第2話 初めての恋

「……それにしても、一体どうしたんだ?ロロ、だっけ?いつも、見てるこっちがドン引くくらい鬱陶しい程ぴったりアンタにくっついてたじゃん。てっきり、馬車に乗る時にも姫サンをエスコートしたり、俺にガン飛ばしてくるかと思ってたけど」


 揺れる車窓から左斜め後ろを眺め、ネロは呆れたようにつぶやく。視界の先では、愛馬にまたがった褐色の肌の美青年が、少女の後ろに控えているときのように、しっかりと鉄製の馬車を護衛していた。

 剣を帯びたネロが、ミレニアと同じ馬車に同乗するのをロロは最初、断固として反対した。

 言葉で何を言っていようと、ネロはクルサールの側近だった男だ。その彼が、剣を帯びて、いつでもミレニアに斬りかかれる距離にいるなど、過保護な護衛兵には到底許せることではなかった。

 しかし、彼は闇の魔法使いだ。馬車の外に置いておいたとして、もしも彼がよからぬことを考え、剣闘奴隷たちに闇魔法をかけて操れば、一行は一気に窮地に陥る。

 決して闇魔法にかからないミレニアが、傍で見張っている方が良い。

 ネロは、剣の心得がある兵士でもある。見方を変えれば、魔物の襲撃などの何かしらの有事の際、ミレニアを一番近くで守ってくれる心強い味方になりうる、とも言えるだろう。

 そう言ってロロを説得したときに「……ディオと重ねて見ているせいで、甘くなっているのではありませんか」と苦い顔で言われれば、思わずまた「嫉妬しているの?」と笑ってしまった。

 全く、あの護衛兵は、変なところで嫉妬深い。


「ふふ……ふふふふ……」


「うわ、何。気持ち悪」


「ネロっ……ミレニア様に、失礼ですよっ」


「いいの。いいのよ、レティ」


 馬車に同乗する際、レティが男性恐怖症を発しないかが不安だったが、どうやら声変わりも前の幼い少年相手と、今にも天から迎えが来そうな老人相手には殆ど症状が出ないらしい。故に、レティはミレニアとネロと一緒に、ファボットが引くこの馬車に乗り込むことになった。


(てっきりレティには、デニーのような、恐怖症を発しても優しく根気強く付き合ってくれるような、親子ほど歳が離れた包容力のある穏やかな男が合うと思っていたけれど――意外と、年下の面倒見も良いのね。ふふ、これからがとっても楽しみだわ)


