでいるから、あっさりしているみたいで」

「ああ、なるほど。確かに。しゃきしゃきしているけど、……おお。本当に細かい! あ、……この断面に見えるのは……あれ? これって、……うん?」


 箸でぷにぷにしながら、草壁が観察しているのが何だか面白い。彼女が指し示しているのは、所々に挟まれている白や薄茶の四角いものだろう。


「それ、パンの耳だよ」

「え。耳? もしかして、パン粉じゃないのかい?」

「そう。うちがよく食べてるパン、耳だけでそのまま食べても美味くてさ。ある日、母さんがパン粉を買い忘れたからって、耳を刻んで代わりに入れたら、案外美味かったから。その日から、パンの耳でハンバーグを作ってる」

「へえ! 面白いね! でも、だから甘みがあったんだね! 肉や野菜とはまた違う甘みだったから、何だろうと思ったけど。へえ。……今度、うちでも作ってみたいなあ」

「――」


 ぽろりと零された草壁の呟きに、春人は一瞬呼吸を止める。

 彼女にとっては、何てことのない一言だっただろう。もしかしたらただのお世辞の可能性だってある。


「……っ」


 いや。

 そんなはずはない。



〝だったら、ますます胸を張って好きだと言えば良いのではないかい?〟



 ――彼女が、そんなくだらないお世辞なんて言うものか。



 少ししか付き合いのない春人でも分かる。彼女は、不自然に相手を持ち上げたりなんてしない。変な言動ばかりで春人を惑わせるが、意見を言う時ははっきり口にする。

 だから。


〝――うんっ⁉ これは、……美味しいね!〟


 その一言はきっと、本心だ。


「……。そっか。作ってみたい、か」

「うん! 今度、お母様にレシピを教えて欲しいと伝えてくれないかい? 家族に宣伝したいよ!」

「そっか。……これ、俺の好物なんだ」

「へえ! なるほどね。だから、二つも入っているんだね」

「ああ。ちなみに、シチューも俺の好物」

「おおう! ならば、味わって食べないとだね!」

「……、……俺も。……この豚肉弁当のレシピ、知りたいかも」

「え。本当かい⁉ それは嬉しいね! じゃあ、今度聞いておくよ!」


 うきうきと、楽しそうに約束をする草壁を見たら、何だかホッとしてしまった。

 好きな話を一つするのにも、ひどく緊張する自分がいる。

 春人は、随分ずいぶんと好きな話をしてこなかったのだなと今更ながらに理解した。

 だが、彼女となら、これからも少しずつだが好きな話をしていきたい。



 彼女は、決して人の好きなものを馬鹿にはしないから。



 それを改めて実感し、春人は胸に何かが込み上げてくるのを感じ取っていた。


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