4-2

 一時間ほどかけて施設を案内してもらい、礼を言って別れた後はすることもなく、良い天気なのでちょっと寒いが休憩室の外にあるベンチで貴志はコーヒーを飲んでいた。

 すると小柄な女の子が重そうな段ボール箱を抱えてよっこらしょと歩いてくる。箱も大きくて顔が隠れるくらいだから、斜め前方を見ながら歩いているようで『危ないな』、そう思った瞬間、案の定つまずいて派手にこけた。当然持っていたダンボールからは、書籍やバインダー、レジャーシート、ペン立てなど雑貨物がバサッと飛び出した。

 貴志はコーヒーの入った紙コップをベンチに置いて駆け寄り、「大丈夫ですか」と声をかけた。

 すると彼女はビクッと硬直してゆっくりと貴志を見上げた。

 いや、かわいい。色白でお目々ぱっちりの秋田美人、いや北海道美人であった。

「手伝いますよ」

 貴志は彼女の手を引いて立ち上がらせると、飛び出した荷物を箱に戻し、そのまま段ボールを彼女の代わりに持ち上げた。

「あ、あの、あなたは?」

「東京から来た木ノ下坂です。一週間こちらでお世話になります」

「あの……」

 彼女は恥ずかしそうに、なんて言えばいいか分からなくて困ったような顔をした。

「どちらに運べばいいですか」

 貴志は彼女に言われるまま休憩室奥の倉庫へ段ボール箱を放り込んだ。

「あ、ありがとうございます」

 彼女は微かな声で礼を言うと貴志に頭をさげて、そのまま元来た道を駆け戻っていった。

 やっぱり派手にこけたところを人に見られて恥ずかしかったに違いない。そう思ってベンチに戻り、冷めたコーヒーを飲んでいるところに岡田達が戻ってきた。打ち合わせも終わったので南原は林とともに東京に戻るという。

 輸送船の到着は今日の夜七時ぐらいになるそうで、つまり本格的な仕事は明日からということになる。で、今日は特にこれといった仕事もないだろうと思っていたら、岡田は他にすることがあるらしく、貴志にも手伝わせるつもりらしい。貴志が連れてこられたのは分室事務棟の大部屋の隣にある来客用事務室であった。

 職員は約二十名いるらしく、岡田の話では大部屋が静かなのは、今、みんな現場でゴマラザウルスのしっぽの解体作業をやっているからだそうだ。

「じゃあ、この書類をどんどん作成してちょうだい」

 どんな書類かと思えば役所に出す特殊生物解剖・解体の手続書類であった。法律上、この書類は避けて通ることが出来ないらしい。

 元々貴志はこういう仕事はあまり好きではないが、助手という名目で来たのだからしょうがないと諦めた。

 慣れない書類相手に悪戦苦闘していると、この時期は日が落ちるのも早くて辺りが真っ暗となり、テントンタントーンとスピーカーからチャイムが鳴った。

 それと同時に山崎班長が部屋に入ってきた。

「じゃあ岡田さん、いつものとこで待ってるから」

 そう言うとさっと部屋から出て行った。

「岡田さん、何のことですか?」

「さぁ、これから飲むわよ」

「歓迎会ですか?」

「まあ、山崎さんのお宅で飲むだけだけど」

「ちなみに僕はどうやって帰ればいいんですか?」

「何言ってんの、あなたも一緒に来て飲むのよ、主賓なんだから」

 へーそうなんだ、ということで貴志は帰り支度を始めた。事務室からは人がぞろぞろと皆帰っていくのが見える。

「みんな帰るのが早いですね」

「そうね、分室では残業する人がほとんどいないわよ」

 二人で分室の駐車場に行くと山崎班長が車の窓を開け、手を振って合図した。

 貴志と岡田が後席に乗り込んだが、まだ出発する気配がない。しばらく待っていると女の子が走ってきて助手席に乗り込んだ。

「美咲ちゃん、久しぶりね」

 岡田が声を掛けると彼女は後ろを向いて、そのとき貴志に気が付いた。

「あら!」

「さっきはどうも」

 貴志が軽く会釈すると、向こうも

「先ほどはありがとうございました」

 と言いながら恥ずかしそうにお辞儀した。

「あら何、あなた達、もう知り合いなの?」

「休憩室の前で荷物を持ってあげただけですけど」

「貴志君よ、こいつはうちの娘だ。俺の許可なく娘はやらんぞ」

「いやそんなんじゃないですって」

 まあ山崎班長も冗談で言ってるのは分かる。


 さて、車で走ること二十分ちょい。

 着いたのは厚岸町にある山崎班長の自宅である。広い庭付きの立派な家であった。

「さあ入った。入った」

「それじゃ、お邪魔します」

 居間に通されてさっそくコタツにあたる。

 この時期はやはり暖房が無いと厳しいと思う。やはりコタツは最高、日本バンザイ、と貴志がはしゃいでいると、山崎が日本酒を持ってきて岡田のおちょこに注いだ。

 飲み会では岡田はいつもビールばかりで、日本酒を飲んでいる姿は見たことがない。

 日本酒もいけるんだなと貴志が感心していると、美咲が貴志のコップにビールを注いだ。

 乾杯を済ませて美咲が台所に立ったので、貴志も手伝おうとすると、お客さんは座っていてくださいという。それでも手伝うと無理に申し出て美咲が寄せ鍋の準備をする間、貴志は刺身を切り始めた。

