第8話 旅行編(1)

 温泉旅行にマンションが当選した。


 誤解の無いように今一度、温泉旅行にマンション『が』当選した。


 以前に、3.5次元デジタルガジェット雑誌の懸賞にマンションの管理組合が応募したことがあったらしく、その結果、三等温泉旅行が当選したと通知が来た。


 『あったらしく』というのは、一世紀以上前のため、当時の入居者も記録も何も残っていないからだ。

 何しろ、懸賞の抽選方式が地球の公転周期とリンクした回転抽選器、いわゆるガラポンのため、1年に一回しか抽選球が出てこない。長い月日を経て、この度、ようやく三等の抽選球が排出されたらしい。


 となると、まだ二等、一等、特等、上等、中等之A(アラブ首長国連合)~P(レバノン)、下等-ゐ(無糖ブラック)~ほ(極甘加糖ミルク)がこれから決まっていくことになる。

 今後何世紀になるか分からないが、大規模テーマパークの観覧車サイズの電飾金ぴか八卦ガラポンを維持していく易学者――もとい抽選職人さんたちの苦労に思いを馳せ、春子は静かに合掌した。

 テラフォーミングが部分的に成功しているとはいえ、月の裏側では何かと不便なことだろう。


 しかし、今は余所様の心配をしている場合ではない。


 先々々々々代の第1338代目管理組合が応募した時、自分たちの寿命では足りないことを自覚していた当時の一同は、応募の名義をマンションにしていたのだ。

 自分たちは滅んでも、マンションは残る。ならばいつの日にか……という思惑は天晴れ見事に的中したわけだが、申し込み名義がマンション自体である以上、温泉旅行に当選した本人はマンションである。


 つまりは『旅行に行くのは住人ではなくマンション』なのである。住人は付帯設備扱い、要するにオマケだ。


 この点で非常にモメた。

 マンションに実際に旅行させるための準備やら移動方法やらを考えると当選を辞退するべきと主張する現管理組合一同と、当選した以上は何事も全て完遂すべきと主張する1338代目管理組合一同とで、幾晩にもわたるディベートが繰り広げられた。


 現管理組合の現実的論理的な主張と、1338代目管理組合の精神論が果てしなくぶつかり合い続ける、歩み寄りのない実に不毛な議論となったが、そうなると1338代目管理組合が圧倒的に優勢だった。


 何しろ1338代目一同は既に死去しており幽体、睡眠も食事も全く必要ない。


 空気を意図通りに振動させる、つまり発声できる幽体がいなかったので、討議はコックリさんで行われた――

 ――のだが、発言者以外はミュート設定にしてほしいと言っているのに一斉に罵声怒声を被せてきたりするのでホスト権限で全員ミュートにするとラップ音で抗議される、食事や睡眠のため休憩しようとするとポルターガイストで妨害される、キレた現住人の陰陽師が祓おうとすると憲法で定める霊権の『幸福に成仏する権利』侵害現場をSNSで拡散すると脅される、と議論が一向に進まない状況に追い込まれた。


 完全に消耗戦に持ち込まれてしまったのだ。


 結局、寸暇無しの霊的嫌がらせによるデスマーチ会議で意識の混濁を起こした現管理組合一同が「もういい……好きにしてくれ……」と血判を捺すに至り、マンションの温泉旅行が確定した。


 ちなみにその場には春子の夫も出席しており、実は、断食ヨガのオンライン検定準2級を持つ夫はまだ耐えられたりしたのだが、一方的な消耗戦の様相を目の当たりにして夫は勝敗を悟り、以降の対策について考え始めているうちに議論が終わっていたらしい。


