芦川ヒカリの憂鬱Ⅲ 4


 不思議なものだ。肉体が若返っているからか、女子の制服を着ても想像よりはずっと問題なかった。恥ずかしさはあるが、鏡を見ると少しだけワクワクする自分もいる。母校はセーラー服じゃなかったし。

 やっぱり北高の制服はかわいい。ベルトが腰の位置を高く見せてくれるし、全体的な淡い色は元気娘にも清楚系にも似合う。大きな襟と控えめなリボンのバランスが最高だ。まさかこれを着られる日が来るとは。

 まあちょっとスカートが短い気もするが……短っ、ちょっとどころじゃなく短いぞこれ。カーディガンはやっぱり着ておこう。

 どうせだから髪型も弄ろうかな。フィッシュボーンというのが楽なので、元の世界では自分でやる時はそればかりにしていた。俺のヘアアレンジ担当の兄曰く、わざと毛束をぴよぴよ浮かせまくるのがいいらしい。パーマをあてたようになって可愛いんだって。知らんけど。

 スカートを履いたことがない普通の男子と比べれば、俺は女装に抵抗はない。バニーは色々と無理だけど。そりゃそうだ。俺だって学生時代は女子の制服を着ていたのだから。最初はアニメの制服なんてコスプレだし着こなせるか不安もあったけど、俺にとっては見慣れつつあるせいか、違和感もあまりない。


 記念に一枚自撮りして教室に戻る。全然盛れなかった。ビューティ系のアプリが乏しい世界、つらいな。てか、画素数もつらい。


「涼宮。これでいいのか?」


 ハルヒのやつは俺を見て、心底不服そうな顔をした。なにを拗ねてるんだ、お前は。


「ていうかスカートが短い」

「しょうがないでしょ、これ貰い物なんだから。さすがにヒカリ、あたしより背あるし。ていうか、うーん……あんまり……」


 渋い顔のハルヒ。


「え!? 待って待って。あんまり!? 俺、鏡見て結構女装イケるじゃ~んって思ったよ!? お前が着ろって言ったのに!?」

「違うのよね~。似合ってはいるんだけど、それで下校しても誰もなんとも思わない感じ。しっくり来過ぎだわ。はっきり言ってつまんない」

「ヴァ~ん酷い」

「別にかわいいって思うのよ。かわいいわよ。あたしが選んだ団員だもの。当然じゃない。でもあたしはもっとこう、なによ意外に似合うじゃない! とか、女装ってすっごく萌えね! みたいなのを想像してたんだけど……なんか違うわ」

「二回も違うって言うな。こういうのは男子が女装してるにしてはかわいいなってとこくらいで満足してくれ! ノリノリで出て来たのが馬鹿みたいじゃないか!」


 普通? そりゃそうだ。元々女な俺が高校生の若さを取り戻してるんだ。見た感じは普通に制服を着ていることになるだろう。面白みがあるわけがない。

 まあ、かわいいってのはハルヒが俺を女だと思ってる分の補正とかもかかっているのかもしれないが。色眼鏡的な。もしくはお祭りノリ的な。それか、団員になると顔のグレード認識が変わるとか。

