第48話 土佐坊、義脛の討手として京に上る事10

■文治元年(1185)10月

 土佐坊は味方が討たれ、あるいは落ちて行くのを見ていた。

 しかも長男の太郎や従兄弟の五郎が捕らえられて、生きても仕方ないと思ったのか、残った十七騎で覚悟を決めて戦った。

[訳者注――義脛直属の配下だけではなく、在京の武士も駆けつけているので戦力差は如何ともし難かった。この時に協力したのは源行家の軍勢だと思われる。実は土佐坊による襲撃の前に多くの御家人は源範頼に率いられて鎌倉に帰還していた。これは京における義脛から戦力を切り離そうとする頼朝の作戦であったと言われている]


 しかし敵わないと思ったか、義脛側の徒歩かちの兵を馬で駆け散らして、六条河原まで逃げ出した。それまでに十七騎のうち十騎は落ちて残りは七騎になっていた。

 土佐坊は賀茂川に沿って北の鞍馬山を目指して落ちて行った。


 鞍馬寺の別当はかつて義脛の師匠であり、僧たちとも深い付き合いがあった。

[訳者注――『牛若、鞍馬寺に入るの事』に鞍馬寺での幼い頃の義脛の生活が描かれている]


 そのため鞍馬寺の人々は後の事は考えず、義脛が望むのであるのならと鞍馬寺の総力を挙げて追手となり、土佐坊の行方を探した。

[訳者注――頼朝から追討命令を出された義脛に味方をすれば責任を取らされることは予想できるが、それでもなお鞍馬寺は義脛を手助けしている]


「頼りにならぬ者ばかりだな。土佐の奴を逃がしたとは無念である。決して逃すな」


 義脛の命令に堀川殿を在京の者たちに任せ、義脛の配下である武士たちは一人残らず土佐坊を追いかけた。


 土佐坊は鞍馬も追い出され、僧正が谷に隠れた。

[訳者注――『牛若の貴船を詣でるの事』にもあるように、ここは義脛が天狗から剣術を学んだ場所である]


 大勢が後を追って攻めたので、土佐坊は鎧を貴船大明神に脱いで捧げ、ある大木の空洞に逃げ込んだ。


 弁慶と片岡は土佐坊を見失っていた。


「いずれにせよ、土佐坊を逃してはよくやったとは言っていただけまい」


 あちらこちらを探し回していたが、喜三太が向こうの倒木の上に立っていた。


「鷲尾殿が立っておられる後ろの木の空洞で、何かが動いているようで怪しく思われます」


 そこで鷲尾は太刀を打ち振りながら近寄ってみる。


 土佐坊は見つかると思い木の空洞から出て、一目散に山を下って行った。


 それを見た弁慶は喜び勇み、両手を拡げてこう言った。


「憎い奴がどこまで逃げるつもりだ」


 弁慶は追いかけたが、土佐坊は足が早かったので、弁慶よりも三段(30メートル)ほど先を進んでいる。


「俺がここで待っているぞ。ここまで追いやればよい」


 遥か下の谷の底で待ち構えていた片岡がそう声を上げる。


 これを聞いた土佐坊は下るのはよくないと思い、険しい崖を避けながら這い登ろうとする。


 今度は佐藤忠信が大雁股を弓に番え、逃がすまいと矢先を少し下げて控えめに弓を引き狙いを定めた。


 土佐坊はもはやこれまでと観念したのか、腹も切れずに武蔵坊にみっともなくも捕らえられた。


 それから鞍馬寺へ連れて行き、東光坊より僧を五十人付けて義脛の許へと送られた。


「土佐坊を連行して参りました」


 そうして大庭に据えると、義脛は縁に出てこう言った。


「さて、昌俊よ。起請文は書けば霊験があるものだ。それを知りながらどういうつもりで書いたのか。生きて鎌倉に帰りたいのなら帰してやるが、どうする」

[訳者注――起請文に書いたことを破れば神仏による罰を受けると信じられていた。なにより一味神水いちみしんすいとして燃やした灰を入れた神水を飲んでいるのでより強い効果があると考えられている]


 土佐坊は頭を地に付けてこう言った。


「猩々は血を惜しむ。犀は角を惜しむといいます。そして日本の武士は名を惜しむものです。生きて帰って侍たちにあわせる顔はありません。ただお慈悲を持って一刻も早く首をお切りください」

[訳者注――暗殺失敗の咎を責められるだけではなく、首謀者である土佐坊が生きて鎌倉に戻れば義脛となんらかの密約を結んだのだろうと殺されても不思議はない。どちらにせよ土佐坊の命はない]


 義脛はこれを聞き、武蔵坊に問うた。


「土佐坊は剛の者であるな。だからこそ鎌倉殿が頼りにしたのであろう。さて、優秀な召人を斬るべきであろうか、なかろうか。武蔵坊はどう思う」


「大力の者を牢屋に閉じ込めておいても牢が壊されるだけのこと。すぐに斬るべきでしょう」


 喜三太に綱を引かせて六条河原まで土佐坊を引き出し、駿河次郎を斬り手にして斬らせた。


 相模八郎、同じく土佐太郎は十九歳、伊北五郎は三十三歳にて斬られた。


 討ち死にから逃れた者たちが東国に下り鎌倉殿の御前に参上してこう報告した。


「土佐坊は暗殺に失敗し、義脛殿に斬られました」


「この頼朝の代官として遣わした者を、捕らえて斬るとは憎いことよ」


「義脛殿が土佐坊たちを斬られたのは当然であろう。自分を討とうとした相手なのだから」


 頼朝の言葉に、侍たちはひそかに言い合った。

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