第34話 緊急訓練の話 6
言われて、ソフィアは戸惑う。
アンリから見せられた写真は二枚。
一枚は、公園を背景に、交差点を横断しようとしている写真。
二枚目は、友人らしい女性と談笑している写真。
「旅行に一緒に行ったり、有名レストランに行った記念に撮るような写真だった?」
繰り返し尋ねられ、ソフィアはたじろいだ。
違う。
あれは、日常だ。
日常の、風景だった。
「それにさ。『撮ってあげる』って、声かけした場合、視線って、カメラにむくんじゃない?」
ライトは、やはり穏やかに笑う。その語尾に「十五度」とアナウンスが傾斜を告げた。がくり、とソフィアは耐えきれずにシートに凭れる。
ライトはそんな彼女の顔を上からのぞき込み、綺麗な笑みを見せる。
「あれ、どう見ても、盗撮だよ」
言われて、ソフィアは絶句する。
「……だって……」
ようやく呟いた声に、「二十度。敵艦をこのまま躱します」。アナウンスが被さる。
「アンリさんは、別れた彼女だ、って」
そう言っていたではないか。
つきあい始めた当初は大人しく自分に従う子だったが、徐々に執着し始め、束縛してきたのだ、と。
だから、別れたのだ、と。
写真だって、あの二枚しか見ていないが、たくさんあるようだった。スクロールしている姿をソフィアは覚えている。見せてもらったのは、あの二枚だが、きっと別の写真ではふたり並んだ写真や、撮影者の方を見て微笑む恋人の写真もあるのではないか。
「写真……。きっと、他にもあって……」
「あの二枚しか、まともに『他人』には見せられないんじゃない?」
ライトはやっぱり端正な顔に笑みを浮かべる。可笑しそうに、くつり、と声までたてた。
「いっぱい、写真スクロールしてたけど……。怖いね。他の写真、どんなだろう」
愉快そうにそんなことを呟くライトに、ソフィアはぞっとする。
「『最初は従順だったのに、だんだん俺に対して「どこに行くの」とか「私も一緒に連れて行って」とか……』」
ライトは、よどみなくそう言う。ソフィアは顎を上げ、仰向けにライトを見上げたまま、軽く顎を引いた。
「アンリ、言ってたじゃない?」
「ええ」
ライトはソフィアの顔を見下ろしたまま、目を細める。
「そりゃ、誘拐してきた当初は、従順だとおもうよ。だって、逆らった殺されるんだもん」
ライトの言葉を、ソフィアは呆然と聞く。「え? 誘拐?」。思わず尋ね返したとき、アナウンスが室内に響いた。
「敵艦との距離、なし。真下にいます。このままの角度を保って回避」
「ああ、これで傾斜は元にもどるんじゃないかな」
暢気にライトが言う。
「そうじゃなくって……っ!」
ソフィアは彼に言葉をぶつける。
「誘拐って言いました!?」
「正確にはなんと言うのか知らないよ?」
ライトは首を傾げてみせる。
「どうやって彼女に……。ナターシャだったっけ。彼女に声をかけて監禁したのかは知らないけどさ。ただ、そうやって〝恋人〟にしたんだろう。で、〝恋人〟は当初、従順だった。恐怖から」
ライトの瞳は室内の照明を受けて、つるり、と輝く。
「だけど、時間と共にアンリと関係ができはじめたら、訴えたんだろう。『ここから出して欲しい』って」
その言葉に、ソフィアは「あ」と、呟く。
『どこに行くの』
それは、「私を置いてどこに行くの」ではないのか。
誘拐・監禁された当初は、むしろアンリが監禁部屋から出て行って欲しい一心だったかも知れない。彼が自分から離れる方が、脱走する機会が出てくる。
だが。
ここから出られない、と気づいたとき、彼女は思ったのだ。訴えた。
『私も一緒に連れて行って』
それは、嫉妬から出た言葉ではなく、切実な願いだったに違いない。切迫した危機から来る恐怖の言葉だ。
加害者と一緒でも良い。
外に出たい、と。
「……今、彼女はどこに……」
呆然とソフィアは呟く。
「さぁ」
ライトは肩を竦める。その表情は本当に興味がなさそうだ。
「さぁ、って!」
ソフィアは怒鳴る。
「アンリさんはこの艦に三ヶ月も乗ってるんですよ!? 彼女、まさか……」
閉じ込められたままなんじゃ……。
ソフィアはその怖ろしい予想を、空気と一緒に飲み込んだ。
自分を監禁している男の素性を、ナターシャがどこまで知っているのかは分からない。アンリだって、どこまで話したのか。
だが。
彼の服装や勤務実態、会話内容を考えあわせ、ある程度ナターシャは気づいたのではないだろうか。
長期間、自分が放置されることを。
だから、しつこく訴えたのだ。話しかけたのだ。「どこに行くの」「私も一緒に連れて行って」と。
「アンリは生き霊に付きまとわれている、って言ってたけど」
ライトは穏やかな笑みを浮かべたまま、ソフィアを見る。
「あれ、死霊だよ」
彼の言葉が、背中を撫でる。
落ちついていて、静かで。
決して荒い声では無いのに。
それを聞いたソフィアは、小さく悲鳴を上げた。
「回避成功。傾斜、戻します」
その彼女の声に続いたのは、合成音声だ。
ぐらり、とソフィアの上半身が前に揺れたのは、傾斜のせいだけではない。
ライトの言葉が、自分でも思わぬほど心を砕いた。
――― あの人、もう、生きてないんだ……。
『助けて』
では、あの文字は、自分を探してくれ、ということだろうか。
「あのね、ソフィア」
項垂れるように人形を抱えていたソフィアに、背後からライトが声をかけてくる。
「人間は嘘をつくんだよ」
ソフィアは振り返りもせず、彼の声を聞いた。アナウンスが傾斜を告げ、自分の体は徐々に平行になりつつある。
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