第6話 ありがとね

 その後。時間になり気まずい空気のまま俺と川瀬は教室に行き、授業を受けた。五限の授業が終わる頃には川瀬はまたいつもの調子を取り戻し、俺はいつものように川瀬に振り回されるのであった。そして、六限の授業が終わり再び図書室へと向かう。

 

「谷口、私これ戻すからあと半分お願いしてもいい?」

「了解」

 

 俺と川瀬から返却済みである数冊の本を受け取り、元の棚へと戻す。

 

「よし、これで全部かな」

 

 全部の本を棚に戻し、俺は大きく伸びをする。と、その時。

 

「きゃっ!」

 

 小さな悲鳴が聞こえ、振り返る。川瀬が尻もちをついて転んでいた。

 

「大丈夫か? 川瀬?」

「う、うん。ちょっとつまずいちゃった。うっかり、うっかり」

 

 川瀬の側にはダンボール箱が置いてあった。おそらくこれにつまずいたのだろう。

 

「気を付けろよ。下手すりゃ怪我するんだから」

「う、うん」

 

 川瀬は申し訳なさそうな顔をする。俺はため息をつき、川瀬が落とした本を拾いだす。

 

「いや、いいって谷口。私がやるよ。谷口は先にカウンターに戻ってて」

「いや、普通に二人で戻した方が早いだろ。俺が渡された分はもう終わったんだし」

 

 俺の言葉に川瀬はしばらく何も言わかなったが、やがて、じゃあ……お願い、と口にする。俺はこくりと頷き、川瀬と共に本を片付ける。

 

「谷口……ありがとね」

 

 本の片付けが終わると、川瀬は笑顔で俺に言う。その優しい笑顔に俺はドキリとしてしまう。思わず顔を逸らす。またからかわれる。そう思ったが、川瀬は何も言わずに

 

「じゃ、カウンター行こ」

「お、おう……」


 いつもならからかうのに……さては昼の件で自重してるな? そう思うが、俺は追求せず川瀬の言う通りカウンターに向かう。ここで追求すればどうせ調子に乗ってからかってくるだろうし。

 

「はい。これで結構です。返却日は再来週です」

 

 女子生徒が本を抱えて図書室を去っていく。

 

「ふぅ……」

「放課後はまあまあいるね」

 

 隣で貸し出し記録を記入している川瀬が言う。

 

「まあ、言ってそこまでいないけどな。たまに来る程度だし」

「でもそのせいで私に手を出せないって? 谷口はケダモノだな~」

「違うわ!」

 

 川瀬が隣でニヤニヤして言う。コイツは本当に……。

 

「……お前、黙っていれば——いや、なんでもない」

「ん? 何? 言ってみてよ」

「べ、別に……大したことじゃねえし」

 

 俺は煮え切らない返事だなと自分で感じながらもそう答えた。ぶっちゃけ言いたくない。

 

「え~もしかしてエッチなことでも考えてたの? 谷口のケ・ダ・モ・ノ」

「違ぇよ!」

「じゃあ、教えてよ。何言おうとしてたか」

 

 ……仕方ない。変態扱いされるよりはマシだろう。

 

「……お前、黙っていれば可愛いし、性格もいいんだから。その……そういうからかう所がなければか、可愛いのに……とか」

 

 俺はボソボソと言う。物凄く恥ずい。ああもう! 絶対からかわれる! と言うかキモイとすら思われてるんじゃないか? 川瀬を見るとポカンあっけに取られた表情をしていた。と思ったら、次の瞬間。とても優しい表情をし、俺の耳元に囁いてくる。

 

「(こういう所を見せるのは谷口だけだよ)」

 

 ……………………は? 川瀬は元の体勢に戻る。彼女は照れたような優しいような、どちらともいえない表情をしている。若干、頬を染めている。

 

「本当は気になるのに素直になれない。だから、谷口にはこんな風にしか接することが出来ないの」

「……お前」

 

 窓から陽が差し込む。それと相まって川瀬がとても綺麗に見えた。……俺は、俺は……どう言えばいいのだろうか。言葉にしなくてもわかる。昨日の様子。今の言葉。これ以上言われなくてもわかる。

 

「か……川瀬。その、俺は——」

「ぷっ。な~んてね」

「へ?」

 

 間の抜けた返事をする俺に対し川瀬はあはははは、と大袈裟なくらい腹を抱えて笑う。

 

「あれ、告白されたとでも思ったの? ごめーん」

 

 ようやく理解した。どうやらからかわれたようだ。

 

