第14話 悲しき恋の物語

 1602年冬。薩摩は伊達政宗領に漂着した琉球人を自国へ届けた。

 ところが1609年、薩摩は琉球がその礼を怠ったと言い掛かりをつけ、軍事侵攻を強行する。

 琉球と薩摩の軍事力の差は歴然で、それは戦争と呼ぶには余りにも一方的なものだったという。

 1610年、薩摩は捕らえた琉球国王尚寧を江戸に連行、ここに薩摩による琉球の実効支配が始まる。

 理由など何でもよかったのだ。薩摩には、琉球を手に入れなければならない事情があった。

 薩摩は関ヶ原の戦いに西軍として参戦、徳川と対立している。その後、許されて幕府の配下となるものの、敗戦の痛手は深刻で、財政の建て直しに何としてでも琉球の貿易利権が必要だったのだ。

 こうして、貿易で栄えた海洋国家、琉球王国の衰退が始まる。


 琉球国王は代々一夫多妻である。

 尚寧王の後を継いだ尚豊王にも、一人の妃と継妃、三人の夫人と一人の妻がいた。

 子は四男四女に恵まれるが、妃との子である長男と次男は身体が弱く、長男は二十歳の若さで他界、次男も病気がちで王位を継ぐ事はなかった。

 妃自身も、幼くして王に嫁ぎ、早く子を授かるが、産後の肥立ちが悪く、十六歳で他界する。

 第一夫人との子である三男尚賢が十七歳で王位を継承するが、やはり身体が強いとは言えず、二二歳で他界する。尚賢王に子がいなかった為、王位は四男尚質が継承した。


 そして、第三夫人との子である三女チユ姫であるが、分家である王族に嫁ぎ、三人の娘を授かった。

 後の世に語り継がれる悲劇の三姉妹である。三人とも大変な美しさで、その噂は遠く清や台湾にまで知れ渡る程だった。

 もし、この三人の姫がここまで美しくなければ、その後の悲劇は無かったし、辻村も存在しなかったに違いない……。


 1644年、明王朝の滅亡と共に中国大陸の治安は乱れ、東シナ海域では海賊が勢力を増す。

 やがて海賊は海上交易の覇権を掌握するまでになり、台湾を拠点に清朝やオランダといった国家レベルと敵対するまでになる。

 1661年、ついに海賊とオランダの大規模な武力衝突が勃発、翌62年には台湾を巡る戦いに発展するが海賊が勝利し、オランダは台湾における拠点であったゼーランディア城を奪われる。

 そして、降伏したオランダ人の男は惨殺され、女は性奴隷として徹底的に犯され尽くされて一生を終える事になる。

 その後もオランダは度々艦隊を派遣、ゼーランディア城の奪還を目指すが、成功する事はなかった。

 海賊の強さと恐ろしさは世界に知れ渡り、捕らえられたオランダ人達の辿った凄惨な運命は何百年後も語り継がれる事になる。

 当然、この事件は琉球にも伝わり、王朝は警戒を強めた。薩摩から武器を借り受け、船に備える事もするが、それでも貿易船は襲われ、多大な被害が出ていた。

 しかし、薩摩の支配下にあるとはいえ、宮廷の中で蝶よ花よと育てられていた三姉妹にとっては、遠い遠い海の彼方での出来事に過ぎなかった。

 まさか、王族である姫君達が、次の性奴隷の標的になっているとは、誰が想像できただろう……。

 

 その時、長女のツキ姫は19歳。しっかり物で心優しい姫だった。

 次女のウミ姫は17歳。活発で理知的な姫だ。

 三女のハナ姫は15歳。末っ子に有りがちな甘えん坊だが、武術の嗜みがあり中々の腕前を持っていた。

 そして、三姉妹に共通していたのが、類い稀なる美貌である。

 そんな三姉妹が琉球を離れ、往復三ヶ月もの長崎への旅に出る事になったのには、もちろん理由があった。

 鎖国状態の日本であったが、長崎の出島におけるオランダとの貿易は行われていた。日本の西洋に開かれた唯一の窓、それが出島だった。

 17世紀当時、琉球はほとんど西洋では知られていない。広く知られるようになるのは、1792年にイギリスのアマーストが率いるアルセスト号が琉球に約40日以上に渡って滞在し、その記録が1817年に出版されてからである。