 ていうか絶対それだ。なにせ俺は恋人いない歴=年齢のオワコン女だ。オワコンって古いな。


「あ、そうだ。リップでも付けてみる? ちょっとだけ色つくわよ」


 ハルヒは座らせた俺にポーチから取り出したリップを差し向ける。ちょっと表情が明るくなってご機嫌麗しいようだけど、それはいけない。キョンに恨まれる。


「いやいやいや、ダメでしょ」

「なんでよ」

「こいつ、人が口つけたのダメみたいでな」

「なによ。どうしてそんなことキョンが知ってるわけ? ていうかヒカリはあたしのことばっちいと思ってるの? キョンはともかく」

「俺はともかくってなんだ」

「ばっちいとかじゃなくて、そ、それってあの……間接キ、キスじゃないか……」

「なに照れてんのよ。気色悪いわね。別にあたしは気にしないから」

「気にしろ〜! お前のように超絶Kawaii美少女が間接キスを簡単に許してはいけない! なにかあったらどうする! 嫌だ〜! 取られる〜! 涼宮を離せ〜!」

「勝手な妄想だけでうっさいわね。誰もあんたのことなんか男と認識してないっつってんのよ」


 俺が男だったら確実に泣いてた。


「いや女子同士でもダメだけど!? 間接キスしたのか? 俺以外のやつと……」

「パニックになるな。したいのかしたくないのかどっちなんだ」


 いちいち全部突っ込んでくれるキョンだが、したいかしたくないかで言えば……迷うな。迷う……それは迷うな……。全ての原作準拠とか捨て去った場合だろ? 迷うな……。

 もしも俺が女子と結婚しなさいと言われたらそれは当然ハルヒがいいからな……。仕事から帰ったらハルヒが家で待ってて、ご飯を作ってくれてるんだ。え? あの興味のないことにはてんで集中できないハルヒが煮込み料理を? それはすごい進歩だ。しかも俺のために?


「俺、養えるかな……涼宮のこと……あ、涼宮じゃなくて芦川になるのかな」

「知らないわよ、なんの話よ。ブツブツ言ってないでいいから面貸しなさい。口閉じる!」

「チンピラか!?」


 ハルヒに顎を掴まれて強引にリップを塗られる。おい変な趣味に目覚めたらお前のせいだからな。なんだ人に化粧される趣味って。

 ハルヒは満足そうに笑った。俺も釣られて笑ってしまう。


「うん。いい感じね。あとは靴下を変えましょう。オーバーニーも一応持ってきたから」

「それって校則違反じゃないのか?」

「金髪で学校指定のカーディガン着てないやつが今更なに?」


 仰る通り。俺はハルヒに黒い靴下を引っ張られて脱がされ、いそいそとオーバーニーに履き替える。ハルヒは自身の顎に手をやりポーズを取ると「ふむふむ」なんて言った。今時ふむふむなんて言ってかわいいのはハルヒくらいだ。


「かなり萌えキャラに近づいた気がするわ。思わず悪戯したくなる感じが出てきたじゃない」

「さすな。俺を守ってくれ。不思議生物って変態なのか?」

「おい芦川、因みに俺はいつツッコめばいいんだ」

「この感じだと放課後かな、やれやれ」


 キョンは口癖のやれやれ、を音ゲーの同時押しタイミングみたいに俺とぴったり合わせてうまく決めた。教室に入って来るなり面食らっていた担任教師は、ハルヒに時代がどうの心が女子だとどうの、選択制がどうのとあっさり丸め込まれた。もうちょっと頑張れ、岡部。


 昼食時になると、ハルヒは写真部からパクったデジカメでてきとうにに俺のことを撮りまくって、肖像権を主張する俺を撫で回して無力化すると颯爽と教室を去って行った。機嫌がいいのか悪いのかさっぱりわからん。あと頼むからサイトに載せないでくれその写真を。多分言っても聞かないけど。

 ハルヒがいなくなると、今度は女子に記念ツーショをひたすら撮らされるチェキ会が開かれる。文化祭みたいな非日常。普通の人にはこのくらいが丁度良いんだろう。ハルヒのエキセントリックさに付き合えるジョブも根性も並大抵のMPでは賄えない。案外こういうはちゃめちゃな活動を気になってるやつもいるだろうに、ハルヒの方が門前払いしてしまうからな。

 で、意外にもこの遊びに朝倉も参戦してきた。俺は指ハートのポーズを作って、彼女に顔を寄せて一緒に写真を撮る。至近距離で俺に何かあれば疑われるのはこいつだから、あまり気は張らない。

