第3話 神、天の都を剣と歩く。

 報告のために屠龍将軍の宮殿へ向かうと言う陸海玄りくかいげんとは門のところで別れ、一人と一振りで天界の大通りへ足を踏み入れた鵲梁じゃくりょうは、口と目を真ん丸に開けた。

 白亜と黄金の天界門を見た時点で予感はしていたのだが、まさか神が住まう都がこうも人間の都に似たつくりとは思わなかったのだ。

 

「まるっきり、皇帝が住まう人間の都のようだなぁ。俺が都に行ったのはずいぶん昔の話だが」

『人間から神に上がった者は増えておりますから、自然似てくるのです。太古からの神々や獣神、龍神などは、天界を離れて次第に別の天地へ行かれるか、地上へ下られているとか』

「別の天地?冥界のような場所か?」

『私も見たことがございませんので詳しくは語れませぬが、この世にいる人間とは異なる姿形の人間たちが暮らしていると』

「ふぅん、有翼人や一目人だろうか。師匠が持ってた本で見たことがあるなぁ」

『……二百年よりも前に読まれた本の中身を、覚えているのですか?』

 

 あっはっはっは、とまたもからから笑う鵲梁は、人間時代から愛用していた編み笠を被って天界の裏通りへふらりと足を踏み入れた。

 目立つ無丈の刀身には、袖を切り裂いて作った布を巻きつけて一先ず隠す。

 破いた袖は通力を込めてひと撫ですると元通りになり、鵲梁はまたも驚いた。

 やはり天界だからか、通力が地上にいるときよりも使いやすかった。

 

 が、破けた袖を直しても如何にも旅の道士という鵲梁の身なりはきらびやかな天の都においては浮いていた。

 ひとつひとつに神が住む美しい宮殿や屋敷ばかりが並び、食べ物や着る物を売るありふれた商いの店は一つも見当たらぬ。

 鼻に香る空気にすらも、香が焚きしめられているような仄かな芳香を感じるのだ。

 

 ここは人々が暮らすために発展していく都ではない。

 磨き上げられた、文字通り天上の美しさを並べる都だった。

 みすぼらしければ人間からの信心は集まらないから、神々は己のための宮殿として美しく派手な物を造っていくのだそうだ。

 かつて、偶然地上で出会った文神が言っていたことだが、こうして実際の天界を見てみればその話は間違ってはいなかったらしい。

 神の都であると言うのに、そういう話を聞いていると随分生臭い感じがぬぐえぬ場所だった。

 太古の神々や、元精怪の神々が別天地へ渡っていくのも、あり得そうな話だと思う。

 

 道を歩く者たちは、ほとんどが見目麗しい男女であり、こちらも鵲梁をやや気後れさせた。

 彼らは天界へ自力で昇った神か、その眷属神として引き上げられた者で、いずれにしろ全員神だ。

 人であったころ、将軍や公主や君主、賢者、学者、道士、詩人として名を馳せた者なのだから、皆風格や華があるのも当然だった。

 

 神になる前から、一角の人物として史書に名を遺すような傑物ばかりなのだ。

 

 元は平凡な商家の三男坊で、あまりに商売に向かな過ぎて旅暮らしの道士になり、そのまま運命が転がって死に、死後本人が思いもよらぬ形で崇められて神になった鵲梁とは、経緯からしてそもそもが違った。

 彼らは生きたまま天へ至り、鵲梁は死んでから至った。だから、違うのだ。


 神々は足早に天界門の方へと歩いているようで、耳を澄ませてみれば彼らは地上へ暴れ龍の捕縛するために降りて行った陸小将軍、つまり陸海玄の話をしているようだった。

 

 要するに、天界門を焦がした暴れ龍の捕縛された姿を、野次馬として観に行こうと歩いているのだろう。

 

 幸い、陸海玄が暴れ龍こと龍公女・阿丈を捕らえず、代わりに央山の縁結びの神を一柱天界へ送った話は未だ伝わっていないようだった。

 

 彼らの目に止まらぬようすり抜けながらの鵲梁に、無丈がひそめた言葉をかける。

 

『白公子、先ほど仰られていた文神の、広寿文天君こうじゅぶんてんくん様の宮殿に行けば、薛公子せつこうしの行方はつかめるのでしょうか?』

「可能性がある場所だとしか言えぬな。確実ではない。あそこには、人々の記録だけでなく、地上で起きた様々な事件の記録も一緒に収まっていると聞いた。まるっきり手がかりがないことはないだろう。少なくとも、地上を当て所なく旅するよりはよい」

