第3話 命名


 盗賊のアジトを制圧したオレ――とついでに二人の少女。

 新しく配下となった二人が恭しく跪く姿は実に気分がいい。今ここから魔王の物語が始まる!

 しかし、残念なことに少女たちは薄汚れている。ボロ布を被っているので体は見えないが、体臭が酷すぎる。不衛生な牢屋に囚われていたこともあり、汚物の臭いもするのだ。

 一体何日風呂に入っていないのだ? 体を拭いてすらいないに違いない。このままだと病気になるかもしれないではないか。

 魔王の配下が不潔……実に格好が悪い! 言語道断だ! 主であるオレまで威厳がなくなるだろうが! 魔王の配下ならば一定の身だしなみは必要である!

 この世界だと3日間体を拭かないくらいは普通だという。だが魔王軍の配下たちには、毎日風呂に入れとは言わんが、水浴びや体を拭くくらいはするよう厳命しようと思う。

 勇者を出迎える時に臭うのはなぁ……。格好がつかんだろう。

 世間が何と言おうと、オレが常識であり法だ。オレの衛生管理の基準は清潔な前世の世界のものなのだ。


「ふむ。風呂かぁ……確か盗賊の頭領が風呂を占有していなかったか?」


 アジトの見取り図や生活していた記憶が断片的に残っている。それによると風呂に相当する部屋は盗賊の頭のプライベートルームだった。錬金術師だったオレは興味を持っていなかったのだが、盗賊の頭はそこで捕らえた女性たちを綺麗にしたり、風呂の中でハッスルしていたようだ。

 そう言えば、頭領は部下たちと違って臭くもなく、身綺麗だったな。

 風呂の場所は覚えている。ありがたく使わせてもらおう。


「娘たちよ! ついて来い!」

「「イエス、ボス!」」


 ボ、ボス? 返事をするなら『はい、魔王様!』とか、せめて『イエス、マイロード!』がいいんだが……まあいい。それは追々訂正させていこう。まずは身だしなみを整えなければ。

 正直、鼻が曲がりそうなのだ。前世の記憶が蘇ったオレには耐えられない臭いである。


「……む? この匂いは」


 風呂に近づくにつれて漂ってくる嫌な臭い。少女たちの体臭とは別のもの。クサいのだが、前世で嗅ぎ慣れた匂いだ。卵が腐った匂いと表現すればいいだろう。

 期待で胸を膨らませてオレは風呂の扉を勢いよく開け放つ。そして、確信に至って盛大にガッツポーズ。


「よっし! 温泉だ! しかも露天風呂!」


 ちゃんと石畳や湯舟、排水口などが綺麗に整備された源泉かけ流し露天風呂。

 何ということだ。この世界にも温泉があったのか! 前世の記憶を思い出したその日に温泉に入ることができるなんて、何たる幸運! これは世界が魔王たるオレを祝福しているに違いない!


「「…………」」


 少女たちがボロ布の奥から爛々と輝く瞳で真っ直ぐにオレを見つめてくる。

 おっと。オレ一人じゃなかったな。少女二人を従えているんだった。魔王っぽくない言動は慎むべき。


「娘たちよ、今すぐその汚れたボロ布を脱げ」

「「イエス、ボス!」


 前世じゃ一発でセクハラもしくは犯罪の発言に、少女たちは何の躊躇いもなく従う。ボロ布を破るように勢いよく脱ぎ捨てた。


「なぁっ!? は、裸だと!?」


 彼女たちは下着も何も身に着けていなかったらしい。垢や泥や埃まみれのガリガリに痩せた幼女の裸体が露わになる。

 外見年齢は6歳前後。二人は双子かと思うくらい顔立ちがそっくりだった。しかし、髪と目と肌の色が違う。薄桃色の髪に紫紺の瞳の大人しそうな少女と、少し気が強そうな紅髪灼眼の褐色肌の少女。

 ロリコン! 犯罪者! という叫び声が聞こえてきそうで思わず視線を逸らした先に、ふとある物体が目についた。それは固形の石鹸だった。

 盗賊の頭は石鹸まで使用していたのか。この世界では高級品だぞ。おそらくどこかの商隊を襲って手に入れた強奪品の一つだろう。


「これを使って体を洗うのだ! 体を綺麗にしろ!」

「体を……?」

「洗う……?」


 意味が分からない、と言わんばかりに首をかしげる少女たち。

 もしや彼女たちの中には体を洗うという概念が存在しないのだろうか?

 あり得る。奴隷同然の仕打ちを受けてきたのなら、入浴も初めての可能性がある。一般人でも入浴は珍しい行為なのだ。

 えぇい! 仕方がない! オレが体の隅々まで洗ってやろう! これも衛生のためだ!



 ■■■



「あ゛ぁ~……癒される……!」


 心地よいお湯。ムシムシした蒸気。腐った卵の温泉の匂い。そして、左右に抱いた裸の幼女――事案である!

 ここは前世とは違う世界。幼女の体を洗っても、混浴しても、法律に何一つ違反しない。が、やはり前世の倫理観が邪魔をする。

 殺人は気にしなくても幼女とのお風呂は気にするのか、オレ……。

 本音を言うなら、幼女じゃなくてボインボインな美女を侍らせたかったところである。

 酒池肉林……魔王っぽくて憧れる。いずれはボインボインな美女と風呂を共にしたいものだ。


「しかし、魔王であるオレに体を洗わせるとは、なんという配下なのだ……」

「「???」」

「あ、いや。気にするな。独り言だ」


 オレの膝の上に座ってピトッとくっついてくる幼女たちを抱きしめるように支える。

 これはもう魔王と配下というよりは、父親と娘だな。

 少女たちの体を洗うのは、慣れないながらも何とか出来た。しかしその後、オレは気づいてしまったのだ。自分の体も臭くて汚れている、と!

