芦川ヒカリの憂鬱Ⅳ 6


 国木田のアドバイス通り、俺は六限が終わる前に忍者が密書を盗むような抜き足でハルヒの席に近づいた。悪いことだとはわかっているが、手を合わせて「ごめん」と呟くと彼女の鞄を開き、勝手に中身を見る。

 出来れば透明人間だなんだについて考察されたノートでもあればありがたいと思ったのだが、残念ながらそんなものはなかった。代わりと言ってはなんだが、俺に着せようとしているらしいコスプレ案なんてものと、それを借りられそうな心当たりが記されたメモを見つける。ミニスカサンタってことはクリスマスまでいていいって思ってくれていると受け取るぞ。着ないけど。

 鞄の中には、他にも異世界もののラノベや古今東西の金髪ショタキャラを印刷して収納しているらしいファイルなんかもあった。これだけ異世界人に愛着を持っているなら透明人間のことはすっぱり諦めてほしいものだが、まさかハルヒも俺が透明人間になっているとは思ってもみないだろうしな。

 それから、なにやらラッピングされた小さな紙袋が入っていた。誰かにもらったんだろうか。誰だ俺のハルヒにちょっかいかけたやつは。いや、興味ない相手に何を貰ったって突き返すのがハルヒだ。彼女が用意したプレゼントの可能性もあるか。キョンにかな、それとも朝比奈さん? 長門かもしれない。古泉ってことはさすがにないだろう、多分。

 お、一緒になって丸まっているのはレシートか。紙袋のものと店名も同じみたいだ。買ったのはヘアピンとペンとメモ帳か。日付は、日曜。この間の市内探索の翌日だ。俺が男子会をやっていた日にもハルヒは一人で街を調べていたのか。月の石を見つけても満足しなかったのかな。それとも、それが規定だったからか……。

 レシートの時間は19:05とある。店名が書かれた紙袋的には買ったもの三つ全部が入っている様子はない。ハルヒはなんのためにこれを買ったんだ? それは解決の糸口足りえるのか? いや、これ本当にストーカーみたいできついな……。さすがに誰かへのプレゼントかもしれないんだ。封は開けないでおこう。

 鞄の内ポケットには小さなメモ帳が入っていた。これもイチゴ柄だ。ペンといい、ハルヒってかわいいものが好きなんだな。そう考えると俺が何も知らずにイチゴのヘアピンをあげたのはかなり正解だったんじゃないだろうか。中身を見るのはどうかとも思うが、涼宮ハルヒの憂鬱を読んでいる時点である程度なにを考えているかは知っているんだし、情報がほしい。


 と、チャイムが鳴る。やべ!

 六限が終わるや否や、ハルヒはキョンを捻り上げて教室を出て行った。まだ俺を覚えていたらしいキョンがまるで死地に赴く兵士のような顔で頷くのを見送って、俺は腕を組む。ノートはちゃんと渡した。今のキョンに俺ができたのはここまでだ。

 やはり主人公効果というのは絶大で、彼の授業中の奇行のおかげか国木田もまだ俺に関する記憶は飛んでいなかった。そしてなんの餞別のつもりかパックのジュースを寄越してきた。帰り際に肩を叩いて声をかけた谷口は超スピードでイチゴ牛乳を啜る俺を見て怪訝そうな顔をする。


「お前いつもそれ飲んでんな。相当イチゴが好きなのか? なんか涼宮もこの間ピン留めしてたし、流行ってんのかよ」


 俺は谷口に返事もしないまま思考に没頭する。俺も放って置かれたし、仕返しってわけじゃないが少し無視しよう。ナナチかってくらいなーなー言ってるが無視だ。

 なるほど、谷口のイメージでは俺と甘味を結びつけて情報を形にしているのか。イチゴ牛乳は転校初日にどら焼きと交換してもらったし、印象にあるんだろう。そうなんだよな。ハルヒのやつがキョンに貸していたペンもイチゴ柄だったんだ。子供っぽいとか言ってたけど、本当はかわいい小物が好きだなんて、俺はあんなにハルヒオタクを豪語しておいて、知らなかった。

