第2話門と壁と

 薄雲の下、そびえる壁、ナラメシカの町の門前。

 荒野を馬で一週間、ようやく町に辿り着いたサブリナたちの前にはちょっとした祭り規模の騒ぎが広がっていた。

 総勢、数十人程だろうか。あるグループは肉を焼き、またあるグループは楽器を鳴らして歌い、それらの騒ぎをものともせずに寝ているグループもいた。それぞれ五、六人で集まってそれぞれのたき火を囲い、それぞれの方法で長旅の疲れを軽減しようとしているのだ。


 中でも、一際迷惑な方法を選んだらしい一団の声が響き渡っていた。


「『死の寝床』って言うらしいぜ」

「何がだ、ドント」

「町の名前さ、スリム。死の寝床ナラメシカってのはそういう意味らしい」

「へえ。何だか物騒な名前だな」

「そうでもねぇだろ。寝床なんだから」

「でも、死って付いてるぜ」

「死んだら寝ることになるからな」

「起きられねぇじゃねぇか、死んだら、寝てても」

「それで物騒な話を思い出した。聞きたいか?」

「いいや」

「ある港町近くの墓場での話なんだがな、死体がたびたび消えるらしい」

「手前の声がでかすぎて、いいやって言ったの聞こえなかったか? もしそうならもう一度言ってやるよ、!」

「何でも鼠が死体を攫っていくんだとさ」

「ははっ、ほら吹きが見付かったウーキー・トーキー・ブー。たかだか鼠が人間の死体を運べるもんかよ。大方、墓守が死体の持ち物狙いで掘り起こしたんだろうよ」

「ふん。まあ、実際そうだったかもな。その辺りは迷信深い連中が居残ってて、死後の旅路に困らないよう路銀を入れてたって言うくらいだからな」

「ほらな」

?」

「…………」

「墓所の鼠には気を付けろって話さ、スリム。手前の子供ガキでもないのにすねを囓られるのは嫌だろう?」

「ならどうにか、鼠に頼んでおかないとな」

「『囓らないで下さい』ってか?」

「『囓るならこの腹の贅肉にして下さい』ってさ」

「「ガハハハハハッ!!」」


 なんて下らない雑談を大声で響かせるのだ。やせっぽちと小太り、二人の騎士が響かせる粗野な笑い声を聞きながら、サブリナは喪った時間のために祈った。

 秩序神教徒ではないサブリナにとって祈りとは貴重な金貨の素時間を無駄にする行為に過ぎず、浪費そのものでしかなかったが今日、その価値の一端が理解出来た。


 軽い黙祷を終えて、サブリナはロシェの方に馬を寄せた。


「町は壁の向こうなんでしょ、これは何の騒ぎなの?」

「恐らく順番待ちです。城塞都市にはありがちな話ですが、町に入るための検問が規模に対して狭い場合、こうして混雑してしまう場合があるのです。そして――」

 ロシェが示した先には、やけに大きな荷馬車が何台か連結していた。「集まった人々相手に、足の速い食料品などを処分する商人も現れるわけです。旅の間は保存食ですからね、ただ肉を焼くだけでも引く手あまたとなるわけですので」


 確かに、漂ってくる炭火に炙られた脂の匂いは単純な料理のものだが、それでも干し肉に飽き飽きした口からは溢れるほどのヨダレが出てきている。これに葡萄酒を合わせたら、少し酸っぱくなっていても気にならないだろう。

 実際、煙を上げている荷馬車の周りには人だかりが出来ていた。焼いただけの肉でこれだけ売れたなら、まあ大繁盛といっても過言では無いはずだ。


「なるほどね。ん、ってことは中に入るまで暫く掛かるってこと?」

「かもしれませんね。何しろナラメシカの町は、門がこの一カ所しかありません。町に入る者も出るものも、ここを通るしかありませんので」

「げえ」

「こればかりは仕方がありません、出て行く者が少ないことを祈るしかありませんね。行商が来るタイミングだったことがせめてもの救いでしょうか」

「アンタの魔術でパパッとこの壁、越えられないの?」

「壁が何のために建てられたのか考えるべきですね、少しでも想像力を働かせたらそんな愚問は出てこない筈ですので」

「アタシが荒事に振り分けてる、何だっけ? 『想像力』とやらを振り分けても良いならそうするけどさ。効率的に行こうよ、魔術師。知ってることはさっさと伝えて」

「……竜ですよ、ミズ・エレクシア。この壁はナラメシカの肉体が地に落ちてから、万が一動き出しても良いように作られたのです。当時最高位の魔術師が、現在に至るまで最悪の災厄である竜を封じるために作った壁ですので。破壊することは勿論、飛び越えることなど絶対に不可能です」

