第47話 天才

「気持ちいい……」

 

 シャワーが気持ちいい。温かく、心地よい。そういえば、夜に誰かと一緒にいるなんていつぶりだろうか。……それよりも、だ。ひょんなことで——私が思わず口走った戯言が発端で陽太とお泊まりすることになった。何、やってんのよ私。まるで小悪魔だ。

 

「……ドキドキする」

 

 こんな状況なのに、やけに落ち着いている。恐らくまだ実感がないんだろう。

 

 

 どどどどどどうする!?

 俺は部屋中を歩き回っていた。端的に言うとテンパっていた。だって、仕方ないだろう? 愛美とお泊まり? え、なんで。なんでこうなってんの? どうしてこうなった!

 

「……」

 

 ちらりとバスルームの方を見やる。このドアの向こうのバスルームでは愛美が裸で……かすかにシャワーの音が……は! いかんいかん。雑念を消そうとするが、すればするほど雑念が湧いてくる。

 

『いいじゃん、いいじゃん。欲望に正直なろうぜ?』

 

 脳内の悪魔、華凛がそう囁いてくる。いや、実際の華凛は友人の愛美のことだからそんなこと言わないとは思うが……。

 

『それは一人の人間としてどうかと思うよ』

 

 脳内の天使、智依がそう咎めてくる。全くだ、紳士としてどうかと思う。うんうん。

 

『そもそもあんな女の裸なんて見る価値もない』

 

 おーい智依さん? こっちの天使は本人が実際に言いそうなこと言ってるんだが。

 

『さあ、よいではないかよいではないか〜』

『あの女の裸なんて見る価値ありませんよ』

 

 お、俺は……俺は——

 

「お風呂ありがとー気持ち良かったよー」

「どわあああ!?」

 

 いつの間にか後ろに立っていた愛美に驚き、思わず奇声をあげる。

 

「び、びっくりしたー。どうしたの?」

「い、いや何でもない……」

 

 心臓がバクバクいってる。……にしても、風呂上がりって何か艶やかというかなんと言うか……ヤバい、余計なことばかり考えてしまう。

 

「あ、服ありがとうね」

「お、おう。デカくなかったか?」

「うん、一応大丈夫」

 

 愛美の着替えがなく、俺の服を貸したのだが、見た目的にはやはり少し大きかったか。

 

「それよりこれ……いわゆる彼シャツ、だよね……?」

 

 愛美はそうポツリと呟く。

 

「ご、ごめん。何でもない忘れて」

 

 愛美は顔を真っ赤にして早口で言う。何この生物可愛い。滅茶苦茶可愛い。

 

「お、お風呂入って……きたら……?」

「そ、そうだな」

 

 一刻もその場の空気から逃げたくて俺は風呂へと逃げた。

 

「うう、また負けた……」

 

 愛美が悔しそうに唇を噛む。風呂が出て、俺たちは二人でゲームをしていた。

 

「愛美は攻撃ばっかしすぎなんだよ。もうちょっと守りにも意識した方がいい」

「そんなこと言ってもさー」

 

 愛美はむすーっと子供のように頬を膨らませる。何だか微笑ましい。

 

「……何笑ってるのよ」

 

 愛美はムスッとし表情で睨みつけてくる。

 

「いや、意外だなと思って。愛美にも苦手なことってあるんだ」

「……そりゃあ、あるよ。出来ないことの方が多い。というか出来ないことばかり」

 

 愛美はどこか寂しそうな表情で言う。

 

「学校では勉強も運動も出来て凄いなんて言われてるけどさ……違うよ。元々私は運動も勉強も苦手だった。……それでも、頑張って頑張って今があるだけ。私は漫画に出てくる天才のように勉強や運動に才能があったわけじゃない。ただの凡人。……人より泥臭くみっともなく努力してただけ」

「じゃあ、やっぱり天才だな」

「……え?」

 

 愛美が訝しむようにこちらを見る。話聞いてた? とでも言いたげだ。

 

「だってそうだろ? ……みんな努力努力いうけどさ、努力って簡単そうで難しいと思うんだ。やってる途中で無理だ、って諦めてしまうこともある。……でもお前は諦めずに頑張り続けた。母親に認められたいってその一心で。しかも勉強も運動、両方だぜ? それってなかなかできることじゃない。……お前は努力の天才なんだよ」

 

 愛美が驚いたように俺の顔をまじまじと見たあとぷいっと顔を逸らして

 

「……馬鹿」

「えっ!? 何で!?」

「……何でもなの! ……でも、ありがとう」

「…………ああ」

 

 本当に不器用で真面目でヤツだ。

 

「……何で笑ってるのよ」

「何でもだよ」

「何それ……そんなことよりもう一回! 次こそはアイツに勝つんだから!」

「はいはい」

 

 そして俺はしばらく愛美のゲーム特訓に付き合わされた。

 

「さて、じゃあ寝るか」

「うん、そうだね」

 

 そろそろ時間も遅いので寝ることに。愛美は俺の部屋に敷いた布団の中に潜っていく。……って

 

「何で同じ部屋何だよ!?」

「何よ、いきなり大きな声出して」

「いや、流石に男女同じ部屋ってのはマズイだろ」

「別にいいじゃない……ああ」

 

 愛美はニヤリと笑って言う。

 

「陽太は我慢できずに私を襲うかもって思ってるの? やーん、陽太のケダモノ〜」

「……違ぇよ」

 

 ……いや、正直な話。俺だって男だ。それに好きな人近くで寝てるなんて滅茶苦茶ドキドキする。……まあ、一日くらい何とかなるだろう。

 

「……わーかったよ。寝るよ。寝るぞ!」

 

 俺は諦める。

 

「てか、布団でいいのか? ベッドでもいいぞ」

「ううん、流石にお邪魔してる身でそれは申し訳ないよ。そこは陽太が使って」

「そうか。……じゃあ、おやすみ」

「うん、おやすみ」

 

 そして消灯する。

 

 しばらくして時間が経過した頃、愛美が話しかけてくる。

 

「……起きてる?」

 

 俺は愛美の方を見ず、そのまま背にした体勢で答える。

 

「……ああ」

「……そっか」

「……」

「……」

「……私ね、こうやって夜に誰かと過ごすの久しぶりなんだ。面と向かっておやすみなんて言ったの久しぶり」

「……ゴールデンウィークのキャンプの時言っただろ」

「あれはそういうのじゃないでしょ」

「……わかってるよ」

「……お母さんもお父さんも仕事で忙しくて帰ってこない。……私ね、大学生のお兄ちゃんがいるんだけどお兄ちゃんもあまり帰ってこないの。……お兄ちゃん、優秀だしな。いつもお母さんに褒められてたし。私なんかとは話したくないんだろうね」

「…………」

「ごめん、何だか話しすぎちゃった。夜だからかな。こうやって夜遅くに隣に誰かが傍にいるってあまりないから……」

「愛美」

「……何?」

「……俺はお前の傍にいるから」

「……うん」

 

 それから愛美は喋ることなく、やがて小さな寝息が聞こえ始める。ちらりと愛美の背中を見る。布団にくるまって寝ている。……まるで小さな子供のようだ、と思った。

 

 いつか、彼女が心の底から笑える日がやってくるのだろうか。

 俺は彼女の力になれるだろうか。

 わからない。けれど、彼女が笑顔になれるように傍にいてやりたい。

 

 そんなことを想いながら、俺は眠りについた。


 やけに耳に雨の音が響いた。

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