一章 二節 部活なんて大嫌い



 今日の学校生活の終わりを告げるがなり、いつも通りのまばらな挨拶が教室内に響いた。


「ありがとうございました」


 挨拶が終わった瞬間に騒ぎだす猿どもや、さっさと荷物を持って帰宅しようとする人、部活に行こうとする人など、変わらぬ光景が広がっていた。


 普段なら私もすぐに教室から出ていく人間の一人だ。教科書類をリュックにしまって背負い、部活のバックを手にとって、一軍に絡まれる前に逃げるのだ。


「ねーえー天音さーん、ちょっといいですか?」


 氷斗さんこの異物のせいで、そうもいかなくなったみたいだけれど。


「……なんですか、私早く部活吹奏楽部にいきたいんですけど」


 本当はそんなこと一ミリも思っていないのに、氷斗さんを振り払うためだけに嘘を紡いだ。


「いいじゃん、ちょっとくらい構ってよ。いつも部活なんて嫌いだーって叫んでるでしょ?」


「確かに……そうですけど、早くいかないと怒られるの私なんですよ」


 私が無理やり会話を断ち切って終わらせようとしても、執拗に尋ねてくる氷斗さん。長い年月蓄積された油汚れみたいにしつこいと思う。


「あのなんだっけ……先輩のせいでしょ? 名前忘れちゃったけど」


「……」


 氷斗さんの言うとおり私の部活嫌いの理由は、先輩にある。私は美鈴先輩、この人の事が特に嫌いだった。


 美鈴先輩は、トランペットパート直属の先輩だ。取り巻きが二人いて、いつも私をいじめてくる。


 部活に行けばすぐ何かしら理不尽なことで怒られる。下手をすれば、楽器すら吹かせてもらえないこともある。


 こっちは練習をしているのに、変な理由で叱りつける事なんて日常茶飯事。怒っている時間だけで部活の時間が終わることも珍しくない。


 反抗しようにも年功序列というふざけた制度のせいで、ろくなことが出来ない。もう終わってると思う。


 周りの人間だって誰も止めようとしない。笑ってその姿を眺める人、ただあわれみの視線だけを送ってくる人、そもそも見すらしない人。


 先生に言おうにも先生は役に立たないから意味がない。要するに、私には手が何もないから耐えるしかないのだ。私には特殊な趣味マゾヒズムもないし、その時間を楽しいと思えることはない。


「天音さん表情固いですよ? なんか思い出しちゃった?」


「まあ、はい……あ、そういえば氷斗さんって部活どこでしたっけ」


 これ以上この話題を続けていてもただただ嫌な気分になるだけなので話題を変えることにした。


「僕の部活まで忘れちゃったんですか。全く……天音さんの記憶力はおばあちゃんですか」


 不自然に上がった口角から察するに、私を挑発して煽りコンボに持ってこうとしているのだろう。コンボにはまると面倒なので、表情を変えずに淡々とした声でもう一度同じ事を尋ねる。


「どこの部活ですか?」


「ちぇ、無視ですか……まあ良いや、貴女と同じ吹奏楽部ですよ。トランペットパートのね」


 最悪だ、という言葉が一瞬頭に浮かんだ。先輩の対応に加えて、この人と会話をしなければならないのか。


「本当に何も覚えてないんですね……本格的に頭のお医者さん言った方がいいんじゃないですか?」


 私の考えなんて何も知らずにそんな発言をしてくる氷斗さん。本当に無神経だと思うが……あっち目線から考えるとそう思うのも当然なのかもしれない、いや言い過ぎだけど。


「……とりあえず、それじゃあ早く部活行きませんか?」


 これ以上面倒なのに絡まれる前に、という言葉を省略する。


「それもそうですね、天音さん」


 やっぱりどっち付かずの曖昧な表情で笑う氷斗さん。その顔はまるで道化師ピエロのようだ。いいや、彼そのものの存在自体がそれに近いのかもしれない。


 ネットでもいつもそうだった。掴み所がなくて、いつもへらへら笑ってる。そのくせたまに確信を突くような事をいって相手を困らせたり、逆に追い込まれていたり。


 私が知っている事と言えば、本来この人は私より二つ年上だと言うことだけ。それ以外の事は何も知らないし、あまり興味もなかった。


「何してるんです? ボーッとつったって。ほら、早く行こう言ったのは誰ですか?」


 いつの間にか教室の出口付近にいた氷斗さんが、大声で私を呼んでいる。


「あ……ごめんなさい、すぐ行きます!!」


「全く、僕もあの先輩嫌いだから怒られたくないんですよ」


「それじゃあ最初から呼び止めなければ……」


「道連れは大事じゃないですか」


「さいっていですね」


 今度は道化の微笑みではなく、清々しいほどの笑顔を浮かべる氷斗さん。


「お褒めいただき光栄です」


「褒めてないわ」


 私が軽く睨んでも、氷斗さんの表彰は変わらない。むしろこの状況を心の底から楽しいんでいるという感じがする。


 いつの間にか、空いている左手でスカートの裾を握っていた。


「天音さん顔こわーい」


「……」


「無視しないで、冗談ですから……じゃ、そろそろ行きましょうか」


 少しこちらを見て微笑んだあと、氷斗さんはゆっくりと歩き始めた。私もその後ろをついていく。どうせ目的地は同じだから。


 余談だが、元々終わるのが遅かったホームルームのせいで私達が部活に遅刻して二人仲良く先輩に怒られた。私は悪くない、全部呼び止めた氷斗さんのせいだ。

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