ファミレスの戦い

「サン!」

「露姫!」


 二人の反応は早かった。

 どこからともなく現れた長い髪がさらりと広がり、オレンジ色の尻尾がゆらめく。

 一瞬で私たちのテーブルの周りに四つの狐火が燃え、黒い煙を噴き出した男を取り囲んだ。


「おごぉっっ!!」


 それと同時、目を眩ませられ、たじろぐ男の影が、

 そして。


「『多聞たもん』」


 ぞ。

 ぞぞ。

 ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。


 そこから湧き出る、虫。虫。虫。

 長くて肢のたくさん生えた虫の大軍が男の脚を上り、膝を上り、腰を上って体中にまとわりついた。

 男の脚は自らの影にはまり込んだように動かない。その上で恐怖と嫌悪感に苛まれ、奇妙な踊りを踊るように苦しみもがく男の黒い影が、より一層勢いを増して荒れ狂った。

 それは、明らかに彼の腰のあたりから湧き上がっている。


「三条さん! 護符! 護符! 早く!」

「え。あ。わ――」


 私はといえば、その展開のスピード感に全くついていけず放心してしまっていた。珍しく焦ったような声の紫村くんに促され、彼が何を求めているのかようやく理解し、わたわたと自分のスクールバッグを漁った。

 取り出しましたるは、昨年度夏季アニメの覇権を争った大人気アニメのキャラをイメージして作った刺繍入りハンドタオル。

 護身用に家から持ってきていたのだ。


「あ、あの。これ。ど、ど、ど――」

「被せて被せてほら腰のトコ腰のトコ」

「バカお前前じゃねえよ何やってんだ後ろだ後ろケツポケット!」

「ひぃぃぃ」


 あの! こういうのって普通もっとスタイリッシュにできませんかねぇ!?

 なんで全身ムカデだらけにして「肩車ぁぁああ!!!」とか叫んでる男の尻にハンカチ被せようとしてるの!?

 絵面よ!!


 四苦八苦しながら護符の効果で黒い煙を封じ、なんとか男を鎮静化したときには、もう私は息絶え絶えだった。

 倒れ伏した男の影に帰っていくムカデたちを見送りながら、徐々に冷静さを取り戻した脳みそが働き始める。

 記憶の底から、一週間前のミーコとの会話が思い起こされた。


『大丈夫でしょ。あの人、肩車できなくなった女は初老だって言い張ってるから』


 そう、あれは確か……名前は忘れちゃったけど、漫研の三年生。彼もまた、昏睡事件の被害者となっていたはず。

 どういうことだ。世の男性にとって女の子を肩車したい欲求はメジャーな性癖なのか? 日本、ピンチなのでは?

 

「コン。結界解く前に連絡入れといてくれ」

 今、テーブルの周りを囲んで燃える四つの火の玉によって、私たちは外界から隔離されている。ただ、最初の「肩車ぁぁああああ」の叫び声までは色んな人に聞かれただろうし、ウェイターの一人がいつまでも戻って来なかったらお店の人だって不審に思うだろう。

 しかし――。


「ええっと、アカリくん。ちょっとそれどころじゃないかも」

「あん?」

「取り囲まれてる」

「……マジかよ」


 聞くまでもなかった。

 寒気が背筋を這い上る。

 それは、四方から、八方から。


「お客様ぁぁあああ!! いい加減何か注文してくださいぃいい!!!」「このパフェぇぇ! アイス少ねぇんだよおおお!!!」「うるせえええ!!! 飯も静かに食えねえのかあああ!!!」「ウェイトレスのスカート丈はぁあ!! 膝上だろうがあああ!!!!」「口がくっせえんだよジジぃぃいい!!!」「エアコンがぁああ!! 寒すぎるわぁあああ!!!」


 はい。一番ヤバい人、だーれだ。


「三条さん、現実逃避しないの!」

 再びフリーズしてしまった私の腕を紫村くんが掴んで起こす。

 四つの狐火が消え、視界が明るくなったそこは、地獄絵図だった。

 客も、店員も、男も女も大人も子供も、黒い煙を噴き出している。


 その中の一人、OL風のお姉さんの目が、ぎろりとこちらを睨んだ。


「イケメンンンン!! よこせええええ!!!!」


 男二人の顔が引きつった。

「アカリくん。ほら、相手してあげて」

「お前がいけ、コン」

「も~、荒っぽいのは俺の仕事じゃないんだよなぁ」


 一歩前に出た紫村くんの顔に、ぞっとするほど冷たい笑みが浮かんでいた。


「お願い、『刃双はふたつ』」


 ぶん。

 と、空を切る音と共に現れた掌大のクワガタムシが、お姉さんのヒールを挟んで床に縫い付けた。

 ぎゃん、と悲鳴を上げて倒れ込んだ彼女の四肢を、次々と現れるクワガタムシの顎が挟み込み、拘束していく。


「ちょっとアカリくん。どうすんの、コレ?」

「黙ってろ」


 いつの間にか、吉根先輩がテーブルの上に昇っていた。

 瞳を閉じ、足を開いて両手を前に伸ばしている。


「いけるか、サン?」

『くぉん』


 その肩に、ふわふわとした狐の尻尾が揺らめく。


「『金盞花カレンデュラ』」

 

 ぼう。


 床に。壁に。テーブルに。柱に。天井に。

 オレンジ色の炎が咲き乱れた。

 照明が霞むほどの妖しの灯が空間を支配する。

 

 ほどなくして、店内を埋め尽くしていた叫び声が呻き声に変わり、黒い煙を噴き出した人たちは、白目を剥いたままのろのろと徘徊を始めた。

 一体なんの幻を見させられているのか、とにかくこちらに危害を加えることはなさそうだった。


「おいコン。長くは持たねえぞ。三条連れて店出ろ」

「りょーかい。事務所には連絡しといたから、あとヨロ~」

「え。あの。え? でも――」

「これ全部護符で大人しくさせるのは無理だよ。逃げるが勝ち」


 紫村くんが私の手を引き、店の出口へと走り出す。

 私はそれについていくことしかできない。

 吉根先輩は? え? 置いていくの? この中に?



「おきゃくさまぁあああ」



 紫村くんの足が、止まった。


 黒い。

 煙が。

 店内の誰よりも濃く、禍々しい煙を纏った男が、立ち塞がっていた。



「てえぶるにはぁあ。おたちにならないでくださあああい」

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