 隣の朝倉はまったくの無臭で「ああ、こいつって本当に人間のことに興味なんかないんだな」と思う。どれだけ穏やかで優しくて笑顔が可愛くても、人間の女の子が無臭なわけがない。

 因みに、同じことを長門に指摘してから彼女は髪からシャンプーの匂いをさせるようになった。何を使っているのか聞いたら見せてくれた写真には「あたま」「リンスインシャンプー」とわかりやすく書かれているボトルがあった。フェニックスだって。知らんブランドだ。


 ようやく撮影会が終わって、俺は既に机をくっつけて着席している谷口と国木田に合流する。谷口は訝し気な顔でじろじろと俺を見ていて、国木田はのんきに笑っていた。


「は? なんだよその顔」

「いや、恐れ入ったぜ。いやに簡単に女装を受け入れると思ったら、女子と絡むためだったとはな」

「行動理念をお前と一緒にするな。俺の知能がお前レベルまで著しく下がったらどうする」

「小テストの点俺とそんな変わんなくね?」

「絶対に許さない。絶対にだ」

「事実じゃねーか!」

「それにしてもすごい人気だったね。芦川、本当に女子の制服似合ってるんだもん。涼宮さんが拍子抜けしたっていうの、僕もわかる気がするよ」

「男でさえなければAランク圏内なんだけどな。え? もしかしてお前、俺が女装しろって言ったの真に受けたのかよ。マジか……お前がその気なら俺も真面目に考えるか……」

「考えんでいいわ。馬鹿なんだから無理に頭を使うな」


 俺のように脳みその使い過ぎで死を見るぞ。それに、ハルヒ的にお前はBL圏外らしいからな。なぜだかハルヒのやつは谷口に当たりが強い。同じ中学出身だからというのもあるのだろうか?


「にしても、お前らから見ても俺がかわいい女装に見えるのか。深刻な毒電波だな」

「マジそれだよな。俺の頭がおかしくなったら責任取れよ」

「求婚するな」

「求婚じゃねーよ! 賠償金だよ! まあ、お前がどうしても? 谷口様のようなイケメンじゃないとって言うなら? 考えてもいいけどな?」

「まあ、金なら払ってもいいか」

「そっちなのかよ!」

「まあ、芦川って元からかわいい顔してるもんね~」

「国木田よぉ、さっきから俺の話を無視してねえか」

「だって谷口放っておくと話が進まないからさ」


 本気で思ってなさそうに言うよな、国木田って。


「かわいいって。それ、国木田に言われてもなあ」

「やっぱりキョンに言われたいかい?」

「はっ!?」


 慌てて振り向く。幸いキョンの姿はない。また購買か。死ぬかと思った。国木田、俺の寿命を縮めるのは楽しいか?


「……別に誰に言われたいとかじゃなくて、そもそもお前も女顔だと思うんだが」

「えー。傷つくなあ」

「なんだよそれ。俺はいいのかよ、傷ついても」

「でも芦川って涼宮さんにかわいいって言われてる時、まんざらでもなさそうだからさ」


 古泉といい国木田といい、なんで毎回痛いところを突いてくるんだ。顔がいいと痛いところを突かなきゃいけない使命でもあるのか? ドブに捨ててしまえそんな矜持は。


「それは……大まかなカテゴリとして褒め言葉と思ってるってことなんだが? だから俺は国木田も大まかなカテゴリとしてかわいいなって思うが?」

「芦川に比べれば僕なんて全然男っぽい方だよ。ほら、」


 国木田が俺の手を取り、ぴったりと合わせる。驚いたことに俺より掌が大きい。公式によると身長は166㎝の筈だ。これが6㎝の差なのか? それとも身長の割には手が大きいというギャップ萌えを狙っているのか。侮りがたし。ちょっとときめいてしまった。くそう。

