遺影と広報誌 改定版

 翌日、五度目の出撃となった。

 十八人乗りの車両に、十五人の兵士と一人のカメラマン。車に乗るときに、目が合った何人かは私に軽く頭を下げた。敬礼ではなく、目礼。輪島の横顔は見たが、目が合うことはなかった。彼が目を合わせることを避けたのだろう。あるいは、私自身が。

 移動中も車内は無言だ。私語は禁止だから当然なのだが、なんだか耐えがたい沈黙のように感じられた。息が詰まる。いっそ、文句でも言われていた方が気は楽だったかもしれない。

 あんたは兵士じゃない! 戦ってなんかいない!

 彼の言葉を反芻する。胃もたれがするほどに、何度も、何度も。

 それは、その通りだ。私は戦ってはいない。私も兵士の一員ではあるが、この義手のこともあって、一度も戦闘のための訓練は受けていない。どうやって削撃銃を撃つのかさえ分からない。分かるのは、心肺蘇生法くらいのものだ。だがそれも、私は左手が義手なのでうまくできない。

 空席になった二つの席を見る。その空席は、彼らの目にはどう映っているのだろう。そして私の座っている席は……。

 私が座っている席は、元は小早川の席だったが、彼は死んだ。

 他の二つの席は、津山と堀川だ。堀川は来週には治療が終わり戻ってくる予定だが、津山は戻ってこない。怪我のひどかった両足を膝の上辺りで切断して、もう二度と戦うことはできない。生死をかけた戦いからは解放されたとも言えるが、両足を失って喜ぶ者はいないだろう。

 私は彼らの顔を知らない。

 もっと早くに写真を撮っていれば……小早川に関しては、少なくともその写真を残すことはできた。津山もそうだ。しかし、それが何の役に立つというのだろうか。

 遺影にでもするんですか?

 輪島の言ったとおりだ。まるで、私は遺影を撮りたがっているかのようだ。

 私は自分の手が震えているのに気付いた。ひどく、カメラが重たかった。

 

 輪島が死んだと連絡があった。

 二日前の、私にとっての五回目の出撃で彼は負傷し、敗血症になって死んだ。傷自体は軽傷だったそうだが、抗生物質が不足して細菌が全身に回ってしまったらしい。珍しいことではない。怪我をするのも、死ぬのも、珍しいことではないのだ。

 第四部隊はこれでまた一人減ったが、堀川は退院の予定が早まり明日付で復帰となり、十五人となる。

 不足する三人の補充の予定はない。もし三人補充されたら私の席が無くなるから、車両に私用の十九個目の椅子をつけてもらう事になっているが、その時は当分こなさそうだった。

 外は雨だった。

 私は写真撮影用に準備してある会議室で、ぼうっと壁を見ていた。窓からさす光は、少し青みがかっていた。大気中のクラストブルーが雨と一緒に降ってきて、雨水もほんのりと青い。もちろん猛毒だ。

 雨が隙間にしみこみ、乾燥するとクラストブルーの粉末が大気中に舞い散る。ごく微量ではあるが、雨の後に晴れると体調不良を訴えるものが増える。呼吸が苦しくなったり、めまいが起きるのだ。だから、雨は嫌われていた。

 私も何だか具合が悪い。呼吸が苦しいような……陰鬱なこの部屋でじっとしているからかもしれない。

 バタバタと大粒の雨音が部屋に響く。電気をつけず、薄暗い部屋で私は壁を見ていた。

 つい先日、輪島がそこに立っていた。そして私に怒りをぶつけていた。

 彼はもう死んだ。もうこの世にはいない。彼の怒りも、命と一緒に消えてしまっただろうか。

 本来であれば、今日も午後三時から第四部隊と、その他いくつかの部隊の兵士を撮影するはずだった。

 だが大規模な地裂が確認された為、中止となった。第四部隊も動員されたが、地殻獣との戦闘ではなく、基地に残って資機材の準備をしたり、他の部隊がやるはずだった雑務をやらされている。だから私の出番はない。

 だから私はこうして、ここで感傷に浸りながら、仕事をさぼっているわけだ。

 私はカメラの電源を入れ、再生ボタンを押す。ダイヤルを回すと撮影した写真が切り替わっていく。戦闘の動画と、兵士の写真。そこに輪島の写真もあった。

 彼は睨んでいた。私を睨んでいたのか。もっと別なものを睨んでいたのか。もう何もわからない。彼は、死んでしまったから。

 これは、遺影なのか。

 私は、遺影を撮っているのか。

 誰も教えてはくれない。きっと、どうでもいいことなのだろうから。

 ドアノブを回す小さな音が聞こえた。ゆっくりとドアが開き、女性兵士が顔を覗かせた。

「あの……写真を撮るのって、ここでよろしいでしょうか……?」

「ええ……はい、ここです」

「失礼します」

 二人の女性兵士が入ってきた。そう言えば……事務方の兵士も特別に何人か撮るという話を思い出した。兵士の写真が好評なので、戦闘員以外も撮っていこうという話になったらしい。

