3-8

 翌日。


 普段通り学校生活がスタートし、特に何事もなく時間は進んでいく。そうして順調に五限目も終わり、さてと、次は本日最後の六限目。


 …………しかしその前に、俺は下の階のとある教室へと向かうことにする。

 おっと、忘れ物をしていた。俺はロッカーから数枚の束になっているそれを取り、後ろポケットにねじ込んだ。

 廊下を進み、やがて教室前に辿り着き、アイツに見られないように俺は廊下から教室の内部を見渡す。すると、お目当ての人物が教室の中央で友達らしき連中と談笑していた。


 よし、入るか。


 教室前方から堂々と入っても、誰も俺のことを奇怪な目で見てこない。このクラスに属していない俺がこのように目立たず地味に歩けるのも、俺が日頃編み出したスキルのおかげだ。秘訣は堂々と歩く、自信ない態度を取っていると逆に目立つからな。


 そのまま誰からも気づかれないまま、俺は彼女の下まで順調に歩いて向かう。


「……――ってことがあってさぁ、本当にバカだなって思ったワケ! でねでね、……ってあれ、ぼっちくんじゃん!? えっ、えっ? どうしちゃったの急に?」


 その場で立ち止まって数秒、ようやく俺の存在へと気づいてもらえたようだ。


 伏見咲夕。


 茶髪ロングの、美少女と呼んでも差し支えない程度には整った顔立ちをしたギャル女。

 突然の俺の登場に、困惑したように苦笑いをする伏見。


「えー、まさかこのタイミングで……。んもうっ、告白したいならアポは取ってほしいな。あ、電子メールはダメだよ? 今時であっても、ちゃーんと直筆の手紙を送ってもらうのが条件だから」


 伏見の周りに集まる友達はざっと三人。そんな友達連中は「誰だコイツ?」と言いたげな視線で俺を見てくる。


「ねぇ咲夕……、この地味な男って知り合い? 咲夕にしちゃあ珍しいけど?」


 伏見はアハハと笑い、


「一回声掛けた程度で知り合いになったら、今頃何千人と知り合いだって。この寂しがり屋くん、カノジョどころか友達も満足にできないから勘違いしちゃったんだよ。こーんな美少女に声掛けられちゃってね」


 と茶化せば、周囲の三人が同調したように俺を笑う。


「なぁ、自転車の鍵を隠し回ってるのって、お前だよな?」


 俺はそう言った。


 女友達とクスクス俺を笑っていた伏見咲夕は、――伏見咲夕だけは、その表情が嘘のようにピタリと凍りついた。


「……えっ?」


 伏見の挙動に、一緒に笑い合っていた連中も次第に押し黙り、やがて俺へと注目を集める。


「……なっ、なに言ってんの? え、意味分かんないし……。自転車の鍵? 誰かに隠された? ちょっ、イジメの被害に遭ってるってこと? ……はっ、はは……」


 伏見は濁すように笑いつつ、三人の友達に、


「も~、困るよね。私が隠したって言うんだよ? そんなことして何になるってカンジだよね。そんな地味なナリしてヤンデレ系ですか? ちょっと勘弁して。ヤンデレ系はキュートな女の子ってギャップがなきゃ意味ないから。ほら、分かった?」


 そうして愛想笑いを浮かべた伏見。


「ああ、鍵を隠されたのは俺じゃないぞ。被害者は全員女子バスケ部のメンバーで全員二年生だ。伏見が貴重品袋を漁って財布から部員の鍵を盗んでたんだろ?」


 フリーズしたように固まる伏見。


「え? いきなり『俺の考えた設定』を持ち出して……キモイんですけど~。脳内設定はノートかネットにでも書いてろよって……んもうっ……。…………いい加減にしてよ、これ以上デタラメは吹っかけないで」

「同じ女子バスケ部の伏見なら、部長が貴重品をどこで管理してるのかも知ってるし、おかしい話じゃ――――……」


 バシン! と机を叩く音が賑わう教室内に鳴り響いた。俺の言葉は無理矢理遮られる。


「言ったよね、これ以上はいい加減にしろって。先生呼ぶよ?」


 机の音に呼応し、周囲の人間が俺と伏見に注目を集め始める。伏見はそんな視線を嫌がるように眉を引きつらせた。

 と、その時、


「あっ、これ伏見さんが写ってる」


 教室の扉付近から聞こえた声。明確に『伏見』と言ったのは教室内の一人の女子、伏見咲夕本人の意識がそこへと向かう。


「は? え、ちょっと……、今……」


 俺も伏見に合わせて後ろを見やれば、その彼女の周りに数人の女子が集まっていた。


「ああ、悪い。落としちまった」


 俺の言葉に、伏見はこめかみに青筋を走らせ、


「……なに、さっきから……ッ!」


 耐え切れなくなったのか、伏見はその場を立ち上がると前方の俺を乱暴に手で払いのけ、机の列の間を抜けようとした。伏見の居なくなった目の前の机、残された三人の友達は混乱と茫然が絡まった顔色で、彼女ら同士顔を見合わせている。


