カラス咲く顔

諸根いつみ

序章

 いつもの酒場で、見慣れない男を見つけた。

 周りのやつらは、男に恐れをなしたようで、遠巻きにちらちらと見ているだけだったが、俺は思わずそばへ寄って話しかけた。やつは、穏やかそうなハシバミ色の目で俺を見返し、どこから来たのかという俺の問いに、「ずっと遠くです。旅人ですよ」と落ち着いた声で答えた。

 俺は子供の頃から、朝から晩まで布や革で服や小物をつくる仕事をして、生まれ故郷から出たことがない、旅に出るなんて考えたこともないが羨ましい、と正直に言った。するとやつは目元と口元に笑いジワをつくり、わたしも子供の頃は、自分の故郷の外のことなど想像もしませんでした、と言った。

 それからしばらく、俺は質問を続けた。俺の連れは、どうしていつもはよそ者に興味のない俺が絡んでいるのかとあきれ顔だった。連れが帰って店の中が静かになりだしても、俺は帰る気になれなかった。妻は帰りの遅い俺を心配するだろうが、男は、明日にはこの町を発つという。

 男は俺に言った。

「そんなふうにわたしを見る人は珍しい。どうかしましたか?」

「いや、別になんでもねえよ」

 俺は、核心に踏み込んでいいものか迷い、はぐらかした。ほかの町の盗賊の被害状況や、俺が見たことのない海の話など、それぞれ興味深くはあったが、本当に尋ねたいのはそんなことではない。

「なんとなく気になって。その」

「自分でも、自分がなにをしたいのかわからない。そんなことってありませんか?」

「は?……あるよ。わかるよ。けど、それがなんだい?」

「あなたも、わたしと同じなんじゃないかと」

 やつは、「よかったら、わたしの身の上話でも聞いてくれますか」と言った。

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