第6話 お詣り編

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 ようやく半分といったところか。


 春子は今までのルーズリーフ御朱印帳の記録を振り返りながら、大きく息を吐いた。

 町内遍路という荒行に挑戦し始めたのが3年ほど前、以降地道に続けてはいるものの、さすがは挑戦者の9割が脱落すると言われる荒行だけあって、なかなかに手強い。


 今日の天気を確認するために、春子はテレビをつけた。


「本日は台風の影響で、午前中から●●一帯が暴風圏内に入っています」


 窓の外は静かである。

 カラスのマリアの偵察によると、現在台風の目に入っているのだ。


 北ポリネシア産の台風は目が3つあるので、台風の目に入りやすくて助かる。

 陽気で進路が踊り気味になるのが玉に傷なのだが。

 衛星写真コマ送りで見ると、シミュラクラ現象も加わって、本当に陽気に顔が踊っているように見えるらしい。

 だからといって『(^▽^)v』で衛星記念写真を撮る台風もどうかと思う。


 さて、今がチャンスだ。


 春子は御朱印帳を手に立ち上がった。

 今日のお詣り候補地は北、山側の小川の向こう側、上流地帯にある。

 1000年の昔から霊水と謡われる小川の上流だけあって、地価も上流であれば環境も上流、天候も上流、ネズミも上流、疫病神も上流、住んでいる方も上流である。


 重装備で行こう。


 春子は玄関のクローゼットを開ける。

 まず、家庭用汎用型強化装甲(ベーシックプラン月額380円・今だけアタッチメント3本セット)のアンダースーツを着込んでから外着を着て、さらに肘、膝、腰などの関節部位にプラグベルトを巻き付けた。

 

 それから、3つのアタッチメントを見比べる。


 よし、今日は犬。


 決めてスタートボタンを長押しすると、ブンッという低い音がして、しばらくして「Hello!」と音声が流れた。

 さらに小さな音量でいろいろと言って、最終的に略称INUが立ち上がる。

 ここまで約15分。

 年々遅くなってくる。修正プログラムでバージョンアップしてくれるのはありがたいが、そのたびに起動が遅くなっていくのはいただけない。

 

 とにかく、起動して「WonWon!」とじゃれつく鋼の犬を撫でて、いざ出発である。


 基本的に町内、目的地まではそう遠くはない。

 要するに、近所の川の向こう側、というだけだ。


 が、そこに住む方々は上流の環境(霊気)の中で、上流の水を飲み、上流の空気を吸い、有機栽培された上流の野菜、品種改良された上流の肉、最適な環境で育成された上流の魚介を食べている。


 つまり、並ではない――と思っているうちに、その上流地域に入ったとたんに、向こうから犬の散歩をしている老婦人が来ているのが見えた。


「あ」


 イヤな予感。


 春子は基本的に動物に好かれる。

 犬猫は元より、猿、ミニブタ、フェレット、狸、河童、ウサギ、イノシシ、カラス、鳩、ガーゴイル、雀、蜂、蝶々、竹、トンボ、セミ、鬼火、熱帯魚、金魚、レヴィアタン、鯉、鮒、メダカ等々、挙げればきりがない。

 特に、犬は春子を見ると駆け寄ってじゃれつこうとする確率が非常に高い。

 それ自体は構わないのだが、たいていは飼い主が困惑するはめになるのだ。


「わんわんわんっ」


「ど、どうしたのタマちゃん!?」


 案の定、先方の犬のテンションが上がって飼い主の老婦人が慌て始める。

 老婦人が止める間もなく、犬が春子へ突進してきた。


「Warning! Warning! Warning!」


 足下のINUから警告音が鳴り響く。

 間髪入れずにINUは春子の後ろにまわって変形開始。

 全体的に薄く長く広がり、春子の後ろから包むように、各関節のプラグベルトと結合、アンダースーツにも電気信号を送って連動させる。


 迫り来る老婦人の飼い犬。

 なお、闘牛よりも大きい。


 迎え撃つは Integrated Nonpareil Unit 装備の春子。


 ドゴォンッ!!


 響く轟音、ひび割れる道路、舞う砂塵。


 その中で、がっぷり4つに組み合う飼い犬と春子。

 力は五分と五分だ。


 さすがは上流の犬、余程上流なものを食べているのだろう。肉付きも良いし血色も良いし毛並みも良い。

 トリミングされているであろう毛並みはトリートメントされているようで、フワッフワのツヤッツヤだ。


 しかし、無邪気にこちらの顔を舐めてくるのはまあ仕方がないが、自分の頭をかみ砕けるサイズの顎が目の前にあると、さすがに可愛いとは思えないものだ。

 立派な犬歯も、ぬらぬらと唾液でテカってるし。


 あ、虫歯発見。


 べろんと舐められつつ、ついでに歯をチェックする春子。

 一本、二本と見ているうちに、老婦人が追いついてきた。


「お嬢さん、ごめんなさいねぇ。普段はこんなことないんだけれど」


 軽く息を切らせながら丁寧に頭を下げる老婦人。やや腰が曲がったところから下げていただいて、春子は恐縮した。


 それでも、春子よりも頭の位置は上なのだが。

 頭を上げた老婦人の身長は、余裕で春子の倍以上だった。

 さすがは上流である。人間も違ってくるものだ。


「もう、ダメよタマちゃん。ごめんなさいね、小型犬にしてはちょっと大きくて、元気なのよ」


 小型とは? 


