第30話 百二十年目の一目惚れ

 大丈夫、大丈夫だ。だって、アッシュはあんなに強いんだもの。きっとあの不気味な仮面の鳥にも勝てるはず。

 けれど、その望みは一瞬にして潰えた。

「キシャアアアア!!」

 仮面の鳥の咆哮が耳をつんざく。その喉奥に、赤い光が見えた。

 真っ赤な光線が、アッシュの体を貫いた。

「アッシュ!」

「動いちゃだめよ、ロマーナちゃん!」

 私達の体が地面に到着する。頭を持ち上げて見た庭には、胸に石が埋め込まれた何体もの人達で溢れかえっていた。

 アッシュ、アッシュは無事だろうか。頭が真っ白になる私だったけれど、ぐいとリンドウさんに引き寄せられて我に返った。

「しっかりなさいな、お姫様! 逃げるわよ!」

「リンドウさん……」

「絶対に離れないで! いいわね!?」

 私が頷くのを待たず、リンドウさんは走り出した。「こんなことなら、ちゃんと飛行魔法学んでおくんだった……!」と呟くのが聞こえる。彼女の炎がゾンビを押し退け、道を作る。しっかり握ってくれた手の強さに、私はこんな時なのに泣きそうになっていた。

 ……自分は無力だ。でも、今そんなことを考えている時間は無い。せめてリンドウさんの足手纏いにならないよう、必死で足を動かした。

「上にいたゾンビと比べて、違う動きをする奴がいるわね」

 リンドウさんが囁く。

「もしかしたら、ゾンビを操る奴が紛れてるのかも。だとしたら、そいつはアタクシかロマーナちゃんを狙って動いている」

「り、リンドウさん?」

「……」

 ぼふんとあたりが灰色の霧に包まれる。リンドウさんが、目眩しの魔法を使ったのだ。

「ロマーナちゃん。よく聞いて」

 何も見えない世界の中で、凛とした声がする。

「アンタは、このまま森の方へ逃げなさい。アタクシが囮になるわ」

「そんな……!」

「いいから聞きなさい。……悔しいけれど、アタクシの力だけじゃ捕まるのは時間の問題なのよ」

 リンドウさんが空に目を向ける。仮面の鳥は、私たちを探すように旋回していた。

「だったら、少しでも時間を稼がなくちゃ。幸いアタクシはそれなりに強いから、一人だったらアイツらを適当に捌きながら逃げられる」

「わ、私も一緒にいます!」

「やめてよ、アンタ足遅いのに。逆に困るわ」

「うっ、すいません……!」

「ま、普通の人間にしては頑張ったほうじゃない?」

 ふわりと花の香りに包まれる。私は、リンドウさんに抱きしめられていた。

「……ちゃんと逃げなさいよ。でないとアタクシ、ヴィンにバチボコに怒られちゃう」

「……リンドウさん」

「一緒にいられなくてごめんなさい。絶対に逃げ切るのよ」

 体が離れる。霧の中で、私に似た影が動いた。きっとこれも、彼女の魔法によるものなのだろう。

「さあ、一旦お城に逃げるわよ、ロマーナちゃん! ついてきなさい!」

「……!」

「早く!」

 私の背を押すようなリンドウさんの大声に一瞬躊躇ったけれど、意を決して森に向けて走り出した。――怖かった。怖くて堪らなかった。でもそれ以上に、自分自身が情けなくてどうしようもなかった。

 まただ。また私は、他の人に守られて生き延びようとしている。みっともない。卑怯極まりない。今の自分をお母様やお父様が見たら、どう思うだろう。

 けれど残ったところで、リンドウさんの迷惑になるだけなのだ。罪悪感と申し訳なさでぐちゃぐちゃになりながら、私は灰色の霧の中を駆け抜けていった。




 ――このアタクシが、随分とお優しくなったものである。ふわふわぽわぽわのお姫様なんて、この世で一番相容れない存在だと思ってたのに。

 自嘲気味に笑いながら、リンドウは灰色の霧を走っていた。これほどの魔力が体に溢れているなら、まず怖いものなんて無いだろう。そう思っていたのだが――。

「ッと!」

 突如霧から腕が出てきて、リンドウの体を掠めた。掠めた所から、魔力が抜けていく。――“命の石”。何もしなければただの魔力発生装置であるだけだったはずの人工物は、人の命を吸うことで変貌した。

 魔力を際限無く奪い、宿主の体がチリになるまで動かし続ける。それが、リンドウの直面したおぞましき石の正体だった。

 魔力で体を維持するリンドウからすれば、まともに触れることすらできない。彼女は、ギリと奥歯を噛み締めた。

(死ぬなんて、まっぴらごめんだわ)

 そうだ、まだ恋の一つもしたことが無いのである。ヴィンについて話す時のロマーナの顔を思い出す。……あんな腑抜けた感情を、自分は知らない。百二十年と少し生きているのに、誰かを想うだけで胸が満たされる気持ちなんてちっとも理解できなかった。

 ま、どいつもこいつもアタクシに釣り合わないってだけなんでしょうけどね! 杖を振り上げ、敵に特大の火の玉をお見舞いしてやる。腐った肉の焼ける匂いには興味が無くて、とっととその場を後にした。

 けれどその時、ふわっと自分の体が浮く。

「え……」

 見ると、二メートルほどのゾンビが、リンドウの体を両腕で持ち上げていた。抵抗しようとしたが、動く側から魔力が吸い取られていく。

 霧の中には、まだいくつもの影が揺らめいていた。どうやら知らない間に、自分は囲まれていたらしい。

 ――まずい。体に力が入らない。このままでは、ロマーナからもらった分の魔力まで使い果たしてしまう。

(……ああ、ここまでかしら)

 リンドウは、だらりと手足の力を抜いた。こんな醜いモノに命を奪われるのは不本意だけど、案外人生なんてこんなものなのかもしれない。

 ――だけどやっぱり、一度でいいから溺れるような感情を味わってみたかった。

 リンドウの体が、小さな人形のように容易く振り上げられる。そして、地面に叩きつけられようとした直前。

「その人を離したまえ!!」

 野太い声と、衝撃。弾みで投げ出された体は、誰かの温かく逞しい腕にすっぽりと収まっていた。

 いつのまにか閉じてしまっていた目を、開ける。顔に傷痕の走るその人は、太い眉の下にある目をまっすぐゾンビに向けて、重そうな剣を片手で構えていた。

 お名前を聞かなければと思った。けれどその前に、彼はチラとこちらを見るとくしゃりと笑ったのである。

「もう大丈夫だ! この私、オルグ・ガラジューが来たからには、必ずあなたをお守りしよう!」

 ――この瞬間、百二十年生きた魔女は生まれて初めて一目惚れを思い知ったのである。

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