第10話

「あ、千鶴ちゃん」

「友喜音さん。友喜音さんも今から帰りですか?」

「うん。よかったら一緒に帰らない?」

「いいですよ」

 いつもは羽衣ちゃんと一緒にコンビニに寄ったりしてから帰るのだけど、今日羽衣ちゃんは母親が用事でいないとのことで、妹たちの面倒を見る予定があるからと言って先に帰っていた。

 どんよりと雨が降りそうな曇り空の中、下駄箱で靴を履き替えて出ようとしたところに友喜音さんが声をかけてきた、と言うところだった。

「友喜音さん、コンビニでも寄っていきます?」

「ううん、いい。あんまりお小遣いもないし、使いたくないし」

「そうですか。じゃぁ素直に帰りましょうか」

「うん」

 そう言ってから連れ立って校門を出たあたしと友喜音さんだったけれど、友喜音さんは誠陵館とは逆のコンビニのほうに進路を向けた。

「友喜音さん、コンビニには寄らないんじゃなかったんですか?」

「え? あ、そ、そう。勘違いしちゃった」

 弱い笑みを浮かべて友喜音さんは何事もなかったかのようにあたしの隣までやってくる。

 コンビニと誠陵館は同じ歩いて5分くらいの距離にあるけれど、方向は逆だ。勘違いにしては迷いなくコンビニの方向に向かっていったのが気になったけれど、友喜音さんがそう変な冗談や行動をするはずはないと思って気にしないことにした。

「そうだ、友喜音さん、今日の授業でどうしてもわからないところがあったので、帰ったら教えてもらえませんか?」

「うん、いいよ。何の教科?」

「現代文です」

「この前も古典だったりしたけど、千鶴ちゃんって文系科目が苦手なの?」

「あえて言うならそうですね。理数系は答えがかっちり決まってるじゃないですか。その点文系は曖昧なところがあるからどれが正解なのかわからなくなっちゃうときがあって」

「そうかな? 文系もテクニックだよ」

「でも作者の意図を述べなさいとかテクニックでどうにかなるもんですか?」

「うん。問題と文章の相関が理解できれば後はテクニックだから点数を取るだけなら、文系も理系も実はそう大した違いはないんだよ」

「そうなんですかぁ」

「うん。でも純粋に物語として読むならそんなことは考えないほうが楽しめるけどね」

「それはそうだ。友喜音さんはやっぱり読書好きなんですか?」

「うん、好きだよ。でもお小遣いが少ないからたいていは翔子ちゃんや夏輝ちゃんが買ってきたものを読ませてもらってるけど」

「福井さんは何でも読みそうだけど、夏輝さんはマンガばっかり読んでそう」

「ふふ、そうだね。夏輝ちゃん、スポーツものが好きだからそういうの多いね。翔子ちゃんはあれで実はロマンチストの気があって、少女小説とかたくさんあるよ」

「福井さんが? なんか想像がつかないなぁ」

「そうかな? 翔子ちゃんだって女の子なんだから少女小説に出てくるような恋に憧れたりするんじゃないかな?」

「いやー、福井さんってなんかあたしに当たりが強いって言うか、話しててもすぐに不機嫌になったり、怒鳴られたりするから」

「そうなの? 翔子ちゃん、いい子だよ?」

「友喜音さんと同じで常識人なのはわかるんですけどね。前も着替えてるとこ見ちゃって怒られちゃったし」

「普通はそうだよね」

「ですよねぇ。だいたい舞子さんは下着姿がデフォだし、静音さんは何気に触ったり触られたりに抵抗ないみたいだし、夏輝さんは恥じらいがないし」

「あはは……」

 あたしの言葉に同意はしないまでも友喜音さんは曖昧に笑う。どうやら友喜音さんは1年生のころから誠陵館に住んでいるらしいから、あたしの知らない先輩と一緒に過ごしたり、舞子さんたちとは長い付き合いになるはずだ。同意はしてないけれど、少なからず心当たりはあると言ったところだろうか。

