ちょっとした軽食屋の前の道に並べられたテーブルで、その男はサンドイッチのランチを食べていた。

 高そうなスーツを着て、高そうだが趣味は悪い腕時計をした中年の男だ。近づくと、整髪料なのか香水なのか、妙に甘ったるい匂いがした。

「あの突然すいません。実は僕動画をやっていて……」

 僕が声をかけ、お決まりの言葉を言うと、男はバカにしたように笑った。

「ああ、Uチューバーってやつね。今は流行っているようだけど、やめた方がいいよ。君もまだ若いんだから、もっと堅実な職業につきなさい」

 色々な人に話を聞いてネタを集めていると、こんな説教を受けるのは珍しくもない。いつものように適当に受け流すことにする。

「はあ、よく考えておきます。それはそうと、何か怖い話があれば教えて欲しいんですが」

 ふむ、と男は一つ鼻を鳴らした。

「そうだね、怖いかどうかはわからないけど……不思議な話ならあるよ。人に言うとこっちの頭を疑われるから、知り合いには話したことはないけどね」


 私は山に登るのが趣味なんだよ。その日もある山に登っていた。

 そこは人気のある観光地と言うわけではないけど、ちょっとしたハイキングにもってこいの場所でね。日帰りで行けるし、麓なら携帯の電波も届く。道は舗装されていないけど、山肌を削って作った階段は、登りやすいよう木に似せたセメントでヘリが固められてあるし、ロープと杭で手すりもできていた。ウィンドブレーカーを着たおばちゃんとすれ違うようなところだよ。

私は休みを利用したちょっとしたリフレッシュのつもりでそこへ行ったんだ。六時ごろには山を降りてスマホで会社に連絡を入れる予定だった。

 そんな気軽な所だから、一人で登っても事故も何もないとタカをくくっていたんだ。

でもな、思いもよらないことって、案外頻繁に起こるもんなんだよ。覚えておきな、若いの。

 山の中腹まで行った時だった。強い風が吹いて私の帽子を吹き飛ばしていったんだ。

 帽子は、山道から外れたやや下のほうに落ちた。つまり帽子を拾うには、登山道を離れて少し山を下りなければならない。

 さすがに道を外れるので、木の間に見える地面は低い茂みや背の高い草に覆われ、歩きづらそうだった。けどまあ、坂の角度はそう急ではない。

 気をつければ無事取ってこられるだろう。そう思って、私は手すり代わりのロープを乗り越えた。

 坂と腐葉土で踏ん張りがきかなくて、足首をひねりそうだったよ。近くの丈夫な草を握り、木の幹で体を支えながら私は帽子に向かっていった。

 ようやく帽子までたどりついて、腰をかがめて拾いあげ、山道に向き直った時―― 山道がなくなっているのに気づいた。

 目の前に平地が広がっていたんだ。遠くから見たら、山が頂(いただき)をなくして台形になったように見えただろう。

しかも、その平地の地面は舗装されて、きれいな花の模様が描かれていた。

いつの間にかぼんやりと霧がかかっていて、遠くに観覧車やメリーゴーランドがおぼろに見えていた。

 私は知らない間に遊園地に立っていたんだ。

 訳が分からず、私は立ち尽くしていた。

遠くからかすかにアコーディオンの音楽が流れてきた。白い霧の中、じわじわとシミが広がるように、私の周囲に異様に大きな人影が浮かびあがってきた。老若男女様々なシルエット。タバコをくわえているもの、柄は黒一色で分からないが、ワンピースを着ている女性……

そのどれもが巨大なんだ。風船を持った子供の影が私と同じくらいだといえば、大体の感じが分かるんじゃないかな。

 人の笑い声や歓声、話し声が聞こえだし、最後には音楽をかき消すくらい大きくなった。屋台で売られているポップコーンがいい匂いをさせている。

 そのうち、に薄っぺらかった人影は、厚みが出てきて、色がついて、細部がはっきりとしてきた。

 少しおしゃれをして、ポップコーンの箱を持った女の子の数人連れ。子供を肩車する父親。その隣で荷物を持っている女性。

でもな、顔はどいつもこいつもボカシを入れたようにはっきりしないんだ。ああ、ウサギと犬の合いの子みたいなマスコットがいたんだが、そいつだけは顔が分かったな。愛嬌をふりまきながら風船を配っていたっけ。

 遠くでゆっくりと回転木馬が回っていた。顔のない子供が、笑い声をあげながらゆっくり上下しながら横切っていく。

観覧車も動いていて、ゴンドラの中に巨人が座っているのが遠目で見えた。

 ここはついさっきまで私がいた山なのか? それともいつの間にか違う場所、いや違う世界に飛ばされてしまったのか? 自分の頭がおかしくなったのか? 何かの病気の症状だとして、こんなになんの兆候もなくいきなり起きるものなのか?

