芦川ヒカリの憂鬱Ⅳ 8


「……そんなの、嫌だ」


 いやだ。


 忘れられたくない。


 こんなこと、平気なわけがない。


 ずっと一緒で家族みたいだった古泉も、隣の席で厄介な転校生を見守ってくれたキョンも、任せてくれって言ったのに。

 本当に、もう俺のことがわからないんだ。手を触ってもダメ、こうしてノートを開いていても見向きもされない。印象深い出来事なんて、目の前の正しい出来事の、大いなる流れに簡単に押しつぶされる。世界が決まった道筋を通ろうとする濁流は、俺みたいな存在を簡単に飲み込んでしまう。

 俺がいないことで原作通りに進む涼宮ハルヒの世界で、俺は願い通り“傍観者”になれた。よかったじゃないか、ハルヒたちを近くで見ているだけの世界だ。これを願ってたんだろ。俺はなにもしなくてよくて、代わりに俺のせいで起きる事件は一つもない。

 これが最適解なんだろ? 逸脱事項が起きないっていうのはこういうことだ。原作者にも編集者にも角川にも、ファンにもSOS団のメンバーにも、誰にも迷惑をかけない正しい世界だ。これが、俺もみんなも大好きな、原作が汚れない美しい世界だ。俺はそれを願ったんだろう。ただ近くで見たいなら、透明人間だっていいじゃないか。

 これで合ってるんだろ? なら、なんで悔しそうなんだよ、俺。どうして寂しく思うんだよ。自分がSOS団の一員になるなんて妄想は痛いんじゃなかったのか。違う。恥ずかしいんじゃなかったのか。そうじゃない。中学でやめてなくちゃいけなくて、キモがられるだけなんだろ。そんなこと、どうだっていい。ハルヒのオタクをやめたかったんだろ。そんなことは、ありえない。

 だって、そのどれもが本気で願ったことじゃない。

 俺が本気で願ったのは、SOS団に入ること。みんなに混ぜてもらうことだ。一緒に不思議な体験をしたい。それができないハルヒを、いっぱい喜ばせたい。周りにどれだけ頭のおかしいやつだと思われたって、頭の中は制御できなかった。一人、また一人と友達が離れていった。でも、俺はハルヒが好きだった。大好きだった。諦められなかった。

 この夢を、捨てられなかった。捨てたフリをして、隠して、ずっと内緒にして、持っていた。


 なのに。どうして、なんでだよ。忘れないでよ。やっぱり俺って、こっちに来ても何も変わらないの? 何をしたって誰にも届かないの? 頑張っただけ報われるなんて、夢なの? 信じたら叶うなんて、そんなのは嘘なの? 俺がやってきたことって、なに?


 どれだけ喚いたって誰にも聞こえることはない。ただ、神人だけがまっすぐに俺を認識して歩いてくる。今まであいつには、「来い」と「止まれ」しか頼んでいない。来るなと命じたことはない。そして、それだけの余力はもはや俺にはない。朝倉は俺が困難を脱する姿を観察したいらしいが、果たしてそれは可能であろうか。

 そんなもの、重荷だ。俺にはなにもできない。できないよ、無理だよ。だって二人が俺のことをわからなくなったら、どうやってハルヒを説得すればいいの? まだなにも解決策だって見つかってないのに、いやだ、こんなところで一人で死にたくない。好きな人に、好きだと言ってくれた人に、忘れられたままなんて。

 なにもなかったことになっちゃうの? もう登校中、あのきつい坂道でだらだら話せないってこと? 谷口や国木田とふざけたりもできなくて、朝比奈さんの妙に熱いお茶をちまちま飲んだりとか、長門がハグで出迎えてくれたりすることもなくて。

 もう、お弁当箱をからっぽにして笑ってくれたりもしないのかよ。手を繋いで映画をみられないし、無理するなって頭を叩かれたり、なんでお前がこんな目に遭うんだって怒ってくれたり、さすがはヒカリねってきらきらした目で見て腕を引っ張って巻き込んでくれないって言うのか。

 全部、どこにも存在しない、俺だけの妄想に戻っちゃって、もう、俺はこの世界の誰にもいらないの?


「おい、おいおい。冗談じゃないぞ古泉、こっちに来てるじゃねえか」


 キョンが後ずさる。その革靴が広げていたノートを踏んで、塗っていたページが裂けた。あとちょっとで塗り終わりだったのに、破れてぐしゃぐしゃになってしまった。咄嗟に指を踏まれないように両手を抱え込むように抱きしめる。なにもできないまま、ぼんやりとと彼の足を見上げる。ここにいたら蹴られると思いながらも、俺は動けないでいる。なんでこんなところにいるんだろう。どうして願った世界で独りぼっちになっているんだろう。

 赤い球が、遠い空を悪い夢みたいに飛び回っている。ここのところ俺は来ていなかったからその分の対策をしていたはずなのに、かなり苦戦しているみたいだった。だったら、やっぱり毎回連れてきてくれたらよかったのに。呼んでくれたら、俺はいくらでも頑張ったよ。無理だってしたよ。頭が痛いのくらい我慢した。そうしたら、一秒でも長く古泉は俺を覚えていてくれたかもしれないのに。


 ハルヒ、俺を消したいならいくらでも方法はあったはずだよな。時間だって。それなのに、どうして今になってこんなことをしているんだ? お前は何にそんなに苦しんでいて、どうしてそれを俺に分け与えるようなことをするんだ? こんなの全然楽しくないよ、透明人間なんて、楽しくない──!


