第7話 神、亡国を歩く。

 龍に焼かれた星繍国せいしゅうこくの中は、命が絶えて静かだった。

 焦げた黒い土を踏みしめた鵲梁じゃくりょうは、歌雲かうんをふり返る。

 問おうと口を開きかけた次の瞬間、彼は背中の黒羽こくうを抜いて彼の真横の空間に振り下ろした。

 そこで形を取りかけていた黒い霞は、銀の軌跡を描いた黒羽によって叩かれて霧散する。

 人間の肉体に憑りつこうとする、低級の鬼であった。

 

「大丈夫か?」

「うん。だけど、これで終わりじゃないみたいだよ」

 

 歌雲が鵲梁の背後を指さす。

 ふり返れば、三人を囲むようにして大地から黒い人型の霞が次々と立ち上がっていた。

 ゆらゆらと、両手を突き出してこちらへ向かって来るようなそぶりを見せる彼らは、顔もはっきりと見えない。

 

「少年、彼らがどんなものか視えるか?俺には黒い靄の塊にしか視えんのだが」

「うん。全員星繡国人の兵士だ。この国の紋がついた衣を着てる。全員が焼かれて死んだようだよ」

 

 鵲梁にはただの黒いもやにしか視えないものが、歌雲の眼には焼け焦げた人々に視えている。

 少年の視鬼の力に改めて感嘆しながら、鵲梁は黒い霞たちの動きを見定める。

 包囲網をじわじわと縮めてくる彼らの視線らしきものが自分の腰に向いているのを見て取って、鵲梁は試しにと腰に吊った無丈に手をかけて刀身を包んでいた布を剥がした。

 

 途端、ざわりと亡霊たちが蠢いてさらに激しく動き出す。

 一気に飛びかかってこようと動く彼らを前に、歌雲が叫んだ。

 

「白兄さん!彼らはその剣が目当てだ!怒ってるよ!」

「青義道人、何をしている!」

「すまん!夜果よか、もう一度飛んでくれ!」

 

 鵲梁の肩から飛び立った夜果が翼を広げるや、その体は巨大化し三人を背に乗せて、宙を飛ぶ。

 夜果の背の上で地上を動き回る黒い霞たちを見下ろして、鵲梁は息をついた。

 

「すまん。二人とも大丈夫か?」

「僕は平気。連中、その剣が龍の剣だと見破ったから襲って来たんだよ。龍の力を持つ者をこの国には入れぬってさ」

「死して尚、彼らは城門を守っているのか。見あげた想いだがどうするのだ。地上に戻ってもまた亡霊どもに群がられるだろう。剣を持っている青義道人を放り出すか?」

「さらっと俺を囮にするな。無丈、お前気配を隠したりなどはできるか?」

『……申し訳ありません、あの、白公子、私をこの国の奥へ連れて行くことはできるでしょうか?』

「奥?」

『はい、私を抜いて少し動かしていただけますか?』

 

 言われた通りに無丈を抜き、鵲梁は剣を片手で真っ直ぐ掲げて動かした。

 北、東、南、と徐々に動かしていき、北西に到達したとき無丈が手の中でぶるりと震える。

 

『あちらです。白公子、私をあの方角へ連れて行っていただけますか?私はどうしても行きたいのです』

「龍剣、どういう意味だ?」

『わかりません。ただ、私は……私に与えられた阿丈様の記憶が、あちらへ行きたいと言っているのです』

 

 手の中で無丈をくるりと回し、鵲梁は無丈が震えた方向を見た。

 目立つものは視えないが、無丈は何かを感じ取っているのだ。

 

「ならば行ってみるか、夜果」 

 

 鵲梁の命を猟犬のように聞くカササギは翼を広げて飛ぶ。

 足元では黒い霞の亡霊たちが集まって来ていたが、夜果の高さには届かなかった。

 鳥は廃墟の空を飛び、やがてある場所に差し掛かったとき無丈が声を上げた。

 

『ここです。ここに降りたいのです』

「うむ、わかった。少年、海玄、少しここで待っていろ」

 

 言うなり、鵲梁は夜果の背から飛び降りて着地する。すぐさま隣に歌雲と海玄が降りてきた。

 

「白兄さんは一人で先に行きすぎだよ。何のために僕が来たと思ってるの」

「まったくだ。龍剣よ、ここがお前の求めた場所か?」

『……はい。でも、私にはわかりません』

「待って。僕には視えてる。兄さん、そこの壁の陰をよく見て」

 

