第17話 別離

 イエンはズルくて残忍な男だ。それに加えて下品で不潔だった。

 それでもツキ姫は、チェンではなく、イエンに捕らえられた事を不幸中の幸いだと思った。

 チェンに捕らえられていれば、要塞の奥深くに繋がれ、誘拐の事実は闇の中へと隠蔽されただろう。しかも、チェンの軍隊は、大国の軍事力に匹敵する。

 しかし、イエンは昔ながらの海賊一味の大将に過ぎない。奴らは酒と自慢話が大好きで、秘密を守るという意識がまるで無い。そして、軍隊と呼べるレベルではなく、喧嘩自慢の集団に近かった。

 琉球の軍事力で制圧する事が十分に可能だったのだ。

 いつか自分達がここに捕らえられている事が琉球に伝わり、救出に来てくれる事をツル姫達は祈った。

 何年、何十年掛かろうとも……。


 捕らえられたツキ姫は、イエンに取り入る事から始める。

 ここでも、ツキ姫達は不幸中の幸いだったと言えるだろう。

 チェンであれば、侍女は手下に投げ与え、死ぬまで犯されていたに違いない。三姉妹の中で一番気に入った姫だけを自分専用とし、残りの二人は腹心之臣に褒美として分け与えていたと考えられる。

 今までもチェンは、そうやって手下の忠誠心を掌握してきた事実があるからだ。

 だが、イエンは小悪党的に欲深い。姫達と侍女の全員を独り占めしようとした。

 いや、そんな気になるよう、ツキ姫が仕向けたのだ。

 あなたは王様、私達を支配するのに相応しいお方……。

 イエンを王と持ち上げ、徹底的に誉めちぎった。ツキ姫ほどの美人、しかも王族として本物の気品と優雅さを持ち合わせる女性にそう言われて、その気にならない男などいる筈もない。

 そしてツキ姫は、侍女三人と夜な夜なイエンの夜伽の相手をつとめる。侍女も、普通なら海賊どもには縁遠い美人揃いである。

 享楽の宴の中で、イエンを骨抜きにしていくのだった。

 本来なら力ずくで女を犯す様な暴力的な行為を好むイエンだったが、毎晩四人もの美人から男のツボをこれでもかと的確に攻められれば従順にもなる。まずはツキ姫の思惑通りに事は進んだと言えた。

 どれもこれも、ウミ姫とハナ姫の純潔を守る為である。その為なら、自分達はどれ程汚れても構わない。それが、ツキ姫と侍女達の共通した思いだった。

 だが、性の享楽による安全は、思いのほか早く崩壊する。

 当然と言えば当然なのだが、何もかも独り占めするイエンに手下の不満は高まっていた。誘拐から三ヶ月ほど経った頃、とうとう海賊集団のナンバーツーだったピョウがイエンに決闘を申し込む。

 イエンは海賊の掟に従い決闘を受けて正々堂々と闘うが、腑抜けた生活を送っていたツケが回ってきたのか、ピョウに敗れて殺される。

 ピョウは新しい海賊の頭となり、イエンの財産と女、つまりツキ姫達を我が物とした。

 ところがピョウは、ツキ姫と三人の侍女による淫らな行為だけでは、身体は満足しても心は満たされなかった。

 どんなに美しかろうと、どんなに快楽をもたらそうと、所詮イエンのお下がりだ。俺だけしか知らない女が欲しい。そう思うようになる。

 そして、ツキ姫にウミ姫とハナ姫を差し出すよう迫るようになった。

 ツキ姫は、今は生理中だ、今は日が悪いとノラリクラリかわすが、それも限界になった時、ついに奇跡は起きる。

 毎日神に祈った救出の船が、とうとう来たのだった。


 薩摩で海賊の襲撃から逃れた船員見習いの二少年が救出された後、この事件の発生を知らせる使いは二ヶ所に出された。

 一ヶ所は当然琉球へ、もう一ヶ所は長崎の出島だった。

 出島に使いを送る機転を働かせたのは、琉球使節団に同行した薩摩藩士達である。実は藩士達は皆、美しく、聡明で謹み深い三姉妹の熱烈な支持者になっていたのだ。

 事件発生から既に一週間以上が経過していた。今から事件現場へ行った所で、発見できるのは、魚に食い散らかされた護衛官と船員の死体だけだろう。

 だが、三姉妹が殺されているとは考え辛かった。売るにしろ、自分達の性奴隷にするにせよ、その商品価値の高さから、どこかへ連れて行かれたと考えるのが妥当だった。

 つまり、時間をかけて探せば、いつかは見つかる可能性が残っていたのだ。

 だが、薩摩も琉球も、そんな長期の捜索に耐える船は持っていない。

 そこで薩摩藩士達は、最後の望みをトロンプ提督に託したのだった。


 薩摩からの使いが出島に到着した時、オランダ商船は日本から持ち出す荷を積み終わり、出港の許可を待つばかりの状態だった。トロンプはこの船で出島を出た後、海上で待つ軍艦へと乗り換える予定だった。