 というかそろそろ手を離してくれ。谷口が話の輪から外されて拗ねて弁当ドカ食いしてるぞ。


「俺だって男だ。手は小さいが器はでかいとその筋では評判だぞ」

「芦川って誰にでも照れるよね」

「う、う、うるさいな。急に手なんか触られたら誰だってそうなるだろ」

「そうかなあ? 多分、一定の距離感が必要なんだろうね。芦川と仲良くやるには」

「そう思うんなら距離を取れ」

「ああ、違う違う。逆でさ。ある程度仲良くなったら、照れちゃうんだろうなって」

「別にそんなことねーよ。繊細な男子高校生は、友人との距離感で照れるもんだろ」

「まあ、たしかに芦川相手ならそうかもね」

「お前……さっきから俺のこと口説いてんの? いや、ていうかじゃあお前も照れろよ」


 国木田は「まさか」と笑う。お弁当の包みを広げながら、浮かしていた腰を落ち着けた。手が離れていく。とくとくと鳴る心臓が、落ち着いていく。


「そんな素振り見せたら、涼宮さんに何言われるかわからないよ」

「じゃあなんだ? 国木田。お前涼宮が良いって言ったら良いのか」


 椅子を引きながら、キョンがそう言う。せ、セーフ。さっきの会話は聞かれていないみたいだ。キョンの気配を感じ取る才能がないとこれから先も心配だな。くれないかなハルヒ、その能力。

 キョンの手にはコロッケパンとカツサンドとやきそばパン。購買に行く時はだいたいいつもその三つみたいだ。若者らしい選択で素晴らしい。いっぱい食べて大きくなれ、キョン。微笑ましい。


「うーん。そうなってみないとわからないけどね。芦川が魅力的なのは確かだと思うよ。特に今日のその恰好、他のクラスでも結構噂になってたからね」


 お前はギャルゲーの友人ポジみたいに噂に詳しいな。


「女共も見る目ねえよなあ。俺にはわかる。こいつ、友達としてはいいやつだけど、付き合うと面倒なタイプだぜ」

「おい、勝手な悪評をばら撒くな」

「谷口は文脈が読めないみたいだけど、男子だよ噂してるの。同じ中学出身で別のクラスの男子。最近、芦川のことよく聞かれるんだよ」

「最近ってことは女装する前からってことか!? マジかよ……マジで涼宮の言うように老若男女都市伝説や幽霊にまでモテていく気なのか芦川……」

「都市伝説と幽霊はお前にやるよ」

「いらねえよ!」

「その話なら俺も今捕まったぞ。国木田と同じだ。多分同じ中学のやつが、俺や国木田をとっかかりに芦川のことを聞こうとしてるんだろう。ハルヒのやつが宣伝して回ってるらしい。なにがしたいのやら」


 まさか。まさかとは思うがハルヒ、お前また自分に都合のいいように世界を変えてしまったんじゃないだろうな。男子校じゃ女装にときめくなんて話を聞くが、うちは共学だぞ?

 なにより、ハルヒを筆頭にこの高校はレベルが高いのだ。さすがはラノベ、さすがは京アニ作画。とんでもなく美少女が多い。朝倉なんか特にすごい人気だし、長門は谷口曰くAマイナー。朝比奈さんにはファンクラブなんてものがあるしな。鶴屋さんもモテる。そういや国木田って鶴屋さんに憧れて北高に入ったんじゃなかったっけ。浮気者~。

 だいたい、おれのことを知ろうとしているそいつら、どこかの組織のやつとかじゃねえの。俺がヒト科の男にモテるなんてナイナイ。その幸運、古泉で使い果たしたっぽいし。


「奇妙な生物とかに俺をモテさせたいんじゃなかったのか、あいつ」

「さあな。涼宮のやることは俺にゃわからん」


 キョンの「にゃ」を聞けて大満足なので、今日のところは寛大な心でハルヒのことは許してやろう。しかし、これでは古泉の言う通りになってしまったな。ハルヒのやつ、俺と古泉をくっつけたがってるわけじゃないのか。本当に何がしたいのかさっぱりわからん。