「ちっ、おい大丈夫なのかよ。またあいつがなにかやってるのか? あいつ、どこ行きやがっ……、あいつ……?」


 キョンは振り返り、俺を怪訝そうに見下ろしながら頭を振る。見えているのに、知覚しているのに、把握はできない。その状況は人間の脳に負荷を与えると長門は言った。古泉は発狂してもおかしくない、とも。

 泣きそうだ、悔しい、情けなくなる。居るだけで彼を苦しめるなんて、消えてなくなってしまいたいと、そう願いそうになる。目頭が熱い。怖くて手が震える。膝が笑っている。呼吸が不規則になり、歯ががちがちと音を立てる。痛いよ、頭がずっと痛い。こんなこと本当は全然やりたくない。

 でも、だってさ。君は「でも」も「だって」も禁止だって言ったけど。だけど、無視できないよ。もしかしたら君が危ないかもしれない。古泉も、機関も、“見たことがない神人の奇行”に消耗して、このままじゃジリ貧だ。それなら俺は、俺が二人に報いるには──。

 本当は、消えたくない。だからなにもしたくない。このままここで、めそめそと泣いていたい。慰められて、頑張ったねって褒められて、必要だよって言われたい。

 でも、誰にも見えなかったとしても、記憶に残らなかったとしても、それは怠慢の理由にはならない。それで君たちが傷つく理由には、もっとならない。そんな罪悪感を抱いてファンなんて名乗れないし、かと言って俺がこのまま消えて行ったら君たちは知りもしない人間の喪失に一生脅かされるんだろう。だからこそ、俺は俺のできることをしなければならない。


 俺の分も、朝比奈さんが泣いてくれた。みんなと約束してる。それを死亡フラグになんて、してはいけないだろ?


 もしもハルヒが招待した異世界人の率直な感想を求めているなら、それこそ俺はここで挫けてはいられない。やっぱりどこに逃げたって結果は同じでした、人生はつらいだけでした、俺にはどれだけ頑張っても無理でした、なんて死んでも言ってやらない。このまま傍観者でいたり諦めたりなんて、絶対にしない。


「とまれ、止まれとまれ、とまれ……っ!」


 ノートを拾い上げ、人型の枠線を描く。下から順番に鉛筆で黒く塗りつぶしていく。黒く、黒く、隙間のないように。神人の足元から、冷気を吸いあがらせるように固定するための情報を流し込んでいく。凍らせるように、コンクリートを塗り込むように外側から順に貼り付けていく。方法はどうでもいい。過程はなんでもいい。ただ、その動きを止めることに集中する。

 固定して、古泉たちの仕事をやりやすくする。誰が感じるわけでもないその変化を神人だけが感じ取れるなら、そして空間には作用するなら、この世界自体が俺を認識していないわけではないなら、能力の行使は、俺さえしっかりしていればできるはずだ。

 膝から下が動かない状態で、それでも巨人は上半身を進めようと藻掻く。結果、神人は両足を自らの自重で捥ぎながら、勢いをそのままに這いずるようにこちらに向かってくる。足も、既に失われた左腕も青白い煌めきに霧散していくのに。

 それでも尚懸命に俺を目指してくる巨体の右腕を空中で伸びた姿勢のまま固定すれば、すぐさまそこを赤い球が切り落とす。芋虫のようにのたうち回る身体を地面に縫い留めるように動けなくした後は、さながら解体ショーだった。

 悪いな、こっちも朝倉戦で少しはコツを掴んでいるんだ。


 肩で息をしながらその光景を眺めている俺と、茫然とするキョン。赤い球の内、一つがこちらにふわりと浮かんでビルの屋上にその長い足を降ろす。忌々しいことに髪をかき上げて、微笑みながら。俺が見えてないのに、誰に格好つけているんだかな。俺だけにやれ、馬鹿古泉め。


「お待たせしました」


 最後に一つ面白い物が観れますよ、と古泉は語り掛ける。それを合図にして空間が孵化しようとする卵の殻のようにひび割れ始める。キョンは口を開けたまま広がる亀裂を見上げていた。スペクタクルな光景に見とれて、他のことはなにも頭に入って来ないようだった。