 輪島が死に、第四部隊も急な出動になり、話がすっかり頭から抜けていた。この部屋でさぼっていたのが、不幸中の幸いだ。私は何食わぬ顔で、三脚を据え直した。そして、電気を消したままであることを思い出した。

「電気をつけてもらえますか」

「はい」

 明るくなり、私は脇の机に置いておいた書類の束を手に取る。一番上のクリアファイルに撮影する人たちの名簿が挟んである。

 彼女たちは施設部だった。兵器以外の機械、車両を管理し、この基地や兵舎の設備も彼らが担当している。車両課の坪田、営繕課の志原の二人だった。わずか二人……他の人は写真撮影を拒否したのだろうか? そう思ったが、少ない理由にすぐに思い当たった。

 健康な若者はほとんどが戦闘部隊に配置される。何らかの理由で戦えない者……私のような身体障碍者や、その他いろんな理由があるのだろうが、彼女らもその、戦えない者達という事なのだろう。

 二人とも年相応のかわいらしい女性だと思ったが、よく見ると少しやせすぎているような気もする。クラストブルーのせいだろう。若くても肺をやられ、そのせいで体力がめっきり落ちてしまうのだ。実際にそうなのかはわからないが、しかしどうでもいい。詮索は私の仕事ではない。ただ記録のために、写真を撮るだけだ。

「では坪田さんから、その壁の前の十字に足先を合わせて立ってください。はい、そこです。あ、帽子を少し左に……」

「……これで、よろしいですか?」

 下がって待っている志原も帽子を直す。直立している坪田の様子を見て、志原は楽しそうに微笑んでいた。

「はい、それでいいです。では撮ります」

 ファインダーを覗き、彼女の顔にピントを合わせる。少し緊張した顔だ。それを、撮る。

「撮れました。では志原さん、次、お願いします」

「はい」

 坪田と入れ替わり、志原が壁の前に立つ。微笑みを浮かべ、どこか楽しそうだ。

 坪田は自分の番が終わったからか、どこか気の抜けたような顔で窓の方を見ていた。窓を雨が叩いていた。薄く青い無数のしずくが、パタパタと雨音を立てて流れ落ちていく。

 私は志原の顔にピントを合わせた。微笑んでいる。見ているこちらまで幸せな気分になれそうな、そんな微笑みだった。その表情を、撮る。

「……はい、撮れました。これで終わりです」

「はい、ありがとうございました!」

 二人は頭を下げた。

「あの……これって、いつ頃広報誌に載りますか?」

 志原が聞いた。

「さあ……そこまで聞いていないんですが……来週くらいには載るんじゃないですかね? 総務課に聞けば分かりますが……」

「ああ、いえ、大丈夫です。来週か……そのくらいですね」

 志原は坪田の顔を見てうなづいていた。坪田はどこか……晴れない顔をしていた。それが気になり、私は聞いた。

「何かありましたか? だれか見せたい人がいるとか?」

「ああ、その……彼女が両親に見せたいって」

「ちょっと、いいよ……!」

 志原に話を振られ、坪田は困った顔をしていた。少し迷ったようだが、話し始めた。

「……両親に、見せたくて。避難所にいるんですけど、連絡が取れないから……でも広報誌を見てもらえば、私はここで元気にしてるって分かるかなと思って……」

 言いながら、恥ずかしいのか坪田は目を伏せた。

 新潟ベースには基地本部と兵舎の他にも一般人用の居住区があり、約四万人が仮設住宅やバラックで生活している。この辺も大気の毒性が強くなることがあるから、基本的には密閉されていて、外には出られない。外出にはガスマスクが必須となるが、それは戦闘員用であり一般人は使用できない。だから一般人が建物を行き来することはない。

 仮設住宅以外にも、各地に避難施設があり、そこで多くの人が生活している。市民体育館や公民館、病院や水道局など、構造のしっかりした公共施設に換気設備などをおいて生活できるようにしている。

 そこに住んでいる人は名簿で管理されているが、気軽に会いに行くことはできない。建物から出て別の場所に行くことができないので、一〇〇メートル隔てているだけだが、一年以上会えていない家族などもいる。電話も回線が限られているので、会話することもできない。

