第6話


 あれからすぐに旅支度を整え、慌ただしく出発し十日と少し。基本的には街道を旅し、幸い魔物や賊などに襲われることもなく、途中いくつかの村や町を経由して、三人は何事もなく、件の洞窟までやってきていた。


「こんなところあったんだねえ」


 聖が洞くつを眺めつつ、そんな声を上げた。


「前に来た時は、この少し手前で一日過ごしてから中に行ったんだけどね」


 レツが苦笑しながら、今日は普通に行けちゃいそうだけど、と続けた。

 さすがに十日以上一緒に旅をしていたら、多少は硬さもとれる。敬語はいらない、といわれた当初は戸惑い、慣れなかったが、今は変な遠慮も余計な警戒も、特にせずに過ごせるようになったところだ。

 あらためて見上げた洞くつは大きく、中から流れ出てくる川も変わらずで、当時の記憶を彷彿とさせるが。……普通の、洞くつだ。なんなら記憶より、小さい気までしてくる。洞くつ出口周りは平坦で、水流も洞くつ内部よりはるかに穏やかで、普通に入っていけそうなくらいである。もちろん、半ばは深くなっているし、見た目よりは流れが強いのかもしれないけれど。

 春も終わりごろのよく晴れた今日、日はまだ高く、陽気は穏やかだけれど、洞くつ内部からはひんやりとした空気が漂ってくる。そんなところまで、あの時のままだった。

 正直なところを言えば、レツはここに来るのは少し怖かった。当時の記憶から、ここはすごく、怖いというイメージがついてしまっていたから。

 だが、実際こうしてきてみると……もちろん、嫌な記憶ではある。少し怖い、という思いも変わることはない。だが……どうしても行きたくない、というほどでは、ない。

 あの場所で、同じ感想を抱けるかどうかはわからないが。


「とりあえずはその、ショウ君が落ちたってとこまで行ってみないとわかんないかなー」


 聖が、うーん、とほほに軽く人差し指を当てて、かわいらしく小首をかしげながら。


「特にそれっぽい感じはしないし……魔力的にはやっぱり……」


 何やらブツブツ、洞くつ内部を眺めやりつつ言っている。


「洞くつ結構入り組んでた気がしてて……前のところまでの道、さすがに覚えてないんだよね……」


 レツがちょっとすまなさそうに言うが、まあそりゃあ仕方ないだろう、とブレットが同意を示した。


「4年もたってるって話だし、マッピングしながら進んでたならともかく、子供のころの話だろ? 無理もない」


 そう言ってから彼も洞くつ内部を見やり、それより、と続ける。


「魔物と強い魔力の気配がする。ダンジョン化しかかってないか?」

「ダンジョン化……って……」


 レツはごくり、とつばを飲み込んだ。

 ダンジョン化。魔力が淀んだり、強い魔力がたまったり、瘴気が集まったりすることで、そのエリアそのものが核を持ち、成長するエリアとなってしまうことだ。場所によっては魔物を生み出したり、なぜか宝が生まれたりする。なぜそのようなことになるのかは正確には判明していないが、一説には、核を中心とした魔力生命体に変質してしまうのではないかと言われている。総じて、ダンジョン化してしまうと、核を破壊しない限り成長し続けてしまうため、魔物が大量に生まれてしまうのだ。周囲に魔素を増やしたり魔力を強めたり、ダンジョンごとにいろいろと特徴のある素材が集められたりといいこともあるが、付き合い方を間違えたり、対処できるところ以外に存在すると、とても危険な代物だった。


「あー、それはないと思う。魔物は多少はいそうだけど……大丈夫、魔力はこれショウ君のだと思うから」


 聖がそれを否定しつつ、意に介さぬ口調で言うと、ブレットが目を見開いて、ありえないだろ!? と即答した。


「普通に肌で感じるレベルの量だぞ!? 空気に溶けてる量でこの魔力濃度だし、これ、一人の人間がため込めるレベルじゃないだろ!?」

「そんなこと言われてもなあ……なーんでこんな魔力が漏れ出てんのかはしんないけどさあ。

 人間の魔力だから、ダンジョン化するようなことにはなんないと思うよ」


 とても面倒くさそうな様子で聖が言うと、なんでそんなこと言いきれる、とブレットが憮然とした様子で呟き。


「そもそもショウの魔力だと言い切れる根拠はなんだよ。いくらお前がその……噂通りだとしても、それだけで判断できる理由にはならないだろ」


 ブレットの言葉に、レツが怪訝そうな顔をした。


「噂?」


 いかんせんレツは、少年時代から今まで、あまり人と関わらずに引きこもってしまっている。世間の事情にはだいぶ疎い方だという自覚もあった。ブレットを見やり、なにかあるの? と純粋な好奇心からそれを聞く。するとブレットは、信じられないものを見るような目でレツを見て言った。