 それでもいい。それでも、きっと、どこかのタイミングでキョンが思い出してくれることを俺は信じる。なんの繋がりも生まれなかっただなんて、そんなことはないはずだ。彼が怒ってくれたことも、悔やんでくれたことも、無駄にはならなかったのだと俺は信じたい。古泉とここで共闘した日々が、機関に奉仕した努力が、あいつが何を思ったか俺を大事に感じていた時間が、なくなっていいとは思いたくない。

 パリン。

 音はしなかった。だが俺には空間がひび割れる時にそう聞こえた気がした。きっと、キョンにも。瞬く間に雑踏と眩しい光が辺りを包む。それは帰還を知らせる合図のようだった。灰色の世界は既にどこにもなく、代わりに夜の帳が降りた街を電気の明かりが包み込んでいる。屋上遊園地にまで聞こえる人々のざわめき。車の駆動音。頬に感じる風。どれも得難い世界の営みだ。俺はきっと明日、その一部に戻ってみせる。


 到着したタクシーは自動で左後方座席の扉を開く。古泉が先に乗り込み、キョンが座る。当然、彼らに見えていない俺の居場所は計算されているわけがない。限界まで古泉と距離を取ったキョンにより、俺は乗り込むタイミングと場所を完全に失した。

 まさかと思ったがドアが閉まり、タクシーは非情にも発進してしまう。危なく指を挟まれるところだったが、足ぐらい挟んでおけば良かったかもしれない。後悔先に立たず。マジかよ。まずいことになった。

 後部座席の窓を叩くも、なにかぶつかったくらいにしか気づかれていない。まずい。足に自身がないわけではないが、なにせ土地勘がない。車と張り合えるほど速くもなければ、いつまでも追いかける持久力もない。インターチェンジもそう遠くはないから、急がなければ間に合わなくなる。かと言って、こんな普通の空間で能力を使えばこの場で瞬時に爆発四散もありえる。

 一応電車で自宅に戻ることはできるが、ただ、その間に絶望的な記憶の空白が生まれる可能性も捨てきれない。ちくしょう、追うしかないってことか……!


 俺はブレザーを脱いで小脇に抱えるとすぐに駆けだした。ローファーなんて走るのに向いていないって、俺は召喚初日にも思った筈なんだけど。こんなことなら対策をしておくべきだった。靴下と中敷きが滑って何度も脱げそうになり、足の裏がじんじんと痛む。左右の足がもつれて絡まりそうになりながら、人混みを交わしてひたすらに走った。

 夜の道路はコールタールのように黒く、それが頭上からの煌びやかな明かりに照らされて色とりどりの光を纏っている。やはりこのまま阪神高速に乗るらしく、大通りを選んで進んでいるようだった。

 幸い大都市の国道は夕方から夜にかけての現在、犇めき合うように混んでいる。間に合う可能性は十分あるが、見えない俺が中央の直進車線を走るタクシーに乗るのは至難の業だ。ここで轢かれてゲームオーバーなんて、一番笑えないパターンだろ。どこかで左側に寄ってくれるまでひたすら走るしかない。左折してくれないものだろうか。信号に引っかかったタイミングでなら、乗り込めるかもしれない。

 吸い込んだ酸素が肺を焼くように熱い。タイルの硬さが、地面を蹴る度に足の指に衝撃を与える。足の皮剥けるだろうな、これ。まさかこんなに全速力で走る日が来るとは思わなかった。夜とは言えじめじめとして蒸し暑い。湿気か自分の汗かわからないもので、すぐにシャツがびしょ濡れになる。前傾姿勢で腕を大きく振って、地面を蹴る、蹴る、蹴る。


 対向車線のハイビームが視界を遮った。怯んだその一瞬で圧倒的な差をつけられ、十字路の一本先を左折したタクシーが視界から消えようとしている。くそ、せっかく左車線に寄ったのに! もっと体力つけておくんだった。一秒でも長く二人と一緒にいなければならないんだ。追いつくしかないんだってば。意地でタクシーに貼り付き続けたが、もう太ももがパンパンだ。肺も痛い。限界かもしれない。

 歩行者信号が赤になり、せっかく詰めた差が引き離される。こうなったら最後の手段だ。もってくれよ、俺の脳みそ。車が事故らないように気をつけて、固定能力で停める……!


 走る速度を緩めて集中しようとした俺の視界の中心に、見慣れた北高のセーラー服が揺れていた。

 横断歩道の先で、こちらを見つめる菫色の髪の少女。携帯電話を片手に立っている彼女が、ゆっくりと左側を振り向く。その視線でなにかを伝えているようだった。


 ──工事予告の看板!


 俺は一度止まりかけた足を再び叱咤して、信号が青になると同時にほとんど傾きながら駆けだした。すれ違いざま「さっきぶり!」と声にならない声を掛けて、その助力に感謝する。都合よく工事なんてしているもんか、していたとしてそのルートを新川さんほどのドライバーが回避しないわけがない。

 片側交互通行により堰き止められた車の列をすり抜け、俺は目当ての後部座席のドアを乱暴に開く。


「……ん?」


 キョンの膝に滑り込むように着地して、珍客に不思議そうな顔をしつつそのままでいる彼を見上げながら俺は息を整える。


「運転手さん、ドアが開いてますよ」

「……おや」


 誤作動した自動ドア、という認識なのだろうか。最近のタクシーは外からドアを開けられないものも多い。今回ばかりは2006年に感謝だ。新川さんはスイッチを押してドアを閉める。車は右車線に移動し、警備員の赤い誘導灯に導かれるように発進した。ま、間に合った……!


