おすそ分けをどうぞ③

 隊長は、空に浮かぶベルゼウスの幻影を睨みつけ、スラリと刀を抜いた。

「あれが魔王……ベルゼウス!!」

「やめろ! お前たちが束になっても、到底敵う相手じゃない!」

「やめて! ベルゼウスさんに何をするの!?」


 ミルルのたったひと言に隊長はピクリと反応を見せて、矛先を俺たちに変えた。

「ベルゼウス……?」


 マズい、俺たちをベルゼウスの手下だと思っている。

 確かに世話になっている近所だが、それは孫娘ミルルに注がれた愛情以外の何物でもない。ベルゼウス自身も俺たちを手下だとは思っていない。

 ただ、今それを伝えても、こちらの立場が有利になることはない。魔王と付き合いがある黒魔女と、黒魔術世界の人間とされて、益々不利になるのは明確だ。


 俺は屈んで、ミルルの両肩にそっと手を置く。

 小さな身体いっぱいに不安を抱えるミルルを、小声でなだめた。

「ミルル、あまり喋らないほうがいい。この人たちは、ベルゼウスを好ましく思っていないんだ」

「でも、アックス……この人、剣を持ってるわ」

「ベルゼウスは魔王だぞ? こいつより強いのは間違いない」


 ハッと気づくと、隊長が俺の鼻っ柱に切っ先を突きつけた。ミルルは怯えて、俺にハシッとしがみついている。

「何をコソコソしている? 貴様ら、ベルゼウス配下の者か?」

「丁寧な言葉遣いをしつけていたんだ、だから魔王にまで“さん”を付けて呼んだんだよ。なぁ、ミルル?」


 こんな苦しい言い訳では、隊長の眉間に刻まれた深い皺は伸びてくれない。

 何故、こんなときに現れたんだ、ベルゼウス。

 チラリと横目で幻影を見ると、その理由に察しがついて、俺は息が止まる思いがした。

 ベルゼウスの視線は俺たちではなく、彼のすぐ下に向けられていた。


『貴様が勇者ブレイドか。よくぞ、ここまで辿り着いた。さぁ、我が城に入るがよい』


 その言葉に、騎兵隊も職人も歓声を上げていたが、俺は不安を募らせるばかりだ。

 ついに、このときが来てしまったか……。ブレイド、どうか思い直していてくれ。


 何が起きたか解していないミルルは、ポカンと見開いた目でキョロキョロと様子を覗っている。

「ブレイドさんたちも、お招きされたの?」


 レスリーが放った言葉が頭をよぎり、俺は葛藤の渦に飲み込まれた。

『知らないままの方がいい、そういうことだってあるだろう』

 本当に、それでいいのか?

 今、真実を知ることがミルルの幸せなのか?

 所在がわかっている、唯一の肉親だぞ?

 これからブレイドが何をするか、わかった上で教えるのか?


 しかし、騎兵隊の期待によって、俺は渦中から引き上げられて、ミルルが入れ替わりに突き落とされるのだ。

「勇者が魔王を倒すんだ! これで世界に平和がもたらされるぞ!」


 ミルルは、心臓を貫かれたようにビクッ! と四肢を伸ばした。

 ベルゼウスが倒される……?

 ランドハーバーのときのように……?


「ねぇ、アックス! どうしてベルゼウスさんは倒されちゃうの!? ねぇ、どうして!?」

 縋りつくミルルの小さな肩を、俺はやるせない気持ちを込めて掴んだ。

「ミルル、今はブレイドを信じるんだ。倒すだけが平和をもたらすわけじゃない」


 俺とミルルが交わした視線は、冷たい剣の輝きに遮られた。

「魔王が倒されればモンスターの森も、お前たちも終わりだな」


 そのとき、湖水が手となり腕となり、騎兵隊をなぎ払い、隊長を軽々と掴み上げた。これに馬は動揺し、脚を蹴り上げ駆け回る。おののいた職人たちは馬に追われて、散り散りに去ってしまった。


 ミルルの魔法だ、明らかに怒っている。

 地面を睨んだミルルは箒に跨り、ベルゼウスの城へと一目散に飛んでいった。


「ミルル! ひとりじゃ危ない! やめるんだ! 戻って来てくれ!!」


 あっという間にミルルの姿は見えなくなった。俺の声は、もう届かない。

 同時に、湖水の腕は弾けるように水に戻った。馬を失った騎兵隊は地面に身体を打ちつけ、隊長は尻もちをついていた。


 ミルルを追いかけなければ!


 大地を蹴ると、憎しみがこもった太い指が、俺の肩に食い込んだ。引き止めたのは、隊長だ。

「逃げるな、黒魔術の信奉者が!」


 俺は隊長の手を振り払い、背負っていた『真実の斧』を抜いた。


「まず、言っておく。俺は確かに黒魔女ミルルと暮らしているが、魂を引き渡してなんかいない。俺は森を、ミルルを守りたい、ただそれだけだ」


 隊長が間合いを取って剣を構えると、騎兵隊も体勢を整えて剣を抜いた。

「黒魔女の肩を持つ身で、何を言うか」

 隊長の嘲笑を、俺はそっくりそのまま返す。


「そして、俺の名はアックス。かつてブレイドとともに旅をした、重斧歩兵アックスだ。穏やかな生活で多少はなまってしまったが、お前らまとめて相手をしてやろうじゃないか」


 すべての切っ先が向けられた、まるで針山だ。

 だが、残念だな。それが裏目に出るとは、微塵も思っていないだろう。


 俺が斧を一閃すると、騎兵隊の剣が粉々に砕け散った。


「安心しろ、自分の脚で帰れるようにしてやる」


 彼らには、俺が悪魔に映っただろう。

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