第五章:それぞれの今

くしゃみ

はっくしょん!


「大丈夫?」


明日香が私の顔を覗き込む。その美しい顔の造形に見惚れてしまう。食堂で話したあの日から、私たちの距離感はつかず離れずを繰り返していた。レジュメを渡したり、渡されたり。来週の課題を聞いたり、聞かれたり。お互いを便利屋として扱う関係が煩わしい。明日香がどう思っているかはわからないが、私は彼女を友達だと思うことはできない気がした。紫音くんをきっかけにつながった縁だが、早く切ってしまいたい。


とはいえ、授業後の講義室や食堂で一緒にお弁当を食べる。今までは一人でやってきたことを一緒にやる人がいるということで、大学での居場所を与えられていると感じる。偽りの居心地の良さと義務感で私は彼女に微笑みかえす。


「大丈夫、風邪かな」


卵焼きを口に放り込む。甘い味付けのはずなのに、なんだかしょっぱい気がする。いつの間にか講義室から人はいなくなっていて、その静けさに身震いすると同時にもう一度くしゃみが出た。


「二回目」


明日香はいたずらっぽく笑って、スマホをいじり出す。スマホを触ってくれている間は無理に話題を探さなくていいから助かる。そう安心して口に唐揚げを放り込んだ瞬間、スマホが眼前に突きつけられた。


「二回のくしゃみは誰かに笑われてるらしいよ」


「三回目は何だっけ」


「誰かに惚れられているらしい」


「三回目、出たらいいな」


特に中身のない会話をしているつもりだったのに、明日香の顔つきが変わった。その視線は私のカバンに向けられている。


「紫音くんだったらいいなとか思ってる?」


紫音くんやクロミネくんの話になると明日香の機嫌が悪くなることがある。いつもではないが、時々今のような凍てつく視線を私に送ってくるのだ。紫音くんの話題でつながったはずなのに、紫音くんがきっかけで私たちの関係は壊れそうな危機感を孕みだす。


「ありえないじゃん」


私がそう返すと、明日香の瞳から殺気が消え去った。それと同時に授業10分前の予鈴が鳴り響く。


「じゃあ、私行くね」


明日香は軽く手を振って出口に向かう。


はっくしゅん


手を振り返すと同時に出たくしゃみに明日香の歩みが止まる。


「良かったじゃん。三回目出て」


そう言った明日香の顔は今までに見たことがないくらい引きつっていた。







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