 ハルヒかあ。キョンは朝倉に夢中だからって言ったけど、多分今のままじゃハルヒは俺を認識しないだろうなあ。なにか、ハルヒにとって印象深いことをしないと。

 女装はそんなに面白そうじゃなかったし、オブジェをクラスに運んできた方がいいかもしれないな。あとはなんだろう。校庭に文字でも書いてみるか? いや、冗談じゃなくそれはありかもしれない。こうなったら俺の痛々しい造語を披露するのもやぶさかではない。教師連中には絞られるだろうけど、存在が消えるよりはなんだってマシだ。よし、この線でいこう。

 

「つーか今度の日曜暇あるか? 合コン一人足んなくてよ」


 今度の日曜っていうと、憂鬱のラストを終えたハルヒとキョンが二人で市内探索をする日だ。状況は変わるかもしれないが、その日他のSOS団メンバーは欠席予定である。暇といえば暇だが、合コンにはまったく興味がないんだよな。小鳥の爪の先ほどもない。

 いつの間にか生き残ることを前提で話していて思わず吹き出した。危機が迫っているのは間違いないのに、キョンと古泉を頼ることで、肩の荷が下りた気がする。


「まあ、多分暇だと思うけどわかんないぞ」

「っしゃ。じゃあ決まりな。まさかキョンと仲良くなったからって、俺との付き合いが悪くなったりしねえよな?」

「するわけねーし、アレはお前の勘違いだって言ってんだろ。つーか聞けよ。わかんないんだって」

「俺はお前を信じる!」


 長門にしか言われたくないセリフだな。谷口は親指を立てると鞄を背負って下手くそなウインクを残して教室を出ていく。そのまま溶鉱炉にでも沈んでいればいいのに。

 さて、俺も古泉を迎えに行きつつ、キョンの代わりに部活中止の張り紙をしに部室に行かないと。教室を出ると、すぐに古泉が廊下からこちらに向かってくるのが見える。生徒はまばらで、多分誰も俺に気づいていない。古泉のやつ、よく俺のことを覚えていたな。いや、きょろきょろしているから見えてはいないのか。


「ここだ」


 古泉の手を握ると、身体が跳ねたのがわかる。ゆっくりと振り向く古泉は薄く警戒するように開いていた目をきょとん、と瞬かせて穏やかに笑った。


「おや、なにか成果があったようですね。表情にあなたらしい自信が覗えます」

「俺が自信家かどうかはわからないが、まあ少しな。お前こそどうやってうちのクラスに? あ、キョンから電話があった?」

「ええ、お察しの通り。一年五組で待つように、と。肝心の彼が見当たらずに困っていたのですが、こういうことだったんですね」


 さりげなく握り返して、古泉は手を上げる。異世界人の素晴らしさを説く、というのはキョンが既に試した。それによってハルヒが“異世界召喚”より“異世界転生”の方がいいと感じていることがわかった。ハルヒは異世界人というものに対して迷いがあって、そこに透明人間の話が重なって、さらに朝倉の転校もあったから事件が複雑化している。

 決行は明日だ。朝、ハルヒが登校してから一限の終わりまでに決着をつけないといけない。それまでにハルヒが納得しそうな透明人間のネガキャン内容と、異世界召喚の良さを考えないといけない。なんだよ異世界召喚の良さって。こんなこと真面目に考えているやつ、俺かラノベの編集者くらいのものだろう。

 出来ればハルヒが願う不思議生物はいてほしいけど、その存在する透明人間がいいやつとは限らない。それに、味わった感想としては寂しいから、多分そんなものは生み出されない方がいいだろうしな。

 俺はキョンが立てた作戦を古泉に伝え、部室に向かう。朝比奈さんの番号はまだ知らないから、誰も部活に来ないことを伝えないと彼女は律儀にメイド服に着替えて下校時間まで一人で待ってしまいそうだ。それに、彼女にも俺の状況を理解してもらいたい。だってきっと、一人で泣いているだろうから。