「しかし、工事中のルートを通るように、とはどういう指示なんでしょうね」

「ああ。さっぱりわからん。そもそも長門が携帯なんて持っていたとはな」


 神様仏様長門様、泣きそうになりながら俺は再度長門に感謝した。とてもじゃないけど、息が苦しすぎる。汗まみれで大変申し訳ないが、しばらくはキョンの膝の上にうなだれていよう。


「……いや、長門は携帯を持っていたんじゃなかったか? 俺は着メロを聞いたことがある、気が……する……、そうだ、昨日聞いたはずだ。妙に荘厳なメロディーでな。確か、なんかの喜劇だったんじゃなかったか」

「もしかすると、それは彼に関することなんじゃありませんか?」

「そりゃあれか? お前が言っていた、忘れ去られた涼宮のお気に入りってやつか。どんなやつかは知らんが、まったく同情するね。昨日の長門の携帯に関係するっていうなら、そいつもあの場にいたんだろうからな」

「いえ、あなたは良く知っているはずなんですよ。僕もね。だからこそ僕たちには可能性が与えられた。喉まで出かかっているのがその証拠です。きっと、涼宮さんは僕たちを試しているんです」

「試す?」


 古泉の長たらしい説明を聞き飽きたように、キョンは惰性で返事をする。


「もちろん、彼を僕たちに預けてもよいものかを、です」

「預けられても困る。名前も顔も知らん、透明人間なんだろ?」

「厳密には異世界人ですよ。そのはずです」


 楽観視していたわけではないが、キョンは本当に俺がわからないようだった。古泉もまた、自分の言葉に自信がないらしく歯切れが悪い。


「もしもこの場に彼がいたら、あなたは今の発言を後悔することになると思いますよ」

「そう言われると、何者かの気配を感じるような気がしてくるから不気味だな。だが何故俺が後悔するんだ? よほど怒りっぽいやつなのか、そいつは」

「あなたも、涼宮さんと同じように彼を……、彼を気に入っていた筈なんですよ。すぐ傍で彼を見守っていたんです。きっと、僕よりも近いところで。だから、本当はあなたには見えている。僕には気配なんてものはわかりませんから。多分、五感の情報に変換する際に個々で差があるんですね」

「…………、そいつは、金髪なのか?」


 キョンは、なんでもないように俺を見下ろす。古泉が不自然な間を空けて口を開いた。


「……思い出したんですか?」

「いや、なんとなくそうじゃないかと思っただけだ。で、どうなんだ。当たっているのか?」


 古泉は黙りこくって、へたくそに微笑んで、


「……、わかりません。僕は、彼女の見た目の情報が思い出せないんですよ」


 肩を竦めて見せる。その笑顔があんまりにも痛ましくて、ふざけんなよ、こっちが泣きそうになる。嘘だろ? ここにきて、そんなのありかよ。タクシーの中だぞ、どれだけお前と話していたと思うんだ。お前がわからないなんてことがあっていいのかよ。お前だけは、俺が見えないとダメじゃないか。ずっと、本当にずっと一緒だったんだぞ。


「彼女? さっきは彼って言っただろ。だいたい、あいつはブレザーを着ていたはずだ。はずだよな……いや、どうだ? でかいセーターかもしれん」

「なるほど。やはり、あなたは視角的情報を捉えやすいんですね。そして、僕はそうではない。おかしいな、住居も近かったと思うんですが。監視役としては失態ですね。自分で思っているよりもあまり彼を見ていなかったということでしょうか」

「ああ、そう言われると涼宮に言われてかなにかで、お前にはセットで動いていたやつがいたような……」

「しかし、その僕がなぜか比較的あなたよりも記憶を有している。おそらく、場所や時間帯がそうさせているんでしょう。きっと、僕は彼とよく乗り物に乗って移動していたんですね」

「う、嘘だよな。古泉、お前……」


 タクシーの中で、もっとも俺と話していたのは古泉だ。車自体は違うこともあった。だが、新川さんが運転するタクシーだった。毎回、そうだった。その古泉でこの情報精度とは、決心した傍から落ち込みたくもなる。


「……、やはり車内にいらっしゃるんですね」

「! 古泉お前、俺の声が聞こえるのか!」

「なんだ急に、天啓でも聞いたような顔だな」

「ええ。事実天啓と言って差し支えないかと。あなたが優先的に視角情報を拾ったように、僕は音声情報を拾えるようですね。彼と会話が可能なようです。良かった、ひとつ安心しました」