「やれやれ。まともなベッドはお預けってわけね」

「おおーい、そこのあんた!」


 聞き覚えのある騒々しさに視線を向けると、先程馬鹿の手本みたいな話をしていた騎士二人が、手を振りながら歩いてきていた。

 サブリナはロシェに目配せした。魔術師と傭兵の間に奇跡的に存在する共通点、『情報を大事にする』を発揮するべき時が来たのだ。そして相手が騎士ならば、傭兵である自分は黙っておくべきだろう。致命的に、というわけではないにしても、お堅い騎士にとって金で向きを変える傭兵という存在は少々、目の上に止まった蝿と似た印象を受けやすい。

 ロシェも同意見のようだった。魔術師は思ったよりも器用に馬を動かして、サブリナより半歩前に出て騎士を待った。


「よお、新顔だな。今来たばかりだ、そうだろ? ずいぶんな軽装でしかも女との二人旅だ、目についてな。気になったんだ。おっと意味じゃないぜお嬢さん。風評被害だって言っておくぜ、騎士がのいる女性ばかりを好むなんていうのはさ。あれは忠誠の話だ。そして今回は仕事の話でね。俺はドント・ノイジー。トニック辺境伯に仕えて長いンだが、お前さん方は初めて見たンでね。安全安心を守るためにはちょいと、お互いのルールを確認しとくべきだと思ってね。良いかな、良いだろ? そう長く掛かる話じゃねぇさ、なあ?」

「……はあ」

「おぉ、良かったぜ紳士さん。お嬢さんもすまねぇな、旅で疲れてるだろう? あんたは旅慣れてるというには少しばかり、細すぎるからな。もちろんあまり、女性の体型にとやかく言いたくは無いンだがまあ、そのフードのせいで話題が体型くらいしか無いもんでね。気前よく許してくれると有り難いンだがな」

「ルールと仰いましたね、騎士殿」

 物静かドント・ノイジーの台詞にどうにか割り込んで、ロシェが尋ねた。「僕たちのように新たに訪れる者に対して何か、心得のようなものをご教授くださるのではと期待しているのですが?」

「勿論そのつもりさ兄弟! 肉はどうだ、酒は? 何処から来たかは知らないが何処からにしろ長旅だっただろう? 何しろここはナラメシカだ、この世の何処からだって遠くなる。格言があるだろ、『奪った土地に家を建てるな』ってヤツだ。この辺りは丸ごと竜から奪った土地だからな、誰も家を建てたりしないンだ」

「言葉足らずを謝罪します、ミスター・ノイジー。僕は心得の教授を期待しています」


 魔術師の苛立ちは中々見応えがあったけれど、それにしてもノイジーの冗長な話しぶりを聞かされる補填にはならなかった。

 よくもまあこれだけ舌が回るものだと、サブリナは寧ろ感心してさえいた。騎士でなくなり弁士になったとしても、これならばしっかりと身を立てられるだろう。何よりこの無駄な長話が自分以外に向けられていることが、最高に幸せだった。案外祈りの効果が手早く表れたのかもしれない。


 対して、ノイジーの方は落ち着いていた。宥めるように両手を挙げて、サブリナが最も嫌いなタイプの笑顔を浮かべている――『アンタは何も知らないらしいな、お嬢ちゃん』。そんなことを言い出しそうな笑顔だ。『ベテランに任せときな、素人さん』だったかもしれない。

 思い出の中のサブリナはそいつの前歯をへし折ったけれど、ロシェはもっと思慮深いタイプだったようだ。


「まあまあ落ち着いてくれ、紳士さん。どうやらあんた、手早く済ませたいようだな。手早く済ませたい用事なのか、それともただそういう性格なのかは知らないが、どちらにしろお生憎だ。普段は気長であることを祈るよ。今回だけだと思う方が気楽だからな」

「それが心得ですか、貴重な助言をどうも。それでは、急ぎますので……」

「……失礼、何ですって?」

、紳士さん。こいつはローリブ通りの娼館みたいに安く見積もった結果だ。俺と相棒は三日間待っていよいよってところでね、あんたらが今から待つのなら、もう少々お時間を頂くことになるだろうさ」