 ノックの音に、「ひえ」と裏返った声が響く。


「ど、どうぞ……」


 内側から開いたドアの隙間から朝比奈さんが顔を覗かせる。古泉を見て緊張した面持ちの彼女は目が真っ赤になっていた。俺は古泉から手を離すと紙飛行機を折り、部室に向けて飛ばしながら、朝比奈さんの手にそっと触れる。


「あ、閲覧のロックが……あれ? あの紙飛行機……え、芦川さん、あっ!」


 信じられないことが起きたような顔で震える彼女が、俺に抱き着いてきた。


「なにが、なにが起きてるんですか? わたし、ほとんどの情報にロックがかかってて閲覧できなくて、それで、今解除されるまで芦川さんのことも忘れてて、こんな、こんなの……いつもの禁則と全然違うんですっ」

「今説明しますからね、落ち着いてください。古泉、」

「なにか温かいものでも淹れましょう」


 古泉が紅茶を注いでいる間、俺は震える朝比奈さんの手を両手で包みながら、椅子に座って事のあらましを説明した。かいつまんで説明する間、彼女はぎゅっと俺の手を握り返し、ぽろぽろと涙を流す。見守っていると約束した俺を忘れていたなんて、きっとショックだっただろう。

 ただでさえ、彼女にとってはわからないことだらけで禁則だらけなんだ。俺が同じ立場ならこんな健気に頑張れない。


「心配いりませんよ、キョンと古泉がなんとかしてくれるらしいんで。俺も自分の無力さを嘆いたりしましたけど、悲しまないでください。大船に乗ったつもりで待ちましょう」

「でも、でも、芦川さんはすごく悲しいですよね……」

「そりゃ、まあ……だいぶショックではありますけど」

「どうして芦川さんのこと、ずっと覚えていてくれる人がいないんですか……そんなの、わたし……ひうう」


 俺は朝比奈さんの背中をさする。ああ、彼女は自戒してるんじゃなくて、俺のことを思って泣いてくれているんだ。じんわりと目頭が熱くなって、しゃくりあげる朝比奈さんを抱きしめた。

 でもね。言えないけど、あなたはとても大変なことを頑張ってくれたんですよ。俺は、あなたが古泉にヒントを残してくれたという、そのことがなにより嬉しかった。古泉はあなたたちにとっては思想も違う、危険視すらしている相手なのに。未来側を悪く言うこともあるし、朝比奈さんを皮肉ることもあるこいつを信じてくれたのが、俺は嬉しかったんです。

 そんな行為が許されるほど認められるようになるなんて、きっと俺には想像もつかない困難があっただろう。人知れずたくさん努力もしただろう。過去のSOS団のために、大人になったあなたは一人で立ち向かって、今の地位を手に入れたんだろう。その気持ちも、行動もとても尊いものだ。


「きっと、この後どんどんみんなが忘れていく中で俺はまた傷つくし立ち止まったりすると思います。でも、あなたが代わりに泣いてくれたから、俺はそれを思い出して前を向けるんです」


 未来のあなたが、助けたいと思ってくれる俺であるために。あなたがこれからする頑張りに、見合うだけのこころを尽くしたい。


「だから、うまく行ったらまたなんでもない明日の話をしましょう。和菓子パーティなんてどうです。俺たちを信じて待っていてください。SOS団は、六人ですからね」

「うん……芦川さんは、強いんですね。ううん、強くなろうとしてるんですね」

「そりゃだって、SOS団一の良心的お兄さんですから。頼りがいのある大人、かつ可愛げのある高校生でありたいもんです」

「可愛らしいけど、可愛げはないですよね」

「お、なんだ古泉。余計なひとことを言う余裕が出て来たな。思い切ってお前も自転車で轢かれる芸人枠に入るか? 個人的には暴力ヒロインはバイクで轢く双子の姉が好きだけど」

