05 沈黙に積雪

 劉秀の首に十万戸。


 王郎はそう宣して、劉秀を捕らえようとした。

 前漢成帝の落胤として皇帝を称した以上、更始帝との対決は避けられない。

 であるならば。


「劉秀の首を取る。昆陽の戦いの勝者を討てば、おれにはくがつく」


 今や王郎の下につきたいという者は引きも切らず、真定王・劉楊りゅうようもまた、十万の兵と共にくだった。


真物ほんものの漢室の王も降った。おれ……いや朕は、今まさに皇帝である」


 得意の絶頂の王郎だが、その権勢が砂上の楼閣であったことを、やがて思い知らされることになる。



 静かな空から、はらりはらりと白い雪がちらつき、そしてやがて、そこら中を白く塗りつぶしていく。


「…………」


 劉秀は、の軒先で、粗末な木製の椀に盛られた豆粥まめがゆすすっていた。


「かようなものしかなくて」


 鄧禹とううは詫びたが、劉秀は黙ってかぶりを振った。

 このささやかな食事を用意するため、馮異ふういが薪を集め、鄧禹が焚火たきびおこしたのを、劉秀は知っている。

 ともに将来の柱石となるべき二人が、労をいとわずに作った料理だ――感謝しかない。

 劉秀が謝意を述べようとしたとき、近くの大樹に寄りかかっていた馮異が口を開いた。


「それで、明公との


「何だ」


「いずこへ」


「……そうだな」


 劉秀は髭をしごいて、しばし思案する。

 頼ろうと思っていた真定王・劉楊は王郎に従った。

 劉楊は十万の兵を擁していたが、自立せず、王郎の下につくということ。

 これは。


「真定王、不羈ふきならず」


 その本質は、流されて動くような男。

 それが劉秀のである。

 実際、劉秀が天下を取ったのち、劉楊は叛することになるのだが、それが露見すると真定から出ず、かといって武装蜂起もせず、劉秀からの使いにも、ただ会わないままにしていた。

 やがて劉秀の方から、劉楊の親族にあたる耿純こうじゅんが改めて派遣されると、これには会おうとした。しかし劉楊はその隙を衝かれ、耿純に討ち取られてしまう。


「ことをすにあたって、ただ良かれと思う方へ首を向ける。ただそれだけだ」


 首だけ動いたところで、体も動かさなければ、止まっていると同様だ。


「……よし」


 劉秀は思い切って椀をあおって、豆粥を一気にんだ。


うまい」


 莞爾かんじとして笑う劉秀に引き込まれるように、鄧禹たちも笑った。

 馮異は大樹から身を離して劉秀に近づく。

 すると劉秀は椀を隠した。


なら遠慮しておくぞ。あとはけいらで食せ」


「ありがたき御言葉。が、さにあらず」


 馮異は、劉秀の前で片膝をついた。


「これからどうなさいます」


「ふむ」


 劉秀は椀を置いて立ち上がった。

 気がつくと、鄧禹らもまた、片膝をついて、劉秀の次なる言葉を待っている。


「卿らを悩ませて申し訳なく思う。さて、これからだが、真定に行く」


 真定王・劉楊はその消極性により、王郎に従っているが、それはそういう姿勢を取っているだけに過ぎない。


「敢えて、そこへ行く」


 邯鄲かんたんを出ない王郎とちがって、対面してけば、劉楊は

 そして劉秀の策はそれにとどまらない。

 彼は沈黙の中、今まさに降り積もる雪のように考えを重ねていた。


「大樹将軍、今、この河北において、王郎に従うのはどのくらいか」


「ほとんど」


 大樹将軍・馮異は

 だが、彼は己の分析を付け加えることを忘れなかった。


「しかし、その大体が、真定王のごとのみ」


者も、いると」


「さよう」


 劉秀は笑った。沈着冷静な彼にしては珍しく、大声を上げて笑った。


「大樹将軍、卿の読みは正しい。しかし、もう少し考えねば。今、と言ったな?」


 馮異は目を見開いたが、そして劉秀の言わんとするところを悟り、「そのとおりでござる」と答えた。


「そうか……では、そのに含まれない者が動く。あたかも、王莽に赤眉・緑林が、


 現状、更始帝の下にある劉秀としては、かなりきわどい発言であったが、それだけに、鄧禹らに強く響いた。


「つまり」


 この発言は鄧禹である。

 馮異はもう立ち上がって、愛馬に向かっていた。


明公との、王郎に敵対する者が現れる、と」


「そうだ。そしてその者たちと手をたずさえる。さすれば、真定王も落とせよう。王郎と戦えよう。そして……」


 それ以上劉秀は話すことはなく、ただ黙って、天から降り落ちる雪を見た。

 鄧禹らもそれにならった。

 そのは、天下を意味していることは、言葉にならなくても、誰にとっても明らかであった。

 そして、馮異は愛馬を駆った。


 「王郎に敵対する者」を求めて。

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