 コロッケパンに齧り付くキョンを放置して、谷口と国木田の会話はまだ続くらしい。換気のためにカーテンが開いているので太陽が眩しく、五月の日が照り付けている。ゆっくり溶かされているみたいに汗をかいてきた。脱水になっても馬鹿らしい。カーディガンは脱ごう。弁当を食べるのも億劫だが、手を団扇にして風を送り込みながらなんとか減らしていく。


「ぶっちゃけた話、この学校の男子でまあお前的にアリなやつっているのか?」


 片手間みたいにキョンが聞いてくる。ぶっちゃけられない相手にぶっちゃけられて、俺は軽く咽せた。


「……なにそれ。聞いて来いって言われたの?」

「まあな。見ろ、シャツが引っ張られて左の袖、ボタンがなくなったくらいだ」

「あーね……じゃあ答えておいて。今のところいませんって」

「だと思ったからそう言ったが、聞いて来いとしつこくてな。ま、それでいいか」


 そこまで詳しく聞きたがるなんて、マジでモテはじめているというのか? なぜだ。おかしい。ハルヒがそう思ったからって、そんなに何人もの心を動かすことが可能なのだろうか? とはいえ、素で俺が人気者っていうのもあり得ないしな。俺がモテるのはすべてハルヒが悪い。でも、それにしたってなあ。

 まあ、目には付くよな。SOS団なんて学校で知らない奴はいないだろう。その上、団員の女子はみんな美人。とはいえ長門は氷と話してるくらい冷ややかだろうし、朝比奈さんにちょっかいかければ鶴屋さんが黙っていない。ハルヒなんか一秒で罵倒されて終わり。

 高校生活、彼女を連れている優越感に浸りたい気持ちもあるだろう。それが目立つ相手ならばステータスになる。男でも女でも、交際経験ってのは積んでおいて損はないだろう。実際俺も積んでおけば良かったな、と絶賛後悔中だ。

 でも、だからって俺で妥協するな。俺はそんなにチョロくはないぞ。まだ谷口の方がホイホイついて行くんじゃないか。

 谷口が人差し指を立てて舌を三回打つ。洋画の見過ぎだ。


「いーや、芦川。そりゃ絶対言わねえ方がいい。キョンもまるでわかってねえな。今はいませんって言われりゃ、イケるって思っちまうのが性ってもんだ」

「へー、やっぱ谷口ってモテない男の機微に詳しいな」

「おい芦川! 助言してんだぞ俺は!」

「実際谷口の言う通りだと思うよ。僕も賛成」


 言いつつ、二人はキョンの顔を見る。それから、俺の顔を見た。なんだよその目は。そんなこと言って、キョンくんが協力してくれるわけないだろ。彼はBLに関わりたくないんだからさ。


「じゃあ、古泉のことが好きだと言っときゃいいか」


 キョンはカツサンドを頬張りながらどうでも良さそうに呟いた。たったそれだけのことで、まるで突き飛ばされたみたいな衝撃を感じて俺は固まってしまう。傷つかないように自分で予防線を張っていたくせに、なんの意味もなさなかった。

 ああ、本当にキョンの目に俺は映らないんだなあ。そんな当たり前のことを突き付けられた気がして、苦しくなる。キョンから見れば、俺は古泉を好きなように見えているのかもしれない。違うよ、って言いたかった。俺が好きなのは君だよ。そう、言えたらよかったけど。でも、もしハルヒが怒らないにしても、やっぱり俺は言わないんだ。だって、断られるのがわかってる。