 哲学的思考に遊ぶのは小脳に任せることにして、取り急ぎの問題点を解決しなければなるまい。


「あの……」


 言い掛けたそばから犬、タマちゃんに舐められて途切れる。

 が、何が言いたいかは一目瞭然だったらしい。


「タマちゃん?」


 老婦人が優雅にタマちゃんの首輪に手をかける。

 力を入れた様子もないのに、ふわっとタマちゃんが引き離された。

 首根っこをつかまれて、くぅーんと、か細く鳴くタマちゃん。

 お座り、と指示されておとなしく座り込む。


 話によると、元々息子さんの飼い犬で、出張の間預かっているらしい。


「ほら、『上流の責務』というやつね。今時は古いのかもしれないけれど」


 下手をすると自嘲気味とも取れる程に控えめに笑う老婦人に、そんなことはありませんと手を振る春子。


 息子さんの出張先は金星-地球間の国際宇宙ステーション『Kino-Tsurayukkyий』で、太陽フレアによる電波バーストやコロナ質量放出を遮断もしくは軽減してくれているという。

 おかげさまで地球では電波障害、通信障害などが起こらなくて済んでいる。

 それほどの危険な仕事を、大学初任給程度の給料で、だ。


 純粋に肉体的に上流の方々しか耐えられない仕事だから、ではあれども、それを自らの責務として高くもない報酬でも粛々とやり遂げる、その気高いあり方は尊敬と感謝に値するだろう。


 それから、危ないからと言って老婦人は春子に同行し、目的地に着いたところで去っていった。


 手を振って見送ってから、改めて目的地――お地蔵様の祠を確認する。

 大きさにして大体50センチ四方程度、観音開きの戸の中には小さなお地蔵様に小さな賽銭箱、お皿の上にお菓子のお供えもの少々と花が点してある。


 なお、燭台のLEDろうそくは点灯している。


 よし、営業中だ。


 手前にある仏具のリン棒を手に取り、リン(お椀型をした鈴の仏具)を軽く鳴らす。

 その上さらに、リンの縁をなぞるようにリン棒を回し続ける。


 りーーーぃぃぃぃぃぃいいいイイイ――


 リンの澄んだ音が伸び続けて、ある音域を越えたところで、お地蔵様からザッザザッと雑音が入り込んだ。

 マイクが市役所の係のおじさんにつながる。


「あー、はいはい、ご用件は?」


「御朱印をお願いします」


 スピーカーから「はい、ちょっと待ってよー」と、やや遠くなった印象の声が聞こえ、遅れて「はい、置いてね」と聞こえた。


 御朱印帳の白紙のルーズリーフを一枚、お供えもののように置く春子。


 入れ替わるように、お地蔵様の後ろからマジックハンドが二つ伸びて、クリップボードにルーズリーフを固定する。

 そして筆を持つマジックハンドが登場。


「そこの土地神さんの印は……っと、ほい……のほいっ……と」


 マジックハンドがするすると、滑らかに御朱印を書き上げていく。

 さすが、遠隔書道上級以上でなければなれないだけはあって、見事な遠隔筆遣いだ。

 あっという間に達筆な御朱印が出来上がった。


 受け取って満足げな春子に、おじさんは「町内遍路かい? がんばってなー」と気前よく言って、通信は終了した。


 よし、後は帰るだけ――


 と立ち上がった春子の視線の先、向こうの十字路の角で、女性が抱く赤ん坊が手を振るのが目に入った。


 その手が、全くの偶然に、電信柱に軽く触れる。


 ふわりと煙が立ち上がるように、電信柱から仄かに金色の薄い光がゆらりと発生して、一呼吸遅れて、丸まるように集まる――いや、凝集する。


 ポンっ。


 小さいカエルっぽい何かが一瞬現れ、すぅっと消える。


 反射的に、春子は御朱印帳の表紙裏『呪術通信:区役所からのお知らせ(速報版)』を開く。

 タブレット画面に毛筆の文字がリアルタイムで書かれていく。


 『●○町内土地神数:347 貴女の参拝済み:173』


 ……また増えた。


 というか、目前のカエル?神だけではなく、他にも町内のどこかで神が誕生したらしい。

 これでいったい何度目になるのか、もはや分からなかった。

 いったいいつ終わることやら。


 天を仰ぐ春子。


 さすが、荒行。


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