 まさに間一髪で書状はトロンプへと渡る。

 薩摩からの書状を受け取ったトロンプは、怒りで顔を真っ赤にし、まさに赤鬼の形相だったと言う。

 自分の軍艦へと戻ったトロンプは、ツキ姫救出を強く心に誓った。

 事件発生より、一ヶ月半が経過していた。


 その頃、オランダは宿敵である清に、共通の敵となるチェンを倒す為に一時的な共闘を持ち掛けていたが、交渉は難航していた。

 トロンプは、これ幸いとツキ姫達の捜索を開始する。

 やり方は乱暴だが効果的だった。

 海上で海賊の船を見つけては襲い掛かり、火力に物言わせて制圧する。そして、琉球の姫を知らないか、と問い詰めた。

 驚いた事に、いつも同じ答えが返ってきた。誘拐しようとしたが失敗したらしい、と。

 だが、捜索を混乱させる為にニセの情報を流していると考えたトロンプは、捜索を継続する。その予測は外れていたが、結果的に功を奏する事になった。

 捜索開始から三ヶ月目、ついに当たりを引いたのだ。

「美しい三姉妹? それならウチのボスの女になってるよ。アジトの場所だって教えるからよぉ、命だけは助けてくれ」

 捕らえた海賊はそう言った。


 戦いは短時間で終わった。

 威嚇で大砲を三発撃ち込むと、その内の一発が見張台に命中し、海賊は『眼』を失う。

 状況が見えない海賊は、軍艦1隻の攻撃を、一個艦隊が襲来したとパニックを起こす。

 下っ端の海賊は蜘蛛の子を散らす様に逃げ去り、アジトに立て込もって抵抗した幹部連中も、勝機も逃げ道も閉ざされたと分かるや、アッサリと白旗を掲げた。

 命あっての物種。それが海賊的な合理性というものだった。

 結果、オランダ側は一人の死傷者を出す事もなく勝利する。幸運が重なっての勝利だと言えた。

 もし、姫達の救出に来たと知られていれば、人質を楯にされて、ここまで上手くは行かなかっただろう。だが、海賊どもは、オランダの軍艦が琉球の姫を助けに来るとは夢にも思っていなかった。

 こうして、状況が分からずにアジトの奥で息を潜めていた姫達は、無事に救出される。

 ツキ姫とトロンプ提督の感動の再会。

 もちろん、ツキ姫は救出された事が何よりも嬉しかった。だがそれは、海賊どもに汚されてしまった自分を、愛する人に晒す事でもあった……。


 ツキ姫を救出したトロンプは、その場で結婚を申し込む。そして、共にオランダへ行く事を提案した。

 ツキ姫には、もう戻れる場所が無い事を知っての事だった。

 しかし、ツキ姫は迷いもなく、トロンプの申し出を断る。

「ウミ姫とハナ姫の純潔を守るため、三人の侍女も私と一緒に身を汚しました。罪人に身を汚された女は、もう王宮に立ち入る事は許されません。これからは、私が彼女達の人生に責任を持たねばならないのです」

 トロンプは、琉球にツキ姫達を送り届ける。

 今度こそ、今生の別れだった。

 出島では笑顔で別れた二人も、今度ばかりは号泣した。人目もはばからず強く抱き合い、熱い口づけを交わした。

 トロンプを乗せた船が遠ざかり、見えなくなっても、ツキ姫は海岸に立ち続けた。

 やがて月が昇り、ツキ姫はその月に誓ったという。

 トロンプへの永遠の愛を……。



 サクとククルは、さめざめと泣いていた。

「それで、ツキ姫と提督は二度と会えなかったの?」

 サクか聞いたのて、アンマーは答える。

「そう伝わっているよ。別れから何年も経った頃、出島へ届いたのは、トロンプ提督戦死の知らせだった。フランスという国との戦い、戦死したの。トロンプ提督は、一生を独身で通したそうよ」

「ツキ姫は、提督が死んだこと、知っていたのかしら?」

「さぁねぇ。だけど、もうツキ姫には、生きているとか死んでいるとか、関係なかったのかもね。だって、ツキ姫の愛は、時間も場所も超越して、永遠だったのだから」

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