戦争に散る花

@motouchi

トレンチコートとジニア(一輪)

 そこは地上に最も近い地獄だった。何処から揃ってきたかも知れない掃き溜めのような補給品に、戦友の亡骸を蝕んで育った害虫とネズミ。鼓膜ごと脳を破砕する爆発の衝撃波。何処からかこちらを狙っている狙撃手共。ティータイムを楽しみながらクソ見たいな命令しか下してこない上層部、それを黙々と伝えるしかできない、私を含めた狂った上官。

 何よりまして、そこに自分の足と意思で赴いてしまった事だ。本当に国を愛していると思っていた己が、一番偽善的でバカバカしかったと毎日気付かされるのが、一番耐えがたい。

 冷たくも熱く、血と汚物と腐った肉の匂いで満ちた掃き溜め。ただ死なない為に、ただ死ぬと分かっていながらも、深くも長い穴倉に身を潜ませていた。カーキ色の重たくも暑苦しいトレンチコートで身を包んで、私達は塹壕の中にいる。

 今思えば作っていたのは要塞ではなく、僅かばかり過ごし安い墓だったような、そんな気がした。それが自分の為の物であればと今は願う。


――――


 人一人が入っても頭が外に出ない、1.5から2ヤード深さの穴を掘る。そして均一な大きさと長さを持つ枝を詰んで斜めの壁を作るのだ。片方は一直線に、もう片方は踏み台を詰んで階段状にする。

 この理想的な塹壕は本国の体験博物館に展示されていた。そこでは優雅なティータイムを楽しめて、本も読め、見張り番と交代をしながら快適に過ごせる、と上層部が語る。

「だがそうにもいかない。理想的とは、つまりオペレーションルームの卓上でしか起こりえないという事を意味だ」

 雨が降れば泥濘ができ、壁を築いたのは土で詰めた袋だった。片方は、斜めは愚か泥丸出しで凸凹、背中を当てただけで痣になる。もう片方には枝をかき集めてどうにか築いた壁があるものの、既に何十に渡る砲撃で所々崩れかけていた。

「おい静かすぎるぞアラパート二等兵。上官を無視するとは軍記が抜けてるんじゃないか 」

 何時間もの砲撃と突撃が繰り返されたその日、夜は静まり返っていた。砲撃の音が遠くで聞こえはしているがこの近くではない。

 余りの気楽さに思わず乾いた笑みを零しながら隣に座っているガキの肩を軽く叩いた。すると全身が凍ったように固まっては塹壕の壁から滑り落ちる。足場のない泥濘で地に帰るように寝転んだのだ。

「何だ、死んだならそう言えってんだ紛らわしい」

 生き物の意思を感じさせない光を失った瞳が泥に沈んでいく。闘志は既に乗っていないのにも、手だけは縋りつく様に銃を握ったままだった。絶望も希望も神経と共に削れてもう残っていない。何とも気持ちの良さそうな顔である。

 戦友なら遺体を抱いて泣きじゃくりながら感傷に浸りたい所だが、どうせ配属されてきたばかりの新兵だ。同じ祖国で生まれ、国の為に戦い出向いた、たった30を超えていない、人生で最も輝かしいはずの青春を過ごすべき若者である。

「すまん」

 同じ国の者として可哀想だが、最初の何回はともかくこう数年も立て続けて起こるような出来事に一々反応してられないんだ。言い訳ではなく、心の底から私はそう納得している。

「だから、そんな目で見てんじゃねぇよ」

 回りには他の兵士達も俯いていた。俺と同じく国の未来と呼ばれていた奴等である。こんな仕事本来なら部下にさせるべきだが、皆先程の砲撃で完全に憔悴していた。俺の中隊でもない奴すら混じっている。

 それもそのはず、前の隊員の半分以上が死んで補充された増員だ。こんな激戦が初陣など、上の連中の気が知れない。そんなの引っ張る側も負担になるに決まっている。今も俺の中隊は文字通り壊滅状態だ。訓練所から知った部下200いたのが80も残っていない。

