おいしい愛♡がある
ぽっぽー、ぽっぽー。
巣箱を模した時計から、鳩が顔を出して鳴いている。
正午を知らせるチャイムだ。十二回も出たり入ったりと、一日で最も忙しなくお仕事している。
周囲の家具と比べて、この時計だけ高級そうに見える。おそらく実家から持ってきたのだろう。旅立つ娘へのささやかな
「もうこんな時間エルか」
「お昼時ですわね」
「じゃあ、エルルは帰らせてもらうエル」
そろそろ腹の虫が悲鳴を上げる頃合いなので、この辺でおいとまさせて頂くことにしよう。
オレはふわりと浮かび上がり、そそくさと窓から出ようとしたところで、
「よろしければ、ランチをご一緒しませんこと?」
風華からお食事の提案だ。
女子高校生からのお誘いで、しかもタダ飯。以前のオレだったら間違いなく飛びついていただろう。むしろ断る理由がない。
だが。
「すまないけど、丁重にお断りさせてもらうエル」
ペコリと重たい頭を下げる。
彼女の気持ちは嬉しいのだが、その誘いを受ける訳にはいかないのだ。
――ぐぅ。
それなのに、体は正直に空腹を告げてしまう。少しは空気を読んでくれ、腹の虫よ。
「おなか空いているみたいじゃありませんの」
「あ、いや、これはその、確かに空腹エルけど」
「では、私との食事が嫌なのですわね」
「いやいやいや、別に風華と食べたくないって意味じゃなくてエルね」
急にどうした風華、面倒臭い彼女みたいになっているぞ。
「では、どうしてなのですの?」
じっとり不満げな瞳が見据えてくる。
これはキチンと説明する必要がある、命の危険ありの状況だな。冷や汗が滝のように流れていく。
「その、えっと、実はエルルって、普通のご飯が食べられないんだエル」
「あらまぁ、大変ですわね」
「そうなのエルよ、ははは」
「では、ちゃんと説明してくださいまし」
「はい、では簡潔に……エル」
オレはおっかなびっくり、エルルの体の不便さについて話す。
宇宙生命体であるこの体は地球上の食物を口にしてはならない。飲食可能なのはニトクリスミラー内の食材と、それらを調理したほむらの手料理だけだ。また、その食材や料理も、見た目はゼリーのような物体ばかり。ドリームランドの郷土料理らしい。極彩色で毒々しいが、そこそこ美味しいのは救いである。
ではもし、その辺の地球産料理を食べたらどうなるか。具体的には不明だが、一口で
犬にとってチョコレートは毒、
つまり、オレはほむらの手料理しか食べられない、極端な偏食家になってしまったのだ。もうハンバーガーも牛丼も食べられない。「これ食ってもいいかな?」なんて気軽に言えない。ああ、悲しい。
「妖精生活も結構難儀なのですわね」
「ほんとそれエルよ」
風華はこちらの事情を聞いて納得したようで、
「でしたら、龍崎ほむらさんのお宅まで送ってさしあげますわ」
「そこまでしなくてもいいけどエル」
「腹ぺこの妖精をひとりで帰してしまっては、天馬家の名が廃りますもの」
「別に気にしないエルよ?」
「私が気にするんですのよ」
名家の誇りに賭けて送ってあげるの一点張りだ。これでは平行線なので、オレは優しい心遣いに渋々了承した。可愛い女子に食い下がられたら折れるしかないだろう。むしろ突っぱねる男がいるのか。いや、いない。多分、おそらく、それなりには。
※
休日の昼間、ランチタイムでごった返す街中を、オレは風華の手に守られながら運ばれている。言うなれば美少女の真心いっぱいの宅配便だ。普段は凜として近寄りがたいオーラの彼女だが、柔らかな肌触りとぬくもりはとても女の子らしい。幸せ気分でいっぱいだ。
もしオレが以前の姿だったなら、年の差カップルの仲むつまじいデートに見えるだろう。周囲の男達から
それほどに風華は美しい、高嶺の花と呼べる少女だ。エロ本をクローゼットいっぱいに収集している点に目を
「もしかしてエルルさん、緊張していますの?」
「なっ」
ぼそり、と。
風華の低い
まるで心の内を見透かしているような言葉だ。図星なので余計に心拍数が跳ね上がってしてしまう。
「鼓動の高鳴りが手を通して丸わかりですわよ?」
「ひ、人が多くて、見つからないか、こ、怖いだけエル」
「ひとりで私のマンションまで来たのに?」
「うぐっ」
「窓から人の私生活を覗き見していたのに?」
「うぐぐっ」
さすがは社長令嬢で生徒会長だ。頭は切れるし痛いところをドスドス突いてくる。
「まぁ、緊張するのも無理ありませんわね」
「……?」
そこで風華の声のトーンがすっと落ちる。エアーズロック級の高低差だ。
「この前の強硬な姿勢を見れば、私に苦手意識を持つのも当然の摂理ですもの」
「あー……アレは確かにびっくりしたエル」
妖精の世話をほむらには任せられない、とオレを賭けて拳を交えていた。途中でゾスの眷属が乱入して
風華が認めてくれたのであの戦いは収まった。
第一印象は最悪だっただろう。
「他にもやり方があったはずなのに、本当に嫌になってしまいますわ」
「というと?」
「平和的に話し合うとか、とにかく、もっとスマートな方法にすればと、いつも後悔が尽きませんのよ」
「あー、そういう」
文武両道で何事もそつなくこなしているように見えるが、きっと風華は不器用なのだ。豆腐が掴めないとかノコギリをへし折るとかではなく、人間関係において。
上に立つ者として振る舞えても、対等な立場で触れ合うのは苦手。周囲の人間が特別扱いしてくるせいもあるかもしれない。友達もいなさそうだ。
その孤高さ、どことなくシンパシーを感じてしまう。
彼女は社長令嬢、オレは底辺のぼっち、と大違いなのだが。
「ちょっと、勝手に理解を示さないでいただけませんこと?」
「悪い、オレにも似た経験があるからさ……」
「オレ? それに語尾も行方不明ですわよ?」
「あ、しまった、また――」
感傷に浸っていたせいで、これまた自然に元の口調で口走ってしまった。キャラ演技を忘れるのはこれで何度目だろう。気を抜くなよ。
言い訳しようと再びあたふた取り繕っていたところ、突如――ズンッ、と地面が低く震えた。
それは、眼前に巨大な悪意が現れた音だった。
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