 坪田が言っているのも、たぶんそう言うことだろう。広報誌なら広く出回るから、きっと目にしてくれるはずだ。

「そうなんですね。きっと喜んでくれますよ。会えるといいですね、早く……」

「はい。ありがとう……ございます……」

 不意に、坪田が顔を押さえ涙を流し始めた。何か妙なことを言っただろうかと私は狼狽したが、坪田は涙をこらえながら言った。

「本当は……きっと、もう……死んじゃってるんです。地裂の向こうで……移動不可区域の体育館で……でも、でも……もしかしたら生きているかも、知れないって……私……」

 坪田はしゃがみ込んだ。雨音に交じり、狭い部屋に坪田の嗚咽が響いた。

 各地の避難場所には基地本部から食料品や物資を届けることになっているが、地裂で隔てられた場合、届けることができなくなる。

 通常であれば地裂は無効化処理を行うが、拡散態地殻獣の脅威が大きい場合や、あるいは橋や道路が寸断され地形的にトレンチ・エキスカベータが進入できない場合などは、地裂は放置されることとなる。その時地裂の向こう側は、移動不可区域となる。

 地裂周辺には拡散態地殻獣が徘徊し、地裂からは高温で高濃度のブルーガスを噴出する。単純に地裂をまたぐにしても、約六百度の地裂の高温に耐えられる車両は、トレンチ・エキスカベータ以外にはない。しかしエキスカベータは救助を行えるほど小回りは効かないし、高温のためトラックなどで行って救助するというようなことも不可能なのだ。

 だから、移動不可区域に残された人は、死亡扱いとなる。

 地裂の向こうに残された人は、手持ちの物資や酸素を使い、それが尽きた時に死ぬ。餓死か、酸欠か、そのどちらかだ。

 稀に一縷の望みをかけて、袋などをかぶって脱出を試みようとする者もいる。しかし密閉が十分ではないためブルーガスを吸うことになるし、仮にブルーガスが入らなくても、ゴミ袋程度の容積では百メートルがせいぜいだ。途中で力尽き、そこで死んでしまう。

 新しくできた地裂の向こうで、何十人もが倒れて死んでいたこともあったそうだ。名簿から消された人々。生きたまま死んだ人々。最後まで生きようとした人々。

 坪田が言っているのは、そういうことだ。どこかの地裂の向こうで取り残され、名簿から抹消された人たちの中に、自分の家族がいたのだろう。

 それでも、名簿も完璧ではないから、ひょっとしたら運よく別の避難所に逃れているかもしれない。その希望があるから、坪田は写真を載せたいと思ったのだろう。

 だがそれは、ほとんどゼロに等しい可能性だ。居住者が自分の避難所から出ることはない。移動する手段はないのだ。だから、運よく別の避難所に逃れた、などということはまず起こりえない。

 それでも、人々は噂しあう。どこかの避難所では、運よく移送用のトラックが間に合って、それで助かった人がいるのだと。

 それは儚い希望だろう。そうあってほしいという人の気持ちが生み出した幻想だ。そんなことはみんな分かっている。それでも、家族や、友人や、大切な人が、どこかで生きているかもしれないと思いたいのだ。

 私には妻も子もいない。両親も兄弟も、もう死んだだろう。それは諦めた。だから、彼女の苦しみや悲しみは、私にはわからない。諦めきれないという苦しみは、一体どれほどのものだろうか。

 みんな悲しみや苦しみを抱えて生きている。一人では持ちきれないほどの思いを抱えて、それでも必死に平気な振りをしている。

 世界は壊れてしまった。私たちの生活も壊れ、心も壊れていく。まともな人間などどこにもいない。涙をこらえる者と、涙を忘れた者だけが、この世界に生きている。

「……きっと届きますよ。広報誌は、あなたのご両親に」

「はい……ありがとうございます……」

 坪田は志原に立たされ、頬の涙を袖で拭った。

「すいません。お見苦しいところを……」

「気にしないでください。あなたは何も悪くない」

「……失礼しました」

 目礼し、二人は部屋を出ていった。

 もっと何か、気の利いたことを言えればよかったのに。何と言えばよかったのだろうか。しかし、何を言っても気休めだ。

 急にむせて、十秒ほど咳込んだ。呼吸が……重いような、苦しいような。そして口を押さえていた手を見て、愕然とした。

 血がついていた。口の中にも血の味が広がっている。

 肺をやられているのだろう。戦場記録班として前線に出るようになったからだろうか。あるいは、この雨のせいだろうか。

 いつか嗅いだ血の匂いを思い出した。初めての出撃の時に感じた、血生臭さ。あれは、私自身の血だったのだろうか。

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