 馬車に乗ってから、あれやこれやとネロの世話を焼くレティに、思わずニマニマしてしまう。生まれて初めて出来た、従者兼友人のレティには、ぜひとも幸せになってほしい。


「でも、ミレニア様。私も、少し気になっていました。今日のロロさんは、何か……こう、いつもより、ミレニア様から、遠くて」


「ふふふ……聞いてくれる?聞いてくれる、レティ」


 両手でにやつく頬を抑えながら、ミレニアは嬉しそうに言う。

 主のそんな一面を見たことがなかったレティはやや面喰いながらも、こくり、と頷いた。


「あのね――あのね、私、ついにロロに、求婚したのよ――!」


「「――――へ――?」」


 ぽかん……

 馬車の中が、面白いくらいに奇妙な沈黙に支配される。


「え……?えっと……?」


「いや……求婚、って……アンタ、女だろ……」


 ぐるぐると、脳みその回転がついて行かずに視界を回すレティをよそに、ネロは半眼でツッコミを入れる。


「あら。エラムイドでは、求婚は殿方しかしてはいけないの?」


「いけない、っていうか――女がするっていう発想がそもそもない」


「そうなのね。……でも、別に、いいでしょう?男がしても、女がしても。”あなたと結婚したい”と告げるのに、男も女も関係ないわ」


 嬉しそうに、まるで歌うような調子で浮かれるミレニアに、「ま、待ってください」とレティが待ったをかけた。


「きゅ、きゅきゅきゅ求婚って――まさか、ご結婚なさるつもりですか!?ロロさんと!?」


「えぇ」


「正気ですか!?どっ――奴隷ですよ!?」


 色を失って叫んだレティに、む、とミレニアは唇を尖らせる。


「私はロロを従者に迎え入れてから、一度も、彼を奴隷だと思ったことはないわ」


「そ、そういう問題ですか!?」


「そういう問題よ。――ふふ。やっと、言えるの。皇女だったときは、どんなに愛していても、絶対に口に出してはいけない気持ちだったから」


 頬を桜色に染めながら、ミレニアの口元は喜びに綻ぶ。

 貴族社会において、女性が貞淑であることは絶対である。未婚の女性が処女性を絶対視されることはもちろん、女は夫以外の男を愛すことを許されていない。

 皇女として、貴族社会の頂点に君臨するミレニアが、その慣習を破れば、皇族全体の品位が問われ、後ろ指を指される。まして、ミレニアはロロを手に入れるときに、ギュンターに「貴族の令嬢と同じように、家のためになる結婚をする」と交換条件を出していた。やがて、どこぞの男に嫁ぐことが決まっている身で、たとえ舌を焼かれようとも、ロロを愛しているなどとは、決して口にすることは許されない身だったのだ。

 そもそも、絶対的な身分制度が浸透していた旧帝国だ。元奴隷を皇族が従者にしただけで天変地異を囁かれるほどだった。彼を男性として愛しているなどとは、まかり間違っても口に出来ない。


「い、いえ、あの……も、勿論、お二人を見ていれば、お互いが互いに深く想い合っていることは一目瞭然でしたし、そういう意味では、あまり驚きはないのですが」


「嘘!そんなにわかりやすかったかしら!?」


 きゃぁ、と恥ずかしそうに、しかしどこか嬉しそうに声を上げるミレニアに、困った顔でレティは続ける。どうやら主は、生まれて初めての恋愛話に浮かれ切っているようだ。


「は、はぁ……きっと、気づいていなかったのはミレニア様とロロさん本人くらいじゃないですか……?」


 紅玉宮で従事すれば、三日もしないうちに二人の関係性にはすぐに気が付く。

 いつだって、ミレニアが見ていない左斜め後ろで、じっと熱っぽい視線を注ぎ続けている護衛兵と。ことあるごとに紅の瞳を時間も忘れるほどに覗き込んで、嬉しそうにうっとりとため息を漏らしている主と。

 あれで、互いに恋愛感情がない、などと言い切れる神経がよくわからない。

 だから皆、日常の中で二人の空気が本人たちは無自覚のままに絶妙に甘ったるくなる瞬間――たいてい、ミレニアがロロの瞳をじぃっと覗き込み始めるときだが――は、気を使ってそっと気配を消したり、しれっと退室したりしていたのだ。

 それは、紅玉宮の古株でも、最後に従事した奴隷たちでも、変わらない。


「でも――け、結婚となると、話は別です。よりによって、ロロさんに――」


「よりによって、ってどういうことかしら」


 むぅ、とケチを付けられたことが不満なのかむくれるミレニアに、レティは口を開く。


「えぇと、その、ロロさんは、紅玉宮に従事していた奴隷たちの中でも、誰より奴隷根じょ――あぁちがう、下僕根じょ――これもちがう、すみません、なんて言ったらいいですかね。隷属意識……?」


「ふふっ……言いたいことはわかるわよ」


 普段はとても美しい言葉遣いのレティから考えられないようなワードが飛び出したことに笑いながら、ミレニアは頷く。よっぽどレティも混乱しているらしい。


「その……誰よりも、そういう意識が高いのが、ロロさんなので――結婚、なんて、現実味がないと言いますか……えっと……ロロさんは、ミレニア様の求婚を受けて、どんな返事を返したのですか?」


「ふふ……まだ、答えは聞いていないわ。酷く戸惑って混乱していたようだから、落ち着いてから返事を頂戴、と言ってその場を離れたの。――私も、どうにも照れくさくなってしまったし」


 再び頬を抑えながら言うミレニアに、呆れたようにネロが口を開く。


「なるほど。だから、馬車に乗る時、妙に遠巻きだったのか。……あの無表情でいつも憮然としてる顔が、動揺するところって、ちょっと見てみたい気もするな」


「駄目よ。あんなロロの姿を見られるのは、私だけなんだから。ふふふっ……」


「あー、ハイハイご馳走様」


 ハッと吐き捨てるように言って、ネロはふと問いかける。


「でも、アンタ、クルサールにも求婚されてただろ?あっちはどうすんだよ」


「受けるわけないでしょう。というより、何回断ってもしつこくて困っているのよ。ネロ、次にクルサール殿と会う時は、お前の口から、私はロロと結婚するのだからさっさと諦めて、と伝えてくれないかしら」