 ほうれん草の胡麻和えを箸でくるくる回す俺を見て、谷口がバツの悪そうな顔をする。なぜお前まで一緒になって傷ついているんだ。付き合いが良いやつめ。


「なんだ芦川、その顔は」

「いや? まあ、古泉とのことは少なくとも学年中には知れ渡ってるだろうからなーって思ってさ」

「ああ。それでもわざわざ聞いてくるやつの気がしれん。俺ならしない」

「まあ、俺が同じ立場でも古泉と噂になってる相手に行こうとは思わないね。あの顔面偏差値と張り合おうなどと、まず希望がない」

「嫌なことを言いやがるな」


 キョンの友人とやらは、その話を聞いてどう思うのだろうか。俺が古泉を気になっていると聞いて、悔しがったりするのだろうか。キョンは、そんなことは思わないみたいだった。そりゃそうだ。勝手にやってろって話だもんな。俺が誰を好きでも、キョンにはどうだっていいことだ。

 古泉の耳に入ったら、あいつは傷つくだろうか。キョンの口から出た噂だと知ったら、きっと良い思いはしないだろう。あいつは俺がキョンを好きだと気づいてる。それはちょっと、なんだかなあ。いや、案外うまく利用して、いつの間にやら退路を封じられている可能性もある。それならその方がいいかもしれない。古泉がシリアス方向にショックを受けたり悩んだりするのはあんまり見たくない。


「いやー、でも、アレだろ。古泉のことは芦川がネタだって言っちまってるからな。あ、なんなら俺の名前使ってもいいぜ。国木田でも。ほら、キョンでもな?」

「谷口」


 国木田が制止する。ありがたいけど、うん、でも、わかってたことだ。


「断る。なぜ俺が巻き込まれにゃならん。だいたい、俺が言うのか? 芦川に聞いたら俺はアリだと言っていた、なんてことを。どんな提案だ。神経を疑う」


 あー、いいって。そんな無理にフォローしなくても。やればやるだけ泥沼だ。わかるよ。俺も自分の神経を疑うよ。キョンが優しくしてくれるのは、別に俺に好意があるからじゃない。そんなことはわかってたくせに、規定通りにとか言ってたくせに、変に期待してたなんておかしな話だ。

 やばい、全然頭が働かない。きついな、そうだよな。変なBLに巻き込まれたら恥ずかしいよな。俺なんかに好かれてるって周りに思われたら、迷惑だよな。嫌だよな。


「……あー、なんだ。アレだな。お前が似合いすぎたのがまずかったな。涼宮もまんま女子じゃつまんねーとか言ってたくらいだし。マジでその恰好で転校してきてたら、もっと興味ねえやつにモテてさ。さすがの俺も惚れてたかもしんねーし。ほら、そうなると涼宮もキレてたんじゃねえか。お前らじゃない、とかなんとか言ってよ。逆に良かったって可能性もあんだろ?」

「まあ、正直ちょっと引いてるからな、俺は」


 あ。泣くかも。いや、それはさすがにダサすぎる。


「いや、引くのが普通だ。キョンの反応は合ってる。それに、別に俺は勘違いされても痛くはないよ。俺が誰を好きだなんて、そんなのどうだっていいことだしな。どうせ、俺のことが気になるなんて一過性だ。集団の熱ってのは冷めやすい。すぐ飽きるさ。ハルヒがくだらないって弾く可能性もある。普通の人間には興味ないらしいからな」


 なんで人間って、誤魔化す時にべらべら喋っちゃうんだろう。浮いてるぞ、とか引いてるぞ、とか頭の中ではわかってるのに、全然言葉が止まってくれない。これだからコミュ障ってやつは。落ち着け。ボロを出すな。深呼吸をしよう。

 はい、冷静になった。そういうことになった。さて、冷静になって考えると、SOS団一般人代表のキョンが引いているなら、やはりこの熱狂にはなにか裏があるはずだ。一番人気はハルヒが何かしたってところだが、二番人気の朝倉の線も捨てがたい。


