5話-1 『侵略者』

 放課後、俺たちは学校からバスで少し移動したところにあるショッピングモールのフードコートで時間をつぶしていた。二回目の戦いの結界の中で大穴を開けたところだ。


「なんか、時空の歪みって人気のない屋外ばっかりなイメージだったけど普通にこういうところにもできるんだな」


 ニュートはバッグの中から出てフライドポテトをかじっている。一般人が見たら驚くだろうがこの場には俺と要とニュート以外の姿はない。


「そのためにケイラには一般人を巻き込ませない魔術を貸してもらっている」


「グラーダどもの“狩場”と似たような結界ね。範囲が狭い分、強度はあれよりも高いようだけれど」


 ニュートは油で汚れた指先を舐めながらケイラさんの魔術を評価する。

 空間の一部をコピーして、そのコピーを俺たちが戦える結界にしているのだとケイラさんは言っていたが、もしかしなくてもとてつもない魔術なのではないだろうか。

 魔力を扱えるようになったのもあってそんな感想を抱いたが、ニュートほど詳細にはこの空間のことは分からなかった。


「ニュート、行儀が悪いよ。手をこっちに」


「あら、悪いわね」


 従者に差し出すような自然さで、彼女は油でてらてらと光る指先を差し出す。何となく目に入った出っ張りが少ない彼女の体に、ニュートが女の子であることを不意に意識してしまう。犬猫のオスとメスさえ分からないのにおかしな話だ。


 緊張を悟られないように努めて、彼女の指を拭き上げていると空気が変わった。


 ――これが歪みの前兆か!


 魔力の流れはほとんど変わっていない。以前の俺でもこんな近くで発生していれば気づいたかもしれない。


「来るぞ」


 目の前にあった空間が捻じれるようにして歪んでいく。徐々に加わる謎の力に耐えきれなくなったかのように、空間が悲鳴のような音を上げて入り口を開いた。


 そこから飛び出してきたものは奇妙な形をした生命体だった。例えるなら、クラゲか昔テレビで見た火星人だろうか? 顔らしきものが付いた頭部から無数の触手が生えており、それらが地面と接地して全身を支えている。


 そんな生き物が合計四人。こちらから接触していいのかも分からず、棒立ちになるしかなかった。


『だおれおろねぉろぇしげ!』


 口を開いた彼らが発したのはこんな音だった。無理やり文字に起こすならこんな感じなのだろうが、さっぱり意味が分からない。しかし、幾度も幾度も声を上げるのを見るに切羽詰まっているのがなんとなく伝わってくる。


「要。彼らの言葉の翻訳って出来るか?」


「いや、どうやら彼らの来た世界は未発見らしい。もちろん、ニュートくんやグラーダとも体の組成が全く違う」


「当たり前よ。こんな人、私たちの世界では見たことも聞いたこともないわ」


 そんな言葉を交わしている間も、彼らは口々に声をあげている。そのうちの一人、最も小さい個体が俺の腕に触れた瞬間、驚くべきことが起こった。


『あいつらが来ちゃう……!』


 声が聞こえた。音ではない意味のある言葉として彼らの意思が伝わってきた。しかし、唐突な変化に思考はそこで止まってしまう。その一瞬はあまりにも大きな隙だった。


 口を開いた時空の歪みから、人の頭ほどの目玉が覗いていたのだ。


「――竜装変身ドラグニュートッ!!」


 式句を唱えながら、腕を体の前に置いてとっさの防御姿勢をとる。しかし遅い。目玉の主から伸びてきた触手に殴りつけられ、変身も中途半端なままに吹き飛ばされてしまった。


(大丈夫、レンリ!?)


 吹き飛ばされて叩きつけられた柱には大きなひびが入っていた。変身のおかげで致命傷は免れたが、全身の至るところが悲鳴を上げていて回復にはしばらくかかりそうだ。


「っ……要は?」


 あたりを見回すと、今いる柱から四本数えた先の柱の陰に、彼とあのクラゲのような来訪者たちが隠れていた。要が彼らを助けたようでどちらも大きな怪我はなく、ほっと胸をなでおろす。しかし、そんなこともしていられない。目玉の主が歪みをこじ開けてこちらの世界にやってきたからだ。


『面倒くせぇなあ』


 そいつは目玉の大きさに比例するように巨大な体躯をしていた。悠々と宙を泳ぐ魚のような異形は見るからに硬そうな鱗で全身を覆っており、本来ならヒレに当たる部分から大小さまざまな無数の触手が伸びている。先ほどはこれで殴られたらしい。


