第3話

 この日を最後に彼は、自らの脚を使っての受診ができなくなった。外出への負担と病院での待機に耐えられなくなったのだ。これからの診察をどうするか・・・・・・、愛里と相談した結果、訪問診療に切り替えることにした。往診カバンを携えつつ彼の住む自宅に直接おうかがいするのだ。

 今年最後の寒波がようやく過ぎて、やっと暖かさが戻ってきた。冬の寒いなかでの在宅診療というのはなかなかつらいだろうと思っていたから、良い意味でのタイミングだった。

 

 国道から一本奥の道に入り、さらには右折と左折を一回ずつ繰り返した先に彼の持ち家があった。いまどきの二階建て日本家屋という表現しか思い付かなかったけれど、そういえば以前に、「オヤジの代に作った家を五年前にリフォームした」と語ってくれたことを想い出した。さすが建築士。一階部分の“床の間”に介護ベッドが置かれ、そこが彼の療養スペースとして確保されていた。ベッド脇には吸引器とパソコンとが設置され、エアコンやら加湿器やら空気清浄機やらの機器類も作動していた。部屋の正面、すなわち南手は全面サッシで、日当たりが良く、窓を開けたところでまだ少し肌寒い風が通り抜けていった。確かにちょっと手が行き届かなくなったのだろう、枯れた草木や腐らず残った落ち葉が散らばっていたが、ベッドを起こせばこれらの庭木を眺めることができた。

 

 在宅療養を続けるALSの患者宅には、それぞれの個性が見え隠れする。南向きのいちばん良い部屋を陣取る患者もいれば、北向きの布団部屋みたいなところで療養する人もいる。パイプ棚をうまい具合にカスタマイズして、タオルやらウエットティッシュやらアルコールタオルやら薬やらをきちんと整頓して並べているお宅もあれば、わりと適当に散乱しているお宅もある。良い悪いではなく、それはそれで、その家における精一杯のやり方だ。几帳面な本人の性格を反映してか、田名網宅での物品はきれいに整理されていた。

 

 訪問の初日、二人の息子は実家に戻っていた。そして次男は今春、無事に大学を卒業していた。

「はじめまして小竹です。こちら息子さんですね。わざわざ東京から帰省していただいてすみませんでした」

「いえいえ、こちらこそ、家にまで来ていただいて申し訳ありません」

 長男がすばやく応じた。

「次男はまだ入社したばかりです。会社は違いますが、お父さんと同じような県内の建築会社に就職したので、そんなに離れていません。でもまあ息子らの人生ですから・・・。二人とも、夕べ仕事が終わってから来てくれたんです」と、奥さんが経緯を説明してくれた。

「そうですか、それはお疲れ様です。なるほど、やっぱり建築士を目指しているんですかね」

 次男は「はい、まあ」とだけ答えた。

「今日は訪問診療の初日ですから・・・・・・、息子さんたちにもご挨拶できてよかったです。こちらは担当看護師の谷島です」

 僕は自分の自己紹介がすむと、続けて愛里を紹介した。

「谷島です。病院で小竹先生の外来を担当していますので在宅のお手伝いもさせてもらっています。よろしくお願いします」

 思ったより短い挨拶だった。愛里自身も、ちょっと緊張しているのだろう。僕らが息子たちに会うのははじめてだったが、むしろ彼らのほうが落ち着いた表情を浮かべていた。

「父の様子はだいたい聞いています。家族としてはつらいですが、本人もがんばるって言っていますから、こちらこそよろしくお願いします」

 しっかりした息子たちである。一家の大黒柱に何か予期せぬトラブルが発生した場合に、逆にまとまる家族もあれば、かえってバラバラになってしまう家族もある。田名網家は前者で良かった。

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