「川瀬……おま――」

「おー、陽太来たぞー!」

 

 川瀬に抗議しようとするも知った声を聞き、中断する。声の主は友人の武瑠と小林兄弟だった。

 

「お前ら……何しに来たんだよ」

「お、全く歓迎されてないな。薄情なやつだな」

「だって、お前ら本読まないだろーが。……まあ、武瑠は別だろうけど」

 

 俺は深々とため息をついた。その様子に

 

「お、随分な言い様じゃねえか」

「陽太も本読まねーだろーが」

 

 小林兄弟が抗議してくる。

 

「それじゃ、本を借りにでも来たのか?」

「「いいや?」」

 

 即答だった。

 

「じゃ、帰った帰った」

 

 俺はしっし、と追い返すジェスチャを小林達に向ける。

 

「なんだよー。もー」

「ぶーぶー」


 そして俺はしばらく小林達と話す。数分経つと小林達は部活があると、図書室を去って行った。そして再び俺は図書室で本の貸し借り業務をこなす。

 

「はー。これで終わりだな」

「じゃ、あとは先生のとこだね」

「そーだな」

 

 一時間程経ち、俺と川瀬は仕事終わりの報告をするため、吉村先生の所へ行く。あとは帰るだけだ。そう思っていたのだが……。


「……あれ?」

「どうしました?」

「これ不備あるね。返却記録。ほらここ」


 吉村先生が示す箇所を俺と川瀬は覗き込む。そこには見覚えのある本のタイトルが並んであった。いや、違う。多分これは今日俺たちが本棚に戻した本のタイトルだ。……あっ。

 

「多分わかったと思うけど、チェック忘れてたみたいだね。ここに書いてある本を棚に戻してくれたと思うんだけど、戻した後はこれにちゃんと記入してね。ほら、本のタイトルの右横の空欄。ここにちゃんと棚に戻しましたよってチェックするの」

「す、すみません! 忘れてました!」

 

 川瀬が慌てたようにして頭を下げる。俺も隣で同じように謝罪する。

 

「いいよいいよ。初めてなんだし仕方がない。とりあえず、本棚見てチェックしてもらえる?」

「は、はい!」


 そして川瀬は俺の方に向き言う。

 

「谷口。先帰っていいよ。私がやっとくから」

「いや、俺がやっとくよ。お前部活あるだろ? 俺は帰宅部だし暇だからやっとく」

 

 俺の提案に川瀬は首を振って断る。


「ううん。さっきは谷口が手助けしてくれたでしょ。だからそのお礼。大丈夫、すぐ終わるよ」

 

 ……こいつ、変なところで律儀だよな。まあ、ここは厚意に甘えるか。

 

「そっか。じゃあ、任せた。また明日」

「オッケー任された!」

 

 そして俺は図書室前のロッカーへと自分の荷物を取りに行く。カバンを取り、あとは帰るだけ……なのだが、少し気になり図書室に戻った。困った表情で本棚と手元のノートを交互に見ている川瀬が目に入る。何かあったな。そう思い、俺は川瀬に近づく。

 

「どうした?」

「あ、谷口……。実は一冊足りないの」

「えっ?」


 俺は問いかけるような目で川瀬を見る。だが、彼女は困惑した表情を浮かべるだけ。

 

「……とりあえず、先生に相談しよう」

 

 川瀬は黙って頷いた。そして、俺と川瀬は吉村先生のもとへ行き本の件について相談した。

 

「え? 見つからない?」

「はい、足りなくて……」

「す、すみません。私がちゃんと確認していなかったばっかりに……!」

 

 川瀬が申し訳なさそうな表情で頭を下げる。

 

「ちょ、ちょっと待てよ。お前だけのせいじゃないだろ。俺も忘れてたんだから」

「でも、私が忘れてたのには変わりがない」

「そ、それは……そうだけど」

「まあまあ、誰が悪いとかそういう話じゃないでしょ? それにちゃんと指示してなかった先生にも責任がある」

 

 吉村先生はそう言い俺達を諌める。そう言われたらこれ以上言うことなどできない。

 

「とは言え……どうしようね」

「あの……貸出履歴を確認するのはどうでしょうか?」

 

 俺はそう提案する。もしかしたら紛失した本は今日貸し出してしまった可能性がある。それなら本がないのも道理だし、実際その可能性が高いと思うことを二人に伝える。

 

「確かにその可能性はあるね。よし、じゃあ早速調べよう」

 

 吉村先生はデスクへ向かい一冊のノートを取り出し、俺たちに差し出す。俺はそれを受け取る。

 

