第13話 女子大生

「いいモノ持ってんだ」と男は下卑た笑いを浮かべた。


 二人の女子大学生の内、彼の好みは黒髪のほうで、一見清純そうなところがそそられた。茶髪のほうには、どこかおどおどしたところがあり、甘めに採点しても中の上程度の凡庸な容姿で、こういう場にはいかにも慣れていない感じがした。全体的に女子のレベルが低く盛り上がりに欠けた合コン後のカラオケに茶髪も誘ったのは、そうしないと黒髪が帰ってしまうと思ったからだ。


「もったいぶらずに、早く見せてよ」


 黒髪は上目遣いに言った。男の膝の上に手を置いて、よりかかってくる黒髪の香水の匂いを嗅ぎながら、これならいけるとほくそ笑む男。彼の友人はやはり黒髪が本命だったのに茶髪をあてがわれたのがいかにも不服そうで、無言で次に歌う曲を選んでいる。

「ほらこれ」

 てのひらサイズのジップ付の透明バッグに封入された乾燥した植物を男から手渡された黒髪は首を傾げ

「やだ、何これ。お茶っ葉……じゃないよね。やばいものはやめてよ。退学させられちゃう」

 と小袋を低いテーブルの上に放りだした。

「やばくないよ。この国では使っても罰せられない。持ってるのがばれたら捕まるけどね。だから君は大丈夫。吸ってみる?」

 男はチューインガムぐらいの大きさの紙包みと百円ライターを取り出し、ビニール袋の横に並べた。


「やだ、恐いじゃん。中毒になったらどうするの」

「煙草の方が断然危険なんだぜ。そのくらい害は少ないし、海外じゃ合法化されてるところもある。日本は遅れてるんだ」

「ええー、でもお」


 まんざらでもない反応だ、と男は思う。一服させれば気が緩んで簡単に体を許すだろうという目算が彼にはあった。メリットや依存性の低さを説いて、迷っている女に首を縦に振らせようと根気よく粘る。あたかも、デメリットなど存在しないかのように。

「ちょっと二人だけで相談させてくれない。一人じゃ決められない」と黒髪は茶髪に目配せした。

 あまり強引に迫って抵抗されたり逃げられたりするのだけは避けたい。と男の脳は計算し、不承不承だが、それはおくびにも出さず、物わかりのいい大人の男性然として了承した。

「じゃあおれたちは煙草吸ってくるから。話し合いが済んだらLINEして」


「わたし、絶対にいやだ」

 男二人が個室を出て行くや否や、茶髪が口を開いた。今まで、誰も彼女のことなど気にかけていないのがわかりすぎるほどわかっていたため黙っていたのだが、彼女は馬鹿ではない。

「使用したことに対する罰則はない、って芸能人が捕まったニュースでもよく言ってるじゃん」黒髪は、男達に対して使っていた高く甘える声から一転、冷ややかに連れの女の顔を見るが、茶髪は引き下がらない。

「意味わかんないよ、それ。使用したってことは、持ってたってことなんだから、ばれたらせっかく入った大学がぱあになるよ。それにわたし、あの人達、好きじゃない」と茶髪は頑なに首を横に振る。

 黒髪は少し考えてから、肩をすくめた。


「じゃあ、ばっくれよう」


 実は黒髪は、こんな程度のことは高校時代に既に経験済だった。二人でこれから盛り上がろうというときに、イケメンの年上の彼氏から勧められたら断れないものだ。それが煙草や酒、さらにそれよりもう少し刺激的なものだったとしても。

 だから、茶髪が不思議そうにつまみあげて眺めているガムの入れ物のような細長くて平べったい包みの中身が手巻き煙草用のペーパーであることも知っていた。

 だが、今日の二人の男達は、合コンメンバーの中ではまだましなほうだったとはいえ、せいぜいが中の中程度のしょぼい連中だと黒髪も思っていた。ハイになっているのをいいことに、こんなカラオケボックスなんかでやられるのは癪に障る。

 だから茶髪が驚きに目を丸くするのを無視して、プラスチック・バッグ、ペーパー、ライターを自分のバッグに収めると、店の入り口で煙草を吸っている男達を尻目に、裏口からすみやかにカラオケ店をあとにした。