「そうかい。じゃあ、後のことはお前らでなんとかしろ」

「いいんですか? あなたの助力なしではこの事態は解決しないかもしれない。彼はあなたの代わりに、涼宮さんの怒りを請け負っている可能性だってあるんですよ」

「……なんだって?」


 古泉は万年筆型の録音装置を取り出し、ペンクリップの部分をノックする。甲高い電子音の後に、くぐもったハルヒの声が再生された。


「あんた、もっと積極的に朝倉の引っ越し先を突き止めようって思わないの? あいつだったら絶対面白がるのに、こんな時にどこをほっつき歩いているのかしら。あたしの許可なく勝手にどこかに行くなんて、団員内での風紀に関わるじゃない。由々しき事態だわ。くすぐりの刑よ!」

「その、お前がさっきから言っているあいつってのは誰のことだ」

「……うー、わっかんない! 全然わかんないの! だいたい、なんでキョンもわからないのよ、あんたはわかってなきゃダメじゃない。こういう時って、あんただけはわかってるってのが鉄板なのよ。そして重要なの。ヒントキャラみたいなもんなんだから」

「そりゃ、長門とか古泉とか、頭脳系っぽいやつのやることだろ。それか、無駄に記憶力がいいやつとかの仕事であってだな」

「あんた、なんのために地味キャラやってんの。こういう時ってのはそういう如何にも属性がありませんってやつの出番なのよ。ていうか、だったらその記憶力のいいやつをあたしの目の前に連れてきて、あたしの記憶を呼び覚ましなさいよ」

「そう言われても、そんな知り合いに心当たりはないんだがな」

「いたのよ。どうして思い出せないのかしら。あいつって誰? あたしのなんなの? あー、もやもやする! これはなに? どこかの組織からの精神攻撃? あたしから奪った記憶を使って、悪の宇宙人が暗躍する兆し?」

「わけのわからないことを人の家の前で騒ぐなっつーの。縁起でもない」


 やっぱり、拡散した俺の情報はハルヒを核心に近づけてしまう可能性があるらしい。あいつが何の気なしに言い当てたのは朝倉戦の内容だ。古泉は苦笑したが、俺は苦いだけで笑いも出ない。


「だーから、あんたも少しは考えなさいよ、これは一大時に違いないんだから。この際朝倉よりよっぽどの大問題だわ。この事件を解決したやつには団内での地位向上もありえるわよ」

「それを喜ぶやつがいるかは甚だ疑問だが、朝比奈さんがもう少しまともな扱いをしてもらえるならあの人に打診しておくか」

「みくるちゃんの今の地位の何が悪いのよ。ていうか、今はみくるちゃんのことはいいの! 馬鹿じゃないの? そうよ、あいつは団員として格があがったらきっと喜ぶやつだったわ。絶対になにか重大な見落としがあるのよ、絶対そう。なにかの陰謀じゃないかしら。このあたしから記憶を抜き取るなんて許されることじゃないわ」


 思っている数倍ハルヒの精神に異常をきたしているらしい。言っていることがめちゃくちゃだ。こりゃ閉鎖空間もばんばん出現するわけだ。


「こんなの論理の破綻よ。あたしは認めないからね……、あら、有希じゃない。ひょっとしてあんたもこのマンションなの?」

「電話番号」


 長門の無機質な声がする。


「携帯買ったのね。いいわよ、交換しましょ。朝倉もここに住んでたらしいのよね。なにかわかったら連絡して。いい?」

「わかった」

「あ? なんだ、俺もか」

「そう」

「……ほらよ、これでいいか」

「必ず出て」

「あ、ああ……」


 なるほど、この時点で長門は俺がタクシーから締め出されるのを予期していたってことか。それにしたって、親からあの子ともう遊ぶのはやめときなさい、と言われた相手のためにこんなところまで来てくれるとはな。あいつ、どうやって帰るんだろうか。ちょっと心配だな。


「眼鏡どうしたの?」

「これ」

「なによそれ? なんか見覚えあるわね」

「返す」

「返すって言われても、俺にはこんな趣味はないんだがな」

「それ、朝倉のじゃない? 鞄につけてたはずよ。どうしてそれをキョンに返すの? ねえ。そもそも、それって朝倉ずっとつけてた? 誰かにもらったんじゃなかった? 忘れたまま転校しちゃったのかしら」

