第20話 初御客

 中庭にこしらえられた小さな舞台に二人の娘が立つと、館中は割れんばかりの拍手がが起きた。

 諏訪数馬も、盃から口を離して膳に置くと、他の客に負けじと力強く手を叩く。

「ほら、帯刀も手を叩かんか。ノリの悪い奴だな……なんだ、緊張しているだけか」

 数馬に促され、小松帯刀も慌てて手を叩いた。

「い、いや……決して緊張などでは」

「ガハハ、気にするな。娼館は初めてだろ? 勉強も良いが、経験を伴って実となる。今日は殿に勉強させて頂けばいい」

「しかし、私には妻が……」

 数馬は、帯刀の肩をバンバンと叩いた。

「お主もいずれ、側室の一人や二人持つようになる。今日、一晩限りの女を買ったところで、どうなるものでもあるまい」

「はあ……」

「それより見ろ、あの美しい舞いを。顔や容姿だけでなく、身にまとう空気すら美しい。いったい何を食って育てば、あれほど美しくなるのか……」

 数馬は、もう一度帯刀の肩をバンバンと叩いた。

「……今から、あの赤き龍の乙女の処女を頂戴できるとは。帯刀、はっきり言ってやる。お主は今、琉球で一番の嫌われもんよ。ガハハ」

「数馬さん、あんまり脅さんでください」

「男の嫉妬は気にせんに限るさ。俺もお主のお陰でご相伴にあずかるから、藩の助平連中から恨まれとるのは同じだ。ほら、赤き龍の乙女の横で三線を弾いているあの娘。昨日まで、この娼館一の人気だったジュリが今晩の俺の相手よ……」

 数馬の鼻の下が、だらしなく伸びていく。

「……さっきから、俺の愚息が暴れん坊で困る」

 そう言うと、うっとりと三線を弾く姿に見とれる。

 帯刀は、不安を紛らわせるように盃を煽ったが、琉球の強い酒に咳き込んでしまった。


 舞が終わると、カリンはいつも通り舞台から直接客の待つ部屋へと向う。

 サクは、昨日までは急いで仲居の着物に着替えて給仕に回っていたが、今日からは違った。

 この館でサクだけに許された真紅の着物のまま、舞台の正面にある特別な客をもてなす部屋へと向かう。

 舞の最中でも、サクは自分の初御客がどんな御仁か、しっかりと確認していた。

 色が白くて、痩せていて、綺麗な顔をしていた。真っ黒で、筋骨隆々で、厳つい顔のカイとは真逆だが、ここまで真逆だと、一周回って好意を持つことをサクは知った。

 そして、処女を捧げる相手がこの人で良かったとアンマーに感謝した。

 カリンの客と一瞬に飲んでいたが、舞が終るとカリンの客が自分の部屋に戻って襖を閉めたので、途端に不安そうな顔になった。それがおかしくて、サクは思わず笑いそうになった。