「やー、あれだね。しかし、こんなに面白がられるとは些か計算外だった。陰キャのオタクが女装なんてやるもんじゃないね。悪目立ちしてしょうがないよ。参った参った」

「おい、誰もそんなことは言ってないだろ」

「あー。そうだね。そこまで言ってない。ただの自虐だ。全然似合ってないし、無理しすぎだもん。男にしては見れるとか、優しいよな。慰めてくれるのは嬉しいけど、こういう時は厳しい事実を突きつけるのも友情だよ? お前らも俺に甘いよな」

「芦川。そんなことないよ」


 国木田だって、ハルヒの情報操作でそう言わされてるだけに違いない。なんか、嫌なことばっかり考えてるよな。国木田は優しくしてくれてるだけだっていうのに、そんな風に思うのは。

 でも、事実だ。こんなことはおかしいんだ。


「てか、女装が似合うとかに合わないとかどうでもよくてさ。ハルヒがなにを考えているか知らないけど、その思惑と違う接触者が増えるってのが俺たちとしたら困るわけ」

「……俺たち?」


 やべ。キョンが目を細める。


「あー、ほら、今まで俺単体で騒がれることってなかったでしょ。それはジーマーで解決しておきたいんだよね。BL要員としてはソロ活動禁止みたいな? あいつ後になってテノヒラクルーで起こりかねないし。しかし、そうなると大事になってくるのは言い訳の内容なんだよね。世界一当たり障りのない騒ぎの収束にしたいだろ。てわけで参謀の国木田としては、案はある?」


 なんてことはない。死ななきゃかすり傷だ。キョンのファンサの期間が終了しただけ。最初から引き気味だったし。だけど仲間だから優しくしてくれたんだ。はっきり言葉にされるとは思ってなくて、ちょっと落差で風邪を引いた。これが普通の反応だ。なんなら、ハルヒや古泉が変わってるくらいなんだ。国木田も谷口も、友達思いなだけなんだ。

 俺が京アニ作画かどうか、俺の主観ではわからない。結構かわいいんじゃないか、なんて思ってた時間に遡行して、自分をすぐさま川に沈めてしまいたい。今、俺ちゃんと喋れていたか自信がないんだが、受け答え出来ていたよな?

 並行的にこの騒ぎのことも考えないと。さっきも言ったが、別に俺がヘンにモテたって、俺の心情で言えばそんなことは割とどうでもいい。人生に一回くらいモテ期があってもいいだろう。

 だが、朝倉がなにかの下準備でやったことなら、動揺する姿すら見せたくない。それに、俺の周りに関わろうとする人間が増えれば、監視している様々な勢力にとってはピリピリしてしまう事態だろう。どの道、早期解決が望ましい。


「……先生とか先輩とかにすればいいんじゃないかな。ほら、年上が趣味って言われると希望持てない感じするし」

「おー国木田冴えてる。キョン、そう言っておいて」


 俺は弁当箱を閉じる。国木田がほんとうに寂しそうな顔をしていて、谷口がしょげていて、俺は苦笑いで返した。なにやってんだろうね、俺。お前らに心配かけてさ。キョンに当たり前の態度を取られただけでこんなに動揺して、バカみたいだ。でも、今で良かったかもしれない。男だから似合わないんだって、気味悪がられたんだって、心の中でどうとでも言い訳ができる。


「おい、どこへ行く」

「そ、そうだぜ芦川。全然食ってねえだろ」

「なにかするなら僕も付き合おうか?」


 とりあえず、朝倉がいる教室から離れる。そして、ハルヒがしている宣伝とやらの内容を確かめに行くか。よし、自然に教室から出ればいい。大丈夫、俺は全然普通だ。もしも朝倉が原因なら──この学校には俺を監視している人間も多い──目立った行動を取ることで探られて痛いのは朝倉の腹だ。古泉には連絡を入れておこう。


「へーき。ちょっとそこまで暗躍してくるだけ!」


 俺は携帯を見せながら、手を振って笑った。笑えてたと思う。色々言ったが全部本当はどうでもいい。どうでもよくはないかもしれないけど、今はいい。

 単に、キョンのいる教室から逃げ出したかった。

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