「返しておいて」

「お、おい。誰にだよ!」

「有希ちゃん、あたしたちが朝倉に会いにいくって思ってるのかしら。あんたそれ、どうすんの?」

「どうと言われてもな」

「じゃあ貸して。結構かわいいじゃない。あいつが好きそうだわ」

「朝倉に返すものを人に勝手にやるわけにもいかないだろ。だいたい、あいつとやらはわからんのに、好きなものはわかるのか」

「……イチゴ」

「は?」

「なんでもない」


 古泉がペンクリップを二回ノックし、再生を止める。


「するとなんだ? 涼宮は、そいつのことを俺なら覚えているはずだと思ってるのか? なんだって俺なんだ。また俺が涼宮に選ばれたから、なんて言うんじゃないだろうな」

「選んだのは彼ですよ。あなたは……彼に選ばれた。だから、涼宮さんはあなたならば、と思ったんですよ。ところがあなたは彼のことをなに一つ覚えていない。彼の存在を忘れていたということすら。そして、それどころか朝比奈みくるの話題を出し、あまつさえ長門有希からなにかを受け取った。彼女は面白くないでしょうね。端的に言って、涼宮さんはあなたに失望したんですよ。だから僕よりも先に彼のことを忘れてしまった。ですが、それでは困るんですよ。あなたには思い出していただかなくては」

「勝手なことを。だいたい、知らないことを知っていろなどと言われて、はいそうですかと自分の落ち度を認めるやつがいるか? ミレニアム懸賞問題に挑戦したいなら誰か別の奴とやるこった」

「おや、意外にも薄情なんですね。彼は身を挺して朝倉涼子からあなたを庇ったというのに。その結果、彼は消えかかっているんですよ。あなたや僕、朝比奈みくるや長門有希の負担を、進んで請け負った彼にも問題はあったでしょう。ですが、決め手になったのは昨日のあなたと長門有希です。長門有希の手伝いなどしなければ、そしてあなたを守るために奮闘などしなければ……、これも濡れ衣ですか?」


 うーわ、始まったよ古泉の針のむしろ攻撃が。


「古泉、お前さすがに言い方が悪いぞ。別にキョンや長門のせいじゃないだろ」

「あなたのせいでもない筈ですよ。まあ、多少腹立たしい物言いの方が彼の印象に残るかと考えたのは事実ですが……、話題を変えましょうか」

「……、今、そいつと話したのか? なんと言ったんだ」

「あなたや長門さんを責めないようにと。僕の自作自演に見えるかもしれませんが、本当ですよ」

「なんと言ったらいいやら。よほどお人好しなんだな、そいつは。朝倉から俺を庇った? あんな状況でか。普通しないぞ。それともなにか? お前や長門や、それこそ朝倉みたいに役目のためならなんでもする奴なのか」

「……あなただからですよ。もちろん他の誰にでもそうする人なんしょう。でもきっと、彼女が最終的にどうしても諦めたくないと……そんな風に無茶をするのは、この世界にあなたがいるからです」


 キョンは黙り込む。責任だなんだと彼を追求しても仕方がない。こうなったら俺の幽霊を裏切ることになるが、古泉と二人でどうにかすることも視野にいれなければ。ていうかどうせ忘れるからってなんつーことを言ってくれてんだよお前は。勘弁してくれよ。そう思って、古泉を見上げる。


「……羨ましいな」


 対向車線でクラクションが鳴った。

 古泉の言葉は掻き消えそうなほどの音量だったが、俺には確かに聞こえた。聞こえて、しまった。消失の映画を見に行った時、すごく印象的だったあのセリフと、まったく同じだったからかもしれない。

 忘れもしない。2010年、2月6日。ちょうど正月休みでハルヒを一気見させられ、兄貴に手伝ってもらいながらこの日のために消失まで読破したのだ。周囲はこの日を心待ちにしていた人々で賑わい、子供は俺だけだったから浮いていた。

 鑑賞中、俺は泣きそうになったのだ。あの時の俺にとっては兄貴よりも一つ年上の、高校生のこいつが──自分の立場を完璧に理解していて、なんでも感情に折り合いを付けてしまうこいつが。消失の映画では素直に話していた。原作よりも嫌味は抑えめで、けれどその分寂しげで、どこか必死にすら見えた古泉。そんなこいつが、ぽつりと零した言葉。十歳の俺でも、それはどうにも可哀そうで、見て居られなくて。映画館を出た俺が泣いていることを、兄はとても驚いていた。

 それを今言わせているのが俺だなんて。そんなのは違うって言いたい。お前は勘違いをしている。俺は、お前のことだって──。


「なんだ、なにか言ったか」

「いえ、長門さんからなにか預かったんですよね? 朝倉涼子の持ち物、とおっしゃっていたようですが」

「あ、ああ。家に置いてきちまったが。なんかのマスコットみたいだったな」

「でしたら、帰ったらそれを肌身離さず持ち歩いていてください。きっと、なにかのヒントだと思います。彼に関係するものなのでしょうから」

「……わかった。なあ、古泉」

「なんですか」

「そいつは……朝比奈さんみたいに泣き虫なのか?」

「……いえ、知る限り僕にはそのようなイメージはありません。覚えていないだけかもしれませんが。なぜです?」

「泣きそうな顔をして俺の膝にのっかっているやつがいるんだ。お前の言っていたやつは、もしやこいつかと思ってな。性格なら古泉も覚えているんだろ」

「そう、ですか。よく悩む人だったかもしれません……、どういった表情だったかまでは、残念ながら思い出せないようですね」


 キョンは古泉との間に一人分の座れるスペースを空ける。彼の携帯が鳴って、それを開きながら、俺をじっと見る。


「悪かったな。よく見えてなかったもんだからよ。ここに座っていいぞ。お前がその、芦川ってやつなのか?」

「……そう、って言っても聞こえないのか。長門はなんて?」


 皆まで言わずとも、俺の言葉をそのまま古泉が拾う。俺と古泉はそういうコンビだった。相棒って言ったっていい。その古泉があんなことを言うなんて、俺は認めたくなかった。ちゃんと、俺が見えるうちに告白の返事をするんだった。でも、なんて言えばよかったのか、俺にはまだわかっていない。