『せっかく逃げられると思ったのに! 異世界まで侵略者が追ってくるなんて!』


 さっき腕をつかんできた者たちの悲鳴が聞こえる。それを聞いた魚の異形、侵略者と呼ばれたものは口の端を持ち上げる――笑っているらしい。


『馬鹿な奴らだぜ。自分ら家族だけ助かろうったってそうはいかねえよ。お前らは我々オレのデザートで残してやってたんだからなあ』


 クラゲたちの誰かが息をのむのが聞こえた。あるいは彼ら全員が同じく驚愕していたのかもしれない。


『なら僕らを逃がした先生は? 一緒に住んでいた彼らは……? もうみんないないというの!?』


『ああ、全員食っちまったよ!』


 凄むと同時に侵略者は触手を伸ばす。しかし、それらは彼らに届く前に空中で細切れになっていた。


「俺たちの世界に土足で踏み込んできたというのに名乗りもしないとは、どういう用件だ? 平和的な解決を望まないのなら相応の対応が待っているぞ」


 それを成したのは要が飛ばす光の斬撃だ。【カシモラル】というらしいブーツで宙に浮く彼はすでに臨戦態勢に入っていた。


『おお、それはこちらも無礼を働いてしまった! ならば名乗ろう、侵略者などと呼ばれ続けるのも心外なのでね!』


 敵意を向けられた怪魚はそれでも余裕を崩さずに、大仰な動きで自己紹介を始める。


我々オレの名はスジャルクベーダー! 個にして全、全にして個を体現する群体である! そして我々オレには一つ愛してやまないものがある! それは……反抗的な目をした奴らの踊り食いだァ!!』


 スジャルクベーダーは不意打ち気味に触手を伸ばす。それらはすべて要を狙っているようでいて、彼が避ければクラゲたちに当たるような厭らしい角度から飛んでくる。手慣れた全方位攻撃に舌を巻くが、そのすべてを斬撃によって撃ち落とす要も並みの技量ではなかった。


 要は敵の攻撃を遮るだけではなかった。その合間を縫って何度も斬撃を飛ばしているのだ。しかし、そのことごとくは硬質な鱗に阻まれていた。技巧は卓越しているが、それを届かせるための火力が足りていない。


 縦横無尽に、まるで重力や足場など不要だと言わんばかりに要は飛び回る。しかし、クラゲたちを守りながら戦っているため、その戦況は徐々にスジャルクベーダーに傾き始めていた。


(レンリ! 動かないと!)


「ごめん、体が痺れて動かないんだ……!」


 助太刀に入りたい気持ちは山々だった。柱に叩きつけられたダメージもとっくに回復しきっていたが、全身に痺れがあり立ち上がるどころか指先一つ動かせないのだ。


『ようやく効いてきたか! ゲートからこの世界を覗き込んだとき、一番強そうなのがお前だったからな。とっておきの神経毒を喰らわせてやったぜ!』


 怪魚の表情が喜色に歪む。


『今は大人しく眺めているんだな。でもまあ、こっちの細いのは速さはあるが力が足りねえ! こんな楽な仕事はねえよなァ!』


 図体の割に姑息なことをしてくる。しかし、だからこそ避難してきた彼らの世界は壊滅させられたのだ。


「要……! その人たちを連れて結界の外へ……!」


 クラゲたちを助けるために無理をしているのは誰の目から見ても明らかだ。敵もそれを分かっていて楽しんでいる節がある。

 鱗に攻撃を阻まれているのを見るに、要が単独で撃破するのは難しいだろうが、彼らを逃がして戦闘に専念すれば今よりはマシになるはずだ。クラゲたちが一般人の目に留まる可能性はあるが、要を含めた彼らの命に代えられるものなどないだろう。


「忘れたのか、蓮理。俺はお前よりこういう荒事には慣れている」


 要の言葉と共に巨大な斬撃が敵に届いた。初めて鱗にキズがつく。怪魚も思わずといった風に攻撃の手を止めた。要は落ち着いた、それでいてよく通る声で続く言葉を紡いでいく。


「出力70%開放。姿勢制御をマニュアルに変更。エネルギーはレメゲトンのその他兵装から供給」


 〈了解しましたマイマスター。【カシモラル】の制限を第三まで解除。エネルギー回路、正道反転。ご武運を〉


 控えめな合成音声。しかしその結果は劇的なものだった。正確無比な動きから、荒々しい飛行へ変わる。


 伸びる触手も出力に任せてまとめて引き裂く。敵に届きダメージを与える斬撃も徐々に増えている。


(あまりカナメを見くびったらダメね。彼の言う通り、私たちよりも戦いなれているのだから)


「うん、そうだね……こんな力を手に入れたからかな。要のことも無意識に守らなきゃいけない対象に見てた」


 今戦っている要はもちろん、金鬼たち式神を操る晴香さんや、目の前の戦闘でもびくともしない結界を作れるケイラさんだって今までこういう奴らと戦ってきたのだ。


(自然にバンドウを省いたわね)


