地上 その四の二

 これで何度目の呼び出しだろうか。

 近藤は時間感覚の麻痺した頭のまま、青白く伸びる廊下の奥に向かって硬い小刻みな足音を響かせていた。


 管制センターの現場を部下に任せ、仮眠室のベッドに身体を横たえたのがおそらく三十分ほど前。瞼を閉じても一向にテンションの下がらない脳味噌をなんとかなだめて、ようやく意識がふわりと漂い始めたところに左手首のハンディフォンが不快な振動を伝えてきたのだった。おかげで仮眠室に入る前よりも質の悪い頭痛が眼球の裏側あたりで脈打ち、もやもやとした嘔吐感が顔の周囲にまとわりついている。胸の奥には不自然に強い鼓動があり、暑くもないのに滲み出す汗が下着を冷たく濡らす。並の病人よりも明らかに具合が悪かった。


 廊下の突き当たりを右に曲がった先、右手二つ目のドアが目指すセンター長室だ。今度も決して愉快な話ではないだろう。近藤は曲がり角の手前でいったん立ち止まり、こめかみに当てた親指と中指にぐっと力を込め、唇を割って漏れ出ようとする生あくびを噛み殺した。


「〈もちづき〉の落下地点が判明した」


 近藤がドアを後ろ手に閉めるなり、富永の声が飛んできた。相変わらずまるで澱みのない、研ぎ澄ましたナイフの刃先を思わせる明解な言葉だった。


「良くない場所ですか」

 発声してから、変な日本語だと思った。まだ頭が完全に覚醒していないのだろう。それにしても富永は、いったいいつ休息をとっているのだろうか。近藤自身、自分はタフな方だと思っていたが、富永はレベルが違う。別次元の住人としか思えない。


「北緯三十四度、西経一一八度を中心とする半径五十キロのエリアに八十パーセントの確率で落ちる」

「申しわけありません、そこはどのあたりでしょう」

「君から見て右側の大型モニターに表示している」

 言われて初めて、そこに北米大陸の衛星写真が投影されていることに気づいた。西海岸の中ほどに赤く塗りつぶされた円がある。

「ロサンゼルス市――」

「そうだ。一月現在の人口は三百十五万人。落下地点としてはできれば避けたかった場所だな」


 ジョークなのか? いや、素の発言なのだろう。

 とにかく近藤の頭は一気に覚醒した。地球全表面の七割は海洋だというのに、よりによって陸地のしかも人口密集地帯とは、不運が重なるにしても程がある。だが不運を嘆いている場合ではない。何をおいてでも落下地点変更の方策を考えなければならない。

「至急――」

「至急どうするのかね」

「対策を検討しなければ」

「どうして君たちはそろいもそろって、何の役にも立たない抽象的な発言をするのだ。もっと効率的に行動することを心がけたまえ。落下地点変更に必要な処置は検討済みだ。だがその処置は〈もちづき〉との通信手段が存在することを前提としている。君には通信手段の回復見通しについての現状が聞きたい。そのためにこうして呼んでいる。回復の見通しが立たない場合は代替の手段を検討する必要がある」


 富永にしては言葉数が多い。かなり苛立っていることは間違いない。近藤は徐々に冴えてきた頭脳をフル回転させて、求められている回答を組み立てた。


「通信途絶の原因は流星との衝突による予備アンテナの破損によるものと考えられます。アンテナの修理には最短四時間の船外活動と二時間の機能回復作業が必要ですが、破損状態によってはそれ以上、もしくは地上からの交換部品が必要となります。ただし、今後の流星出現の可能性もまだ残っていますから、常識的には船外活動は行わない状況です。もしかすれば〈もちづき〉独自の判断で修理に着手しているかもしれませんが、これまでに回復の兆候は認められません。以上から、修理による復旧は不可能とすべきでしょう」

「なるほど。で、代替の手段はあるのか」

「搭乗員救助用に打ち上げる中国のシャトルに簡易型通信ユニット一式を搭載できれば、二時間程度の調整作業で通信を確保できると思われます」

「よし、それでいい」


 富永は視線を落とし端末を操作し始めた。関係部局に対し、近藤の提案に基づく作業を指示しているのだろう。


「あの、質問よろしいでしょうか」

「何だ」

 顔を上げないままだが、拒絶の反応ではなかった。

「通信が復旧したとして、どのような方法で落下地点の変更を行うのでしょうか」

「姿勢制御用のブースターを使う。メインエンジンとは別の燃料系統だから無傷なのだ。あらかじめこちらで計算したタイミングでブースターの噴射を行い、周回軌道の変更を行う。そして海に落とす」


 落とす、という言葉が胸に刺さる。が、感情的なことを排除すれば、適切な処置と思えた。なるほど、姿勢制御用ブースターにはメインエンジンほどの推力はないため高度回復は無理だが、落下地点を変更するぐらいの軌道変更は可能かもしれない。いや、富永が採用した手段だから可能なのだ。だが、この方法にも一つ問題がある。


「簡易型通信ユニットを〈もちづき〉の制御系に接続するには別途プロトコルコンバーターの設置に加えて十時間程度の調整が必要です」

「音声通信が確保できればそれでいい。長谷川君は手動による姿勢制御の訓練を受けている。記録によれば、昨年実施した実技テストの成績もA判定だ」

「それは――」

 やはり、長谷川の帰還はないのだ。

〈もちづき〉との通信途絶後も全員帰還の手段は模索されていた。まず中国のシャトル改造による輸送人員の増員が検討されたが時間的に無理との結論に至った。次の手段として、緊急脱出カプセルをシャトルの貨物スペースに積載して持っていくという案も出されていたが、カプセルの形状の関係で分解・組み立てを前提としなければ無理ということで、残り時間の関係上この案も破棄せざるを得ない。それになにより、今の富永の話によれば、〈もちづき〉の軌道変更は長谷川の手動操作を前提としている。ならば帰還手段の確保の有無に関わらず、長谷川は大気圏突入の瞬間まで〈もちづき〉に留まらざるを得ないということではないか。


 万策尽きた、ということだ。


 見れば富永は、もうすでに近藤の存在などないかのように端末の作業に集中している。モードが次の仕事に切り替わったのだろう。

 近藤は軽く一礼し、出口に向かった。無力感で足の裏に当たる床の感触がふわふわと頼りない。機械的に残りの数歩を消化し、冷たいドアノブに手をかけたとき、背後から富永の言葉が投げかけられた。


「今回の対応についてアメリカから矢の催促だったが、これで堂々と渡り合える目処がついた。適切な提案、感謝する」

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