第42話 小悪魔な彼女に仕返ししようと攻めてみたらデレた

「ろ……ろくじゅう……さん、い」

「…………谷口」

 

 ああ、目標は達成できなかった。川瀬との約束は守れなかった。でも、今はそれより。

 

「…………くっそおおお!! 悔しいな。ホント!」

「…………え?」

 

 焦りより、落胆より、何より先に……悔しさを感じた。単純に悔しかった。

 

「…………何で?」

「え?」

「何で、そんな悔しがってられるの? 失敗したのに。結局、谷口は目標を達成できなかったのに」

「……何で、か」

 

 確かに俺は目標を達成できなかった。川瀬に宣言していたにも関わらず、結果はコレだ。でも、今俺は単純にこの結果についてのみ悔しいと思っている。なぜ、目標を達成しなければいけないのか、そこに至るもの全て抜きにして悔しい。……俺はこの二週間、色んな人に応援してもらった。智依、華凛、兄貴。頑張らければいけない。だが、何より自分がここまで勉強を頑張ったのは初めてだ。頑張ったからこそ悔しい。……でも、川瀬が聞きたいのはそうじゃない。なぜ、ただ悔しがっていられるのか。絶望などせずにすんでいるのか。そういうことだろう。……俺は川瀬との約束を守れなかった。目標は達成できなかった。でも。

 

「……だって、次がある。今回駄目でも次がある。今回の件を反省して次に活かす。……それだけだ」

「…………ッ!」

 

 つまるところ、俺と川瀬の意識の違いはそこだ。先を見ているか、現状を見ているか。たったそれだけの違いだ。

 

「〜〜!」

 

 頬に痛みが走る。いや、川瀬にビンタされたのだと気が付く。川瀬を見ると彼女は肩を震わせながら、唇を噛み締めていた。

 

「…………ふざけ、ないでよ……!」

 

 川瀬は吐き出すように言う。体が震えていた。

 

「…………次なんて、ない! 失敗したら私はそこで終わり。立ち止まるなんてこと、私にはできない!」


 そう言うと川瀬は廊下を走り出し、立ち去ってしまった。

 

「…………川瀬」

 

 ◆

 

 ……わからない。私にはわからない。どうして、谷口はそんなに前を向けるのか。私には無理だ。だって、私には常に次がない。一度の失敗も許されない。できない。失敗すれば、失望される。とても辛い。とても怖い……!

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 息が切れ、立ち止まる。無我夢中で走り続けてきたけど、今どこだろう? 

 

「…………あ」

 

 …………この景色。この廊下。見覚えがある。……ここは……谷口と初めて話した場所だ。

 

「…………」

 

 もう、どうしたらいいのか、わからない。私はどうしたらいいの? 私にとって、私の人生の中心はお母さんだ。……自分でもわかってる。それはもはや呪縛。呪縛。わかってる。自分でも。でも、どうしたらいいのかわからない。わからない。わからない、わからない、わからない。

 

「…………あの日は嬉しかったな」

 

 あの日、谷口と出会って、谷口に声をかけられて少し気が楽になった。救われた。そう、谷口に声をかけられて。あの日、谷口が——

 

「——

「……え?」

 

 あの日と同じ言葉。視線を上げる。そこには優しい表情をした谷口がいた。

 

 ◆

 

「ここは……川瀬と初めて会話したところか」

「覚えて……たんだ」

 

 川瀬が驚いた表情を見せる。

 

「当たり前だ。だって印象的だったし……今みたいに死にそうな表情してさ」

「…………」

「なあ、川瀬。誰しも失敗はする。どれだけ頑張っても目標に手は届かないことはある」

「……だから……だから頑張るんじゃん」

 

 川瀬は歯をギリっと噛み締めて言う。

 

「ああ、そうだ。けれど、仮に失敗しても必要以上に自分を責め、追い詰めるのはどうかと思う。失敗は誰でも嫌だ。けれど、失敗って言うのはしてもいいもんなんだ。次、どうするかを考えればいいんだ。辛い時は立ち止まってもいいんだよ」

「…………けど。けど! 私にはできない! 私は立ち止まるわけにはいかないの! 失敗するわけにはいかない! 立ち止まれないの!」

「そんなの知るか! 立ち止まれよ! 少しは休めよ! 馬鹿野郎!」

 

 俺の剣幕に川瀬は少し怯む。

 

「そうやって、周りを見ることをやめて! 諦めて! 自分を苦しめても、何にもならない! ……言ったよな。俺にはお前を完全に救うことはできないって。お前にとって母親は大事なんだろ? なら、その母親から距離をとること、諦めることはお前にとってはきっと無理な願いだ。けれど、休むことくらいはできる。一度、立ち止まることはできる! 立ち止まれよ! 辛いなら休めよ! 立ち止まれよ! これ以上、自分を傷つけるな! 見失うな!」