『……心遣いを、ありがとうございます。それにしても、白公子は天界へ来られたことがないのに、よく文神の宮殿をご存じでしたね。』 

「以前、央山州の俺の廟のひとつにふらりとやって来た文神がいてな。しばらく泊めろと言うから、宿代として天界の話をあれこれ教えてもらったのだ。見聞を広めるために、部下から逃げて降りてきたお忍びの神だったら阿丈は気づいてはおらなんだ」

 

 やたら偉そうな幼い少年姿の神だったと言うと、無丈は考え込むようにぶんぶんと蜂が飛ぶような唸る音を立てた。

 周りの目を避けて、海玄に言われた東へ向かいながら鵲梁は無丈に話しかけた。

 

「にしても、阿丈は俺の想像以上に嫌われておらぬか?火柱拭き上げて門を焦がしたのは確かに大ごとだが、即座に龍殺しの神が降臨するほどとは思わなんだ。あれは完全に、るための布陣があっただろう」

『阿丈様は、央山に封じられるより以前、荒ぶる心のまま国を破壊しました。最後に滅ぼされた国などは未だ死者の怨念深く、多くの魂が彷徨って人が立ち入れぬ呪われた土地になってございます。嫌われているのでなく、在るだけで恐れられるのです』

「……俺の知っている阿丈と、過去の阿丈が違い過ぎる気がするのだが?」

『私も知らぬ時代の話なのです。ですが阿丈様の龍の力を与えられている私は、確かに阿丈様が国を滅ぼしたことが事実とわかっているのです。私も、あの方がそのようなことができる方でないと、そう思っているのですが……』

「俺から見ても、あやつは火を吹かせたことを抜かせば単なる我が儘娘もいいところだからなぁ。命は取らぬよう力は抑えておるし……いやそれよりも無丈、もっと大事な話がある。お主、自分が阿丈を殺せる剣だとは俺に一言も言わなかったではないか。驚いたぞ」

 

 海玄の前で無丈が暴露した秘密は、鵲梁も知らなかったのだ。

 まさか阿丈が己を殺せる力を封じた剣を造り、しかもそれを預けてくるとは予想外だ。

 阿丈は、己の処刑役までも鵲梁に任せているのだ。

 二百年の付き合いがあるとはいえ、渡された責任は泰山のように重かった。

 無丈は、クククククッと鳩が鳴くような音を出した。

 

『申し訳ありません。私もお伝えしようとしていたのですが、言おうとした矢先にあの龍殺しの武神殿が降臨されてしまい……』

「言いそびれたわけか。だが、阿丈も渡す相手を俺にしていいのか?」

『他にございません。あなたは守護の神です。阿丈様の心を守ろうと、この百年心を尽くして頂きましたし、あなたは人々を守るためならば阿丈様に剣を突き立てることも迷わない方でしょう?わたくしも、阿丈様のお命を預ける相手に白公子以上の方は思いつけませぬ』

「……お前たちに、高く買ってもらった分の働きはできるよう励むとするよ」

 

 照れ混じりに頬をかきながら、鵲梁は無丈の言葉を反芻した。

 

 阿丈は邪悪な龍だと海玄は言ったし、物々しく捕らえようともした。

 だが、無丈は阿丈が破壊の限りを尽くすと思えないと言うし、鵲梁もあの龍公女が人々を虐殺して、怨念渦巻く土地をつくるとは想像できない。

 

 自身の弱点を敢えてつくったとなると、阿丈は己が悪龍となるようならば自分を殺せと鵲梁に言っているも同じだ。

 やり方がやたらと気高く潔く、やはり暴れ龍とは思えない。やり口の色が違う、と感じる。

 