「……長門さんからのメールでしょうか」

「どうしてお前にそんなことがわかる」

「……、彼が、そう推理したようです。僕も同じように思いました、さきほど、おそらく突然名前を思い出したんじゃないですか?」

「ああ、そうだ。長門からのメールに書いてあった。名前とだいたいの情報みたいだな」

「失礼。拝見しても?」


 キョンが傾けた画面を見て、古泉は眉間の皺を深める。記憶が消えれば、関係性も消えるんだろうか。いつの間にか俺を下の名前で呼んでいたはずのキョンが、よそよそしく苗字で呼んでいることからも、そう思う。


「お前の知ってる芦川っていう、このしょぼくれた金髪のチビと、ここに書かれている内容は合っているか? あのわけのわからんオブジェをハルヒに見つけさせたり、昨日俺の前に立って朝倉と対峙したってのは、マジの話なのか? 固定だなんだ、よくわからん能力が使えるとか」

「……、いえ」


 古泉が疲弊したような表情をして、それを隠すように顔を手で覆う。こんなにあからさまに憔悴した古泉を俺は初めて見た。キョンも驚いたらしく、躊躇う様に一度口を閉じる。


「……、てことは、長門が嘘の情報を流したってのか」

「いえ、すみません。かなり言葉足らずでしたね。おそらく、そのメールの文章は正しいのでしょう」


 古泉は、寝起きのような低い声で、訥々と語る。


「読めないんですよ、僕には……空のメールにしか見えないんです。なるほど、道理でメモを禁じられたわけですね。でも、これでは聞こえないことの説明がつかない……、メール、そうか……視角情報として残したものが剥奪される仕組みだったなら、」

「古泉? ねえ、しっかりしてよ、どうしたの。お前変だぞ」

「お、おい。古泉、お前大丈夫か?」

「変……、ですか? ええ、大丈夫。大丈夫です。少々ミスを。お恥ずかしい限りです。涼宮さんと彼の話をしたことについて──、つまり聴覚から得た情報についてあなたが覚えていなかったのと状況的には変わりません。僕は文字に残したもの、要するに視覚情報にしたことについて覚えていられないようですね。そして、あなたは録音したものを聞けば失った聴覚情報を補える。対して、僕は文面に残せば最後、思い出せなくなる。なんらかのハンディ付きのようです。彼女にはずいぶんと嫌われてしまったようですね」


 微苦笑を浮かべる古泉は、普通過ぎるくらいにいつも通りだった。


「忌々しいが、お前がミスをするところなんて想像がつかないな」

「そう思っていただけているなら光栄ですね。言い訳をするつもりはありませんが、機関に今回のことを報告する必要がありまして。メールで送ってしまったんですよ」

「…‥お前らしくないんじゃないか。なんて言うほどお前のことは知らんが、こいつがそういう顔をしている」

「他ならぬ彼のことですから、少し取り乱してしまったようです。自分でも意外ですが……、どうやら、そろそろ着くようですよ」

「で? 俺はどうすりゃいいんだ」

「協力する気になっていただけて何よりです。こちらを」


 古泉は柔らかな笑みを湛えて万年筆型レコーダーを手渡し、


「ここで話していたことを録音しておきました。もしもこれがただの万年筆ではなくレコーダーなのだと、そう思い出せたら聞いてください」


 眉を顰めるキョンがレコーダーを受け取ってタクシーを降りて行く。半身を出した古泉が「くれぐれも妹さんによろしく」と朗らかに言って、車は再度走り出した。

 俺たちの住むマンションに向かって車はゆっくりと進む。意味がないとわかっているのに、俺は古泉の手を握った。それしか出来なかった。


「触れることは問題なくできるみたいだ」

「どこにいるか分からないので、出来るだけそのまま握っていてもらえますか?」


 力なく、古泉が手を握り返してくる。その手が、ひどく冷たい。


「わかった。今……俺が芦川ヒカリだって言っても、お前には聞こえないのか?」

「ええ、一部無音になっています。と言うことは、今あなたは名前を名乗ったわけですね……、ところで新川さん」

「なんですかな」


 運転席から穏やかな声が返る。新川さんは前を見たまま、会話を促すようにそれ以上なにも話さない。


「そのメモには名前を書かなかったと思うのですが、詳細はご存知ですか?」

「ええ、無論。しかし、機関の構成員が誰一人覚えていないとは困りましたな。あなたの報告がなければ、私もまた半信半疑だったでしょう。派閥によっては実際になんらかの裏切り行為なのではないかと唱える者もおる始末ですからな。調査の結果、協力者宛の送金データに見知らぬ名前があったもので、辛うじて報告のデータと照合出来ている……、と現状はその程度の認識でしょう。今現在、私にはこの車内にはあなたの姿しか見えず、あなたの声しか聞こえておりません」

