第10話 振られた記念すべき第一号は、草壁美晴


 ばばん、と派手に登場した草壁は、つかつかと豪快に歩み寄ってきた。春人だけではなく、女子三人もぽかーんと間の抜けた顔でいることなど全く毛先ほども気に留めていない。


「やあやあ、須藤君! 馬鹿みたいな顔をしていてもカッコ良いね! 好きだよ! 結婚しようじゃあないか!」

「……。君は、いつでも通常運転だな」

「当然だよ! それが私、草壁美晴のアイデンティティだからね!」


 意味が分からない。


 何故挨拶代わりに結婚を申し込むのがアイデンティティなのか。断ったら草壁じゃなくなるのかと、どうでも良いことを考える。


「く、草壁さんだあ……」

「やあ、諸君! 清水さんのお友達だったね! 麗しき友情、実に心を打たれたよ! 君達は本当に清水さんが好きなんだね!」

「え? あ、は、……ええ」

「その心は立派だし美しき原石だよ。しかし、本人の意思を無視して須藤君を問い詰めるのは良くなかったね!」

「っ、な、何でそんなこと、あんたに言われなきゃ……!」

「おかげで、清水さんがライバルで仇であるはずの私に助けを求めてきたくらいだからね! ……清水さん、入ってきなよ」

「――っ!」


 草壁の招きに、女子三人は綺麗に息を呑み、扉からは困った様におずおずとした人影が現れる。

 草壁の指摘通り、屋上に姿を現したのは清水だった。申し訳なさそうに縮こまっている姿に、春人も何も言えずに見守ってしまう。


「え、エマ……」

「ご、ご、ごめんね。私が、昨日、あんまりに泣いちゃったから……みんな、須藤君のところに怒りに行っちゃったんだよね」

「え、エマのせいじゃない!」

「そうだよ! これは、私達が勝手に怒って、勝手に腹が立って、勝手に怒り狂った結果だよ!」


 全部同じ言葉だな。


 そんなどうでも良いツッコミを入れたくなるのを、ぐっと春人は堪える。

 要は、それだけ清水を振った春人に怒り心頭だったのだろう。自分のことの様に怒ってくれる人がいるのは、時には救いになる。


「あ、あんた、ほんとにこいつのこと好きだったみたいだし……。それに、……あたしたちが納得しなかっただけなんだ」

「だって、……こいつ、今までは告白を断らなかったのにさ。なのに、エマは何で駄目なんだって、このままじゃ、悪い噂がって……思って……」


 しゅんっと心の底から肩を落とす彼女達に、清水もおろおろと挙動不審になっている。手と足が一緒に同じ方向へ動く姿がコミカルだなと、春人はやはりどうでも良いことを思う。

 だが。


「はっはっは! 愚問だね! 君達、根本から誤解をしているようだね!」


 神妙な空気をぶっ飛ばす様に、草壁が腰に両手を当てて割り込む。

 ぎらっと、一瞬周りの眼光が鋭く刺したが、そんな攻撃は何のその。



「安心したまえ! 最初に須藤君に告白して振られた記念すべき第一号は、この私、草壁美晴なのだからね!」



 ばーん、と効果音でも鳴りそうなくらい軽やかに明るく派手に草壁が胸に手を当てて宣言した。ぱっかーん、と何かに打たれた様に、周囲の目と口が点になる。春人は既に遠い目になるしかない。

 大体、春人は振ってない。

 そう言いたかったが、全く信じてもらえなそうだ。それくらい、草壁の言葉には力がみなぎり過ぎていた。


「え、……草壁さん。え、あれ、ほんとのほんとに冗談じゃ……?」

「何を言っているんだい、清水さん! 私はこれまで何度もそう言っていたじゃあないか! クラスで! 恥を! 臆することなくさらしていたではないか!」

「えっと、そう……だけ、ど?」

「だから、悪い噂が立とうと案ずること無かれ! 存分に私を生贄にすると良いよ!」

「え、ええ⁉」

「私は他の有象無象に何を言われようと何ともないからね! 大丈夫さ! 私には須藤君という理解者さえいれば万事オッケーだよ!」


 別に理解者じゃない。


 そう言いたかったが、話は完璧に草壁に持って行かれている。あわあわとする清水は、それでも信じられない様に自分の意見を口にした。


「……で、でも、……多分、みんな信じてないと思うよ? 草壁さん、いつも毎日、須藤君と楽しそうだ、し……」

「なるほどね! では、……やあ、須藤君! 好きだよ、結婚しよう!」

「……。草壁さん。時と場合を考えようか」

「ほらね! この塩対応! これを見て、須藤君が私を振っていないと思うかい?」

「た、確かに……」

「凄まじく塩すぎる受け流しだったな……」

「じゃあ、ほんとに須藤君は草壁さんを振ったのか……。エマの前に。え。あの草壁さんを……か?」


 草壁の自信満々な説得に、友人三人はもはや洗脳されていた。しっかりして欲しかったが、今はこれで良いのかもしれないと春人自身言い聞かせる。これ以上ややこしい事態はごめんだ。