「遠慮しておきましょう。僕に何かあると悲しむ人がいるので」


 古泉が苦笑いするのを見て、朝比奈さんがくすくす笑う。はて、そんな奴がいたとは露とも知らんかった。


「和菓子パーティをするなら、芦川さんの好きなお茶を用意しておきますね」

「あ! 俺はとむぎ茶がいいです。絶対はとむぎ茶!」

「はい、ちゃんとメモしておきますね」

「そういうわけで色々慌ただしいんですけど、今日は部活はないんです。じゃ、朝比奈さん。また明日」


 俺は紅茶を飲み干して「それでは」とお辞儀をする古泉を伴って部室を出る。朝比奈さんはドアのところまでお見送りしてくれた。もう泣いていなくて、俺を信じて笑いかけてくれた。


「明日、楽しみにしてますね!」


 いいね。締め切りに焦るだけの明日じゃなくて、お菓子パーティの約束もあるなら、俄然張り切れるというものだ。それが世界を揺るがす最後の日のお茶会だとしても、開く価値はあるよな。


 さて、暗躍の時間だ。俺は古泉の呼んだタクシーに乗り込み、キョンの自宅を目指す。新川さんは俺が触れても気づかず、なにも思い出せないようだった。やっぱり、場所と記憶、過ごした時間が重要になるんだろう。このタクシーには何度も乗せてもらったが、たしかに彼と話した記憶がない。

 しかし落ち込んでもいられない。全部元通りになった暁には、新川さんともっとおしゃべりしようとそう決めるだけだ。今はキョンが忘れた時のために、行動を先回りしておかないとな。コンビニで買ったシンプルなレターセットに、手紙を書く。

 内容は、急にこんな手紙が来て驚くだろうけど鞄の中から自分のものではないノートを出して開いてほしいこと。古泉から電話が来た時に身に覚えのない話をされてもそれは事実であること。一緒に添えてあるマジックペンが、昨日の記憶と結びつくか思い返して欲しいこと。といった感じで手紙というよりは指令書じみてしまった。最後に芦川ヒカリの署名と、なんとなく寂しいので兎のらくがきをしておいた。

 タクシーを降りてキョンの家の前に立つ。本当ならこの平らな屋根や階段を上がった先の門やらを噛みしめたいのだが、そんな場合でもないだろう。俺は見えないけど、古泉が突っ立っているのは通行人に見えている。地元の人間なら見覚えのない生徒がいれば目に付くからな。聖地巡礼した時は同じ目的の相手と雑談したりしたものだが、まったくもって残念だ。こまめに古泉に触りまくっているこの状況も相当残念だ。


「古泉、ポストにいれても気づくかわからないから家の人間に渡してもらえる?」


 俺の指示にノータイムで呼び鈴に指を近づけた古泉が、ぴたりと動きを止める。ちょうど、後ろからふにゃふにゃとした鼻歌を口ずさみながら女の子が駆けて来たからだ。


「ねーねー、キョンくんのお客さん?」

「ええ、そんなところです。よくわかりましたね」

「えっへん! だってせーふくが一緒だもん」


 古泉が身を屈めて返事をしたのはキョンの妹だ。遊びに出かけていて帰ってきたところらしい。当然原作ではここで出会う描写はないが、渡りに船だ。


「古泉、妹ちゃんに渡してしまえ。キョンに必ず開封するようにと添えて。妹ちゃんから言われれば、いくら彼がお前のいうことを信用しなかろうが、俺の情報が飛び散っていようが仕方なく見るだろう。家の中に保険ができる」


 古泉は無言で、頷きもせずに俺から受け取った手紙とマジックを彼女に手渡す。


「ひとつお兄さんにお願いがありまして」

「うん、ぜったい開けてねって言えばいいんだよねえ? だいじょぶだよ。何回も言わなくっても、あたしちゃんと覚えてるからー」

「……失礼、今の会話を覚えているんですか?」

「そうだよ、すごい? えへへ、おねーさんの言ってること、ちょっとむずかしかったけどね!」

「ええ、すごい記憶力です」

「でしょー!」


 古泉と俺は一瞬固まってしまったが、どうやら妹ちゃんには俺が見えて、聞こえているらしかった。そこからの会話のカバーはさすが古泉の一言である。


「いや、妹ちゃん。俺はお姉さんじゃなくて、お兄さんなんだよ。制服がキョンと一緒だろ?」

「ほんとだー。なんでえ?」


 なんでじゃなくて。


「おねーさん、ヒカリちゃんでしょ。キョンくん言ってたもん。ウサコおとなバージョンの、そっくりなおねーさん」

「ウサコ?」


 それは俺がキョンからもらったぬいぐるみにつけた名前だ。というか、彼結構やるなあ。先に妹ちゃんに連絡していたのか。自分以外にきっかけを作ってもらって、家で思い出すためにってとこだろうか。古泉にも連絡してたみたいだし、キョンって本当頭の回転がはやいやつだよな。なんであれでテストの点が悪いんだろうか。

