イミテーション・ラバー

くろねこどらごん

第1話

 俺と彼女の出会いは、とあるパーティーでのことだった。


 世間からは名家と言われている家に生まれた俺は、幼い頃から多くの習い事をさせられていた。

 毎日毎週色んな教師の元に通い学ぶ日々。そのこと自体は、辛いと思ったことは一度もない。


 ただつまらなかった。教えられる内容に興味もなかった。

 だというのに、ただ淡々と課題をこなすだけで、俺はいつも褒められた。叱られたことは一度もない。

 天才だと言われて持ち上げられたことは幾度もあったが、どうでもよかった。

 ただ面倒な時間が繰り返されるだけとしか捉えることができなかった俺にとって、才能の評価など等しく無意味で等価値だった。


 コンクールでも、失敗したことがなかった。

 特にピアノの評価が高かったせいか、よくコンクールには参加していたが、発表の時間が近づくにつれ、周りの子供が顔をこわばらせたり青白くしている姿を何度も見かけた。

 それに対し、俺はなにも思わなかったし、なんで震えることがあるんだろうと、冷静に観察している余裕すらあった。

 演奏でも鍵盤を弾きながら泣き出す子、リズムが狂い途中で手が止まって硬直する子を見ては、なんでああなるのか理解できず、首を傾げたものだった。


 俺にとって本番とは、ただ練習したことをそのまま再現するだけの、大げさに用意された舞台に過ぎなかったのだ。

 ただやってきたことをこなす。それだけで優勝してしまう。達成感もプレッシャーも、なにもないし感じない。

 彼らの気持ちがわからないまま、トロフィーと賞状をいつも家に持ち帰っては放り投げ、机に座り趣味の読書に浸る。そんな生活を、ただ繰り返し続けていた。



 多分、俺という人間は生まれつき感情が薄かったのだろう。

 緊張した経験もなければ、心が揺さぶれる体験をしたこともない。

 さらにいえば、寂しいと思ったこともなかった。両親が揃って家にいることはあまりなく、構われた記憶もそこまでない。

 それぞれが別の家庭なり愛人なりを持っていて、家族よりそちらに関心が向いていることを知っても、思うところは特になかった。そういうものなんだろうと思っただけだ。


 だが、他の兄弟はそんな両親に不満があるらしく、関心を引こうと努力していたようだが、あまり良い結果は出なかったらしい。

 ある時、年の離れた兄が目の前で父からこのままでは弟に家を譲ることになるぞと叱責されているのを、目の前で見せられたことがある。

 愛に飢えているらしい実の兄から憎悪の篭った目をぶつけられたが、やはりなんの感情も沸き上がってこなかった。


 結果を残せていない兄にハッパをかけるつもりだったのか、本気で俺も跡を継がせるつもりなのかは知らないし、興味もない。

 ただ、そうなったら面倒臭そうだなと思っただけだ。

 親に興味のない俺が彼らの性質を強く受け継ぎ、一番顔を合わせる機会が多く期待されているというのは、皮肉な話だった。


 もっとも、それすら俺にはどうでもいいことだった。

 結局やることは変わらないのだ。なにもかもがつまらなかった。



 そんな風に日々を過ごしていると、気付けば12歳になっていた俺は、ある日社交界へと連れて行かれた。

 家庭には興味なくても、教育は施していたつもりの父からすれば、出来のいいらしい息子の顔見せを兼ねていたのだろうが、これも全く興味の持てない場所だった。

 綺麗に着飾った名前もわからない大人たちに、次から次へと頭を下げて挨拶を繰り返すだけの作業に、なんの意義を見出せばいいのかわからなかった。

 父が言った次が最後のひとりだという言葉がなければ、密かにため息を漏らしていたかもしれない。


 なんにせよ、面倒事はもう終わりだ。

 最後だというのなら、いっそ思い切り愛想笑いでも浮かべてやろう―そう考えた直後、俺はひとりの女の子と引き合わされた。


「―――――」


 その時のことを、今でもよく覚えている。


 綺麗な黒髪。長い睫毛。ぱっちりとした大きな瞳は猫のよう。

 まるで自分の中で時が止まったかのように、俺は一瞬動けなくなっていた。

 なんでそうなったのかわからず、危うく上から降ってくる父の言葉を聞き逃すところだった。


 父は言った。彼女はお前の許嫁だ、と。


 その言葉の意味を理解するのに、一拍の猶予が必要だった。

 許嫁。俺の知識では、それは互いの両親の合意のもとに、婚約を結ばされた者を差す言葉だ。

 つまり、目の前のこの子と俺は、将来結婚するということか。

 そんな考えが頭をよぎるも、彼女はチラリと俺の顔を見ると、すぐに目を伏せてしまった。


 後で聞いた話ではあったが、どうやら彼女の父親が経営する会社が当時傾きかけていたらしく、それを凌ぐために我が家を頼ったのだという。

 その際担保として自身の娘を差し出したことについては、今の時代に随分とひどいことをするものだという感想しかでてこなかった。

 俺と彼女は同い年で、まだ小学生だった。会社と娘を秤にかけ、会社を選んだ両親によって、彼女は自分を売られたのだ。

 そのことを告げられた時の彼女の心境は知る由もないが、おそらく随分と傷ついたんじゃないだろうか。