「わ……わた、しは……」

「もっと周りを見ろ。お前が獲得してきた大事なものを全て捨てる必要がどこにある? ……全部、お前にとってかけがえのない生活じゃないのか? ……大切なものじゃねえのかよ!」

「私は……私は……」

 

 川瀬の頬を一筋の涙が伝う。

 

「……私は……楽になっても、いいのかな……?」

「……ああ」

「…………私は……私の望むものを……大切にしても、いいのかな……?」

「当たり前だ。それに……」

 

 俺は川瀬に手を差し出す。

 

「——みんながお前を支える。辛い時は力になる。……俺が、お前を救ってやる」

 

 川瀬は——俺の手を取った。

 

「私……私……! 苦しかった。辛かった! 自分が……どうすればいいかわからなかった! ……怖かった!」


 そして俺の胸に頭を預け、泣き崩れる。その姿はまるで赤子のようだった。俺は彼女が落ち着くまで、そっと背中をさすった。

 

 

「——落ち着いたか」

「…………うん」

 

 やがて俺から離れた川瀬はバツが悪そうにそっぽを向く。……無論、俺もめちゃくちゃ恥ずかしい。

 

「…………谷口のエッチ」

「流石にそれは理不尽じゃないすか? 川瀬さん」

「うう……ごめん」

 

 川瀬は顔を両手で覆う。穴があったら、入りたい気分だろう。……俺も同じ気持ちだ。

 

「…………ホント、川瀬って極端だよな。初めてあった時も今回も全部、一人で抱え込みすぎなんだって」

「……おっしゃる通りです」

「オマケにビンタはするし」

「……マジでごめんなさい。本当、すみません」


 川瀬はぺこぺこと謝る。まるで小動物だ。

 

「でも……良かった。川瀬」

「……あ……」

 

 川瀬は目を丸くしてこちらを見るが、次の瞬間、ムッと口を膨らませ拗ねたような態度になる。

 

「……ところでさ、いつまで名字呼びなの? そろそろ名前呼びでも良くない?」

「うっ……」

 

 ……今ならわかるけど、俺が川瀬の名前呼びを渋っていたのは単に恥ずかったから。……照れくさかった。だって、好きな人の名前だし。でも……川瀬は変わろうとしている。少しずつ自分と向き合おうとしている。なら俺も……。

 

「…………………………愛美」

「え?」

「………………愛美。これでいいだろ!」

「…………うん! …………陽太!」

 

 川瀬、いや、愛美の表情がぱあっと明るくなる。

 

「……陽太、陽太、陽太!」

 

 まるで幼い子どものように愛美は無邪気に名前を連呼する。……恥ずかしいからやめて欲しいんだが……。

 

「…………陽太、ありがとね! また……私を救ってくれて!」

 

 でも……この笑顔がまた見られるようになったなら、これほど価値のあることはないだろう。

 

「…………ああ。愛美」

 

 ◆

 

 「…………早く授業終わらんかねぇ」

 

 期末試験が終わり一週間。夏休みまでの残り僅かな授業。最初のやる気はどこへやら。一週間が経つ頃にはあれほど意欲があった勉強に熱意は冷め、以前のように戻っていた。

 

「…………というか眠い」

 

 一瞬だけ眠る。授業までもう少し時間がある。美術の授業……面倒だなぁ。そんなことを考えつつ眠っているとふと、額に何かの感触を感じて、目を覚ます。そこには

 

「よっ、おはよう。 陽太♡」

「…………愛美。何してんの?」

「何だと思う?」

「…………」

 

 俺は少し考える。が、答えを出すより先に愛美が耳元に囁いてくる。

 

「(正解は……額にキスしたんだよ)」

「な……お前……!」

「あれ〜陽太、何をそんなに顔を赤くしてんの? 頬のキスは親愛を表すもの。特に深い意味なんてないよ〜」

 

 愛美はケラケラと笑う。……くそ。こっちもやられっぱなしでいるわけにはいかない。……仕返ししよう。俺は愛美の耳元に囁き返す。

 

「(そんなこと言って……本当は違うところにキスでもするつもりだったんじゃないの?)」

 

 …………言ってみて、冷静になる。すげー恥ずかしい。穴があったら入りたい。そして、肝心の愛美はというと。

 

「〜〜!」

 

 顔を真っ赤にしていた。

 

「…………あれ?」

 

 ……世の中には小悪魔と呼ばれる人種がいる。そして俺の隣人は小悪魔に分類される人間だ。ことあるごとにちょっかいを仕掛けてたり、勝手に自滅したり、努力家で、優しい。……そんな可愛い小悪魔だ。


「…………」


 小悪魔な彼女に仕返ししようと攻めてみたらデレた。

 

 

 


 

 

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