円華の幸せ

「ふふ……くふふ♪」


 円華は幸せの絶頂に居た。

 我慢しようとしても笑いが堪えられず、頬が緩みに緩んで気持ち悪い笑みがこぼれ出ていた。それは隣に座る彼女の親友ですら、少し距離を置いた方が良いのでは思わせるような邪悪……とは言わずとも、欲望を滲ませた笑みだった。


「ちょっと円華、本当にどうしたの?」


 気持ち悪い笑みを浮かべる親友に勇気を持って真紀は声を掛けた。

 声だけでは反応を返さず、肩を揺らされたことでようやく円華は真紀の方へと視線を向けた。見つめ合う視線は交差し、円華の瞳にはバッチリと真紀の姿が映っている。そんな風に見つめ合う中で、やっぱり円華はふへっと笑った。


「円華が壊れたああああああああ!!」


 朝、大学に着いた時からずっと円華はこうだった。

 持ち前の美貌が失われているわけではないが、傍に居れば聞こえてくる気持ちの悪い含み笑い。何かを思い出したかと思えば、頬を赤く染めて体をモジモジと揺らす姿は可愛い、かと思えば口元がニヤけだしてまた含み笑いをするということが続いていた。


「壊れたって酷いわね。私はいつも通りよ」

「……どこがよ」


 まあとはいえ話は普通にできるようだった。

 相変わらず頬が緩んでいるものの、真紀としては何があったのか気になるのは当然だ。この休日の間に何があったのか、それを聞くと円華はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに教えてくれた。


「彼と同棲することが決まったのよ。既にお互いの両親に話は付けたわ」

「……へぇ。良かったじゃん」


 なんだ、思ったより普通のことじゃないかと真紀は安心した。

 円華が以前に付き合っていた男との縁は完全に切れており、追い込まれていた彼女がこんなにも嬉しそうにしているのは真紀としても嬉しいことだ。


(……好きなのは確かだけど、執着心も凄そうよね)


 そう思ったのは円華の様子を観察していたからこそ分かったことだ。円華の言葉の節々から大きな執着心とどこまでも愛し続けるという強い意志を感じ取ることが出来る。相手の顔は見たことはないが、こんな美人に愛されているのならある程度の束縛はご褒美だろうとも思える。


「これでもう、私と彼を阻むものは何もないわ。未来永劫、どこまでも私は彼と一つになれるの。いつでも触れられる、話が出来る、愛し合える……あぁ素敵♪ 早く帰って彼と早く愛し合いたい♪」

「……うわぁ」


 恍惚とした表情を浮かべる円華に真紀は引く……ことはなかったが、概ね似たような反応だ。

 真紀にとって顔も知らない彼氏と円華が付き合いだしてから彼女は変わった。前よりも表情は豊かになり、醸し出す色気も相当なものになった。存在そのものが魔性というわけではないが、更に女性としての魅力を溢れさせたのは言うまでもない。


「……そんなに今の彼氏が良いの?」

「もちろんよ♪ 彼以外考えられないわ。彼に拒絶されたら私に存在価値なんてないってほどにね」

「重すぎない?」

「彼も受け止めてくれているわ。私のこの気持ちを全部受け止めて傍に居てほしいって言ってくれたのよ。一生を掛けて私を愛し、愛されることを誓ってくれたの」

「……そっか」


 重い、あまりにも円華の想いが重すぎる。

 さっきも言ったがこんな美人に愛されるのは男として間違いなく幸せだし幸福なことだとは思える。しかし怖くないと言えば噓だった。果たして相手の男は本当に円華に向けられる愛を一身に受け止められるのか、それが少し心配だった。


 まあそれは良いとして、一旦真紀は円華から視線を外した。


「……あっちはあっちで顔色最悪みたいね」


 最近円華の元カレは大学に来てないらしく顔は見ていないが、円華と入れ替わるように付き合いそして捨てられた女は顔色が悪かった。教室の隅で縮こまっている姿を見るにどうも酷いことを言われたんだろう。


「ま、ざまあみろって感じだけど」


 男と一緒になって円華を罵倒したことは覚えているし、何より彼女の頬を叩いたことも許されない。実はあの後、円華に知られないようにあの女を呼び出して色々と言ったが反省は一切していなかった。

 その女が今、信じていた男に捨てられ絶望の底に居るのは……こう言っては人として最低かもしれないが、気味の良いことだった。


「どうせならあいつも地獄に落ちれば良いのに」


 何をしているかも分からない円華の元カレ、何なら事故にでも遭って死んでしまえとすら思う。何度も言うがこの考えは人として最低だが、それでも親友を傷つけられたことを考えれば仕方のない感情だった。


「まあでも……」

「くふふ……あぁ千夏君……千夏きゅ~ん♪」

「……こっちはこっちで病気だわ」


 幸せそう? 間違いない、でも凄く気持ち悪いなと真紀はため息を吐いた。


「ねえ円華、そんな風に好きになった相手を私も見てみたいんだけど――」

「なんで?」

「ひっ!?」


 気持ちの悪い笑みから一転、サッと顔を向けてきた円華の目は暗かった。なんで、そう言われても見たいからとしか言えないが……それでもあまりの恐怖を感じてしまい真紀は何でもないと首を振った。


「……良いわよほら」

「う、うん……」


 最初から見せてくれるのなら怖い目をしないでと真紀は声を大にして言いそうになったが我慢した。円華がスマホを操作し、これがいいわねと呟いて見せてくれたのは円華の彼氏――千夏が眠っている姿だ。


「あら……随分と可愛い子なのね」

「そうなのよ! 本当に可愛いんだから千夏君は! でもね? 可愛いだけじゃなくて凄く頼りになる子なのよ! それに……夜も凄く愛してくれるのよぉ♪」

「円華、そこまでにしましょう」


 どうやら彼氏のことを話させると止まらなくなるのは間違いないらしい。

 聞いてもいないことを進んで話してくれるのは別に良いのだが、彼氏にとっても恥ずかしい内容を聞かされるのはごめんだろう。


「円華が幸せそうにしてるなら私としても何よりだわ」

「うん。ありがとう真紀」


 結局、円華が幸せならそれで良いのだ。

 円華を立ち直らせた新しい彼氏、こんなにも円華が想いを寄せる相手には下心なしで会ってみたいものだと思う。親友を助けてくれたお礼を言うために。


「……くふ……くふふふ♪」

「……これ、しばらく続くのかしらね」


 幸せなのは分かるが、もう少し笑いを堪えてくれると嬉しいと真紀はため息を吐いた。当然、そのことを円華は分かっているのだが堪えられないのだ。内から溢れ出す幸せを、どうあっても彼女は我慢できなかった。

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