 歌雲に示されて、鵲梁は辛うじて焼け残ったと思しい壁を見た。

 家の壁の一部だったのだろう。目を細めてみればぼんやりと、壁の陰で蹲る黒い影が見えた。

 

 死したのちに、冥府に渡れず地上をさ迷う人間の魂である。

 煤の塊をこねて人間の形にしたかのような亡霊は、男か女かもわからなかった。

 

「この家の者だろうか」

「きっとね。僕には誰か……いや、自分の娘を探して泣いてる女の人に視えてるよ。どこへ行ったのかって、そう言っている」

「……そうか」

 

 近付いて地面に膝をつき、鵲梁は手を伸ばしてその黒い影に触れる。

 触れた瞬間、指先からぴりりと痛みが走って鵲梁は片目を瞑った。

 霊が抱いていた凝り固まった哀しみ、悲鳴、不安、焦燥すべてが痛みとなって指先から伝わったのだ。

 それを察知したのか、歌雲がすぐさま駆け寄って鵲梁の肩に手を当てる。

 

「大丈夫?」

「ん、まぁな」

「あなたが神でも、亡霊に触れるのは気をつけないと。特にあなたは子や母に近いんだ。彼らの嘆きに引きずられやすい」

「……そうだな。ありがとう」

 

 鵲梁は膝をついたまま、黒い煤の塊のような亡霊を改めて見た。

 歌雲が言うように、この亡霊はかつて母であったようだ。

 実丈みじょう、実丈、とずっと同じ名を繰り返して呼び続けている。私のかわいいあの子はどこ、とずっと繰り返しているのだ。

 何百年もひとつのことを想い続けたために、想いが楔となって彼女自身をここへ縫い留めている。動かせず、動けないのだ。

 自身の廟に訪れる何人もの母親や、母親になりたいと祈る女人を多く見て来た鵲梁には、この母親の亡霊が殊更痛ましく見えた。

 

 鵲梁の手が、黒羽の柄へのびかける。

 だが、彼の手が剣を握ることはなかった。

 

『あ、ああ、あぁぁ……』

「無丈?」

 

 刀身を露わにした龍の剣が、震え出したのである。

 鵲梁の帯の間からひとりでに抜け、光を放ちながら宙へ浮かび上がる。

 薄い黄色のその光を浴びて、黒い霞として蹲る亡霊の母親がぼんやりと顔を上げたようだった。

 

『そう……そうだ、あたし……あたし、ここ、知っている……』

「無……いや、阿丈か⁉」

 

 鵲梁が叫ぶのとほぼ同時、龍の剣がひと際強く目も眩むほどの光を放つ。

 鵲梁は思わず目を閉じ、開く。光が収まったあとには、黒い髪の少女が一人、立ち尽くしていた。

 絹糸のような髪に銀でつくった桃花の飾りを付けた、緋色と白の衣の少女である。

 阿丈と同じ衣に似た面差しの少女は、真っ直ぐに壁の陰で蹲る黒い影に向かい、その側で跪いた。

 

「青義道人、一体何が起こっている⁉あの少女は誰だ?」

「……無丈、だろうな。顔立ちが阿丈と瓜二つだ」

 

 人の形を取ることを好む阿丈から生まれたのだから、無丈も人の形が取れても不思議はない。ないのだが、急に動き始めた無丈に驚くほかなかった。

 銀の髪飾りの少女は地に蹲る黒い霞の亡霊を背中から抱きしめる。彼女が触れた場所から、するすると黒い靄がほどけて、一人の女性が姿を現した。

 歌雲が、ぴゅぅと口笛を吹く。

 

「驚いたな。亡霊が元の形を思い出した」

「……どういうことだ?」

「何回か見たことがあるんだけど、自分の姿を忘れた亡霊はあんな黒い煤みたいになってしまうんだ。だけど、己の姿を思い出せたなら生前の姿を取れるようになる。龍の剣が触れてあの亡霊が自分を思い出したなら、龍の剣はあの亡者の生前を知っていたってこと」

 

 歌雲が説く間にも、煤の塊と見えた亡者は人の形へ立ち返り、顔を上げる。

 白髪混じりの黒髪の女性は無丈の手を取って、泣きはらした目を瞬いた。

 

「実丈……?あなたなの?」

 

 か細く震えるその声に鞭打たれたように、無丈が身を引いて俯く。

 俯いて、ぽつりと言った。

 

