第十七恋 「好き」と「推し」は違うオタク君

 俺にとってキャラクターへの「推し」と「好き」はかなり違う。

 「推し」っていうのは、推挙の推の字を使うことからも分かるように、とにかく推す存在。このキャラクターに人生を救われた俺にとっては神様みたいなものであり、最早崇拝していると言っても過言ではない。唯一神だから他のコンテンツも併せて見たとしても「推し」は一人しかいない。よく「推しだー」なんて声を聞くけれど、俺の中では「推し」と名を冠して良いのは一人だけ。そんで「推し」という称号?もそんな軽いものでは無い。面倒なのは自覚しているが、ずっとそう思っているので多分これからも変わることはないと思う。掛け持ちをしているオタクだと自己紹介すると「推しって誰?」とそれぞれのコンテンツで聞かれるが、この価値観を説明するのも大変なので「この人だよ。」とサラッと答えている。もちろん心の中では凄い色々言っているけれど。

 「好き」は「推し」の下というとアレだけど、なんだろ。「推し」っていう感情は「好き」の殿堂入り。うん。だから「好き」はそんな感じ。つまり周りに聞かれて答える「推し」ではない「推し」は厳密には「好き」なキャラクターだ。

 これを踏まえて、俺が懸想相手としてキャラクターに抱いている「好き」は、なんかやっぱり「推し」の下の「好き」とは違う感じがする。どう表現したら良いのかまだよく分かっていないけれど、なんか特別って思える。「恋心なのだから当たり前と言えば当たり前だ」と言われそうだな。でも本当に彼だけは、家族とも友人とも推しとも好きとも違う「好き」の感情が溢れる。なのにちょっとしたことで嬉しくなったり、悲しくなったり、不安になったりする。

 我ながら乙女かよ。

 自虐気味にそう思うが、感情が止まることはない。恋をするってこういうことかね。間違っても幹孝以外に打ち明ける気は無いけれど。

 もし俺が他の人に恋心を抱くようになったら。

 相思相愛の3次元ではさぞ大問題になるのだろう。泥沼の別れ話とか喧嘩とかが起こる。多分。でも俺の場合は何もない。永遠に返ってこないキャッチボールをしている。それでも良いとか悪いとかはない。好きになった。それだけなのだからそれを受け入れている。

 今夜は満月だからか、支離滅裂でどうでもいいことをグダグダと考えてしまう。推しや好きなキャラのことを考える方がよっぽど精神衛生にも良いし有意義な時間の使い方なのにな。

 「まぁ、たまにはこんな時間も良いか。」

 ぼやきが聞こえたのかのように月に雲がかかった。月には叢雲、花には風。そんなことを思い出しながら大人しく目を閉じた。

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