「……、っ、どうして!」


 突然古泉が大きな声を出す。何より驚いたのが、あの古泉一樹が運転席のシートを殴りつけたことだった。新川さんは急ブレーキをかけ、俺は助手席に顔をぶつけそうになる。


「名前すら呼べないなんて、僕だけが覚えていないなんて……、彼がどんな能力が使えるかなんてことは、覚えていませんけど、考えればわかることですよ。推測がつきます。何をしてきたか、どういう人なのか、それだって状況がわかればどうとでもなります。でも、名前なんて、会話から察することが出来ないじゃないですか。忘れてしまったら、どうしようもないじゃないですか」

「古泉……」


 初めて閉鎖空間に入った時にこいつがしてくれたように、俺はその手を強く握る。


「……すみません。大声を出して暴れるのは、本当にあなたがいなくなってしまった場合だけでしたね」

「古泉古泉古泉!」


 流れ星に、三回願う様に名前を呼ぶ。


「ど、どうしたんですか? あなたまでおかしくなる必要はないんですよ」

「俺は覚えてるぞ。古泉のことをちゃんと覚えてる。お前は寝癖がひどくて朝が苦手だ。字が下手で、ゲームが弱くて、揚げ足ばかり取るふざけたやつだ。でも、かっこよくて頼れる時も多い。お前が俺を呼べなくても、俺がお前を呼ぶ。いちいちお前が俺を呼ばなくてもいいように、俺はお前の手を握る。俺が、お前を呼ぶ。それじゃダメか」

「……ほとんど悪口じゃないですか。ああ、なんだかこんな会話を、あなたとした気がします」

「どうだ。ダメか」


 古泉は「あはは」と口を開けて笑い出す。新川さんは不思議そうに、ミラー越しにこちらを見ている。


「敵わないな。いえ、ダメなものですか。僕たちの日常を取り戻せばいいだけ、そうですね」

「そうだ。ハルヒだって本意じゃない。だったら必ず解決できる。あいつだって思い出したがっている。だから、大丈夫。どうにかなる。起こってしまったことだって、なんとでもなるさ。俺もそろそろ逸脱事項のプロと名乗って差し支えない。そんな俺が着いている。なんでもひっくり返せるんだよ、この世界は。だって、異世界人が一人連れて来られるなんて、いくら賢いお前でも想像できなかったろ?」

「まさか、その人を好きになるなんて、それこそ思いませんでした。そんなことが起こりうるのですから、奇跡の一つくらい起きてもらわなければ困りますね」


 自棄みたいに古泉が笑う。やがてくつくつと、いつもみたいに。


「そうとも!」

「見えなくてもわかるものですね」

「なにが?」

「あなた、手が熱いんですよ。照れてますか?」

「ば、バカやろ! こっちはタクシーから締め出されて走って追いついたんだよ! おめでたいやつだな! そんなにへらへら笑えるなら最初から俺に心配をかけるな。慰謝料を請求するぞ」

「新川さん、先ほどはすみませんでした。それと、今回の件については収束まで報告はできないと伝えてください」

「聞けよ! 俺にも謝れ!」

「ふふ、新川さん、彼がさきほどタクシーに締め出されたと苦情を」

「お前に言ってんだよ!」

「え? 僕に怒っていたんですか?」

「白々しいやつだな……」


 俺の声は聞こえないはずなのに、いつものやりとりが聞こえているように運転手は微笑ましい顔で頷いた。打って変わって軽やかに車は走り出す。


「この時間だし、今日は寿司でも取るか。うちかそっちに泊まることになるな」

「ああ、いいですね。お泊り会ですか」

「それに、出前の人に古泉が二人前食うみたいに思われて面白そうだ」

「本当にあなたの分も食べますよ」


 見えていないからと立てた、繋いでいない左手の中指を予測していたかのようにジャストタイミングで古泉が掴む。俺は野生の野良猫よりでかいリアクションで飛び上がった。

 こいつ、実は見えているんじゃないだろうな。

 急に心眼とか新しい能力芽生えないでくれよ? でも、良かった。俺たちはいつも通りだ。何度ほつれたって縫い合わせればいい。俺もこいつも立ち直りは早い方だしな。二人いればどうにでもなるさ。キョンくんだってきっと、思い出してくれる。だから、そのためにならどんなことでもやろう。

 周りに不気味に思われたって、カッコ悪く見えたって、嫌われたって。できることを、全部、やろう。

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