「増援に来た貴様等が悪いんだからな。貴様みたいな役立たずが増援に来なかったら戦争が終わるのに。だからイギリスで大人しくしていれば死ななかったのに」

 銃と銃弾、何よりも認識票を回収して死体を塹壕の上に運ぶ。自分でも何処にあるのか分からない程に遠くへ投げ飛ばせれば良いのだが、そんな腕力はない。何よりも、俺まで塹壕の上に頭を出して一緒に死ぬのだけは嫌だ。故郷に五体満足で戻りたいんだ俺は。

(まぁ、こいつもそうだっただろうけど)

「やっぱ死んじゃったか」

 どうにか転がしていると後ろから両手が伸びてきて、死体の下半身を押してくれた。転がっていく死体を確認する事なく、蹲るようにして壁に背中を当てる。

「やけに愛国心に満ちてたからな。ここに来てからはずっと陰鬱になっていた。それに」

 来てから二日当たりから良く咳をしていた。馴染みの流行り病だろう。このソンムの塹壕に来る前、フランス軍達のいる塹壕はかなりそれでやられたと聞く。我が軍はマシな方だが、それでも酷ければ新兵の3割り以上が銃ではなく病気で死骸となっていくのを見てきた。

「認識票、袋に集めて置けってよ」

「知ってる。まあ回収できた分は回収しなくちゃな」

 短いブロンドの髪を完全に泥と塵で染めた男は、同じ村出身の幼馴染デールだった。階級章を横目で見やると幸い俺と同じ少尉である。功績でも取られて昇級していたらと焦った。

「夜食でも食べるか?」

「中隊長自ら逸脱か? 示しが付かないだろ。上層部のお偉方から学べってんだ」

「何を学ぶべきだ?」

「馬跳びしながら何の役にも経たない作戦を練るのに勤しむんだよ。参謀将校の鏡だろ?」

 奴は軍装から四角いビスケットを持ち出す。銃床でどうにかその煉瓦並みの食べ物を細かく叩き割った。水でも沸かして浸したい所だが、できない事を嘆いても狂ってしまうだけだ。

「この冷たい茶に浸すのが精一杯か」

 俺はデールのビスケットを取って自分の茶に入れる。少し待てばある程度柔らかくなるのだ。冷たくも不味いという事実は変わらないが歯が欠けるよりはマシだろう。

「さり気なく他人の食料を取るな」

「以前俺のを取ったじゃないか」

「それはそれ以前お前が私の物を取ったからだろうが」

「こんなゴミ取ったくらいで怒るなよ」

「何故私のゴミを取るんだ己は」

「俺が特別に捨ててやってるんだから遠慮するな」

「お前それは!」

 ベルトのポーチから缶詰を取り出すと奴が嬉しそうに笑った。塩漬けにしたクソの塊、通称コーンビーフの缶詰である。一様塩の中に一部の肉味がついている美味しいカスだ。戦場に出てから一番好きになった食べ物である。

 一日前に火にくべて中身はちゃんと調理されているはずだ。恐らく、多分、大丈夫そうに見えなくもないし、食べても直ぐに死ぬ事もないと思われる。

「何だよ。さっさと渡せ」

「それより大隊長から何か命令はあったか?」

「一つ、オペレーションルームから至急な命令が下された」

「もしかして明日の作戦に変更でも?」

 缶詰の肉を水でふやかしたビスケットと共に口に運んでいたデールが一瞬にして目を鋭くさせた。至急な命令だってのに呑気に伝達事項よりも食事を優先視させている。

「いや、実は今日の砲撃に、上層部からの伝令があってな」

「待て、今日?」

「ああ今日だ」

「今午後11時を過ぎだぞ?」

「だから、先程行われた交戦に関して上層部の対策が先程降りてきたんだよ」

 ふざけた話だった。最前線で様相を報告すれば、いつかはその対策が降りてくる。問題は命令が帰ってくるのが遅すぎるという事だ。状況終了後になってようやく対策が練られる事態がたたある。

 それも将校共の顔色でようやく気付けたくらいだ。実際にはかなりの数起こっているのだろう。

「ぷふっ。ははっは。面白い。面白いジョークだ」

「くすッ。クスクス。全くだ。状況終了後になって命令が下りてくる度に笑っちまう」

 互いの顔を見つめて、ふざけた話に思わず笑いが込みあがってきた。最初は乾いていたそれが、次第に声を抑えた大笑いへと変わっていく。

 面白くもなんともない。ここが戦場でないなら笑っているはずがない。できれば後方のオペレーションルームの周辺に地雷を埋めて置きたい心情だ。けれど、仕方ないではないか。自分の意思に逆らって込みあがってくる笑いは、もう仕方ないではないか。