 封じられ、長い年月が経って性根が丸くなっただけなのだろうか。否、そう単純とも思えない。

 神々は基本的には不老不死だから、年月による変化はほぼあり得ないし、阿丈は人間からも恐れられる神で在り続けている。

 加えて阿丈は、生まれた瞬間から神に並ぶほどの力がある龍だった。


「さっきの少年に、人間は龍公女をどう考えているか詳しく聞いてみてもよかったかもなぁ。央山周りの子であったろうに」

『少年と言うと、あの視鬼眼しきがんの子どもですか。眼が特殊とはいえ、神に対してあれほど馴れ馴れしいとは、昨今の若者は一体……』

「そのように古臭いことを言うなよ。俺は好きだぞ。肝が据わっているのは良いことだ」

『あなたは子どもに甘すぎます』

「俺は子守りの神だぞ。子に甘いのは当たり前だ。それに、俺が海玄に対抗できたのはあの子のお陰だよ。お前も感謝しておけよ」

『なんですって?どういう意味でしょうか?』

「細かいことはあとで説明しよう。俺たちの目的の場所は恐らくあれだ」


 鵲梁は編み笠を手で持ち上げ、無丈の柄でとある宮殿を指し示す。

 天界門や周りの宮殿と比べれば、やや質素かつ重厚に見える黒い瓦の宮殿で、海玄が言っていたように東の地区で最も大きな建造物だった。

 

 【文天殿ぶんてんでん】と墨痕鮮やかに書かれた扁額を掲げたその宮殿へ続く橋を渡りながら、鵲梁は橋の下を流れる川を見下ろす。

 底の石の数が数えられるほどに澄んでさらさら流れる水を見ていると、地上で別れたあのしょう歌雲かうんの瞳が思い出された。

 

 神が直接人の名を呼べば、人の運命に干渉してしまう。

 だから、名乗られても鵲梁は歌雲を少年としか呼べなかったし、呼ばなかった。

 なのだが、思い返せばあちらも鵲梁を白の兄さんと呼んでいた。

 青義道人の信者にしては珍しく、また懐かしい呼び方をされたものだ。

 

 人に視えぬものを映す瞳を持って生きて来たなら、人に言えぬ苦労も目にし、背負っただろう。

 歌雲の、あの年に合わぬ妙に世慣れた雰囲気は、そこから来たのかもしれなかった。

 

『白公子!文天殿に着きましたよ!』

「ん?あ、すまぬ、少々考え事をしていた。しかし、どうやって入ったものだろうかなぁ」

 

 知らぬ間に橋を渡りきり、宮殿の前で首を傾げて鵲梁が考え込んだときである。

 内側から重々しい音を立てて扉が開き、小さな人影が飛び現れる。

 地上の文官が身に纏う絹の官服を着、頭に銀の冠を乗せた小柄な少年が鵲梁と無丈の前に現れたのだった。

 

 くりくりした大きな黒い瞳の少年は、たっぷりと余っている袖を持ち上げて礼を取る。

 歌雲よりもさらに幼い、まだ十を超えるか超えないかといった年頃の子どもである。

 同じく礼を返してから、鵲梁は少年を見て眉を上げた。

 

「広寿文天君、出迎え感謝する。随分久しぶりだな」

「ご挨拶だな、青義道人。お前はわれを、林器りんきと呼んでいいと言っただろうが」

「そうだったか。では改めて久しぶりだ、林器りんき。地上を歩いていたお前に廟を貸して以来だから、百年ぶりか?」

「百一年と三ヶ月ぶりだ。大雑把なことを言うな」

 

 腰に手を当ててふんぞり返った少年神の銀冠を上から見下ろし、鵲梁はほっと胸を撫で下ろしていた。

 先ほどちらりと無丈に地上に来ていた文神の話をしたが、その神こそがこの幼い少年姿の文神、広寿文天君こうじゅぶんてんくんこと、林器りんきである。

 宿として廟を貸しておいてよかったと、鵲梁は過去の己の行動に感謝していた。

 

 一方、無丈は突然の展開に戸惑ったのか声を閉ざしていた。

 

「無丈、おい無丈?どうしたのだ?」

「驚いたんじゃないか。お前のような田舎神が、文神筆頭の我と親しく言葉を交わす事実に驚いてな」

「相変わらず口が悪いなぁ。また部下を困らせているのではなかろうな」

「我は与えられた仕事はこなしているし、信心も篤い。文句を言われる筋合いなんてない」

『ち、ちょっとお待ちを!……白公子、こちらの方とお知り合いだったのですか?』

「ああ、まぁな。そうでなくば、文神を頼るなどと言わんよ。さっきも言ったが、こちらは李林器だ。科挙を志す者たちからの祈りが絶えず、文神の筆頭として名高いな」

「当然だ。我は地上にありしとき、十三で進士登第したんだからな!」

 