「俺が言ったところで聞く気はしないけどなぁ……」


 意外と頑固なところがある金髪碧眼の青年を思い浮かべながら、苦笑を刻む。きっと、あの感情の読めない”完璧な”笑顔で、聞かなかったことにしてミレニアを何度でも口説くのだろう。


「ただ、どうにも理解できないな……あんな愛想のない無口な男と比べたら、クルサールの方が全然いい男だろ?」


「まさか。何を言うの、お前。どう考えてもロロの方が五億倍はいい男よ」


 きっぱり即答するミレニアに、ネロは眉を跳ね上げて面白そうな顔をする。


「へぇ?じゃあ、教えてくれよ姫サン。”第二の傾国”とまで呼ばれたアンタが、あの無愛想な男の一体どこに惚れたんだ?」


 ニヤニヤ、と揶揄するような顔で告げる。

 堂々と惚気る羞恥を覚えさせて、ミレニアをやり込めたかったのだろう人の悪そうなネロの笑みに、ミレニアは真顔で答えた。



「――顔」



「――――へ――――?」


 端的に呟かれた答えに、ぽかん……と口が半開きになる。


「顔」


「か……?」


「顔よ、顔。顔面。――最っっ高に格好いいと思わない?」


 ぱちぱち、とネロの瞳が何度も瞬きを繰り替えす。


「初めて逢ったときから、一目惚れなのよ。世界一整っている顔だと思うわ。身体付きも男らしくて最高。何より、あの紅玉のような瞳がたまらない。何度見ても、毎度毎度惚れ直す外見だわ。……きっと私、たとえ記憶を失っても、もう一度ロロと出逢ったら、すぐにまた恋に落ちてしまうもの」


 実際に、何十回と繰り返した人生が証明している。

 何度記憶を失って、何度”初めて”をやり直しても――ミレニアは、何度だって彼の吸い込まれるような瞳に恋をして、それまでの人生で積み上げたものを全部擲ってでも、ロロを必死に傍に置いた。何度も瞳を覗き込み、そのたびに少女らしい初恋に胸を焦がしては、決して口に出せぬ恋心を秘めて、うっとりとため息をつくに止めていた。


「えっと……」


 たらり、と汗を流して、ネロはもう一度車窓から左斜め後ろを見やる。

 確かに、左頬に奴隷紋を刻んではいるが、その護衛兵の顔面は、酷く整っていると認めざるを得なかった。


「いや、まぁ、そこは個人の自由だけどさ……でも、普通、結婚したいって思うくらいなら、中身とか――」


「勿論、ロロの性格も大好きよ。ああ見えてとても優しい所があるし、仕事はきっちりこなしてくれるし、お世辞の一つも言えないけれどその分誠実だし――何より、世界で唯一、私のことを甘やかしてくれるの」


「甘やかす……」


 レティが呆然と呟く。――どうしても、あの無表情の男がそんなことをしている光景も、この気丈な主が男に甘えている光景も、どちらも描くことが出来ない。


「ロロの前でだけ、私は甘えて、弱い自分を見せることが出来るのよ。ふふ……だから、私、ロロには”家族”になってほしいの。絶対に結婚したいのよ」


 民を導く君主は、救いを求める人々の手を取っても構わないが、握り返してはならない。

 そんな君主が、その手を握り返してもいいのは――世界で唯一、孤独を分かち合うことが出来る、家族だけ。

 ミレニアは、その相手を、ロロにしたいと思っていた。


「ふふふ、嬉しい。皇女だったころは、こんな風に、ロロへの気持ちを口にしても許される日が、生きているうちに来るとは思っていなかったから。……ねぇレティ、もう、話していいかしら?私、本当に、ロロのことが大好きなのよ」


「はい、ミレニア様。お伺いいたします」


 喜びに咲き誇る花のように、少女らしい笑みを振り撒く主に、レティは穏やかな微笑みで答える。

 たくさんの、辛いことがあった。哀しいことがあった。

 齢十五の、この細い肩に、たくさんの重責がのしかかり、絶望の運命が課されていた。

 その少女が、今、全てを乗り越えた先で、これほど幸せそうに笑っているのだ。


(ロロさんの性格を想うと、どうも一筋縄ではいかなさそうだけれど――でも、今は)


 少女の幸せに、水を差したくはない。

 いつかの紅玉宮でのお茶会の時間にそうしていたように、レティは馬車の中でミレニアの談笑という名の惚気話に付き合うことにした。

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