「それで? そもそも何故ここに?」

 出合ったからこそ親しく会話をしているが、同じ中隊とは言え待機位置には少しの距離があった。就寝すべき時間に勝手に動くのは、それが小隊を引っ張るべき少尉だというのは感心しない。

「周囲に配属されたと今更知ってな」

「そういえば同じ地域出身を押し込む事がトレンドらしいな」

「死ぬ時は私達皆一緒に死ねる様に、仲間同士絆を感じれるように、そういう配慮かもな」

「そりゃ良い。戦争が終わったら俺達の街には男が爺しか残らないな。国を傾かせるには最高の作戦だ」

「って事は生きて戻れた私達は沢山の女性に囲まれる、正しく両手では抱えきれない花畑が広がる訳だ」

 この場所から私達の街に帰るんだ。そこで腰のラインが美しく、パーマの似合う素敵な女性と廻り合う。花束と手紙を送り、一緒に美味しいランチとティータイムを楽しめればなお良し。そうやって楽しい時間を一杯にして、聖堂にて式を開く。友達は余り残っていないだろうが、目の前のデールは来てくれるはずだ。

「なーんてな。金もないのに無理か」

「ありえるさ。生きてさえいればな俺達はあの海を超えてイギリスに戻れる。きっとな。このフランスとは永遠におさらばだ」

「永遠に? 俺が聞く限りこっちの食事は中々らしいぞ?」

「悩みどころだな」

 命がけで守ってやったんだから責めて食事と酒とタバコとチーズくらいは無料にして貰いたいものだ。或いは三日で穴の空いてしまう靴下をどうにかして欲しい。どうにかしないと俺とデールもその内雨が来て足が腐り始めそうな物である。

「何か、あったか? 別に敵軍の死体を食べている訳でもないんだぞ」

 顎だけは動かし続けているが、デールの顔は余り浮かばなかった。何かを悩んでいるような、思い老けている様な顔色である。

「いや、妹から手紙が来てな」

「ノエル、元気にしてるか? 確か洋服店で」

「戦場に来たってさ」

 物静かな夜の空気が、もう一度静まり変えるようだった。まだ17の女の子が何のつもりで戦場に来たというのか。

「洗濯要員とかだったかな。幸い前線には絶対に来ないらしい。絶対にな」

「そうか。そもそも募集もしていないが、衛生兵とかじゃないのは幸いだな。こんな惨状見せられない」

「当然だろ! あんな腕っぷしもない奴に人間を担げさせられるか!」

「おい」

 奴は肩を叩かれてようやく高くなった声を抑えて息を整える。足場の上で両膝を抱えていた上等兵が目を醒めたが、俺達を見ると何も言わずに目を瞑った。

「まぁノエルの事は良いさ。明日の作戦は上でも力を入れている。私達は旗を立てるだけだ」

「そうだな。もう六月も終わりだ。半年が過ぎた訳だからな。クリスマスまでには終わって欲しいよ」

「クリスマスかー」

「すまん。思い出させちまった」

 目を瞑ると幸せな夢を見れる。たまに外れくじを引いてしまって悪夢も見るが、基本は幸せな夢だ。暖かいスープと紅茶そして焼きたての食パン。豊かな香が嗅覚を刺激して、私はバターを塗った食パンを一口で全て喰ってしまう。それでもテーブルの上に暖かな食事が残っているのだ。

「寝よう。テメェーも持ち場に帰れよ」

「まだ交代まで時間はあるさ」

 塹壕の中で壁に背中を預け、銃を握りしめたまま瞼を閉じる。本当なら地面に寝転がって寝たい所だが、いつまた砲撃が始まるか分からない。警戒もしなくてはいけないのだ。

「戦争。戦争……戦争、戦争」

 無意識的にその単語を口にする。何故なのかは自分でも分からない。が、忌々しい言葉は何度も頭の中を巡って、どうしようもない苛立ちを覚えさせる。それを辞めると疲れた身体が数秒で俺を寝かせてくれた。