 でも、その一本の電話がどれだけ彼女にとって印象深かったんだ? 一度も会っていない俺を認識できるなんて。


「そーだよ。ウサコはまほーしょうがくせい!」

「ああ、十年くらい昔のニチアサ女児アニメか。最近再放送してるんだっけ。月のパワーで変身するんだよな。べんきょう怪人とクイズ対決して、勝つと知性が飴玉になって溜まって、時々大人になれるやつ」

「わー!! おねーさんも見てるの?」

「いや、まだ見てない。調べただけ。魔法小学生ミラクルムーンって、あれ主人公ウサコって言うんだ」

「すっごいかわいいんだよ! おねーさん、ウサコおとなバージョンにそっくりだもん! 絶対見てよー。あ、テレビにとってあるから、入って入って!」

「え!? いやそれは、ちょっと、うわなにをするやめr」


 俺は振りほどくわけにもいかず、妹ちゃんに引っ張られるまま玄関にずるずると侵入してしまう。ダメダメダメ、推しの家に不法侵入だなんてさすがにダメ! 妹ちゃんに見えてもご家族には俺が見えないかもしれないし!


「だっ、ダメだよ。おうちの人がびっくりしちゃうだろ」

「おうちのひとはあ、今いませーん」

「なおさらダメだから! こ、古泉……っ、おっまえ今これは面白くなってきたなって顔してるだろ」

「すみません、してます」

「隠せよせめて!」

「おねーさん、お名前なあに?」

「え、芦川ヒカリだけど……」

「ほらね、やっぱりおねーさんがヒカリちゃんなんだあ! 古泉くんも、早く早く」

「それではお邪魔します」


 断れやお前も! 抵抗虚しく、俺は妹ちゃんによってキョンの家に引きずり込まれてしまった。いや、君はなぜ納得してるんだ。キョンに電話で言われたんじゃないのかね? 同じ制服着てるってだけで家に上げちゃだめだよ!?

 妹ちゃんは目の前の和室の扉を素通りして、廊下を左に曲がってまっすぐのリビングに「たっだいまー」と駆けていく。おうちの人がいないのに挨拶できて偉いね……。

 リビングには入ってすぐに小さなテーブル。吊り下げの照明と、右手に四人掛けの大きなテーブル。開放的な窓に向けて設置された青いソファと左端にテレビがあった。右側の棚には本やFAXが置かれている。す、すごい、俺今キョンくんの家にいる。電話したい! 兄貴、キョンくんの家が実在しているぞ! 家ですら尊い!


「どっこかなー」


 妹ちゃんはリモコンで録画を操作してアニメを再生しはじめると、すぐに冷蔵庫に駆けていく。


「ふんふんふーん。うさうさうさー。あ、テレビ見ててね。お客さんのおやつ、よーいするから!」

「これはこれは、お構いなく」

「ほんとにいいよ気にしなくて。でも、たぶん、やりたいんだよね……」


 俺も覚えがある。兄貴が連れてきた友達に、よろよろとお盆にのせたジュースを運んでいって、褒められて嬉しかったなんて記憶が。まあその記憶は自分の友人に「俺の妹に色目を使うな」なんてドン引きな言いがかりをつける兄貴で終幕するわけですが。それにしても古泉が女児アニメ見てる図、なんかウケるな。


「そちゃですがー」


 この家では抹茶ミルクをお茶として扱うんだな。渋いなチョイスが、この子。


「わ、最中だやったあ……じゃなくていや、待ってそれ出しちゃって大丈夫? なんかいいやつっぽいけど頂きものなんじゃない!? お母さんに聞いてからの方がよくない!?」