「あの二人に見つかったら、ひどい目に遭わされない?」

 明日は土曜だという開放感で賑わっている夜の繁華街を速足で歩きながら、茶髪は不安げに何度も後ろを振り返った。人工的灯りで照らし出されたストリートは、明るすぎると感じられた。

「あんなチャラい会社員に何ができるっていうの。こんなものを女に盗られて逃げられたなんて、誰にも言えないだろうし、LINEをブロックしたら二度と会うこともない。大学の名前だって教えなかったしね。いざとなったら、未成年に酒を飲ましてレイプしようとしたって、脅してやればいい」

「でも、こんな怪しげな……葉っぱ? ヤバい人達に追われちゃうんじゃない?」

「飲酒は平気なくせに、こんなちょっぴりの葉っぱぐらいでびくつかないでよ。缶ビール六本入りパックを一つ二つ失敬したのとそう変わらない。末端価格一億のヤクを盗んだらドラム缶にコンクリート詰めにされて海に沈められちゃうかもしれないけど」

「怖いこと言わないでよ」


 二人はこの四月に進学したばかり、ほやほやの大学一年であったが、学外での飲み会などでは必要に応じて年齢を一つ二つ上に申告するようにしていた。少しでも若い方が男受けはいいもので、そのような連中は相手が「未成年」だと知ると喜々として酒を飲ませたがるものだが、高校を卒業して以来、その種のロリコンにはうんざりする、と黒髪は感じるようになっていた。少し前まで、そういう手合いから享受できる恩恵をしゃぶりつくしていた彼女だが、もはや若い子J Kと勝負しても敵わないのだから、今後は大人の女としてまっとうな相手を見つけるべきだ、と。


 カラオケ店を出たのは既に終電近い時刻であった。実家暮らしの二人は今日の合コンのためにお互いの家に泊まると親に嘘をついてあったのだが、当てが外れて今晩行くところがなくなってしまった。

 協議の末、一人暮らしの友人が在宅であるのを確かめ、そこに押しかけることになった。二人して乗り込んだ地下鉄は、ほぼ満員。ドアの前に陣取った黒髪は、目ざとく二人連れの若い男に目をつけた。


「ねえ、向こうのドアの前に立ってる人、イケメンじゃない?」

「あのひょろひょろした眼鏡? あんなのが趣味だっけ?」

「違う、そっちじゃない。その隣の筋肉質なほう」

「あ、なるほど。わあ、背が高いしハンサムで、モデルみたい」

「堅気には見えないな。ホストかな? でもそれにしちゃ、服装がシンプル過ぎるか」

「ちょっと、失礼だよ」

「ああいう男が相手なら、キめてするんでもなんでも言うこと聞いちゃうんだけどな。秒でパンツ脱げる自信ある」

「やめてよ、もう」


 二人が顔を見合わせてクスクス笑っていると、なんと当の筋肉質な男が二人の元にやって来た。二人とも夢見心地になった。近くで見ると、ますますいい男だった。身長は180センチはありそうで、肌艶の感じからしてまだ若いが、彼女達よりは三つ四つ歳上のようだった。くるくると軽くあちこちに跳ねている髪は癖毛なのだそうだ。意思の強そうな、少しきつめの顔だちだが、笑うと少年のように人懐っこい。

 派手に失恋をした友人と自宅で飲み直すのだ、と彼は言ったが、「友人」の眼鏡のことなど、二人の脳内からは光の速さで消滅した。

 彼もその他大勢の男達と同じで、すぐに黒髪のほうと意気投合してしまったので、茶髪は内心ひどくがっかりした。友人の眼鏡も交えて、彼のアパートで酒を飲み直すことになった。茶髪の意見は、ついに一度も、誰にも訊かれることはなかった。


 茶髪は自己憐憫の嵐にもまれ疲弊していたので、男のアパートに到着した時点で睡魔に襲われ、酒をがぶ飲みして横になった。黒髪はまた甘えた声を出してイケメンをものにする気満々だったし、眼鏡のほうは、外れを引かされたと思っているに違いない。


 いつも、そう。


 しかし、茶髪は隣で黙々と酒を飲んでいる真面目そうな男が嫌いではなかった。初めての相手には、こういう優しそうな男がいいのではないか、とぐるぐる回る天井を見ていられずそっと目を閉じた彼女は、思う。

 お互い「外れ」同士なんだし、彼のほうだって、贅沢は言えないはず。

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