 そんな知られざる王国、琉球の姫をわざわざオランダ人の元まで連れて行こうとした薩摩の思惑はただ一つ、西洋式銃の入手にあった。

 出島への兵器の持ち込みは禁止されていたが、裏では高額で取り引きされていた事は後の歴史が語っている。

 だが、薩摩とて、幕府直轄の出島には、おいそれと立ち入れない。そこで利用しようとしたのが琉球だったのだ。

 その時代、対立する国の船が海上で出会せば、強い方が弱い方の積荷を略奪するのは、いわば国際ルールだった。実際、出島で扱われた貨物の多くは、そういった略奪品である。

 オランダ船は、東シナ海を航行する中国船を狙って攻撃したが、問題が一つあった。琉球船と中国船が同じジャンク型(三本マストの木造帆船)である為、誤って攻撃目標にされたのである。

 そこで出島のオランダ商館は、薩摩の求めに応じて、琉球にオランダ国旗と通航許可書を発行する。これにより、琉球船がオランダ船に襲われる事は回避できるようになった。

 薩摩はその事実に目を付け、琉球の姫を中心とする使節団がオランダ商館へ礼に行く、という脚本を書いた。薩摩は従属国である琉球の監視役という訳である。

 オランダ商館は、この申し出を諸手を挙げて歓迎する。

 実はオランダの貿易船が出島に来るのは年一度だけ。忙しいのもその数ヶ月だけで、後は暇との闘いだった。

 オランダ人は原則、狭い出島を一歩も出る事ができない。余りにも暇過ぎて、精神を病む者やアルコール依存症になる者が少なくなかった。

 そこに、未知の王国のプリンセスがやって来るのだ。珍しい物も色々と持って来るだろう。

 しかも、そのプリンセスは絶世の美女であると、事前にオランダ商館へ伝えられている。男ばかりのオランダ人達が、喜ばない訳が無かった。

 まさしく、美しき三姉妹がいたからこそ成立した計画であった。


 こうして五月の季節風が吹いたある日、三姉妹は二名の官吏と三名の侍女、数名の護衛という小規模な使節団を結成して、那覇港を出航する。

 薩摩の山川港に到着したのは一週間後の事だ。

 その後、一行は薩摩藩の関係者と合流して北上、約三週間かけて長崎の出島へと辿り着く。

 オランダ商館は一行を大歓迎し、最高のもてなしをしたという。

 琉球側のお礼の品々も喜ばれたが、何よりも喜ばれたのは三姉妹による舞いだった。ツキ姫が演奏してウミ姫とハナ姫が舞う。それはそれはこの上無く美しく華やかなものだったという。

 10日間の滞在で7回舞った記録が残されている。繰り返し商館の人々にねだられた事が想像できる。

 さて、ここで特筆すべきは、この時オランダ商館側に、商人でない者が1名いた事だろう。

 オランダ艦隊のトロンプ提督がその人だ。先の海賊との戦いで負傷、重症であった為に、医師と一通りの医療設備が整っている出島に運ばれていたのだ。

 現存する肖像画からは逞しく厳つい典型的な軍人に見えるが、内面は繊細で植物と音楽を愛する心優しい男だった事が伝わっている。

 トロンプは、戦線に復帰するのを延期してまで、琉球の音楽と舞いを鑑賞するのを楽しみにしていた。

 こうしてトロンプとツキ姫は出会い、美しくも儚く悲しい恋に落ちるのだった……。



「えっ……ツキ姫様って、異人さんと恋したの?」

 ククルには大変なショックだったらしい。口には出さなかったが、実はサクも結構ショックを受けていた。

 外国人が珍しい訳ではない。薩摩だって外国だし、清からの冊封使もいる。むしろ辻遊郭には、そういった外国人の客の方が多い。

 だが、それらの国の人々は、髪型や服装、言葉は違っていても、顔付きや体格が琉球人とそれほど違っている訳ではない。

 ところが、紅毛人(オランダ人の昔の呼び名)は違うと聞く。肌は死人の様に白く、髪の毛は文字通り赤かったり金色だったりするらしい。そして、瞳の色は青や緑だと言うではないか。

 身体は鬼を思わせるほど大きく、これではとても同じ生き物とは思えない。そんな人種が恋愛対象になるとは、サクにもククルにも到底思えなかったのだ。

 しかし、アンマーは事も無げに言った。

「何言ってるの。紅毛人も琉球人も、信じている神様が違うだけさぁ。あとは何にも変わらないよ」

 サクもククルも、疑いの眼差しでアンマーを見た。

 その眼がおかしくて、アンマーは笑ってしまう。

「ププッ、疑り深い子達だねぇ。じゃあ、僅か十日ほどの短い恋だったけど、どれほど二人が深く愛し合ったか、話してあげるよ……」

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