 そんなことを話しているとあっという間に誠陵館に到着する。

「ただいまぁ」

「ただいまです」

「お帰りなさい。雨には降られなかった?」

 彩也子さんが台所の入り口から顔だけ出して尋ねてきた。

「まだ降ってませんよ。降るんです?」

「えぇ、3時のニュースの天気予報見たら雨雲がもうこっちのほうに来るみたいだったから」

「他のみんなは傘持ってるのかな?」

「福井さん辺りは持ってそうですけど、他の3人はどうだろう?」

「夏輝ちゃんは確実に持ってないと思うな。夏輝ちゃんなら濡れても平気だって言って走って帰ってきそう」

「まだ4月だから濡れると風邪を引いちゃわないか心配だわ」

 ほぅと吐息をする彩也子さんはまるで本当のお母さんのように心配顔だ。

「あ」

 そんなことを玄関で話していると彩也子さんが外を見て声を上げた。

 何だろうと思って振り返ってみるとぽつりぽつりと雨が降り出していた。

「ありゃ、降ってきちゃった」

 ぽつぽつと降り始めた雨はすぐに強くなって、あたしたちはちょうどタイミングよく帰れたのだと思った。

「ちょっと連絡取ってみますよ」

 そう言ってあたしはポケットからスマホを取り出して、寮生で作っているグループに傘は持っているかを尋ねる内容を入力して送信した。

 すぐに返信があったのは舞子さんと静音さんで持っていないとのこと。翔子さんは折り畳み傘を持っているから平気だとの回答があって、夏輝さんからは返信はなかった。

「そういえば夏輝ちゃん、今日はバレー部の練習に付き合うって言ってた気がするからメッセージに気付いてないのかも」

「彩也子さん、天気予報はなんて言ってたんですか?」

「今日の夕方から夜にかけてずっと雨だそうよ。朝の天気予報だと夜まで曇りだったからお洗濯も控えていたのだけど」

「どうせ舞子さんも静音さんも傘持ってないって話ですからあたし届けに行ってきますよ」

「いいの?」

「はい。学校はすぐそこだし、傘渡せばそれでいいし。夏輝さんはバレー部の練習って言ってましたから体育館ですよね?」

「うん、たぶん」

「じゃぁ……」

 濡れないうちにと思って傘を持っていくことをメッセージで送る。

 舞子さんと静音さんは教室で待ってるとの返信があったので、舞子さん、静音さん、夏輝さんの3人の傘を持って、今帰った道を引き返すことにした。

「じゃぁ彩也子さん、ちょっと届けに行ってきます。友喜音さん、帰ったら……」

「うん、飲み物用意して待ってる」

「よろしくです。じゃぁちょっくら行ってきます」

「うん、お願いね」

「気を付けてね」

「はい!」

 3人分の傘を持って、自分の傘を差して帰ってきた道を逆に歩いていく。

 朝見た天気予報だと夜から雨だったからあたしも傘を持っていかなかったけれど、雨雲は早めにやってきたようだった。

 急ぐ理由もないのでいつも通りの足取りで学校まで戻って、まずは同じクラスの静音さんに傘を渡す。次いで2組の舞子さんに傘を渡す。舞子さんはお礼だと言って頬にキスをしてこようとしてきたから、それから逃げるようにして夏輝さんに傘を届けに体育館に向かう。

 清水学園は勉強に関してはかなりの難関校だけど、部活はどれもさほど成績がいいわけではない。それでも青春の1ページを彩ると言う意味で全校生徒の3分の2くらいは何かしらの部活に入っていた。

 体育館に到着するとキュッキュッとシューズが体育館の床に擦れる音が聞こえてきた。

 重い体育館の扉を開けて中を覗き込むと夏輝さんは下級生らしき部員にあれこれと言葉を交わしてから顧問の先生が打つスパイクを見事な運動神経で拾ってみせた。

 ほぇぇ……、小柄だけど夏輝さん自身が運動には自信があると言っていた言葉通りで、普段の夏輝さんしか知らなかったあたしは妙に感心してしまった。

 その夏輝さんに声をかけて傘を渡したらミッションはおしまい。

 帰ったら友喜音さんと勉強だ。

 舞子さんのキス未遂があったものの、今日は何事もなく過ごせそうだと安心して体育館を後にした。

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