ないしょのお話③
○ ○ ○
プンプン怒るミルルに押されて通りに出ると、小川から人影が現れた。
ホーリーだ。
俺を一瞬睨みつけてからブレイドが走って迎えに行った。その後をレスリーが慌てて追い、俺はゆっくりと歩いて向かう。
「ブレイド、レスリー、おはようございます」
「大丈夫だったか!?」
ブレイドの必死な顔を前にして、ホーリーは肩をすくめてクスッと笑った。
「ええ、ドワーフが親切にしてくださったのよ」
ホーリーは俺と目が合うと、輝くような微笑みを称えた。
「アックス、おはようございます」
「おはよう。よく眠れたか?」
「ええ……とっても」
☆ ☆ ☆
深い闇に浮かぶ白い首筋が、俺に甘く囁いた。
こいつは僧侶の分際で貴様から、そしてミルルからすべてを奪い、その罪を黒魔女というだけでグレタに押しつけ、逃げ
斧がなくても貴様だったら、自慢の腕力で首をへし折ることなど
ほら、今こそ無念を晴らすときが来た。腕を前に伸ばせばいい、うずく指で掴めばいい、あとは捻ってやるだけだ。
裁け──
裁け──
裁きを下せ!!
ホーリーの襟首を引き上げた。締めるためではない、立たせるためだ。
「まったく……こんな森の、こんな奥深くにまで入っちまって……こっちへ来い」
向かったのは、小川だ。そこから通りへ出て、ドワーフの森へと連れて行く。
覚悟を決めたホーリーの表情は、次第に訝しげになっていくが、そんなことは構わずにドワーフの寝息をひたすら目指した。
「そこで横になれ」
ドワーフの集落の真ん中でホーリーは仰向けに寝そべると、口をギュッと結ぶと両手を組んで、祈りを捧げる格好になった。
そして、俺はその場を立ち去った。
「アックス!!」
その声は、絶望を望んでいた。
償いきれない罪を犯した。
もう、聖職者ではいられない。
せめて、堕落した僧侶に相応しく……。
「そのまま、目を閉じて死ぬがいい」
ホーリーはガバッと起き上がり、見開いた目で残忍な最期を哀願した。だが、ホーリー……。
「……そして、朝になったら生き返れ」
くだらない願いを叶えず、その命が尽きるまで罪を背負わせることが、最も残酷な裁きなんだ。
魂が抜けた視線を背中に受け、俺の名前を呼ぶ声を振り払い、すがる想いを踏み潰し、俺は森を立ち去った。
○ ○ ○
ブレイドもレスリーも眉をひそめてはいるものの、ホーリーの爽やかな笑顔を前にして、俺との間にあったことに言及するのを断念したようだ。
旅をともにする仲間たちだ、今はその結束こそが最優先するべきことだ。
疑念が再燃しても、ホーリーの口から語られるべきこと。今は外野となった俺が、水を差すわけにはいかない。
ホーリーは、俺に哀しく微笑みかけた。
俺も、少しだけ口角を上げて返事をする。
ホーリーがしばしば祈りを捧げていたのは、妻と娘の冥福だけではなかったんだ。
犯した罪と、明かせない自分の弱さ苦しんで、ずっと懺悔していたのだろう?
ホーリーが悔やみ続けている限り、俺はその罪を赦そうじゃないか。
黒魔術と対峙する使命を果たすべく、ひとりで負った罪なのだから。
「これで全員揃ったな! ミルルがパンケーキを待っているぞ、みんなで朝ごはんにしよう」
ブレイドは疑念を振り払い、呆れたような顔をして悪戯っぽい声を出した。
「昨日の晩もパンケーキだったぞ? アックスはミルルに甘すぎるんじゃないか?」
レスリーは割れるように笑い声を上げて、俺の肩をバシバシと叩いてきた。
「いいじゃねぇか、美味いんだから。アックスの料理、中々だったぜ」
ホーリーは可笑しさのあまり身体を歪めて、朝日に輝く口元を細い指で隠していた。
「そんなに上手なの? アックスのパンケーキが楽しみだわ」
懐かしいくすぐったさに、俺は頭をかいて照れ隠しをするばかりだ。
「あまり期待するなって。何でもない普通のパンケーキなんだから」
さぁ、みんなで館に帰ろうと足を向けた、そのときだ。
館の窓と扉が一斉に開いて白い煙が吹き出すと、俺たちは立っていられないほどの凄まじい風に襲われた。
「ミルルだ!」
「シノブもいるぞ!」
「急ぎましょう!」
みんなで館に急行し、開け放たれた玄関から我先にと飛び込んだ。
「ミルル!! シノブ!!」
食堂には、真っ白なもやが漂っている。
これは、まさか……。
「……ケホッ……」
もやが次第に晴れてくると、小麦粉にまみれて真っ白になったミルルとシノブが目を丸くして、呆然と立ち尽くしていた。
ポカンとしているミルルの首根っこを、子猫のように掴み上げた。
「だいたいわかるが、念のため聞く。ミルル、何をしようとしたんだ?」
「……パンケーキの生地を作ろうって……」
「怒らないでくれ、アックス。私がそうしようと言ったんだ」
真っ白なままオロオロとするシノブが可笑しくて、みんなが砕けたように笑いだした。
「ふたりとも、ひどい格好だぞ!? 朝飯の前に水浴びだな!」
「レスリー、笑っている場合か! このままパンケーキを焼いたら、また爆発するぞ!?」
「またって……前にも爆発したの!?」
ミルルとシノブは小麦粉を落としに、大急ぎで井戸へと向かっていった。
その間に俺は借りた旅道具を使って、空の下でパンケーキを焼いた。
あの日と同じじゃないか。
ドワーフやゴブリン、ベルゼウスが館の修理を手伝ってくれた日と。
みんな、同じじゃないか。
こんな時間が、ずっと続いてくれればと、俺は願うばかりだった。
……いや、もう爆発は勘弁だ。
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