「お前、本当に知らないのか……!? 冒険者界隈では有名な話だぞ!?」

「そんなこと言われても……僕冒険者じゃないし」


 レツもやや憮然としながら口をとがらせる。


「冒険者じゃなくても、そもそもショウは有名だろ? だったら聞いたことくらいあるだろうが」


 そもそもショウが有名だ、というのは両親がそんな話をしていた程度にしか知らないし、どちらかといえばとても強い冒険者、と聞かされていたから、実際は前に冒険者ギルドに一緒に行ったときに話しかけられた様子から、有名なんだなあ、くらいにしかわからない。聞いたこと、なんて言われても、そんなものはない。


「そんなの知らないよ。しかもなんで聖のことなのにショウ君がでてくるの」


 ブレットが、本気で言ってるのかこいつ、という目でレツを見るが、レツの瞳に嘘を言っている様子はない。ブレットはしばし黙してから、はぁぁぁ、と大きなため息をつくと、噂とやらを説明し始めた。


「ショウとよく組む、すげえ美人な魔道士がいる、って話があってな。名前は出回ってないんだが、世間やギルドじゃ、恋人か嫁さんなんじゃないかって言われてんだよ。間違いなく、聖のことだろ」


 美人な魔道士。恋人か嫁。―――嫁!?


「はっ!? えっ!?」


 ばっと振り向き、聖を見て、レツが口をパクパクさせて。

 美人……そうだね、美人だと思う。それも、類まれなる、とか、他に類を見ない、って形容詞を付けてもいいレベルだ。絶世の美女ってやつだ。そんな噂になるのなら、彼女で間違いはないだろう。ってことは……えええ、ショウ君、お嫁さんがいたの!?

 両親からも周りからも、親戚ながらそんな話は聞いてない!


「あー、その話かあ」


 言われた聖は苦笑して、パタパタと手を振る。


「嘘だからそれ。あたしたちはただの腐れ縁っていうか、仲間。一緒にいる時間が長いからそういわれるだけだと思うよ」


 そう言いながらごそごそ胸元をあさり、細いチェーンで首から下げている魔法石のペンダントを引っ張り出して。


「で、生きててショウ君の魔力が漏れてるんじゃないかなーっていう理由がコレ。この魔法石、彼の魔力入りなんだよね」


 それは、銅貨ほどの大きさの、深い空色の澄んだ魔法石だった。ショウの瞳の色によく似ている。そしてそれは、ぼうっと薄く発光しているようだった。


「ちょっと光ってるでしょ? 周りの魔力に反応してるんだと思う」


 そもそも死んでたら色が落ちるはずだし、と彼女は続ける。それを見聞きし、ブレットが半眼で、


「……魔力入りの魔法石送られてて、しかもそれ身に着けてて、恋人じゃないとかありえないだろ……」


 ぼやく。

 それに対しても聖はさして気にした様子もなく、だから仲間だって、と軽い口調で言った。


「ちょっと訳ありで貰ったの。それに、あっちもあたしの魔法石とか持ってるし。っていうかあの魔法オタク、思いついたらなんでも作るし何でも欲しがるんだから」


 まったく、とあきれた様子で聖は話す。少なくてもその様子に、魔法石を交換してときめく、というような甘い雰囲気は微塵もない。

 魔力を他人に渡すということが、危険なことはレツにもわかる。だから本来は、家族や結婚相手などの信頼できる相手にしか渡さないし、逆にそれを渡すということは相手を信頼している証でもある。そもそも今どき、魔法石に魔力を入れて渡すなんてこと、まずありえない。魔法石自体が高いし、魔力入りなんて作るのがとても大変で、だからこそ若い女の子が夢見がちに、恋人同士でできたらいいねなんて語るネタになるものなのだ。


「けどよ……普通に魔力入りの魔法石なんて、悪用されたらやばいものだろ?」


 ブレットがまだ信じきれない様子で言い募るが、聖が小さくかぶりを振って、無理無理、と。


「悪用はできないって、ちょっと訳ありだって言ったでしょ。そもそも仮に悪用したとしても、お互いすぐにばれるんだし」


 それでもまだ納得のいかない顔をしているブレットに、聖が面倒くさそうに続ける。


「そんなに気になるなら本人にあとで聞いてみたらいいじゃない」


 その話はおしまい、とばかりに聖が洞窟へ意識を戻したことで、ブレットもさすがに押し黙った。レツとしても疑問が残るが、確かにそれは……彼が生きているのならば……本人に聞いてみればいいことでもある。