「……いえ、私は無丈という名の龍の剣です。ですが、私はあなたを知っています」

「ちょっとちょっと待ってくれ、無丈。お前にわかってもこちらがわからぬ。説明してくれぬか?」

 

 鵲梁は二人の女性の側に歩み寄り、再び地面に膝をつく。

 旅の道士にしか見えぬ鵲梁を訝し気に見た亡霊の女性である。ただその目の焦点は合っておらず、ぼんやりと曇っていた。

 

「あー……俺は青義道人という。お前はこの家の者か?実丈とはお前の娘か?」

「み、じょう……あの子は…娘…空黒く……黒い龍……不寒がいなくて……実丈」

 

 白く濁った瞳の亡霊はぶつぶつと呟き頭を抱える。

 その肩に手を置いていた無丈は、彼女を支えるように抱きかかえて地にうち伏せる亡霊を労わっていた。

 

「白公子、それに皆様。ここからは私がお話しします。ですが、結界を張って頂くことはできますか?

「私が張ろう」

 

 海玄が懐から符を取り出し、地面に貼り付ける。無丈は安心したように頷き、改めて辺りを見回した。


「ここは星繡国のりゅう家。薛公子の、許嫁の家なのです」

「なんと?」

「そして……阿丈様の家でもあります」

「んんッ?」

 

 聞き違いだろうかと鵲梁は聞き返し、無丈はふるふるとかぶりを振った。

 

「私は阿丈様の力と記憶を渡されており、阿丈様とも繋がっております。この国を見てこの方に触れたとき、私は阿丈様の記憶を思い出しました」

「……うん、続けてくれ」

「それによれば、阿丈様はこの国で生まれた方です」

「待て。龍剣よ、お前は自分が何を言っているのかわかっているのか?」

「はい、もちろんです。。生まれついての龍では

 

 しん、と束の間沈黙が満ちるが、すすり泣いている亡者の声で鵲梁は我に返る。

 海玄は大きく顔をしかめて、唸るように言った。

 

「人が、龍になったと?あり得ないだろう」

「そうかな。この天下では人が神になるんだ。あり得ない話なんてないんじゃないのかな。僕も子供の頃には川に捧げられた生贄が龍になったと言う話を聞いたことがあるよ。白兄さんは知ってるかい?」

「……聞いたことはある。それに阿丈は……あいつは、己が生まれたときを知らぬと言っていた。気づけば央山の中にいたのだと」

 

 その言葉を聞いてか、無丈は頷いて続けた。

 

「阿丈様は、りゅう実丈みじょうという人間でございました。薛公子は彼女の許嫁。ですが、お二人と二つの家族が暮らすこの街を、ある日黒龍こくりゅうが襲いました。魂まで混沌から生まれた、純粋なる龍です」

「その龍がこの国を滅ぼしたと言うのか?ここ、すべてを?」

 

 命の気配ひとつない廃墟を手で鵲梁が示せば、無丈は銀色の瞳を伏せて頷いた。

 

「はい。龍はこの国の王府を真っ先に燃やし、街を焼き始めました。ちょうと家の外へ出ていた実丈様はその様子を目の当たりにして、共に焼かれたのです」

 

 母の亡霊のすすり泣きが一層声高くなり、無丈は唇を一度なめた。

 

「地に倒れた実丈様は、死に瀕しながら黒龍の声を聞きました。黒龍は、疑問を投げ続けていたのです」

「何に対してだ?」

「己自信の在りように対しての疑問です。……同格の者、同種の者がいない我が身と、群れ続け、増え続ける人間を引き比べて何故なのかと言いながら、国を燃やしていきました。星繡国も、その炎に巻かれたのです」

「……」


 鵲梁は拳を握って考える。

 黒龍は、阿丈の本性の形である。

 央山の奥深くに何重ものとぐろを巻いて眠りについているその蛇体を鵲梁は覚えていたし、あれが目覚めて炎を吐けば人間の国が滅ぶだろうとも思う。

 一方で、その龍と人間じみた喜怒哀楽を持つ阿丈の姿に何か違和感があったのも本当だ。

 

 彼女は、人間の感情に敏感であり過ぎた。

 人間とは姿形も、従って心の形さえも異なる龍のはずなのに、鵲梁と対話ができすぎていた。

 

 だからと言って阿丈が人間であったと告げられて、驚かないわけがなかった。

 

「それで、実丈って女の子は何をしたんだい?」

 

 歌雲の冷静な声が、話の先を促す。

 鵲梁は黙って、剣の少女が語る信じがたい物語の続きを待った。 

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