「へーき。帰ってきたら食べていいよって言われたもん。それに、ヒカリちゃんはあまいの好きでしょ? はい、これでおてて拭いてね」


 言われるがままおしぼりで手を拭くが、なんでそんなことを知っているんだろうか。横で古泉が吹き出す。


「んだよ。なに面白がってるんだよ」

「っふ、いえ。彼も本意ではないだろうな、と思いまして」

「はあ? なにがだよ」

「こうなる以前から、彼はご自宅であなたの話をしていたんですよ。このアニメーションの主人公がきっかけかはわかりませんが、妹さんに印象付いてしまうほどに」

「ねーねー、ヒカリちゃんのまほーも、やっぱりクラスのみんなにはないしょなの? 昨日キョンくんに聞いたらね、まほー使えるって言ってた」


 言うなよ! それは言うなよ!


「いやー、俺は魔法なんて使えないよ」

「そーだよね、にんげんの国のえらばれた王子さまにしか言えないんだもんね。あ、じゃあキョンくんが王子さまなんだあ! すごーい!」

「ウサコって人間じゃないんか……?」

「ウサコは、月のおひめさまだよ」


 でかいネタバレくらった! もがき苦しむ俺を見て、古泉がちょっと面白くなさそうな顔をする。それから、またにこにこの笑顔に戻る。まあ、王子らしい顔をしたお前を差し置いて、王子様がキョンなんてそりゃ愉快じゃないだろうな。


「じゃあ、俺は男だからお姫様ではないかもなあ」

「ぜったいヒカリちゃんがおひめさまだもん! おにあいだもん!」

「うーん……」


 絶妙に照れる。テレビ画面ではうさ耳パーカーの黒髪女児が、怪人とクイズを繰り広げている。おおよそ小学生では身に着けないであろう知識から、学校で実際にやりそうな問題が出題されて、それをテレビの前のおともだちと解いていく方式みたいだ。よくできているな。ちょっと厳しい保護者もこのアニメなら見ていいよ、と言いそうな感じだ。


「ああ、妹ちゃん。さっきの手紙なんだけど、キョンくんには夜に渡してほしいんだ。夜まではないしょだよ」

「うん、わかったあ。まかせて。あ、ここの答えわかるー」


 ショートケーキのショートはなに? なんてクイズ、子供に出すなよ。


「覚えているんですか?」

「うん、なんかいもみたから。正解はね。しょーとにんぐ、のしょーとだよ」

「いやあ、さすがです」

「ふふん、まあね!」


 そんでお前はなに妹ちゃんにもヨイショしてるんだ。

 因みに、イギリスでは実際のショートケーキはビスケット生地のケーキを指す。その生地に使われたショートニングからショートケーキと呼ばれている、なんてのは一説に過ぎず、ショートブレッドを使っていたからという説もある。あと単純に日持ちしないからとか。

 日本式のショートケーキは海外圏ではレイヤーケーキと呼ばれているので、海外旅行の際にはこっちを言うとイメージに近いケーキを食べられるだろう。

 そんな雑学を脳内で繰り広げていると、玄関の開く音と共に「ただいま」とキョンの声がする。兄妹揃って偉い。当然その後に「は?」と続き、どすどすとした足音を響かせながらキョンがリビングに早足で現れた。


「なんだ、古泉か。いや、なんでお前がうちにいるんだよ。お前、よく妹しかいない家に上がり込もうと思ったな」


 俺のことは見えていないらしく、キョンが憎々しげに女児アニメを見ている古泉を見下ろす。もしかして、妹がいる兄貴の反応って基本こうなんだろうか。たしかにちょっとキョンくんってシスコンっぽいよな。

 ショートケーキかあ。俺はぼんやりと鞄の中に目をやる。

 結局、あのままハルヒのメモ帳を持ってきてしまった。さすがにやりすぎだとは思うが、タイミング的に戻してる暇がなかった。自分が透明人間じゃなくなるために、ここまで姑息な手を使っていいのだろうか。中身を見るべきか、未だに俺は迷っていた。

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