「馬鹿げてる」

「まあな、それは俺も同意見さ。仮にも領主だぜ、トニック辺境伯様は。そこからの使いを適当な旅人連中と同列に並ばせるとは! うちの騎士団長殿だったら剣を抜いてるところだぜ? 俺たちの寛大さに感謝して欲しいもんだ、そうだろ?」

「……どうなの、クルーニー?」

「…………」

 囁いたサブリナに、ロシェが難しい顔を向ける。「時間的猶予は不鮮明です。何しろ状況そのものが未だに、不鮮明ですので」


 サブリナも顔をしかめて見せた。

 魔術師の流儀は解らないから傭兵流に考えるしかないけれど、こうして実際に行動を起こしている以上は状況に、ある程度の可能性を感じているだろう。少なくとも荒野を越えて、こんな辺鄙な町を訪れる程度には気になるわけだ。

 依頼を受けて一日半で、ロシェは出発を指示してきた。通常なら準備に三日間は要するのに、だ。詰まりそれだけ急いでいるわけで、急ぐだけの理由もあったと推測できるわけだ。


 確実ではないだろう、けれども念のために急ぎたいくらいには、魔術師は事態を予測している。ここで三日かそれ以上、待つだけのゆとりは無い筈だ。


「心得その一ってやつさ、紳士さん。壁を越えるには忍耐が何より大切ってわけだ」

「……ここでそれだけ待たされるのは、良くあることなのですか?」

「いや? まあキャラバン連中にかち合ったら似たようなことにはなるが、そこは俺たちも心得てるからな。珍しいもんだ。いや――」

 そこでノイジーはニヤニヤ笑いを引っ込めて、不意に騎士らしい鋭さを無精髭の目立つ顔に浮かべた。「――こいつはちょっと異常かもしれないな」


 ――ヒュウ、騎士殿に一点!

 恐らく何も知らないだろうに、何かに勘づいている様子を見せるノイジーにサブリナは内心で口笛を吹いた。

 流石に辺境伯が派遣するだけのことはある、というわけだ。これで名前の通りの物静かさだったらもっと、引く手あまただったかもしれないのに。


「俺たちが派遣されたのは単純に状況確認だ。神経質な騎士団長がしつこく『風が変わった』何て言うから仕方なく、時季外れの監査に来たわけだが……場合によっちゃあ道中の文句を謝罪申し上げる必要があるかもだぜ。本気で何事か起きてるンならこの、抜き打ち監査は存外刃以上に刺さるかもしれないな」

「おい、ドント! 行くぞ、ようやくだ!」

「あぁわかった! すまねぇなお二人さん、長旅の疲れを癒やせる宿はもう少しだけお預けだ。もし手際よく中に入れたら俺たちはいつも、『貴婦人』ってホテルに泊まってるから顔を出してくれ。上手くすりゃあ一杯くらい奢れるし、俺らの口利きなちぃっとばかしは安心して眠れるさ」

「ドント!」

「あぁあぁわかったわかった! 今行くさスリム! じゃあな、良い旅を!」


 ドタドタと足音さえも喧しく去って行くノイジー。その背中を見送りながらロシェは、何やらじっと考え込んでいる。

 悪くない兆候だ、傭兵で無い限りは。

 傭兵にとって迷いは死への近道だ。行動しない時間の積み重ねが、処刑台へと道を舗装していく。そうして歩きやすく見える道を選び続けることでどんどん死んでいく。

 傭兵という稼業はそういうものだ、少なくともサブリナはそう考えていた。この極めて個人的な感覚が正解かどうかは、今こうして生きていることが証明している。


 だがロシェは、ロシェ・クルーニーは傭兵ではない。

 彼は魔術師だ。調べて悩み、学んで、解決するのが仕事である。迷い悩むのは諦めていないからだ、戦っているからだ。

 戦っている者は好きだ、知らないうちに死ぬことは無いから。


「これはいよいよ空を飛ぶしか無いかもね、魔術師殿?」

「もう少し良い案があります」


 茶化すように言ったサブリナに、笑ったことなど無さそうな表情でロシェが応じた。彼はいつの間にか自分の杖を取り出していた、太陽を受けて輝く歪な枝のような形の、硝子の杖だ。


「どうするつもり? 魔術じゃあ壁は越えられないんでしょう?」

「彼に助けて貰うのですよ、ミスター・ノイジー。ミスター・ドント・ノイジーの名前にあやかるのです」

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