「木ノ下坂さん、結構料理できるのね」

 ちょっと驚いた様子である。

「貴志でいいですよ。東京ではアパート住まいなんですが、料理は妹と交代でやってますから」

 二人が料理をしている間、岡田と山崎はスルメをつまみながらおちょこを煽っている。

「岡田さんはよく来るんですか?」

「そうね、出張のたびに家に来るのよ。私が小学生の時からだから、もう十年以上前から来るたんびに飲み比べをしているみたい」

 そう言って美咲はふっと笑った。

 彼女のニコッとした顔がこれまたかわいい。

「ところで美咲さんのお母さんはどうされたんですか。聞いてもよかったのかな?」

「お母さんは釧路の高校で教師をしているんだけど、ここから通勤すると時間がかかり過ぎるので、向こうでアパートを借りて暮らしてるんですよ。でも週末はちゃんと帰ってきますけど」

 奥さんが単身赴任のパターンもあるんだなと感心した。

「さあ食べましょう」

 美咲と貴志がテーブルへ刺身と煮立った鍋を置いてテーブルが一気に賑わった。

 なるほど、岡田さんが北海道分室への出張に行きたがるわけだ、と貴志は妙に納得した。

 食事をしながら美咲が高校で友人とトラブって一時不登校になったことや、熱心な担任教師のおかげでなんとかこの春卒業して、父の紹介で分室の臨時事務員になったことなどを聞いた。

 暖房とお酒で体が暑くなったので、美咲と貴志は隣の書斎に移動した。熱くなった体を冷ますには、この部屋の室温が気持ちいい。書斎と言ってもここの家にドアというものは無く、全部障子か襖である。

「それにしても古風で立派な家ですね」

 と貴志が褒めると、

「そんな、ただ寒いだけよ。私、どちらかと言うと洋風の家に憧れるわ」

「僕は東京のアパートの和洋折衷型よりもこちらの純和風の家屋に憧れるけど」

「まあ隣の芝生は青く見えるというやつかもね」

 そう言って美咲がまたにっこり笑った。

 美咲は事務員として採用されたが、父親の仕事に興味が出たようで、そのうち大学で生物学の勉強をしてみたい希望があるようだ。

 それで東京に行ってみたい希望もあってか、貴志の話をいろいろ聞きたがった。貴志としては正直に、思っている感想を話すまでである。

 それにしても隣の部屋から泣いているような声が聞こえるのが気にかかる。

「美咲さん、山崎さんの泣いている声が……」

「泣き上戸なの。気にしないで」

 とそっけなく無視された。

 そのうち隣の部屋からガタンと何か倒れるような音が聞こえたので、慌てて隣の部屋の様子を見ると山崎が仰向けに倒れて寝ている。

「今日は岡田さんの勝ちね」

「勝ちって何ですか」

 どうも二人はいつも飲み比べをしているらしい。

「私の知る限り父は八勝十敗で岡田さんが一歩リードしてるみたいね」

「すごいな、岡田さん!」 

 そういえば昔、岡田が飲み会の席で大失敗をして、それからは日本酒は控えてビールで自重していると植村班長から聞いたことを貴志は思い出した。

「あんた達~、なにしてんのぉ。早くこっちに来て飲みましょうよ~。なんかこの部屋暑いわね」

 そう言って岡田は上着を脱ぎ始めた。

 貴志はあっけにとられてぽかんと見ている。

「まあ、また岡田さんの悪い癖が……」

 焦ってる貴志に比べて彼女は見慣れたものである。

 岡田がブラジャー姿になるとそのままおちょこに日本酒をついで飲み出した、と思ったら突然コタツに突っ伏して寝始めた。

「岡田さん、いつもこんな感じですか?」

「まあ、いつもではないんだけど、大抵は飲むとこんな調子ね」

 美咲が悪戯っぽく笑う。

 時計を見ると、すでに十時を回っている。

 彼女はストーブの火を弱めて岡田の上に毛布をかけた。

「このまま少し寝かせて、あと三十分くらいしたら岡田さんと一緒に旅館に帰るといいわ」

 なんだかんだで貴志は美咲の子供時代のアルバムを一緒に見ながら、おせんべいをボリボリ食べている。

 夜十一時近くになって貴志は山崎に体を揺すられた。いつのまにか貴志も寝てしまったようである。でも岡田は一向に起きない。

 岡田はそのまま山崎家に泊まって、貴志だけ旅館に行くことにした。

 貴志は旅館の場所を知らないので美咲が一緒に案内をしてくれるという。

 旅館は山崎家から歩いて三分の近距離にあった。

「じゃあ、明朝八時に旅館に迎えに行きます」

 美咲はそう言うと帰っていった。

 翌朝は予定通り山崎班長が車で迎えに来てくれて、助手席の美咲が手を振っている。

 後席には岡田が普段通りのしゃきっとした顔で乗っていた。きっと昨日の記憶は無いのだろう。


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