 清水もあわあわと口をぱくぱくさせて右往左往していたが、やがて説得を飲み込んだのか、ぱくん、と口を閉じた。

 そして、春人に向き直り、頭を下げる。――まだ泣いている気配がするなと、春人の心がちくりと痛んだ。


「ごめんなさい、須藤君。昨日のこと、私が、お友達に話しちゃったから」

「いや、……」

「あのね、美沙ちゃん、加奈ちゃん、詩織ちゃん。私ね、みんなの前だから、ちゃんと泣けたんだよ。……あのまま、一人で抱えてたらね。声を殺して泣いて、うずくまって、悲しいって気持ちを潰しちゃて……、……泣いてるけど、きちんと泣けなくて、しばらく引きこもってるくらい暗くなってたかもしれない」

「エマ……」

「でも、みんなが、自分のことの様に怒ってくれたから。……自分のことみたいに悲しんでくれたから。だから、泣けたんだ。……私って、一人じゃないんだなあって。みんながいてくれて良かったなあって。だから、安心してよけいに泣いちゃった」


 にっこり笑って、清水が三人の手を取る。彼女達も清水の言葉に口を引き結んで何かを堪えていた。


「ありがとう、みんな。私、嬉しかったよ。だから、もう、充分」

「……、エマ」

「それにね。私も、お姫様抱っこされて浮かれちゃったから」

「え」


 清水の言葉に、春人がうっかり声を漏らす。

 しまった、と慌てて口を押さえたがもう遅い。清水がくるんと振り返って、さみしそうに微笑む。



「私ね、好きな人にお姫様抱っこされるの、憧れてたんだ」

「――」

「だから、昨日それが叶って、……もしかしたらって、勝手に期待しちゃったの。……草壁さんとも怪しいけど、まだ付き合ってないって言うし。今まで須藤君は、恋人がいない時なら告白したら絶対OKもらえるっていう噂だったから」



 淡々と語る彼女の内容は、先程彼女の友人達が話していたのと同じだ。

 勝手に広められた噂も、勝手に人を陥れる罠にされたことも、春人にはとても迷惑なものだった。



 けれど、それは自分でいた種だ。



 そう思われても仕方がないことを春人はしてきた。そう見えても仕方がないと、自身でも理解していた。

 そして、彼女の言葉で理解する。――昨日のお姫様抱っこも、決して軽々しくしてはいけなかったのだと。

 春人は彼女のためではなくて、自分が楽をするためだけの手段として使ってしまった。


「……、……ごめん、清水さん」

「え? あ、もう良いよ。告白の返事は」

「そうじゃなくて」


 彼女は、好きな人にお姫様抱っこをしてもらうのが夢だと語っていた。他の人には何ともなくても、彼女にとってはささやかでも、幸せな夢だったに違いない。

 それなのに。


「俺、……昨日、肩を支えてとか、そういうのが面倒でっ。……抱き上げた方が楽だと、思ったから。……だから、抱き上げたんだ。……もし嫌な思いしていたら、後で張り手でも拳でも何発でも殴られようって、そんないい加減な気持ちで」

「……須藤君」

「なのに、清水さんにとっては、すっごく大切な夢で。俺には、気持ちが無くて」

「……」

「……俺、最低なことした。清水さんの大切な夢を、……そんないい加減な気持ちで、汚した。だから、……ごめん。ごめんなさい」


 頭を下げて、謝罪する。本当に殴られても良いと心から思った。

 軽々しく女性に触れるのは駄目だと、昔は思っていたはずだ。

 それなのに、今の春人はどこか色んなものが投げやりで、何かあっても後で怒られたり殴られたりすれば良いと軽く考えていた。

 彼女にとっては、大切な夢だったのに。



 いつか、両想いになった人に、叶えてもらえるはずの夢だったのに。



 これでは遊び人と言われても本当に仕方がない。友人達は違うと否定してくれたが、間違いなく今の春人は遊んでいる風に取られても否定出来ないだろう。

 故に、頭を下げ続けて沙汰さたを待っていたのだが。



「……須藤君、本当に真面目だね」



 ふわっと、清水の声が軽やかに笑った。嬉しそうに花開いた錯覚がよぎって、思わず春人は顔を上げる。

 見上げた先では錯覚ではなく、彼女は笑顔で春人を見つめていた。どこか懐かしそうに視線が和らぐ。


「私ね、剣道部なんだ」


 突然語られた身の上に、春人は、え、と虚を突かれた様に胸を突かれた。


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