第41話 ロビーでの話 2
ライトは言っていた。『君が霊のために何かしたい、とおもうのなら、サイモン・キーンの言葉を信じてやってほしい』と。
サイモン・キーンは適量の風邪薬を飲んだ。だが、検視の結果、彼の身体からは適量以上の薬効成分が出て来た。
で、あるならば。
それは、誰かに飲まされたのだ。
そして、彼は事故を起こし、死んだ。
あの日、サイモン・キーンはなぜ夜遅くに呼び出されたのだろうか。あの日、いつも乗る自動運転の車が会社になかったのは、たまたまだったのだろうか。
彼が飲んだ風邪薬は、カプセルタイプだったと聞いた。
それに、細工がなされていなかった、と今更誰が保証できるのだ?
「……サイモンを、許しなさい……っ」
エマが目を吊り上げたままの形相で、ソフィアの胸倉をつかんだ。不意の圧迫に、ぐ、と呼気が漏れる。ジョイスティックを操作して後退しようとしたが、それより先に、恐ろしい力で上に引っ張り上げられる。
「あんたが、サイモンを許さないから、私のところにいつまでも出てくるんじゃない……っ。もう、忘れたいのにっ!」
抗議しようにも、襟元ごと一気に締め上げられ、ソフィアは声が出ない。食いしばった口からは呼気ばかりが漏れる。
「サイモンは、あんたを許さないんじゃない」
滑り込んできた低い声が鼓膜を撫でると同時に、ソフィアは彼女の手から解放される。
ど、と車いすのシートに腰を落とすと同時に、早く荒い息をついた。額から汗を吹き出しながら、ただただ、茫然と目前の黒い背中を見上げる。
ソフィアとエマの間に割って入ったのは、ライトだ。
車いすを操作し、距離を取り直すと、ぎゅるり、と床をタイヤが噛む音がした。反応したように、ちらりとライトが視線だけソフィアに向ける。
「大丈夫?」
尋ねるからソフィアは大きくひとつ首を縦に振った。締め上げられたせいで、まだ喉はひりひりと痛いが、我慢できないほどではない。
ライトはねじり上げていたエマの手を離すと、ゆっくりと後退してソフィアの側に立った。
「サイモンは、あんたに尋ねているんだ」
落ち着いた彼の声を、胡散臭そうにエマはねつけ、掴まれていた手首を何度もさすっている。
「ソフィア。彼女の右隣りだ」
ライトは左手をソフィアの肩に。右手でエマを指さし、黒曜石に似た瞳を細める。
「見て」
囁くような声に導かれ、視線を移動させる。
そこに。
サイモン・キーンがいた。
思わず息を呑み、背を伸ばした。
いる。
エマの右隣に。
グレー地にストライプの縞が入ったスーツ。薄い水色のシャツに、若々しいシャンパンゴールドのネクタイを締めた、三十代前半の赤毛の男性。
何度も写真で見た。何度もエマに見せられた。そして、あの日、艦の窓で見た彼。
自分を、救ってくれた、彼。
「サイモン・キーン……」
おもわず呟く。
それに反応したのは、エマだ。ぎょっとしたように背後を振り返るが、彼女の眼には映っていないらしい。
サイモンは、虚ろな表情のまま、そんな妻に話しかけている。
『ソフィア・ハートに謝ってくれ』、『彼女を傷つけるつもりはなかった。可哀そうに……。彼女は脚を失って……』、『なぁ、エマ。どうして』
『なぁ、エマ。どうして』
『なぁ、エマ。エマ。どうして、俺は事故を起こしたんだろう』
『なぁ、エマ。エマ、エマ。あの市販薬。君から勧められたあの薬』
初めて聞くサイモン・キーンの声は、以前ライトが指摘した通り、少し訛りがあった。
『エマ、エマ、エマ、エマ。適正量の薬を飲んだんだ。エマ』
あとは、その繰り返しだった。
『適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだ』
怯えて首を左右に振るエマの耳元で、サイモンはずっと繰り返し続ける。まるで、同じ場面を反復しているようにさえ見えるその光景に、ソフィアは言葉を失った。
「サイモン・キーンは、あんたの勧める薬を適正量、飲んだそうだ。あんたが、指示した適正量を、ね」
ライトはソフィアの肩に手を置いたまま、冷淡に告げる。
「落とし前は自分でつけろ。いくら
突き放され、エマは愕然と口を開いた。
「いるの……?」
短く問う。ライトは口端を上げ、笑む。
「いるよ」
端的に答える。
「消して!」
悲鳴を上げられた。
「サイモンを消して!」
髪をかきむしり、「もう、四年よ!」と怒鳴った。
「あいつが死んで、四年間! ずっと眠ったら出てくるの! どうにかしてよっ!」
「消すには、彼を納得させるしかない」
あっさりと答えると、左足に重心をかけてわずかに車いすにもたれる。
「なぜ、自分は事故を起こしたのか。適正量と言われた薬を飲んだのに、どうしてこうなったのか」
斜に構えたままエマを見やり、ライトは薄く笑う。
「繰り返し、繰り返し、言ってやることだ。なぜ、サイモン・キーンは死んだのか、を」
彼が納得するように、ね。ライトの語尾はエマには聞こえなかっただろう。彼女はくるりとふたりに背を向けると、ヒールの音を荒々しく立ててロビーを走る。
それは、サイモンを振り切って逃げようとしているように見えたが。
残念ながら、彼はぴたりとエマに寄り添い、そして言い続けていた。
『適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。適正量の薬を飲んだんだ。エマエマエマエマエマエマ。適正量を。エマ。適正量を飲んだんだ。エマエマエマエマエマ。適正量を飲んだんだ。エマ教えてくれ。エマ。なぜ
こんなことに』
その様子を見て、ソフィアは胸が詰まる。
逃げていくエマ。それを追うサイモン。
彼が本当の答えを聞き出すことなど叶わぬことだろう。その叶わぬことに縛られている辛さ。
「ねぇ」
不意に女性の声が間近に聞こえ、ソフィアは目をまたたかせて顔を上げた。
すぐそばには。
銀髪の女性が立っていた。
紺色のワンピースに裸足。菫色の瞳の脇には、泣きぼくろが見える。
ナターシャだ。
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