 進士とは、地上の国々が行う官人登用試験の合格者のことである。

 地上を統ぶる国が変わろうと続けられている極めて難解な試験で、その分優秀な人間が官吏として国に仕えることになるのだ。

 史書に名が残るような百年に一人の天才が、ほぼ生まれたときから倦まず弛まず努力をしても、十九ぐらいにならなければ合格しない試験である。

 それに十三で通った少年の名は長く世に残り、当人はこうして文の神として天界へ昇っている。

 幼い姿であればあるほど己の逸話と天才性を引き立てと知っているからこそ、文神はこの姿かたちを好んで取っているのであった。

 腕をゆるりと組んで首を傾け、鵲梁はのんびりとした空気を纏ったまま口を開いた。

 

「おぅい林器、お前は無丈に威張るのも当然の才気の持ち主だが、その才能と若さ幼さを妬まれて、十四そこらで毒を盛られて夭折したのだろうが。多少は当たりをよくして、敵をつくらぬように立ち回ったほうがよいぞ?神になっても、無敵ではないのだしな」

『えっ?』

 

 ぎくり、と林器が子どもらしい細い肩をはねさせた。

 

「うるさいぞ田舎道士。算盤勘定がまるで駄目だから出家したやつに、我の生前をあれこれ言われる筋合いはない。第一、我に毒を盛った輩は即座に処刑されたし、陛下から追悼の詩も賜ったのだぞ!」

「ンぅむ……」

 

 鵲梁は、軽く頷いた。

 余計な口出しとわかっているのだが、林器の幼い見た目は遥か昔に家に置いて来た妹たちを思わせてつい言ってしまうのだ。

 幼くして死んだという話を知ってからは、尚のことだ。

 顔を赤くし、今にも地団駄踏みそうな少年文神とは以前地上で出会ったときもこういう話をして、同じように林器は耳と首と顔を赤くして怒った。

 だが、結局帰るときに天界へ来ることがあるならば文天殿を訪ねて構わないと言われたのだ。

 ずけずけと物を言ってありふれたお節介な忠告をした鵲梁は、却って林器には新鮮な相手だったらしく、奇妙に懐かれたのだ。

 人の子どもであったころ、林器の周りにそのような相手はいなかったのだろうか。

 

 少なくとも、友人は少なかったのだろうなと鵲梁は生温い眼のまま肩をひょいとすくめる。

 

「鵲梁、あれだけ土地を出なかったくせに、お前は天界へ何をしに来たんだ?まさか、我に説教するためだけに来たわけではないだろう。龍剣なんて携えて、随分物々しいじゃないか。我に頼み事でもあるのか?」

「おー、そうだったそうだった。お前、以前俺の廟へ来たとき、地上の人間の記録すべてを網羅した書をため込んだ書庫があると言っていただろう」

「言ったが、それがどうした?」

「そこを、見せてくれ」

 

 鵲梁は無駄に清々しい笑顔で告げ、林器は口をぱかりと開けた。

 

「央山の龍公女、阿丈に頼まれてな。数百年前あやつのとこから逃げ出した、人間の恋人を探し出さなければならないのだ。見つけられなければ、央山が崩れて地上も揺れるだろう。協力してくれんか?」

「龍の恋人になっておきながら、逃げただと?信じられん愚か者だな!龍と心を通わせておいて、その人間は何をしているんだ!龍の執着の度合いを知らないのか!」

 

 怒る林器をどうどうと抑えながら、鵲梁もかぶりを振った。

 

「何が起きたか、誰が何を為したかは俺もわからぬ。わからぬから、文において科挙圧巻なお前を頼りにして来たのだ」

 

 少年神は、虚を突かれたように丸い眼を瞬かせた。


「……確か、央山州はお前の信仰が最も盛んな場所だったな。そこを失えば、お前は神でなくなるかもな」

「ああ、そうだな。それもある。まぁ、とにもかくにも俺は大変に困っているのだ。林器、助けてくれ。以前、廟を宿として貸した誼があるだろう?」

「ふん!お前は、我が以前の言葉を忘れるほど阿呆と思っているのか。書庫でも何でも使えば良い。ただし、絶対に書を傷つけるなよ!」

 

 衣の裾を翻して己の宮殿へ戻ろうとする林器のあとを、鵲梁は慌てて追いかける。

 関門を、またひとつくぐり抜けることができたようだと思いながら、彼は小さな背中を追いかけて宮殿へ足を踏み入れるのだった。

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