 そりゃそうだろう。頭を殴られて血で汚れ、不衛生な地下の牢屋に打ち捨てられたのだ。錬金術師だったころのオレは毎日体を拭いていたわけでもない。汚れているのは当然だ。

 ということで、開き直ったオレは体を洗って入浴することにしたのだ。で、離れるのを嫌がった幼女二人と混浴することになり――現在に至る。

 体を洗った際に分かったことだが、水に反射した自分の顔は渋くて強面の顔立ちだった。髪は深淵の如き黒色。瞳は全てを見通す黄金。年齢は40代ほどの中年だろう。実に魔王らしい格好良い悪人顔だ。気に入ったぞ!

 ちなみに今世のオレの主砲は、ビッグマグナムどころかドラゴン級であった。こちらも魔王に相応しい雄々しさである。


「娘たちよ。少し離れないか?」

「「…………」」


『え? ダメなの?』と言いたそうに悲しげな眼差しを向けてくる。

 ぐぅ! 魔王に罪悪感を抱かせるとは、やるな。大きく成長したら魔王の配下に相応しき魔性の女になることだろう。将来有望だ。


「……今日だけだぞ」

「「…………」」


 コクリと頷く薄桃髪の少女と紅髪の少女。無表情に変化はないが、彼女たちの瞳はどこか嬉しそうに見えた。

 じんわりと体に染み込むお湯の温かさに癒される。


「そう言えば、おぬしたちの名は?」

「……アカかクロ」

「モモ、もしくはシロです」

「髪や肌の色か……」


 それは名前と言えるのだろうか? いや、絶対に違うだろう。顔立ちがそっくりな二人を識別しやすいよう外見の特徴で呼んでいただけだ。

 そのまま呼ぶのは彼女たちを虐げているようで気分が良くないな。


「ふむ。せっかくオレの配下になったのだ。名を授けてやろう!」

「「っ!?」」


 パッと振り返る少女たち。無表情のまま驚きで目を見開いている。

 なにか変なことを言っただろうか? この世界では、名付けに特別な意味は無いんだが……。

 まあいい。彼女たちは一番初めの配下だ。最古参として嫌でも注目を集めることになるだろう。格好良く、世界に轟く美しい名をつけてあげねば!

 オレは気の強そうな紅髪の少女に視線を向ける。すると、パッと名が頭に思い浮かんだ。


「エリザベート。愛称はエリザ。今日からはエリザベートと名乗るがいい」

「……エリザベート。エリザ」


 キラキラと輝く灼眼。どうやら気に入ってくれたらしい。

 次は大人しそうな薄桃髪の少女の番だ。こちらもスッと名前が浮かぶ。


「リリスエル。愛称はリリス。どうだ? 気に入ったか?」

「リリスエル……リリス……」


 紫紺の瞳を瞬かせ、コクコクと何度も頷く少女――リリス。

 エリザとリリス。自分で言うのもなんだが、いい名前じゃないか!


「……ワタシ、エリザベート」

「私はリリスエル」

「……エリザ」

「リリス」


 彼女たちは自分自身に刻み付けるように、小さく口ずさんでは唇をムニムニと動かす。

 もしかしてそれは表情筋が動かない彼女たちなりの笑顔か!? 無意識に口元がにやけているのか!?

 どうやら嬉しいという感情はあるみたいだな。年相応で可愛いじゃないか。

 少しホッとしていると、エリザとリリスはお互いに向き合い、小さな人差し指で相手を指さす。


「……リリスエル。リリス」

「あなたはエリザベート。エリザですね」

「「んっ!」」


 自分の名前でなく相手の名前も把握し合ったようだ。それは何より。そして、今度は二人の眼差しが同時にオレに向く。


「「ボスの名前は?」」

「んあ? オレか? オレの名前は……」


 ん? オレの名前はなんだろう?

 時間が経つにつれて二つの記憶が混ざって違和感がなくなってきたが、オレは前世の名前も今世の名前もどうやっても思い出せないのだ。全く覚えていない。

 瀕死の状態で発動した人体錬成によって記憶が欠落し、どちらも忘れてしまったらしい。

 こうなったら思い出すよりも新たに名前を付けたほうが早い。

 どんな名前にしようか。格好良くて、全世界の人々が恐れおののき、畏怖する名前でなければならない。

 何か参考にならないか……?

 そう言えば、前世には魔王の代名詞となるとても有名な悪魔がいたな。あれは確か――


「――ルシファー」

「「ん? ルシファ?」」


 キョトンと首を傾げたエリザとリリスが、何やら確信したようにビシッとオレに小さな指を突き付ける。


「「ルシファ!」」

「え?」

「……ルシファ……ボスはルシファ……格好いい」

「ボスの名前はルシファ……ボスの名前はルシファなのですね!」


 む? もしかしてオレの名前が決まってしまったのか?

 この嬉しそうな二人の表情を見ていると、今さら改名はできなさそうだ。

『ルシファー』から伸ばし棒を取った『ルシファ』。安直だが、まぁまぁ格好いい名前だろう。厨二心がくすぐられる。


「今日からオレの名はルシファだ! いずれ魔王ルシファと呼ばれる男である!」


 景気づけにお湯を操って間欠泉のように盛大に噴き上げさせ、大量の温かい雨を降らせる。するとエリザとリリスは喜んだらしい。感動と称賛と期待の眼差しで見つめてきて、幼女たちの無言のおねだりに屈したオレは、ご要望通り何度か温泉の噴水を作り上げるのだった。





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