満月の夜に

今日は月が綺麗だ。


空が綺麗だ、とか

道端の花が咲いているとか

子どもの元気そうな声が嬉しいとか

そういう風にまた思えるように

なったことが嬉しい。


金曜日。

店ではお酒を飲まないようにしている。

これもまた小さなちんちくりん。ルール。


でも今日は来る気がする。

月が綺麗な夜に来る、あの酔っ払い。

サティのジムノペディ第一番を流しておく。

この曲がよく似合う日だ。


-ガタガタ…。

表で物音がする。

風のない今日のような日は、わかりやすい。

来客だ。


最近、店先にベンチを置いた。

背もたれもついている

深いブラウンの少し使い込まれたような

年代を感じさせる木のベンチ。

2人座ったらちょうど良いくらいの大きさ。


昼でも夜でも

1人でも2人でも

このベンチに座っている人をみると

落ち着く。

そこだけ穏やかな空気が流れているような

そんなぼんやりした雰囲気がほっとさせるの

だろう。


扉を開ける。

カランカラン、と古めかしい鈴がなる。

この店を受け継いだときからついている

守り神。


その音に気がついて

ベンチに腰掛けてうなだれていたその人は

重苦しそうに頭を上げ、顔をこちらに向けた。

やはり、若く見えるのに頭頂部が

少し寂しい。


「どうも。

ベンチを置いたんですね。

これは助かります。」

口の端を少しだけ持ち上げて

あいたスペースをなでる。

その横顔がどうしようもなく悲しくて

店に戻る。

ばたばたと上の住居スペースにあがり

さっき握ったばかりのおにぎりを2つ

持って、また降りる。


-カランカラン。

安心したようにその人はこちらを見る。


「よかった。

なにか気分を悪くさせてしまったかと

思いましたよ。」

そう言って、首の後ろを左手でかいた。


「あの、もしよければ。

さっきつくったばかりなので、

あたたかいです。

少しお腹に余裕ありますか?」


急いで持ってきたおにぎりを1つ差し出す。

中身はおかかと辛子明太子だ。

どちらがどちらかは、もはやわからない。


「おお、ちょうど小腹が空いていたのです。

ありがたくいただきます。」


丁寧に受け取り、

大切そうにラップをはがし

口に運ぶ。

どうやら中身はおかかだったようだ。

そして、2口3口と続け

あっという間になくなった。


「もう1つ、食べますか。」

野良猫に餌付けしているような気分で

少し愉快にまた声をかけた。

でも、答えは返ってこない。

おかしいな、とのぞきこんでみると

彼は声も出さず、肩を静かにふるわせていた。

開いたまま腿のうえに置かれていた手に

そっと、もう1つのおにぎりを乗せた。

そしてその隣に座った。


懐かしい匂いがした。

ずっと昔に遊びに行っていた

友達の家のような。


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