 知りたくてたまらないことはたくさんあったが、巨人に話しかける勇気は無い。巨人の言葉に耳を澄ましてみたが、みな笑い声や、楽しそうな歓声だけで、意味のある言葉は聞き取れなかった。

今来た道をたどって逃げよう。そう振り返ってみても、今まで登ってきたはずの山道は消え、みやげ屋や屋台が並ぶアーケードがあるだけだ。

 それでもその方向に向かえば帰れるかも知れない。私は恐る恐る歩き始めた。

 立ち並ぶ店の看板は、なぜかどれもひらがなだった。しかも店名はなく、『おみやげやさん』とか『おかしやさん』とかしか書かれていないんだ。

 口で言うとかわいらしいかもしれないが、実際にその場所にいると不気味だよ。『おもちゃやさん』の入り口に積んであるぬいぐるみを手に取ってみたけど、値札がなかった。

 笑い声と、甲高い子供の歓声、かすかな音楽が絶えず聞こえてくる。

 これ以上異様な光景を見ていたら気が狂ってしまう。

 私は最初こそ行き交う巨人たちの足を避けるようにして歩いていたが、ここから抜け出したい一心で、とうとう目をつぶって走りだした。

 あんな風にわき目も振らず、というか、目をつぶったまま走ったら、何かにぶつかってもいいのだが、何にもぶつからなかったな。

 でもな、もう息が切れて、足がガクガクして、肺が痛くなって、運動部だった学生時代でもこんなに走ったことはないというほど走ったけど、それでも周りの雰囲気は遊園地なんだよ。暗闇の中でも、音楽とか人の気配とかが鳴りやまないんだ。

 もうここから逃れられないのか、ひょっとして自分も顔のない巨人になるのかと絶望したときだった。

チャイムの音が鳴ったんだ。学校のあれだよ。キンコーンカーンコーンって。

 その途端、ポップコーンの匂いも笑い声も音楽も巨人も、きれいになくなった。代わりに、感じるのは、土の匂いと木の揺れるさわさわいう音。

 恐る恐る目を開くと周りはもとの山に戻っていた。もう立っていられなくて、その場所に座り込んだ。

 チャイムはまだ鳴り響いている。

 その時に思い出したんだ。六時に会社に連絡する用事があったから、アラームを設定していたんだって。そのアラームの音が、学校のチャイムだったんだよ。適当に、もとからスマホに入っているのを設定してたんだ。

 原因はわかっても、とても会社に連絡する気にはなれなかった。まずはもう、一刻も早くこの山から出たかった。とにかく誰かに会いたかった。巨人じゃなく普通の、まともな人間に。温かい飲み物が飲みたくて仕方なかった。

 転がるように山をおりて、麓(ふもと)の弁当屋さんに飛び込んだ。ちゃんと看板が『たべものやさん』じゃなくて、なんとかデリなのを確認してね。

 そこはちょっと大きめの店で、半分には弁当やおにぎりが並び、半分はイートインスペースになっている。

 お揃いのエプロンをした、夫婦らしき二人の店員が「いらっしゃいませ」って迎えてくれた時は嬉しかったね。店の中にいるのがまた変な生き物だったらショック死したかもしれないよ。

 イートインスペースには、男の客が一人いて、夫婦と話をしていたようだった。奥さんが、怪訝(けげん)そうな顔をして私に近づいてきた。

「お客さん、大丈夫? お顔、真っ青よ」

「いえ、いえ。大丈夫」

 「大丈夫」と手を振って安心させる。首にかけたままのタオルで汗を拭いた。そういえば、汗をかいていたのに妙に寒かったな。

 あったかいペットボトルのお茶を買い、イートインスペースに腰を下ろした。手が震えてなかなかキャップが開けられない。見かねたお客が開けてくれた。一口二口をすする。

「あの、変なことを聞きたいんですけど」

 こんなことを聞いたら絶対におかしいと思われる。それはわかっていたが、聞かずにはいられなかった。

「あの山、あそこの山に遊園地ってありますか」

 案の定、客と店員二人はポカンとした。

「やあだ、そんなもの、あんな所にあるわけないですよ」

 手の平でこっちの肩を叩く真似をして、奥さんの店員が笑う。

「い、いや、昔、誰かにそんなような話を聞いて」

 しどろもどろに苦しい言い訳をする。

「ああ、そういえば昔、そんなような話があったじゃないか!」

 さっきキャップを開けてくれた、恰幅(かっぷく)のいい客が言った。

 山登りに行くにはラフな格好だし、今の言葉から地元の人なのだろう。

「ああ、そういえばそんな話があったなあ。思い出した」

 旦那さんの方が言う。

「昔、あの山をならして遊園地ができるという噂があったんだよ。実際、そういった計画がちょっと持ち上がったことがあったそうだよ。その人は、その噂のことを言っていたんじゃないかなあ」