 伏見がすれ違った瞬間を見計らい、


「ああ、これを見てくれないか?」


 俺はポケットから数枚のそれを取り出し、三人のお友達に提示する。

 三人が同時に目を細め、俺の手元に注目を集め、


「これは女子バスケ部の部室の中で撮った写真だ。で、このロッカーの奥にあるのが貴重品袋、部長本人が言ってたんだ。それで、次はこの写真を見てくれ」


 紙芝居のように一枚の写真を捲り、二枚目の写真を見せようとした瞬間、


「ちょっと! やめてよッ!! もういい加減にして!!」


 グッと俺の肩へ、強烈な力が後ろ向きへと働いた。おっと、思わずバランスを崩しかける。


「ここに注目してくれ。さっき言ったロッカー前、制服着た一人の女が写ってるだろ? これ、伏見じゃないか?」


 より目を凝らして写真を見つめる三人娘。対照的に伏見は、リンゴが握り潰せてしまいそうな握力で俺の肩を掴み、強烈に俺の身体を揺さぶり、


「いやだ! いや! もうどっか行ってよ! ああああもう!!」


 周囲の注目の目はもはや気にせず、甲高い声で喚き出した。


「これが最後の写真だ。貴重品袋に手を突っ込んでるだろ? これ、決定的な――……」


 最後まで言葉は言えなかった。なぜなら、背後の伏見が俺の足を払いのけたから。


「うおっと!!」


 バランスを崩し、俺の視界が90度回転した。ついでに俺の足が絡んだのか、伏見の机もガシャンと大きな音を立てて床に倒された。


「もう…………ッ、もう!!」


 横転した俺を跨ぐように一歩踏み出した伏見は、友達の一人が持つ写真を強引に掴み、


「こんなの信じないで! 合成だから! どうせ誰かに頼んで作らせただけだからッ!!」


 俺は髪を掻きつつ、ゆっくりと上半身を起こし、


「言っとくが、合成じゃないぞ。詳しいヤツに見せたら一発で分かるだろ。もう一度言う、これは合成なんかじゃない」

「黙れ! 黙れって言ってんの!」


 凄まじい剣幕で俺を一喝すると、飛び掛かるように俺の胸元を掴み、そのまま伏見の体重で再び俺は床へと倒された。背中を打ち、鈍痛が背中に響き渡る。

 茶髪ロングの伏見は俺の上で馬乗りになり、震える手で俺の胸ぐらを握り締め、


「私はやってないもん! やってないもん!!」


 仕舞にはボロボロと涙を零し始めた。ポツリ、ポツリと俺の胸元に雫が落ちる。


「本当にやってないならそこまでムキになる必要はないだろ?」

「知るか! 鍵なんて知らないんだからぁ! うううううううううッ!!」


 フルフルと栗色の髪が揺れる。瞳も揺れ動く。


「『知らない』って答えは、大抵は誤魔化すために言うんだって誰かが言ってたような……? 誰か知ってるか?」

「知らないって言ってるんでしょーが!! 黙れ! 黙ってよ!」

「あー、やっぱり伏見咲夕が鍵を隠し回ったって本当なのか?」


 改めて大きな声で言ってやった。

 伏見はさらに感情を高ぶらせ、締め付けるように胸ぐらを掴み上げ、


「なんでみんなの前で言うのよぉッ!? 誰も居ないところで脅迫なりすればいいじゃん!! 欲しかったらお金でも、……カラダでも貸してやるんだから! どうしてみんなの前で言う必要があるのッ!?」


 絶叫に近い叫びは教室内の全ての注目を集めるのに十分だった。

 唖然と俺たちを見つめる伏見の友達ら、その他大勢。


「よかったな、クラスの全員がお前に注目を集めてるぞ」

「うっさい! うっさい!」


 涙で顔をクシャクシャにし、喚くように放つ伏見。

 そうして伏見はギリっと歯を食いしばり、強く握った拳を俺へと振り下ろした。


「よかったな、クラスの人気者になれてよ。今は文句なしにお前が主役だ」


 その時、見計らったように始業を告げるチャイムが鳴る。

 俺は掴んだ握り拳を払い除け、脱力しきった伏見を退け、


「じゃあな、部活頑張れよ」


 クラスの眼差しを掻い潜り、俺は教室の外へ出た。


 ――――そうしたら。


「ああ、――――星ヶ丘じゃねぇか。どうした、授業始まるぞ?」


 星ヶ丘花蓮。

 亜麻色の髪、名前の響き通り、可憐な顔立ちと可憐な振る舞いが際立つ女子バスケ部レギュラー。

 授業が始まり、廊下からはほとんどの人間が消え失せるなか、一人ポツンと廊下に突っ立っていた彼女。


 いつもの元気な振る舞いは影を潜めていた。目線を下げ、前髪のせいもあるがその表情が見えない。彼女は授業開始の鐘が鳴ったのにもかかわらず、廊下で立ち尽くしていた。


 やがて顔を上げ、


「――――サイテー」


 人を見る視線だとは考えられない目つき、そして冷たい声。


「あんなふうに女の子を泣かせるなんて…………。もう、私たちに関わらないで、――――気持ち悪いから」


 そのまま星ヶ丘は上の教室へと引き返していったのだった。


「そうかい」


 俺は回れ右をし、別のルートから教室へ向かうことにした。

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