「川瀬、本のタイトルは?」

「えっと……人間失格」

「わかった」

 

 俺は教えられた本のタイトルを探そうとノートを開く。ていうか、人間失格なんて借りるやついるのか。まあ、俺は読んだことないけど、読むならもっと面白いの借りればいいのになんて思ってしまった。

 

「えっと……」

 

 綺麗な字が目に入る。川瀬の字だ。俺は隅々までノートを見る。

 

「…………ないな」

 

 俺は今日の貸し出し記録を隅々まで見て言う。

 

「……私、もう一度探してきます」

「でも、川瀬さん部活あるんでしょ? これ以上は時間かかりそうだし、今日は解散でいいよ」

「いえ……私の不注意でこうなったんです。最後までやります」

 

 川瀬はいつになく真剣な表情で言う。……これ以上は何を言っても無意味だろう。

 

「……じゃあ、俺も」

「谷口……でも——」

「俺はお前と違って帰宅部だし、やる事ないしな。それに一緒に探した方が効率もいいだろ?」

「そう、じゃあ……一緒に探してくれる?」

「おう、任された」

 

 俺の言葉に川瀬は微笑む。そして吉村先生に向き合い

 

「先生、もう少しだけ探させてください。お願いします」

「そう……じゃあ、お願いするね。私はまだ仕事があるから戻るけど……」

「ええ、大丈夫です。こちらこそ無理を言ってすみません」

「じゃあ、お願いするわね。部活の方には私から連絡入れとくわね」

「ありがとうございます」

 

 そして吉村先生はデスクへと戻っていく。川瀬は俺に向き合い

 

「じゃあ、やりますか」

「ああ」

 

 だが、見つかることは無かった。あれから俺達は図書室の本棚を隅々まで探したのだが、見つかることはなかった。最終下校時刻ももう近い。どうするか……。

 

「ごめん、谷口……私の不注意なのに付き合わせて」

「お前一人のせいじゃないだろ。俺も今日当番だったんだし、責任は俺にもあるよ」

「でも……結局見つかってないし……」

 

 確かに。一体どこに行ったのやら。えっと、確か本を片付けてた時は……川瀬が転んで——

 

「……あっ」

「谷口?」

 

 俺はそれには答えずある本棚へと向かう。そこは川瀬が先程転倒した場所であった。


「……谷口?」

「なあ、さっきここに段ボール箱あったよな?」

「え? うん。確かにさっきまであっ――」


 川瀬はそこで言葉を切り、ハッとした顔をする。どうやら分かったみたいだ。俺と川瀬は顔を見合わせ、急いで吉村先生のところへと向かう。


「「先生!」」

「ん? ああそろそろ下校時間だね。ごめんね、二人ともこんな時間まで探してもらって――ってどうしたの!? そんな息を切らして」

「段ボール箱! 棚の側にあった段ボール箱知りませんか?」

「ん? ああ、もしかしてこれのこと――ってちょっと!?」


 俺は最後まで聞かず、吉村先生のデスクに行き置いてあった段ボール箱を開ける。中には書類が入っていたが、そこには一つだけ異質なものが混じっていた。俺はそれを取り出す。


「あった――あったぞ!」


 俺は『人間失格』とタイトルにある本を掲げ、声高らかに宣言する。


「あった! 本当にあった。よかった!」


 川瀬は嬉しそうに言う。その中で


「これは一体……」


 と吉村先生だけが困惑気味にしていた。俺は説明する。本の片付け時に川瀬が転倒したこと。その時に散らばった本が誤って段ボール箱に混入したのではないか、と。それを聞き吉村先生は本のことより「川瀬さん大丈夫だったの? 怪我はない?」と転倒のことを心配していた。そして、改めて本を棚に戻し、ノートにチェックして吉村先生に渡す。先生は俺たちにねぎらいの言葉をかけ、最終下校時刻ギリギリだったので俺たちは急いで学校を出た。そして帰り道。


「今日はありがとね、谷口」


 川瀬が俺に礼を言う。


「別に。暇だったし、あそこで放っておくのもなんか薄情だろ?」

 

 俺の言葉に川瀬はゆっくり首を振る。


「ううん。谷口は優しいよ。谷口――」

「うん?」


 夕陽が川瀬を照らす。


「ほんっっっっとうに、ありがとね!!!!」


 とびっきりの笑顔でそう言った。その顔に俺は見惚れたが、気恥ずかしくてすぐに顔をそらしてしまったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る