 多くの客が、身を乗り出してサクを見ていた。そして、生娘であるサクの最後の姿を眼に焼き付けようとした。


 サクが酌をすると、帯刀は据わりが悪そうに言った。

「良ければ、そなたも一緒に飲んでくれぬか。酌だけさせて、自分だけ酒を飲むというのは、何とも居心地が悪い」

 帯刀は、隣に座ったサクの顔を見ることができず、酒が注がれる盃を見つめながら言った。

「帯刀様はお優しいのですね。ですが、サクはお酒に慣れておらず、酔えば後のご奉仕に差し支えますので」

 ご奉仕という言葉に、帯刀の身体が熱くなる。ごまかすかのように盃を煽り、話を酒に振った。

「しかし、この泡盛という酒、やたら強いのに、上品な香りとほのかな甘さが素晴らしい。さすが、幕府に長年献上されているだけある」

「泡盛という名は、薩摩の焼酎と区別するために、薩摩のお役人様が付けたものだそうです。私たちは普段、島のお酒ということで、シマーと呼んでいます」

「シマー……島酒か」

「シマーの作り方は秘伝です。琉球王朝から製造を許されている地域は三ヶ所だけ。全て首里にあるので、首里三箇と呼ばれています」

「なるほど。そなたは若いのに物知りだな」

「フフフ、ありがとうございます。シマーは寝かせるほど熟成し、味わいはまろやかで豊潤、香りはより甘いものとなります……」

 サクは徳利を、帯刀の盃の横に差し出した。

「……三年以上熟成させたものをクース(古酒)と呼びます。そして、このクースはサクと同じ歳の十五年物。どうぞ、御堪能ください」

 帯刀の盃に酒を注いで戻すと、徳利がカラカラと鳴った。

「ほう、それがカラカラ(琉球徳利)か」

 その徳利は注ぎ口が細長く、下部が膨れた形をしている。

「はい。中に玉が入っていて、空になると教えてくれるのです。それに、貴重なシマーをゆっくり味わうよう、決まった量しか注げない構造になっています」

「いや、大したものだ」

「琉球人の知識でございましょう」

「いや、そなただよ。良く物を知っており、飽きさせない。とても初めて客と取るとは思えぬ」

 サクは嬉しそうに笑った。

「フフフ。五歳の時から殿方を喜ばせるすべを学んで参りました。舞や歌だけではございません。知的なお話が好きな方には知的な会話を、卑猥なお話が好きな方には卑猥な会話を楽しんで頂くのが私達の勤めでございます」

「ふむ、納得するよ。辻の遊郭は、他の地の遊郭とは全く異質のようだ」

「帯刀様は知的なお話が好きだと思いまして」

 新しい徳利が運ばれてきて、サクは帯刀の盃に酒を注いだ。

「なるほど、一回にそれ以上は出ないという訳か。注ぎ過ぎてこぼす心配もない、優れ物だ。それにしても、そなたが酒を飲めないのは分かったが、せめて一緒に料理を摘まんでくれぬか。一人だけ飲み食いするのは、何とも気が退ける」

 サクは笑顔で答えた。

「ええ、帯刀様がお望みでしたら」

 上等の酒と南国の珍しい料理、そして極上の会話で夜は更けていく。

 帯刀は身も心も完全にくつろいでいた。

 そして、辻に行く為にせっせと小金を貯めていた薩摩の役人達を思い出し、彼らを馬鹿にしていた事を悔いるのだった。


 隣の部屋で大笑いしていた数馬の声が聞こえなくなったと思うと、すぐに女の喘ぎ声が聞こえてきた。

 ああ、始まった……帯刀は思った。

 間を持たせようと盃に口をつける。

 横目でサクを見ると、ニコニコしながら平然としていた。

 そこら中から男女の悶える声が聞こえてくる。

――そうか、これがこの娘の日常なのだ。

 複雑な思いが帯刀の胸をよぎった。

 盃がまた空になる。

 結構な量を飲んでいたが、緊張で酔いが醒めていくのが自覚できた。

「さあ、帯刀様。もう一献どうぞ」

 サクがカラカラを差し出す。

「ははは、私を酔い潰すつもりかな」

 余裕のある振りをするのが精一杯だった。

――このまま本当に酔い潰れた振りをするかな……。

 見れば見るほど娘は美しかった。本当に龍神の使いに思えてくる。

――この娘は、金で抱いていいような娘ではない。殿には適当に報告しよう。添い寝だけでも龍神の加護はあるに違いない……。

 そんな事を考えていて、何度もサクに呼ばれているのに気が付かなかった。

「……帯刀様……帯刀様」

「あ……すまぬ、少し考え事をしておった。何かな?」

「やはり、サクと同じ歳のクース、味見をさせて頂けますか?」

「もちろんだとも。この盃でいいかね?」

 帯刀は、手にある盃を差し出す。だが、サクは盃を受け取らずに尋ねた。

「飲み方などあるのでしょうか?」

「決まりかある訳ではないが、舌の上で転がすようにすると香りと甘味をより感じることができる」

「お手本を見せて頂けますか?」

「口の中なので、見えぬとは思うが……」

 帯刀は酒を一口含み、舌で転がしてみせる。

 その時だ。

 サクは帯刀に唇を重ね、酒を乗せた舌に自分の舌を絡めてきた。そして、二人の舌の上で転がされた酒はサクの口の中へと移り、それをサクはゴクリを音を立てて飲み込んだ。

「まあ、南国の果実のような甘さと香り。お米で造られているのに、とても不思議です」

 サクは眼を丸くして驚くが、帯刀は当然それ以上に驚いている。

 呆気に取られた帯刀の顔がおかしくてサクは笑う。

「フフフッ。ご心配なさらずとも、ちゃんとお返し致します」

 帯刀が持つ盃から一口啜ると、サクはそれを口移しする。そして、先程と同じように、酒をお互いの舌に絡める。

 今度は帯刀が音を立てて飲み込んだ。

 舌と舌が絡み合う快感に帯刀の男の部分はすっかり反応してしまい、それは袴の上からでもわかる程だった。

 サクが安堵の表情をみせる

「良かった。帯刀様がさっぱりその気をお見せにならないので、サクに魅力が無いからなのかと心配しておりました」

 帯刀は、大きく首を横に振るしかなかった。

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