 きょとんとしている私に、旦那さんが説明を始める。

「もっとも、こんな田舎の山を切り開いてアトラクションを建てるなんて現実的じゃないから、結局立ち消えになったそうだけどね」

 なんだか背筋がぞわぞわしてきたよ。SFみたいに『もしも』の世界に入り込んだんだろうかとね。

「そうそう、それで思い出したわ、N美ちゃんのこと」

 奥さんがそう言った途端、三人の雰囲気が重いものに変わった。

「N美ちゃんて……?」

 恐る恐る私は聞いた。なんだか、聞かない方がいいような気はしたけれど。

「私たちの友達よ。小学生の時に行方不明になったんよ。あの山に遊園地ができるって聞いてはしゃいでたのにねえ」

 奥さんが言うと、旦那さんが顔をしかめて続ける。

「そうだ、学校の帰りにいなくなったんだ。多分、誘拐されたんだろうって噂になったが、警察が探しても見つからなかった」

 夫婦の言葉に、お客がため息をついた。

「その少し後だったなあ、遊園地の計画が立ち消えになったのは。逆に、よかったかも知れないよ。楽しい期待を持ったまま逝っちまったんだから」

「ちょっと! そんなこと言わないでよ。死んだって決まったわけじゃない。まだどこかで生きてるかも知れないんだから!」

「あ、いやまあ、それはそうなんだどな……正直、可能性は少ないと……」

 お客はごにょごにょと何かを言っていたが、私は聞いていなかった。

 その子はあの山に埋められている。おそらくは、その誘拐犯に殺されて。私はそう確信したんだよ。

 きっと、彼女は生前自分が真新しい遊園地で遊ぶところを、何度も何度も思い浮かべたのだろう。その強い想いが、残り香のように彼女の死体が埋められたあの山に現れたのだとしたら。

たぶん、私はその中に入り込んでいたのだろうな。

 幼い子供にとって、大人は巨人に見えるはずだ。だから、彼女と同じ年ごろの子だけ同じくらいの背丈に見えた。

人の顔がはっきりしなかったのは、人混みを思い浮かべた時、一人ひとりにオリジナルの顔を当てはめるのは不可能だから。

 看板のひらがなも、まだ漢字を習っていなかったから。

 チャイムの音に反応したのも、小学生なら不自然じゃない。

 遊びの終わり、空想の終わり、現実に帰る合図の音。もし、スマホの設定を別のものにしていたらと思うとゾッとする。

 でも、なんで私だけ彼女の夢に迷い込んだのだろう? 他に何人も山には登っているはずなのに。

それはたぶん永遠にわからない。

「その子がいなくなってから、あの山に登りました?」

 三人は、なんでそんなことを聞くのかというようにきょとんとしていた。

 旦那さんが口を開いた。

「いや、あれから数回、登ったか登らないかくらいじゃないかなあ。ある程度の大きさになったら、わざわざ地元の小山に登ったりしないよ」

 他の二人も同じらしくうなずいていた。

「そうか。それならいい。これからもあの山には登らん方がいいですよ」

 そんな、謎かけのような言葉を残して帰ることになってしまったよ。


「それで、ほら」

 男はスマートフォンを取り出し、何か操作すると、画面を見せてきた。

 それはニュースサイトだった。

『Y山で行方不明』

 大きな字が躍っている。

 それは、今しきりにニュースやワイドショーが取り上げている事件だった。

 小学生の女児が、家族と一緒に山に登り、行方不明になったという。一本道で迷うような場所ではなく、両親は娘を挟むように前後を歩いていた。それなのに、ほんの数秒のうちに姿を消していた、と。

「もしかして……あなたが登った山って、このY山?」

 男はうなずいた。

「もちろん、この事件と私が経験したことに関係があるって証拠はないよ。でも……そうじゃないかなって思ってしまうんだ。そのN美ちゃんは一緒に遊園地で遊ぶ友達が欲しかったのかなあって」

 男のスマートフォンが鳴った。学校のチャイムの音で。

「じゃあ、そろそろ戻らないと」

 そう言って男は席を立った。

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