 思索の沼にハマってしまう癖はどうにかした方がいい、と春子は常々指摘してはいるのだが。

 発言するよりも思考してしまうので、結果的に非常に無口であり気が付けば事態が終わっている・変わっていることが多いのだ。


 まあ、過ぎたことは言っても始まらない。

 つまるところは、死してなお温泉旅行に行きたい1338代目一同の執念が勝ったのだ。


 そりゃあ、成仏できるはずもなし。

 これを妄執と呼ばずに何と呼ぶか。


 死者への讃辞はさておき、難問は旅行準備だった。


 まずもって、マンションが移動する手段を確保しなければならなかった。


 まず、管轄地方法務局の支局の出張所の夜間窓口に、不動産の臨時動産扱特例申請書と動産登録申請書を深夜こっそりと投函。

 ポストがあるだけで一々ネチネチと追及されずに済むのが最大の利点で、数日後に許可書が普通郵便で届く。


 続いて国土交通相の地方管理事務所の規制課の休日窓口に、動産扱特例許可書と特例物件通行許可の申請書(短期間)を持ち込む。

 こちらも狸が居るだけでコミュニケーションを取る必要もない(※食用のイナゴをあげると喜ばれるのでお好みで)のが利点で、その場で隧道利用許可証に狸の肉球判が捺される。


 これで法的問題はクリアだ。


 続いて、近所の銭湯の番台に併設されている9大運送公社の共同受付窓口で隧道利用許可証を提示し、隧道の利用希望日、起点と終点を申し込む。

 この番台併設窓口のAIがこの地方では最ものんびりとした性格なので 差し入れで好物のワームをあげれば大概は快く受け付けてくれる。

 悪性プログラムが美味なのかはAIの個性らしいが、まあいわゆる悪食なわけだ。


 以上で最大の課題だった移動自体については目処が立った。

 後は細々したところの準備だ。


 一つは電力の確保。これは、重水素核融合発電機のレンタルで対応することになった。

 2世代前の型落ちの中古のメーカー保証期間が1年前に切れている激安品だが、セールスマンの「裏を返せば保証期間を1年も過ぎているのに正常稼働しているのだから、絶対大丈夫ですよ! 僕が保証します!」と笑顔で言い切られたらしい。

 それならば、と交渉に赴いた管理組合の役員も納得したそうだ。


 まあ、そもそも、費用はマンション修繕積立金から融通するしかないので、可能な限り節約したいのだ。

 激安の謳い文句の前に敵うものは無い。


 他、上下水道の確保については、移動先の水道局に話を通して供給してもらうことになった。

 交渉に持参した菓子折りの俵型の小判最中が効いたらしい。菓子箱の底に増強用に敷き詰められたリアル小判がポイントだったそうだ。

 金含有量が少ない元禄小判なのがバレなかったので助かった、とは交渉担当の役員の談である。


 そうして準備は着々と進み、そして明日は出発の日。

 夫が職場から持って帰ってきた『Keep Out』と印字されているテープの束をマンション中に配布してから、春子は改めて旅行のパンフレットを開いた。


 『●□温泉一泊二日、泉質は単純弱放射能温泉(ラジウム温泉)で効能は腰痛・神経痛・打撲・捻挫から胃腸機能の改善、疲労回復から健康増進まで、美肌や若返りにも! ご希望であれば、近隣の●□川の急流を下るラフティングや、大空からの眺望を楽しむパラグライダーもオプションで手配できます! ……』


 色々と書いてある宣伝文句を軽く読み流し、概要欄に目を移すと、旅行の参考金額が見つかった。


 『一泊二日で29,800円(一人当たり・通常期)』


 ちなみに、


 ・臨時動産扱特例申請書と動産登録申請書の印紙代…800円

 ・特例物件通行許可の申請費用…3,550,000円

 ・隧道利用費用…2,836,880円

 ・重水素核融合発電機のレンタル代(1週間コース)…2,890円

 ・水道局持参菓子折り…※社外秘

 ……


 そっとパンフレットを閉じて、窓から夜空を望む春子。


 一番星が爽やかな光を放っている。


 春子に、同じく爽やかな笑顔が浮かんだ。


 ……マンションが喜んでくれるなら、それでいいや。



(続く)

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