 まあそれはなんとなく。本人も戦えるって言ってなかったし。


 体の痺れはいまだに残っているが、ニュートとの会話もあって先ほどまでのような焦りは消えていた。


『こざかしい!!』


 怪魚の触手が余裕のない動きに変わる。クラゲたちを狙う軌道のものはすでになく、すべての触手が要を倒すために動いていた。


 怪魚の鱗には絶えずキズが増えていくが、要にも触手が掠める回数が増えていた。しかし、体のひねりで被弾位置を致命的な部位からずらしているのは流石といったところだ。


(それだけじゃないわ)


 ニュートの意識が要のある点を指す。それは、彼が制服の下に装備していたパワードスーツだった。


(あのスーツは出力補助の役割が主のようだけど、装甲によって最低限の防御を成立させているの)


 なるほど。動きを阻害しないために本当に最低限の大きさをした装甲だ。触手によって裂かれた服の下から装甲板らしき金属が光っている。幾度かの被弾で金属が覗く部分が増えていた。しかし、逆を言えばすべての被弾がその装甲板の上なのだ。


(あの魚が種明かしをしてくれたおかげもあるのでしょうね。貴方の受けた神経毒を食らわないための対策でもあるわ)


 今日この戦闘で何度目か分からない驚きが生まれる。言ってのけるのは簡単だが、それを実行するのは針の穴を通すかのような難しさだ。空中という人間の主戦場ではない場所であれだけの絶技を実行できる能力も胆力も、間違いなく一朝一夕で身に着けられるものではない。荒事には慣れているという彼の言葉が、実感を伴って理解できた。


 麻痺の回復を待っている間も状況は変化する。その最大の要因は彼らの距離だ。会敵した時点では二、三十メートルほどの距離があった。しかし、要は迎撃と共に前進を続けていたため半分ほどまで間合いは縮んでいた。


 怪魚に届く斬撃は数を増し、有利が要に傾くかのように見えたが、そう簡単なものではない。距離が近いということは触手の密度が上がるということ。怪魚の繰り出す無数の打擲はその苛烈さを増しているのだ。


『クソォッ!! 我々オレの鱗を何度傷つけようと無駄だ! 貴様の攻撃は届かないぃぃぃ!!!!』


 怪魚の鱗には無数のヒビに似たキズがついていたがそれだけだ。致命傷をもたらすような芯に届いているようには見えない。それでもなお、要は不敵な笑みを浮かべている。


「それはどうだろうな?」


 またしても斬撃が怪魚を打つ。そこで初めて一枚の鱗が砕け散る。柔らかそうな肉質が露わになったそこを狙らわれたら、いかな怪魚といえどたまったものではない。触手の一部を引き寄せて、攻撃へのガードに回す。


(……終わりね)


 その動作はこの戦闘で怪魚が犯した初めてのミスだった。奴は触手を防御に回さずに攻め手をさらに増やすべきだった。例の神経毒の触手を織り交ぜていれば、距離を詰めている要に届くこともあったかもしれない。しかし、攻撃の手を緩めたことで彼を急接近させてしまった。


「――終わりだ!! 【カシモラル】!!」


 急接近した要が狙うのは、鱗の剥がれた脆い箇所――――ではない。触手の防衛網が手薄な頭部、その中でもひと際目立つ巨大な目玉だった。


 パシャッ!


 光の刃を伴った強烈なかかと落とし。その苛烈な威力が怪魚の目玉をあっけなく潰した。言葉ですらない悲鳴が結界内を激しく揺らす。半狂乱になった触手が所かまわず打擲ちょうちゃくし続ける。


『嗚呼アァあぁぁあァ!!!! 殺してやる!! 絶対に殺してやる!! 我々はらから我々オレの復讐にやってくる!! 覚えておけェ!!』


 暴れたことでわずかに正気の一部を取り戻したスジャルクベーダーは、最大限の呪詛を吐きながら時空の歪みに逃げ込もうとする。


「蓮理! 歪みごとやれ!」


 時間は十分に貰っていた。麻痺を回復し、魔力光をチャージする時間は十分にあった。要が目立っていたおかげでこちらに注意すら向かなかった。指示に合わせて力を開放する。


竜の咆哮ドラゴンロアァ!!」


 撃ち放った光が飲み込まれて歪みは閉じた。この場の誰もが息をのむ。

 刹那。先ほどと比にならない大きさの悲鳴と結界そのものをシェイクしたような揺れが起こった。歪みの向こうからわずかに感じていた怪魚の魔力が消える。轟音は途絶え、代わりに耳が痛くなるような静けさが結界内を覆った。

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