第2話 密やかな熱情

「えー、それではこの問を……大川君。大川君?」


「おーい大川、当たってるよぉ?」

 隣からのささやき声で目を覚ます。

 気付けば静かな教室ですっかり眠っていた。ここのところまったく授業が手につかないのだ。まあ無理もないか。

 ひとまず立ち上がるがそもそも何を出題されたのか。完全な意識外。到底答えられそうにはない。


「ええと」

「……応仁の乱」

 またも隣からの声。ただ今の俺はそれにすがるしかない。


「その通りです、着席してください。えー、ここで補足事項としては――」


 心地の良い語り口に机に伏し再び眠りに入る。次には終業を知らせるやかましい音が聞こえ目を開く。

「ね、大川さ~」

 それはいまだぼんやりとしている意識の中で聞こえた。


 顔を上げると、授業中に助け舟を出してくれた女子生徒が足を組み笑いながら俺を見ていた。

 みなとよりも派手な化粧に短いスカート、健康的に日に焼けた肌。その外見からは想像ができないが成績は優秀のようで事あるごとに助けてくれる。


梶山かじやま。さっきはありがとう、恩に着るよ」

「いーのいーの。ていうか最近めちゃくちゃおねむじゃん? ちゃんと睡眠とってるん?」

「ああ、ちょっとな」

「お困り事ならさ、もれなく即解決100パーのあたしに言ってみ?」


 そう豪語した彼女は気さくに笑う。


「うん……まあなんて言うんだろうな」

「あたしら、となりん席なんだし。吐いたら楽になるって言うし。ほらほら、遠慮すんなし?」

 

 彼女はとにかく距離の詰め方が上手い。警戒心という言葉とは無縁であろう明るさと勢いを持っている。

 そう言って俺の肩に触れようとしたその瞬間。


「桃莉。ちょーーと、いいかなぁ?」


 後方から寒気のするような低い声が流れ込んでくる。こいつが背後にいると何となくすぐに分かってしまう。


「なんだよ湊?」

「ううん? 随分と楽しそうにお話してるなって思ってさー」

「いや、そんな事はないよな――」


 隣席りんせきに視線を戻すと、さっきまでいたはずの梶山の姿は忽然こつぜんと消えている。遠くの方から確認できた彼女は、苦笑いを浮かべ手のひらを合わせて謝っているような素振りをしていた。


「一応隣の席なんだし会話くらいはするだろ?」

 再度湊の方を向いて問い掛ける。


「まあ、そうなんだろうけどさ……? それよりね。桃莉を癖のあるあの子が探してたよ。名前何て言ったっけ――」


***


「桃莉先輩、こちらです」

「おう春人。さっき聞いたんだけど、何か用なんだろ?」

「ええ、それはもう重大な用件ですよ」


 昼休みの食堂。

 俺に声を掛けたその人物が真剣な表情で何かを切り出そうとしている。

 空いていた彼の向かいのテーブル席に座り、


「待った。当ててみせようか?」

「ではどうぞ。まあ、勘の鋭い先輩の事です。既に何かしらの見当が付いているのでは?」

「――峰ヶ島みねがしまグループ主催のバトルトーナメント」

「流石ですね、ご名答です」

 と、指で眼鏡を持ち上げる仕草をしてそう答えた。


「桃莉先輩も百目鬼どうめき先輩も当然ご出場なさるのでしょう?」

「俺はそのつもりだよ。まあヤツは分からないけど、確実に出て来ると思ってる」

「そうですよね」

 春人は呟くと間髪入れずに続けた。


「私も出場しようと考えています」

「だろうな。お前にも事情があるのは分かってるつもりだ」

「ええ、ですから――」


 ただ次の言葉は予測しかねる物だったのは間違いない。


「先輩、一度お相手願えませんか?」


 持っていた箸を落としかけるもそのまま掴む。彼は冗談で物を言うやつじゃない。何か考えがあっての事だ。


「急にどうした? 何か算段でもあるのか?」

「これといってありませんよ。ただ、ずば抜けた戦闘能力を有するあなたに、万が一にでも勝つ事があれば確実に今後への弾みになると思いまして」

「そうか」

「して、お返事は?」


 真剣勝負を挑まれたなら退くわけにはいかない。


「謙虚な言葉で塗り固めてはいるが、お前は俺に勝てると思っている。そうなんだろう? ならきっちり実力差を分からせてやる必要があるな?」

「……ご配慮痛み入ります、先輩」


 そして俺達は格技場へと足を運ぶ。ただし完全に無許可だ。教員にバレれば面倒な展開になるのは避けられないし、家の道場でやれば済む話。ただ授業の終わる時間まで待つ事ができなかった。


「いいな。一本勝負、『参りました』が出るまで時間は無制限――」

「負けた方は再来さいらい亭のマシマシの奢り、どうかお忘れなく願いますよ」

「分かってらぁ!」


 相手は薙刀を振るい一気に間合いを詰める。長物ちょうぶつにも関わらず素早く扱うだけの腕力と正確な技術。

 正面からの臆する事のない互角の勝負にも感じた数分に渡る打ち合い。

 だが春人の動きは時間が経つにつれて失速していく。そのような軌跡では誰にも届きはしないだろう。

 春人は優しすぎるのだ。相手の事を何よりも考えてしまう、到底勝負には向かないタイプの人間。


 それでも戦う理由がその腕をその足を奮い立たせている。彼には病魔におかされた妹がいる。彼女に勇士を見せ、あるいは得た賞金をその治療にあてるべく己を殺し歩みを続けている。

 春人は経験を積み重ね成長を続ける努力の天才なのだと思う。


「勝負は時の運ってな。じゃあ、また連絡するよ」

 膝をついた彼に手を差し出す事はない。


 徹底したポーカーフェイス。


 猿爪春人ましづめはるとは悔しさをにじませない。だから俺もそれに気づかない振りをする。


***


「へい、マシマシ二丁。お待たせよぉ!」

 大将の威勢のいい掛け声を合図に、待ち構えていた割り箸を片手に俺達はひたすらに麺をすする。

 粗方あらかた食べ終わったところで春人が小さくこぼした。


「やはり先輩には勝てませんでした」

「ただ着実に力をつけてきている。それはもう自分で分かってるんだろ?」

「ええ。だからこそ試してみたくなってしまった。それが嘘偽りのない本心です」

「焦らずやればいいさ」


「そうですね」

 外していた眼鏡を装着すると、春人は水を一気に飲み干し立ち上がった。

 そしてこうも続ける。


「ああ、そうでした」

「どうした、何か忘れ物か?」

「まさしくそれですよ。言い忘れていましたが先輩と霧島先輩の件です」

「湊が何だって?」


「私に任せておいて下さい」

 と、春人は自信を覗かせるような顔をする。


 何か理解の及ばない事を言い出している。それだけは分かる。いや、それだけしか分からなかった。時々変に突っ走る事がこの男にはある。


「先輩同士上手く行くようにお膳立てをしておきますから」

「いや待て。お前は何を言ってるんだ?」

「心配ご無用。万事お任せあれ。それでは練習に戻りますね。約束どおりここの御代は支払っておきますので」


 そう言うと、レンズの奥で笑ったように見えた春人は店外へと消えていった。

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