 生きて、いれば。

 レツは今一度、洞くつを見上げた。

 もしかしたら、この奥に。

 あの時、諦めたものがこの奥にあるのかもしれない。

 レツは小さく頭を振る。期待しすぎるのは、よくない。けど、聖の言葉を信じ、魔法石を信じるなら……生きている可能性は、確かにある。

 聖はショウが生きていることを信じて疑わない様子だ。それはとても、そうであることが当然のようで。

 ついその当たり前に、引っ張られそうになる程度には、自然に。


「それじゃ、行ってみましょうか」


 とても軽い口調のまま、聖がためらいなく洞窟へ足を踏み入れる。

 不服そうな表情のままブレットが聖を追いかけ、レツもあわてて後を追った。

 ぴちゃん、とどこかで水音が聞こえる。

 冷たい、湿った空気。外からだと真っ暗に見えたのに、意外と明るい洞窟内。

 何もかも、あの時の記憶のままだった。


「意外と広いんだな」


 ブレットが周囲への警戒は怠らないまま、気負わない口調でそう呟く。

 入り口付近のこの辺りは、まだ洞窟内の水流も、それほど激しいものではない。昔はとても、強く見えたのに。


「ここの洞窟自体が、水に削られてできたのかもね。……それにしてはちょっと、通り歩き出来すぎる気もするけど」


 聖が手のひらの上に、小さな光の魔法を灯して先頭を歩く。薄く淡い光は、あの当時と違い洞窟内を広く照らして周囲を見せてくれる。

 壁や天井にたくさん生えたヒカリゴケ、その割に地面はそれほど、苔むしていない。川の近くの岩はごつごつぼこぼこしていて、水に削られ少し丸みも帯びていた。

 こんな洞窟だったんだ、と、改めてレツは周囲を見渡しながら、聖の後ろをついていく。いつの間にかブレットが、レツの後ろに回っていた。しんがりを担ってくれているらしい。


「……少し、人工的な感じはするよな」


 周囲に目配せながら、ブレットが言う。聖が、そうだね、と小さく頷くのが見えるが、レツにはそれはわからない。彼らにみえているものと、自分の見えているものに、どんな違いがあるんだろう。


「人工的、なの?」


 レツが少し後ろに目をやってブレットを見ると、彼は一つ頷いて、例えば、と少しだけ地面に視線を落とす。


「歩きやすすぎるし。整備されてるって程じゃないけど、自然の洞窟なら、ダンジョンならともかく、こんなに平坦なわけないし」


 言いつつ今度は天井を見やり。


「天井も高いし、こんなにヒカリゴケが均等に植わってるのもおかしい。これ、光源無くても歩く程度はできるよな?」


 ブレットがそう聖に同意を求めると、彼女も頷き、歩くだけなら要らないと思う、とその言葉を肯定した。

 確かに4年前、レツとショウが二人で探索した際に、道中進むだけならば、特に不便した覚えはない。


「レツが受けた依頼、案外外れじゃなかったのかもね」


 聖がそう言うが、レツは少し考えながら、でも、とそれを否定する。


「あの時の依頼にあった、遺跡っぽい物とか……紋章とか、文様とか。そう言うのは全然、なかったと思うんだけど」


 まさかその辺のヒカリゴケの裏に隠されていたんだろうか。

 でもたまにショウ君、ヒカリゴケ削って印付けながら、周り見てた気がするんだよなあ。


「見えないところにあった、って可能性もあるけど……ま、そこはいいでしょ。見えるところにはなかった、ってことで、あったとしても廃れたものだったんだろうし」


 聖が軽くそう言ったとき、少しだけ広い空間に出た。

 水音が遠い。入ってきた通路とは別の出口は二つで、どこも水に面してはいない。

 最終的に行きたいところは水の通った広間だが、道中は確かにこうして、水流のないところも通って行った覚えはあった。


「どっちだかわかるか?」


 ブレットに聞かれ、レツはうーんと記憶を掘り起こしてみるが。

 すぐに小さく首を振り、覚えてない、と小さく呟く。

 分岐もそれなりにあったと思ったし、そもそも洞くつ内部のこういうところは、どこも似たり寄ったりの見た目だった。いちいちどっちかなんて、覚えてるはずがない。

 ああ、だからショウは毎回、壁に少し印をつけていたんだろう、なんて、今更そんな当たり前のことに気が付く。


「4年前は、ショウ君が全部わかるようにしてくれてて……通路とかにも、印付けてた気はするんだけど。さすがに残ってないんじゃないかなあ」


 ヒカリゴケを削ってつけていたようだから、もうきっと、もしゃもしゃ生えちゃってるんじゃなかろうか。そもそも行きどまって引き返した道もあったはずだし、どういう道順だったかすら、覚えていない。

 レツがそう言ってブレットをみると、彼は、ふむ、と少しだけ顎に手を当てて、ちらりと二本の通路を見る。

 近づいて通路のそばを確認し、ブレットは、んーと少し悩んだ末に、こっちだな、と右の道を指示した。

 聖はそれに頷いて、ためらうことなく右の道を進む。レツも急いでその後ろを追いかけながら、わかるの? とブレットに問えば。


「たぶんな。ヒカリゴケの生え方がまばらだったし、左の道は人が通った後が薄かったし」


 レツは少し呆気にとられ、そうなんだ、となんとかそれを口にする。

 冒険者って、そんなこともわかるんだ。

 感心しながら、ちらりとブレットを伺いみる。

 なんだか、彼がとても頼もしく見えた。

 ……それはまるで、昔の、彼のように。

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