 目を閉じて暗い世界が真っ黒になった瞬間に意識が途絶える。この時だけは現実で感じる全ての感覚が遮断された。

 火薬のと泥と兵士達の肉が腐る酷い匂いに鼻が曲る事もない。向こうから見える爆発の閃光と戦場に漂う灰の霧に目を細めなくても良いのだ。不味い軍備品で舌を拷問せずに済む。破れそうに痛む鼓膜で顔を歪ませられる爆発音から解放されるのもまた幸せの一要因だ。

 それに何より、何よりもまして、銃の引き金を引かなくて済む。

 気付けば懐かしき故郷に戻っていた。夢だとは気付いている。けど無意識的に私は気が付かぬふりを貫いていた。一秒でも長く浸って居たい、そんな夢である。

私はイギリスのリンカーンシャーに位置するスカントソープの出身だ。鉄鋼産業が発展している街だが、それでも森は美しく丘と広がる草原に寝転ぶと気持ちが良い。

父が鉄道工場で一生懸命働くというのに、息子である私が鉄道は愚か海を渡ってしまうとは妙な運命であろう。

 父は重労働で鍛えた、私よりも太い腕をしていて、声が一々大きくて困っていた。母はそんなオッサンを愛していて、また似てきたのか一々声が大きい。そんな一々うるさくて、懲りようない家だった。

「私は国の為、世界の為に戦いたいんだ! 何故親がそれを理解してくれないんだよ!」

「戦争では人が死ぬ。お前も死ぬかも知れないんだぞ。ヨーロッパ全域が今ギシギシとした音を鳴らせている」

「人々の為なら本望だ。それに最前線でも我が軍には余裕があると言っていた。何より世界の敵が向こうにあるなら、それを倒す為に死ぬなんて名誉ある事じゃないか。栄光ある事じゃないか!」

「栄誉など知った事か! 貴様は大人しく嫁でも貰って 言う事を聞いていろ!」

 不思議と父は分からず屋で、そんでもって正し過ぎた。人は、大人だろうが子供だろうが、いつだって自分の意見と異なる正論に対して強い反発心を抱く。私には戦場で得られるという栄光と名誉が輝かしく見えていた。まるで騎士王が敵を蹴散らすような、そんな物語が自分の中にもあると信じ込んで、いや信じたかったのだろう。

「こんな家出てやる。私は戦場に行くんだ」

 「待てニコラスまだ話は終わっていない! 待ってくれ!」

父の言葉も母の言葉も弟の言葉も全て無視してきた。国はいつだって戦場に名誉を語り、希望的でない戦争を見せた事がない。不名誉で残虐なのは敵軍だけだったのである。

 なのに、三人はどうして国からあんなにも美化されていた戦場の真実を知っていたのだろうか。この場所に私が求めていた物なんてないという事実を。

 「兄さん!」

 「悪いが家は任せる。手紙は忘れないからな」

 どうせ数年後には徴兵されていただろうが、そのたったの数年でも弟と工場で勤めれば良かった。父ともう少し何かを話せられたら良かった。母にもう少し子供として良き行いをすべきだった。

 手紙は、最初の数ヵ月以降書くのを辞めた。どうせ本当の事を書いても軍の方で検閲される。ちゃんと人の扱いを受けているという内容以外は何一つ書けない。母からの返答が届く度に、「読書は欠かさないように」、「前線でもティータイムを持つのは忘れないように」等という内容を見ると、いっその事敵軍の陣地へ突撃したくなる。

 我々に、この塹壕に入った瞬間から一切の国に対する愛国心はいなくなった。将校としても、兵士としても、人間としても。

 それでも逃げる事はできない。この戦場を離れるのは私にはできないんだ。

 弟が徴兵されて後方で勤めている。もし私が逃げたら、もしここを守る事を放棄すれば弟が危険に晒され兼ねない。家族は逃亡者の親として誹りを受けるだろう。

 何があっても生き抜くしかないんだ。ここで、この場所で生き抜くしかないんだ。


 部下からの声で目を醒めた時はあれから三時間後だった。随分とぐっすり眠っていたらしい。

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