 勿論そんな事情があったなどと、当時の俺が察することができるはずもなく、なんで俯いているのかわからず悩んでいると、彼女を彼女の父親が叱りつけていた。

 緊張しているのだろうと笑いながら父が止めたが、その行為が彼女のために行われたわけではないだろうことを俺は知っている。


 父は無駄なことを嫌う男だ。余計なことで自分の時間を損なわれるのを惜しんだだけに過ぎない。

 彼女の父親はそんな打算も知らず、父の機嫌を取ろうと愛想笑いを浮かべて、媚びへつらっていた。

 この時点で俺もようやくこの婚約が、両家において対等な関係の元に行われたことではないと気付いたが、だからどうしたという話でもある。


 俺は子供で、彼らは大人だ。口出しをしたところで、受け入れてもらえるとは思えなかった。

 そういう意味でも、やはり俺は父に似ていた。無駄なことをしても意味がないと、理性が先に足止めする。

 案の定というべきか、親同士でなにやら話があるらしく、後は子供同士でしばらく話でもしていなさいと、ふたりでさっさとどこかへ行ってしまった。


「…………」


 こうなると困った。

 なんせ俺は自分で自覚があるくらいには、他者とのコミュニケーションが不得手だ。一人の時間になんの苦痛も感じない人間である。

 学校にも友達と言える人間はおらず、出会ってから一言も話さない女の子から、会話を引き出せるほど巧みな話術など持ち合わせてはいない。

 途方に暮れてついため息をつくと、彼女が上目遣いで俺の顔色を伺っていることに気付いた。


「あぁ、ごめん。そういうつもりじゃなかった」


 慌てて取り繕う。機嫌を悪くしたと思わせてしまったのかもしれない。

 未だ彼女は口を開かないが、耳が聞こえていないというわけではないのだ。

 その証拠に、俺の反応を気にしているような仕草を時折見せている。


 なんとなく、察するものがあった。

 俺という人間は人の気持ちを理解する能力に欠けていたが、ここまでの情報から推測くらいはできた。

 あくまで予想にすぎないが、この考えが正解であるなら、確俺は彼女が欲するものを与えてあげることができないだろうことも。


 俺自身まだ子供で、親に養ってもらっている身だ。

 習い事に関しては正直ありがた迷惑ではあるが、それ以外の衣食住に関しては、不満を感じたことはない。むしろ人並み以上に満たされていると理解しているし、感謝もしている。


 やりたいこともない以上、俺は彼らの望むまま、望まれるままの人生をこれからも歩んでいくのだと、なんとなくだが思っていた。

 情が薄く、主体性も特にないことは自覚している。

 反抗しようと思ったことはないし、これからもおそらくないだろう。そうする理由が、自分の中にないからだ。

 それはつまり、この許嫁という関係を解消するつもりもないということでもある。


「まず、謝っておかないといけないことがある。俺は君との許嫁の関係を、解消するつもりはない」


 俺の言葉に、彼女は肩を震わせた。

 直接告げられたことで、ショックを隠せなかったんだろう。

 それを見て、俺は確信した。彼女は俺との婚約を嫌がっているのだと。

 

「俺達の年でそういう関係を持たされたということは、互いの家でなにかしら大きな話が進んでいるんだろう。俺の父は無駄なことを好まない。その父が俺と君を婚約させたということは、メリットがあるからだ。それは君の家も同じはずで、俺達が破談したら両家ともに多大な迷惑を被る事になると思う…そのことを考えると、解消しようなんて、言うことはできない」


 続けて話すと、彼女はコクリと頷いた。

 やはり理解はしているんだろう。頭は悪くない。ただ、感情で認めたくないだけ。

 それを子供のワガママと切って捨てるのは酷だろう。初めて会ったばかりの相手と将来結婚するのだと言われて、素直に納得できる人間は決して多くはないはずだ。


「その代わり、ひとつ提案があるんだ」


 そう考えると、やはり俺という人間は普通ではなかった。

 父の顔がふとよぎる。あの人は感情ではなく、理性で動く人間だ。

 その横顔は、鏡で見た自分によく似ていた。


「何もない限り、俺と君と結婚することになる。だけど、君は俺のことを好きにならなくていい。むしろ、他に好きな人を作って、その人と恋愛をすればいい」


 ここで、彼女は初めて顔を上げた。

 そして真っ直ぐに俺を見てくる。互いの視線が交錯する。

 …綺麗な瞳だと、そう思った。いつか図鑑で見た、黒曜石の輝きに、どこか似ているような気がした。


「君が誰かと付き合っても、俺はなにも言うつもりはない。親に勝手に決めた、理不尽な婚約だ。納得できないのはわかるし、子供の俺達がこれくらいの反抗はしたって罰は当たらないだろう。君は自由にしていいし、俺も縛るつもりはない」


 だから、そんなに気を落とさないで欲しい。

 そこまで言い終わる前に、彼女の瞳が見開かれた。

 そんな表情も綺麗だと、何故か思った。



 同時に、俺ではこの子を幸せにはできないだろうことも。



 これが俺、北大路秀隆きたおおじひでたかと、彼女―勅使河原てしがわらさつきの出会いだった。

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